銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第十五話:イレーシュ大尉の最後の授業 宇宙暦789年 惑星シャンプール、第七方面管区司令部

 部屋に入ると、イレーシュ・マーリア大尉は腕組みをしてデスクに座っていた。面白くなさそうな表情で俺を見ている。目付きが鋭いものだから、知らない人には腹を立ててるように見えるかもしれない。

 

「エリヤ・フィリップス兵長」

「はい」

「第八幹部候補生養成所より試験結果の通知が届いた」

 

 きたか。奥歯を噛みしめる。

 

「合格」

 

 ごうかく、合格…!?本当に?俺があの試験を突破できたのか?

 全然現実感がない。一年間ずっとこのために勉強したはずだったのに。なんかあっけないというか。嬉しがるのが普通なのかな。

 

「聞こえなかったのかな。もう一度言うよ。合格」

「はい」

「つまらないね。もっと喜んでよ」

 

 大尉は心底からつまらなさそうに言うけど、この人が面白そうにしているのを見たことがないから、いつも通りなんだろう。

 

「いや、現実なのかなあと思いまして」

 

 夢の中なのはわかってるけど、それでもあまりに非現実的なことが起きると、びっくりを通り越して受け入れるのを本能で拒否してしまう。

 

「現実なんだよ、それが」

「そうなんですか」

「そうなんだよ。それも士官学校の合格基準を大幅に上回っての合格なんだよ。凄いよね。現役で受けてたら戦略研究科行けたかもしれないね。私も行きたかったよ。経理研究科も悪くなかったけどさ」

 

 なぜか大尉の口調に毒がこもってる。どうしたんだろう?この人は俺が合格したのが気に入らないのかな。

 

「冗談はやめてくださいよ」

「本気で言ってるんだよ」

 

 大尉の目がぎらりと光った。ただでさえ強い目力がさらに強くなる。なんなんだよいったい。まずいな。

 

「私は今から真面目な話をします。真面目な話なので真面目に聞いてください」

「はい」

「今だから言いますが、君と最初に会った時は絶対落ちると思っていました。学力がないのはともかく、それを全然悔しがってなかったでしょ?ああ、この子は向上心ないんだな、ルックス良くて素直なだけの子がたまたま英雄になっちゃっただけなんだなと思っていました。良い子なんだろうけど勉強には期待できないなって」

 

 ルックス良いとか素直とかはともかく、向上心がない、たまたま英雄になっただけってのは当たってる。勉強なんてできなくて当然って思ってたから、できなくても悔しくならなかった。

 

「君ね、これまでの人生で頭や体をちゃんと使ったこと一度もなかったでしょ?」

「はい」

 

 努力しても意味が無いって思ってたけど、今になって思うと努力なんてしたことはなかった。俺にとっての勉強はなんとなく覚えているもの。運動はなんとなく体を動かすものだった。今回のように目標を持って自分で考えて努力することはなかった。

 

「ちゃんと使えばこれぐらいのことができるんだよ。君はやればできる子です」

「そんなこと…」

「褒めてるんじゃないよ。やればできるなんて何の自慢にもなりません。やらなきゃできないんでしょ?これまでの自分を振り返ってください」

 

 ぴしゃりとはねつけられる。

 

「もっと早くやっていれば、君は現役で士官学校に入って上位で卒業できてたかもしれません。国立中央自治大学を出て官僚になってたかもね。ハイネセン記念大学を出て一流企業に就職するのもありかな」

 

 いくらなんでもそれは大袈裟すぎだ。この三大難関校の現役入学者って合計しても毎年五万人ぐらいしかいないんだぞ?三〇〇〇人に一人ぐらいしか入れない。俺のいたミドルスクールでぶっちぎりに優秀だった奴が三人いた。校内の試験ではこの三人が持ち回りで一位を占め、大天才のように言われていた。そんな奴らですら、一人がハイスクールを出た後でハイネセン記念大学の三年次編入学試験に合格したのみ。あいつらにできないことが俺にできるわけがない。

 

「さすがにそれはないですよ」

「実際に君は一年で士官学校に合格できる学力を身につけたでしょ?ミドルスクールでちゃんと勉強してたら、今頃どこまで伸びていたことか。現役で入った子たちは五年前の時点で今の君と同じぐらいの学力あったんだよ。つまり、君は五年遅れたんです。その間、現役で入った子たちはもっと先に行ってます」

 

 確かに俺は一年で受かったけど、大尉達の教え方が良かったんだと思うよ。たぶん、チンパンジーに勉強教えても士官学校合格させることができるんじゃないか。俺、本当に勉強嫌いだったもん。

 

「現役で入るような人達と比べられても…。物が違いますよ」

「君の能力は彼らと比較してちょうどいいぐらいです。どれほど大きな可能性を君は失ったのか、ちゃんと認識してください。君にはやればできる子じゃなくて、やる子になってほしいんです」

「努力嫌いだったんですよ。ほら、俺怠け者ですし」

「嘘だね。努力大好きでしょ。君ほど楽しそうに勉強する子見たことないもん」

 

 確かに勉強は楽しかった。でも、それは大尉達が正しい勉強のやり方を教えてくれたからだ。できることがどんどん増えてくのが気持ち良かった。努力ってこんな楽しい物じゃないだろ。やりたくないことをやれるのが努力じゃないのかな。

 

「それは大尉達の指導が良かったからでしょう?いくら俺が怠け者でも、できるようになったらやる気出ますよ。つまらないことはやりませんよ」

「私達は勉強は指導できても、性格までは指導できません。復習ってつまらないから、普通はほどほどにやって先に進みたがるの。暗記もみんなやりたがらないよ。伸びる喜びがめんどくささに負けちゃうんだね。でも、君は全然苦にしてなかった。自分が伸びるためなら、暗記も復習も喜んでやってたよね。そんな努力好きが今まで努力したことがなかったなんて不思議だよね。どうしてだと思う?」

 

 怠け者とは何度も言われたけど、努力好きって言うのは初めて言われたぞ。そういえば、クリスチアン少佐も俺のことを根性あるって言ってたっけ。士官学校出た大尉や陸戦隊で鍛えられた少佐は頑張り屋なんていくらでも見てるんだよな。あの二人が言うってことは俺は努力好きってことなのか?でも、そんな人間が二〇年も生きてて努力をしない理由なんて思いつかないぞ。

 

「良くわかりません。自分が努力好きっていうのもピンと来ないし。努力なんて無駄だと思ってたんですよ。勉強できる奴が良い点取るの見ると敵わないと思ってました。スポーツできる奴が活躍するの見ると自分にはできないって思ってました。頑張ってもできっこないし、やりたいこともなかったんですよ。意味もなく頑張れるほど努力好きじゃないんです、俺は。大尉の見込み違いですよ」

「理由わかってるじゃない」

「え…?」

「人間はなれると思ったもの以上にはなれません。単純な話だけど、士官学校に入ろうと思わない人は入れない。受験しなきゃ入れるわけないよね。なろうと思った人がみんななりたいものになれるわけじゃないけど、それでも最初になろうと思わなければなれないの。君はどうせ敵わないと思って目標を低く設定しすぎてました。人並み以下を目指してたら、人並み以下にしかなれないよ」

「でも、高い目標を設定したらきつくないですか?達成できなかった時のことを思うと…」

「じゃあ聞くけど、学校に通ってた頃と今のどっちがきつい?目標もなければできることが少なくてひたすら時間が過ぎるのを待っていた昔と、高い目標を目指して頑張れば頑張るほどできることが多くなる今。試験落ちたら後悔してた?勉強やトレーニングしても無駄だったって思う?前とは比較にならないぐらいできること増えてるのはわかるよね」

 

 昔のことを思い出す。受けてもわかる気がしない授業。自分には解けるとは思えない問題。まったく活躍できない体育の授業。ついていけない部活の練習。

 

 今のことを考える。仮に試験に落ちたとしても、俺が努力して身につけた学力や知力は残る。できないことがあっても、努力で何とか出来るかもしれない。昔のような思いはしなくて済む。

 

「…昔です」

「今回、士官を目指してみてわかったでしょう?できるって楽しいよね。目標を達成するって楽しいよね。君は努力すれば大抵のことは人並み以上にできます。士官になるのはスタート地点に過ぎません。高い目標を見つけて頑張ってね。これからもっともっと楽しくなるよ。以上、マーリア先生の最後の授業でした」

 

 微笑むイレーシュ大尉。最後の授業…。そうだ、これでおしまいなんだ。試験に合格しちゃったから。大尉ともバラット軍曹とも他の先生達ともお別れなんだ。一度も俺のことを怒らなかった初めての上官ワドハニ中将とも。

 

「最初の二ヶ月ぐらいはね、いつまで続くのかと思ってましたよ。四ヶ月ぐらいから本物だって気づいて、半年過ぎる頃には絶対に合格してほしいと思ったね。努力が報われてほしい。努力を信じられるようになってほしい。君を見るたびに祈るような気持ちになったよ」

 

 何て答えればいいんだろうか。「ありがとうございます」も「すみません」も嘘っぽく聞こえる。この人とこれだけ長く話すのはたぶん最後なのに。肝心なところでしっくりくる言葉が出てこない。

 

 くそっ、なんで涙が出てくるんだ。泣くとこじゃないだろ、ここは。何か、何か言わなきゃ。

 

「そして、ようやく合格してくれた。私は嬉しくて嬉しくてたまらないのです。今すぐ踊り出したい気分です。それなのに君は全然嬉しそうじゃありません。私一人が喜んでたらバカみたいでしょう?がっかりですよ」

 

 ふぅーと息を吐いて肩を落とす大尉。

 

「しかし、たまにはバカになってみるのもいいかもしれません」

 

 大尉は立ち上がると、ゆっくりと俺に近づいてくる。目はいつにもまして危険な輝きを放つ。 思わず後退りしてしまう。大尉が正面に立った。大尉の長身を見上げる俺。本能が”逃げろ”とささやくが、足が動かない。両手をギュッと握られる。強く握られすぎて手が痛い。大尉はきれいな顔をくしゃっと崩して笑う。いつもの整いすぎた笑顔とはぜんぜん違う笑顔。

 

「エリヤくん、合格おめでとー!!!!」

 

 握った俺の両手をブンブン上下に振って子供のようにはしゃぐ大尉。

 ああ、そうか。こういう時は言葉なんていらないんだ。笑えばいいんだ。

 

「あー、わらったわらったー!!!!かわいー!!!!」

 

 大尉のテンションがさらに上がる。つられて俺もどんどん嬉しくなっていく。自分が試験に受かったって実感はまだないけど、こうして喜んでくれる人がいる。それがとても嬉しい。やっぱり努力して良かった。大尉の最後の授業、素晴らしかったです。

 

 ドンドンとドアを叩く音がする。大勢の人の気配がする。

 

「大尉、まだですかー?」

「いい加減待ちくたびれましたよー」

「エリヤ君を独り占めにするのもほどほどにしてくださいねー」

 大尉はしまった、という顔になってぺろっと舌を出す。

「あー、ごめん!みんな入ってきていーよー」

 

 ドアが開くと、部屋の中にワッと人がなだれ込んできた。

 

 バラット軍曹、『よく食べるねー』っていつもニコニコしてた食堂の給養員さん、俺のために家庭教師を引き受けてくれた人達、廊下とかでがんばれよーと声をかけてくれた人達。あっという間にもみくちゃにされる俺。

 

「おう、良くやったな!」

「まさか本当に合格しちゃうなんて思わなかったよ!」

「フィリップス君すげーわ」

「次は提督目指そうぜ!」

 

 何を言おうかなんて思わなかった。ただ笑っていた。笑ってるだけで楽しかった。次も頑張ろう。何を頑張るかは後で考えるけど、また頑張ろう。そして笑おう。そう思った。


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