銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第十六話:友達がいない理由。敬意と好意の違い 宇宙暦790年 惑星シャンプール、第8幹部養成所

 自由惑星同盟軍の士官ポストは約三五〇万にのぼるが、そのすべてを年間五〇〇〇人程度の士官学校卒業生で賄うことは不可能である。士官学校で参謀教育を受けていないと務まらない上級職以外の士官ポストは、下士官兵からの昇進者及び、民間から徴用された専門技術者が占めている。

 

 各部隊から幹部候補生推薦を受けた有能な下士官兵に士官教育を行うのが全国で二十五箇所ある幹部候補生養成所だった。俺が入所した第八幹部候補生養成所は惑星シャンプール南大陸のスィーカル市にあり、第七方面管区に所属する部隊から推薦された者を教育している。

 

 幹部候補生は全員男女別の四人部屋か三人部屋に住み、部隊組織に編成されて生活している。男子部屋一つと女子部屋一つで最小生活単位となる七~八人の班、五班で学級に相当する三〇人前後の小隊、候補生宿舎の同じフロアにある小隊が集まって中隊、同じ棟にある中隊が集まって大隊を構成する。候補生全員が部隊の役職に就き、教官である士官と助教である下士官の指導を受けながら運営に関わることで士官に必要なリーダーシップとコミュニケーション能力を養う。養成所においては日常生活も士官教育の一環なのだ。士官学校も同じシステムを採用している。

 

 一日のスケジュールも軍隊らしく規則正しい。

 

 朝六時に起床し、点呼の後で小隊ごとに担任教官に率いられてランニング。朝のひんやりした空気の中で走ると眠気はあっという間に吹き飛ぶ。

 

 七時から朝食。起き抜けのごはんほどおいしいものはない。

 

 八時に朝礼。同盟の国歌『自由の旗、自由の民』が流れる中、国旗に敬礼する。愛国心が大して強いわけでもない俺でも厳粛な気持ちになるのだから不思議だ。

 

 八時二〇分からは午前の授業。学科では指揮法や教育指導技術を学ぶことで部隊運営の基本を修得し、同盟軍の組織制度や軍事関連法規を学ぶことで軍隊を広い視野で理解し、戦術理論や戦史を学ぶことで用兵の基礎を知り、艦船や武器や通信装置などの基本性能を学ぶことでハードに関する理解を深め、管理職たる士官に必要な基礎知識をひと通り学ぶ。候補生に推薦されるような下士官は優れた専門技術を持っているが、それだけでは士官は務まらないのだ。

 

 白兵戦技や射撃術などの実技教育、フライングボールや水泳などの体育も大事だ。『士官は体を張れないと部下に信用されない。士官は戦士でなければならない』とリーダーシップ論の授業で言ってた。これまで読んだ歴史の本では『陣頭指揮をとる士官は戦死のリスクを考えない愚か者。後方で部下に指示を出していればいい』と書いていて、同盟軍士官教育の実技・体育重視を反知性主義と批判していた。俺も以前は本の記述を鵜呑みにしていたが、クリスチアン少佐やバラット軍曹の話を聞いていると同盟軍の士官教育が合理的に見えてくる。

 

 十二時になったら昼食。授業で頭を使った後に食べるごはんほどおいしいものはない。

 

 午後の授業は十三時から十六時三十分まで。内容は午前と同じだ。

 

 十六時四十五分から十七時四十五分までは自主学習の時間。自主的に勉強やトレーニングを行うが、行事の練習にあてられることも多い。各部隊の構成員全員が参加する定例運営会議もこの時間帯に開かれる。

 

 十八時から二十時までは夕食と入浴の時間。一日の課業を終えてから食べるごはんほどおいしいものはない。食後のお風呂で汗を流すと生き返った気分になる。唯一の休息時間だが、各部隊の隊長・副隊長はそうもいかない。隊長と副隊長が参加する隊長会議はこの時間帯に開かれるからだ。

 二〇時からは自習時間。小隊ごとに自習室に集まって予習復習に励む。

 

 二十三時に消灯だが、希望すれば24時まで自習時間を延長できる。

 

 学科の勉強はまったく問題なかった。予習復習を欠かさず、自習時間も毎日延長していたおかげで常に上位をキープできていた。授業が理解できる、試験で上位を取れるというのは生まれて初めての経験だ。生活態度でも良い評価を受けているおかげで養成所の中では優等生扱いされることが多い。みんなにできる奴と思われると、本当にできる気になってくる。俺って本当に単純だ。

 

 体育の成績は良くない。フライングボールやバスケットボールなどの団体競技がどうしようもなく苦手だった。基本動作は自主活動時間に練習したおかげで上手にできるようになったけど、連携プレイがまったくできない。これまでの人生でチームワークの経験が皆無だったことが尾を引いている。水泳は苦手どころかまったくできない。もともとは泳げたんだけど、現実で志願兵として軍隊に入った時に手足を縛られてプールに投げ込まれてから水が怖くなってしまった。できないことができるようになる喜びを知っただけに、できたことをできなくされてしまったのを自覚するのは一層悔しい。団体競技と水泳の失点を持久走と短距離走の好成績で埋め合わせている。

 

 実技の成績はわりと良い。同盟軍人が修得すべき白兵戦技の基本といえば徒手格闘術・戦斧格闘術・ナイフ格闘術の三つだが、日常的に鍛錬しているのは陸戦科出身者ぐらいだ。砲術科や飛行科といった戦闘職種でも白兵戦技の鍛錬はあまりしない。彼らに必要なのは実戦に耐えうる体力であって、白兵戦技の技量ではないからだ。養成所の全校白兵戦技トーナメントで陸戦科出身者を何人も破って準決勝まで進出した二〇代半ばの通信科出身者がいたが、この人は勤務をさぼってまで白兵戦技の鍛錬に励んでいたという変人だから例外である。

 

 体力の鍛錬には熱心だけど、白兵戦技の鍛錬にはあまり熱心ではないというのが一般的な同盟軍人だ。だから、未経験の俺でも真面目に練習して基本動作を徹底的に体に叩きこむことで良い成績が取れた。射撃も同様だ。後述するが、良い指導役に恵まれたことも大きかった。

 

 一番の問題は対人関係だった。各地の部隊から集まってきた候補生達は最初の数週間で打ち解けて仲良しグループを形成していったが、俺は見事にその動きから取り残されていたのだ。同じ部屋に住む三人の候補生は悪い人たちではなかったけど、明らかに俺を敬遠している。俺の部屋と同じ班になっている隣の女子部屋の四人もよそよそしい。小隊でも俺は浮いていた。

 

 エル・ファシルから脱出してから、身近にかまってくれる相手がいる生活に慣れてしまっていた俺にとっては、今の孤立はどうしようもなく寂しい。

 

 嫌われているわけではない。成績や生活態度では一目置かれているし、失敗しても厳しい目では見られない。小隊対抗フライングボール大会で味方の足を引っ張って敗戦を招いた時なんてどれだけ白い目で見られるか覚悟してたのに、妙に優しくて拍子抜けしたほどだ。

 

 思えばこれまでの俺は他人に対して積極的にはたらきかけたことがなかった。仲の良かった人はみんな向こうから話しかけてきてくれた人だった。

 

 

 

「おまえさんに遠慮してるんだろうよ」

 

 カスパー・リンツは手にしたスケッチブックに書き込みながら言う。脱色した麦わらのような髪に青緑色の瞳を持つこの男はこの養成所で俺に話しかけてくる唯一の存在だ。現実では亡命者部隊ローゼンリッター連隊長やバーラト自治区地上軍司令官を歴任した高名な陸戦指揮官で俺なんかが口をきけるはずもない超大物だが、今は弱冠二〇歳の幹部候補生にすぎない。もっとも、この年で幹部候補生に推薦された事実そのものがリンツの非凡さを示しているといえるが。

 

「そうかなぁ」

 

 リンツからもらったマフィンを口の中でもぐもぐさせながら俺は答えた。画家志望のリンツは軍人になった今でも絵の道を諦めていなかったようで暇を見ては絵の練習をしている。どういうわけかリンツは俺を絵のモデルとして気に入っていて、モデルの報酬として白兵戦技と射撃術のコーチを引き受けてくれていた。今はマフィンを食べる俺の姿をスケッチしている。

 

「考えてみろ。おまえさんは士官学校入試並みの試験を突破して入った変わり種でしかも英雄様だ。成績も素行も優秀。年齢もだいぶ離れてる。敬して遠ざけたくもなるさ」

「よくわかんないや」

「できない奴は嫌われるが、できすぎる奴も嫌われる。非難する隙がなかったら敬遠するしかない。おれもさんざん経験した」

「そうなん?」

 

 リンツが敬遠されるなんて意外だ。俺に話しかけてることからもわかるように気さくな性格。顔はハンサム、スポーツ万能、絵も歌もうまい。どこにいても人気者になれることは間違いないのに。

 

「なにせ亡命者だからな。無能なら笑い者、有能なら生意気と言われる。生意気じゃなかったら敬遠される。これが自由の国の素晴らしい現実さ。まあ、アーレ・ハイネセンは『自由・自主・自立・自尊』と言ってるから、差別する自由も認めてるんだろう」

 

 考えが浅かった。無邪気に「リンツはいい奴だからみんなに好かれるだろう」と思ってた。思えば同盟が滅亡する前の俺も亡命者を心のどこかで見下していた。あからさまに差別はしなかったけど、帝国から転がり込んできた居候みたいに思ってた。彼らが権利を主張するのをソリビジョンなんかで見ると、「居候のくせに生意気だ」って感じたものだった。彼の優れた能力も俺のような人間に隙を見せないために必死で身につけたものだったのかもしれない。

 

「ごめん」

「敬遠されるのも悪くないぞ。敬意は払われてるからな」

 

 俺が敬遠されてるのはある意味自業自得だけど、リンツはそうではない。笑い者や嫌われ者になるぐらいならせめて敬遠されたいと思って努力したのだとしたら、どうしようもなく切ない。

 

「俺は敬意より好意がほしいよ。凄い奴と思われて敬遠されるより、馬鹿な奴と思われてもいいから好かれたい」

「本音を言うと俺もそうだ」

 

 リンツが白い歯を見せて笑う。

 

「ここを修了したらローゼンリッターに志願するつもりだ。隊員は全員亡命者だから、偏見を気にせずに済む。あそこなら自分が自分でいられるかもしれないと思うんだ」

 

 ああ、なるほど。リンツはそういう理由でローゼンリッターに入ったんだ。亡命者にとってのローゼンリッターって偏見を気にしなくていい場所なんだな。本で読んだだけではなんで隊員の団結力が異常に強いのか理解できなかったけど、自分が自分でいられる唯一の場所だったとすると理解できる。命を賭けてもローゼンリッターと仲間を守りたいと思うだろう。

 

 君が欲しかったものはきっとローゼンリッターで見つかるよ、と心のなかでつぶやく。リンツの未来はわかっても、自分の未来がわからないのが俺だ。いつか努力しても敬遠されない場所、馬鹿な奴と思われても好かれる場所に辿り着けるのだろうか。深い霧の中で見えない未来を手探りする作業はとても魅力的に思えた。


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