銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第十四話:努力の味 宇宙暦789年 惑星シャンプール、第七方面管区司令部

 従卒というのは簡単にいえば召使いだ。上官が執務している間の食事の用意、掃除、お茶くみ、荷物持ちなどをする。基本的に上官に同行しているが、デスクワーク中の雑用は副官が担当することが多く、よほど人使いの荒い上司でなければ従卒は控室で待機させられる。上官が会議に出ている間も従卒にはやることがない。そのため、勤務時間中でも三〇分、一時間と小刻みな空き時間が生じる。通常勤務が終了する夕方五時から消灯の夜一一時までの六時間だけでは、必要な勉強やトレーニングをこなしきれない。従卒勤務の合間の空き時間で勉強時間を確保させるというのが俺の上司である第七方面管区司令官ワドハニ中将の意向だった。

 

 勤務時間が終わっても従卒は荷物持ちとして上司の官舎まで付き添うのが普通だが、俺はワドハニ中将を司令部の入り口まで送るだけで良い。その後で食堂に行って夕食を摂る。六時から体育館でバラット軍曹の指導のもとで二時間のトレーニング。トレーニングを終えると急いで部屋に戻り、シャワーを浴びる。その後は消灯まで自習。イレーシュ大尉ら家庭教師への質問は携帯端末での会話やメールなどを通して行う。希望すれば直接指導も随時受けられる。

 

 ワドハニ中将が行事出席や視察などで遠方に行く場合は随行するが、空き時間を自習やトレーニングに充てる。一日で自習に使える時間は三時間から五時間。勉強時間が足りるのか不安になった俺はイレーシュ大尉に消灯時間後も勉強したいといったが却下された。

 

「勉強は時間より密度だよ。疲れた頭で長時間やっても意味ないよ?」

「君が六時間、七時間も集中できるわけないでしょ」

「勉強できない子に限って、長時間机に向かえば何とかなると思ってるんだよ。ぼんやり参考書眺めてるだけじゃ学力付かないのにね」

 

 立て続けに浴びせられる容赦無い言葉。ただただ恐れ入るしかなかった。

 

 大尉から渡された問題集と参考書はミドルスクールレベルでは一番簡単なものだったけど、俺にはさっぱり内容がわからなかった。かつての自分がミドルスクールの卒業単位を取得して、ハイスクールまで進学したことが信じられない程だった。

 

 最初のうちは大尉らに側についてもらって、言われたとおりに問題を解いた。解き方の流れやポイントを覚えて、自分がなぜ解けなかったか、どうすれば解けたかを考えることを意識するように言われた。勤務中の空き時間は暗記に使う。やがて問題の解き方を自分で考えられるようになり、日ごとに解ける問題が増えていく。解けなかった問題も解答を見ると、「なぜそうなるのか」という筋道が見えるようになった。

 

 これまでの俺にとっての勉強はなんとなく授業を受け、なんとなく問題を解いて、なんとなく頭に残っているものだった。しかし、今は自分が学んでいることの意味を考えながら勉強している。わかるということがこれほど楽しいとは知らなかった。日に日に自分が進歩しているという手応えを感じるのは心地良い。勉強していると時間があっという間に過ぎていき、気が付くと消灯時間になっている。あっという間に日にちが過ぎていく。

 

「どうでした?」

「正答率九五%。良くやったね」

 

 全科目の問題集と参考書をやり終えた俺は理解度を測るためのテストを受けた。正答率が九二%を超えたら次の段階に進むことになっていたのだ。これで次に進めると思うと、うれしくなってくる。

 

「それにしても二ヶ月で仕上げるなんてねえ。三ヶ月の予定だったのに。予想以上だよ」

 

 ため息をつくイレーシュ大尉。目力が弱くなったように感じたのは気のせいだろうか。

 

「トレーニングも頑張ってるみたいだね。最近がっちりしてきてるよ」

「先週、体力検定六級の基準クリアしました」

「そっちも二ヶ月かあ…」

 

 大尉はまたため息をつく。

 

 トレーニングも勉強に劣らず楽しかった。最初にバラット軍曹は俺の遠投のフォームをチェックし、何度も何度も修正をした。それから遠投をすると、距離がぐんと伸びた。驚く俺に軍曹は言う。

 

「体は正直だ。正しく使ってやれば必ず応えてくれる。鍛えればもっと遠くに投げられるぞ。正しいフォームで鍛えて、しっかり休ませてやる。それだけで面白いように伸びる。トレーニングは楽しいぞ!」

 

 それから、軍曹は体力検定の全科目とそれに必要な体力をつけるためのトレーニングのフォームを俺に徹底的に叩き込んだ。ペースや運動負荷などは軍曹が調整していたが、「これぐらいのきつさが一番伸びる」「このきつさでは疲れてしまって伸びない」などと調整のたびに感覚的に理解できるよう教えてくれた。

 

 俺にとっての運動は勉強と同じようになんとなく体を動かすものだった。それが正しい体の使い方、正しいペースや負荷などを理解して運動するようになると、とても意味があることをしている気分になって面白い。きつかった動きがスムーズにできるようになり、数字が伸びていくたびに達成感を感じる。体にどんどん筋肉が付いていくのも気分が良かった。目に見える成果が出ると、やる気が出てくる。

 

「体や頭を使うってこんなに楽しかったんですね。知りませんでした」

 

 イレーシュ大尉にしみじみと語る俺。

 

「君はもっともっと伸びるよ。まだ始まったばかりだから。まだまだ楽しくなっていくよ」

 

 大尉が言ったとおり、俺の実力はどんどん伸びていった。家庭教師陣の中には成長が早すぎて頭打ちになるのを危惧する声もあったが、俺の実力は伸び悩む気配をまったく見せなかった。

 

 勉強を始めた頃はどの教科も不得意だったけど、今は得意不得意がはっきりとしてきている。

 

 公用語は文法がやや弱いが、読解と論述には自信があった。古典語は東方古典・西方古典ともに散文は得意だけど韻文は苦手だ。数学は一番敬遠していた科目だったが、いざやってみると相性がとても良い。明快な論理性が単純な俺の性格に合っていたんだろう。社会科学は勉強を始める前から唯一興味のあった分野だ。現実では歴史、英雄になってからは法律や経済などの本を読んでいた。下地があったせいか学習はすんなり進んだ。同盟史と法律が特に面白い。自然科学は生物・物理・化学ともに伸び悩んでいる。数学が得意なのに自然科学が苦手というのも妙な話だが、苦手なものは仕方ない。

 

 総合すると士官学校の合格圏内に入っている。最後に受けた模擬試験では合格可能性六十八%だった。

 

 運動能力においてもやはり得意科目と不得意科目ははっきりしていた。持久力科目と瞬発力はよく伸びたが、筋力科目は伸び悩んだ。体力検定の級位は六科目中最低点を取った級に準じる。持久力二科目と瞬発力二科目は全部三級相当まで伸びたが、筋力二科目のうち一科目は四級相当、一科目は五級相当までしか伸びず、総合的には五級相当だった。四級が軍人の平均だから、平均よりやや劣る。筋力科目は伸ばすのに一番時間がかかり、俺のように低い級から短期間で伸びた人間にとっては鬼門なのだそうだ。バラット軍曹は「あと二年あったら三級まで伸ばせたのに」と残念がっていた。

 

 試験前日に緊張のあまり腹痛を起こし、当日に筆記用具を忘れて会場がある基地内の売店で購入するといったアクシデントがあった。試験場に入って一つしか無い席を見た時、緊張が頂点に達する。今年、幹部適性資格推薦を受けたのは俺一人だったのだ。そのまま心臓が止まってしまいそうだったが、試験が始まって問題用紙を開くと見慣れた問題が出てくると、緊張が嘘のように解けていく。

 

 学科試験は概ね満足できる出来だったけど、得点を稼げるはずの数学でとんでもない間違いをしたことだけは後悔が残る。小論文は会心の出来だった。面接では事前にイレーシュ大尉と行った模擬面接の内容をど忘れするという悲運に見舞われたが、いざ本番になると言葉がスラスラ出てきた。英雄やってた頃に人前でたくさん綺麗事を喋って慣らしたおかげかもしれない。体力試験ではなんと四級相当の数字が出た。練習しても四級に遠く届かなかった科目が本番でいきなり届いたのだ。俺的には快挙だったが、試験官は大して驚いていなかった。准尉や曹長から無試験で幹部候補生養成所に入ってくるような者はみんな三級や四級程度の体力がある。俺が四級でも有り難みは全くない。

 

 試験が終わると、急に不安が襲ってくる。出来が良かったと思えた科目も間違いばかりだったように感じ、面接でも調子に乗って変なことを言ってしまったような気がした。「たぶん落ちると思います」とイレーシュ大尉に言うと、困ったねえという表情で首を傾げてから、「大丈夫だと思うけどねえ」と言われた。

 

 同じことをバラット軍曹に言うと、「過ぎたことにくよくよしても仕方ない!一緒に走ろう!汗をかけ!」と言われ、一緒にグラウンドを走ることになった。四〇〇メートルのグラウンドを20周ぐらい走ると、「腹が減っただろう!飯を食おう!」と軍曹はとびっきりの笑顔で言った。

基地の食堂では二人でひたすらバイキングのおかずをモリモリ食べる。

 

「うまいだろう!」

「はい!」

「体を動かせば気持ちいい!飯を食えばうまい!どんな時でもそれを忘れるな!」

「はい!」

 

 軍曹の言ってることはわけが分かんなかったけど、俺の心はすっきりと晴れていく。

 

 試験結果を待っている間の俺は宙ぶらりんな気持ちだった。全部終わってしまって、もう自分には何も出来ないということが寂しかった。従卒としての勤務をこなし、終了後はトレーニングに熱中した。ヘトヘトになってからシャワーを浴び、バラット軍曹と一緒に外出して彼の奢りで民間の食堂でひたすらチキンと米飯を食べる。ひたすら体を動かして頭を空っぽにしてからたらふく食事すると、それだけで幸せな気持ちになる。

 

 軍曹がクリスチアン少佐の部下だった頃も夜のトレーニングが終わると、部隊のみんなで連れ立って安食堂に行き、当時は大尉だった少佐の奢りでチキンと米をモリモリ食べていたそうだ。まるで運動部みたいだと俺が言うと、「その通りだな」と軍曹は笑った。ただ、こういう部隊は滅多に無いらしい。普通の指揮官は勤務成績の点数ばかり気にしていて、事なかれ主義に流れがちなのだという。

 

 「上の評価ばかり気にするような奴に部下が付いてくるものか!民間で事務員でもやってるのがお似合いだ!」

 

 軍曹はそう言って腹を立てていた。

 

 宙ぶらりんな時は単純な人の存在がありがたい。難しいことを考えるのがバカバカしくなる。

付き合って飯まで食わせてくれる軍曹にはいくら感謝してもし足りない。

 

 試験が終わって一〇日がたったある日。イレーシュ大尉から呼び出しがあった。試験結果がわかったのだという。来るべき時が来たと思った。心臓がバクバクする。お腹も痛くなってきた。途中で二回トイレに入った。逃げ出したい気分だけど、そうしたところで試験結果は変わらない。イレーシュ大尉がいる部屋の前に着いた俺は扉をノックする。「入れ」と声が帰ってくる。もう引き返せない。俺は覚悟を決めてドアを開けた。


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