銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

22 / 146
第十七話:新米士官 宇宙暦791年 マルアデッタ星系、ポリャーネ補給基地

 七九一年二月、第八幹部候補生養成所を修了した俺は正式に少尉に任官した。職種は補給科。兵卒だった頃は補給員だったから、そのまま補給科の士官になったのだ。配属先はマル・アデッタ星系の惑星ヤロヴィトにあるポリャーネ補給基地の会計課。

 

 マル・アデッタ星系は現実では自由惑星同盟軍宇宙艦隊とアレクサンドル・ビュコック元帥終焉の地となったが、現時点では一辺境星系に過ぎない。同盟中核地域とフェザーンを結ぶ航路上に位置しているが単なる通過点でしか無く、帝国との前線とも遠く離れていて、軍事的にも経済的にも重要ではない。そんな片田舎にあって、マル・アデッタ星系警備艦隊に食料や弾薬を補給するのがポリャーネ補給基地の役割だった。

 

 戦闘とも武勲とも無縁の後方基地勤務。エル・ファシルを脱出してからの波乱に満ちた軍人生活が嘘のような平和な職場だ。俺の肩書きは会計課給与係長。補給員としての仕事なんてまともにやった経験がないのにいきなり基地職員二千二百三十六人の給与計算責任者になったのだ。しかも、後方職種に女性を多く配置する同盟軍らしく、八人の部下は全員女性。主任を務めるポレン・カヤラル曹長は三十六歳、シャリファー・バダヴィ軍曹は二十九歳。どちらも俺なんかよりずっとキャリアが長い。

 

 女性は男性よりも仕事ができない者に冷たい傾向があると聞く。幹部候補生養成所を卒業して少尉に任官した者は士官学校卒業者と違って即戦力として期待されているから、仕事のできない俺がどれほど白い目で見られるかは想像に難くない。

 

 どうすればいいかさんざん悩んだが、着任前日にカヤラル曹長とシャリファー軍曹に会って仕事がまったくできないことを打ち明け、一から指導してくれるよう頭を下げて頼むことにした。隠そうとしてもどうせバレるんだから、さっさと頭を下げた方がいい。

 

 基地内の喫茶店にカヤラル曹長とシャリファー軍曹を呼び出す。丸々と太っていて大衆食堂のおばさんといった感じの曹長とガリガリに痩せてメガネをかけていてミドルスクールの公用語教師といった感じの軍曹。どっちも「なんの用だ」と言わんばかりの表情だ。威圧感が半端ない。呼び出したのは失敗だったかと思ったけど、今さら言わないわけにもいかない。言うしかない。

 

「僕は徴兵されてから補給員の仕事をほとんどしてなくて、会計のことも全然わからないんです。ご迷惑とは思いますが、一から指導していただけませんでしょうか」

「つまり、仕事がわからないから教えてくれっておっしゃるんですか?」

 

 問い返すカヤラル曹長の声にトゲが感じられるのは俺の錯覚ではないだろう。仕事できない上司なんて邪魔なだけだもんな。

 

「そうです。わからないから教えていただきたいのです。お願いします」

 

 テーブルに手をついて頭を下げる。仕事で失敗して頭を下げるぐらいなら、今ここで下げた方がいい。了承してもらえなくても、俺が仕事ができないということは理解してもらえるだろう。俺抜きで仕事を進めることを考えるのなら、それでいい。その間に一人で勉強する。

 

「顔を上げてくださいよ。エル・ファシルの英雄にそこまでされたら断れないでしょう。ねえ、軍曹」

「ええ。全力で少尉をお助けしないといけませんね」

 

 馬鹿にされるのを覚悟していたが、意外にも二人は快諾してくれた。その後、三人でお茶を飲んでケーキやパフェを食べながら、どのように俺の教育を進めていくか話し合った。店を出る時に俺が全員分支払おうとすると、曹長と軍曹は「いいですよ。私達が払います」と言ってくれた。ケーキ二つとパフェ一つとホットケーキ一つを食べた俺が一番金使ってるはずなのに払ってくれるなんて、いい人達だなと思った。

 

 次の日に着任した俺は猛勉強を始めた。二人から渡されたマニュアルを熟読して業務知識や作業手順を頭に叩き込む。側についてもらってアドバイスを受けながらひと通りの作業をして、給与係の業務を流れとして把握する。チェックを受けながら作業をして、一つ一つの作業の正確性を高めていく。二人の仕事ぶりを側について観察し、どうしてそうするのかを質問する。学んだことはその場で全部メモを取る。受験勉強の時と同じように知識を叩き込んで流れを掴んでから手を動かして慣らしていくことを徹底した。

 

 毎朝早めに出勤してその日にするべき仕事の内容を予習し、部下が帰った後も残ってその日にした自分の仕事をチェックして復習をする。俺が一人前に仕事できるようになるまでは軍曹と曹長が係員をまとめて給与係を取り仕切った。自分の仕事があるのに俺を指導してみんなを取り仕切ってくれるなんて、いくら感謝してもし足りない。頑張って一人前に仕事できるようにならなきゃと思う。

 

 作業をこなすだけが管理職の仕事ではない。俺も自分の手で部下を取り仕切れるようにならないといけない。給与係を取り仕切る曹長と軍曹を見てそう思った。二人から助言を受けながら係員の仕事ぶりを見てそれぞれの作業の得意不得意や業務知識の程度などを把握するように務めた。また、直接会話をして性格や人間関係を把握しようとした。対人関係が苦手な俺だったけど、幸いにも係員達はエル・ファシルの英雄としてソリビジョンで見た俺に興味があったらしく、積極的に話しかけてきてくれたし、聞けば何でも話してくれたから知りたいことを質問するだけでよかった。ここまで好意的に接されると拍子抜けするぐらいだ。英雄の虚名もたまには役に立つ。

 

 俺が業務を習得して給与係の状況を把握していくにつれて曹長と軍曹の担当していた仕事は少なくなっていき、三ヶ月が過ぎた頃には彼女らは本来の主任の仕事に戻って俺が給与係の仕事を1人で取り仕切れるようになっていた。

 

 初めて人を使ってみたけど、こんなにうまくできるとは思わなかった。カヤラル曹長とシャリファー軍曹が部下で良かったと思う。幹部候補生養成所で『部隊の能力は下士官の質で決まる』と習ったけど、それを実地で体感できた。業務能力と統率力を兼ね備えたこの二人がいなければ、俺は何もできないままに給与係を混乱に陥れていたと思う。係員六人もみんな真面目で人柄が良いし、無能な俺には申し訳ないぐらい良い部下を持てた。指揮しているというより育ててもらっている感じだ。こういう部下ばかりだったら楽なのにな。

 

 

 

「この花、フィリップス少尉が持ってきたんだってね」

 

 俺が窓際に飾ったローズマリーの鉢植えを指して言ったのは会計課長のコズヴォフスキ大尉。俺の直接の上司にあたる。ふさふさの白髪に黒縁のメガネをかけている初老の男性だ。いかにも人が良さそうで軍人というより田舎の村役場の職員っぽい。

 

「邪魔でしたか?」

「いや、部屋の雰囲気が柔らかくなったよ。君は細かいところに気が利くね」

 

 最近、気が利くと言われることが多い。おととい、給与係のシェイ上等兵のお父さんの誕生日にレストランの食事券を渡した時もそう言われた。感謝してたからあげただけで特別なことはしてないんだけどな。お父さんの誕生日と好物も彼女が言ってたのを覚えてただけでわざわざ調べたわけでもない。何も考えずにしたいと思ったことをしただけだから、気が利いてるわけではないと思う。

 

「給与係も本当にまとまり悪くて、前任の係長も苦労してた。だけど、今は一致して君を支えようという空気がある。あの給与係をあそこまでまとめられるなんて大したものだ」

「最初からみんなで支えてくれて助かりましたよ。苦労どころか楽させてもらってありがたいぐらいです。部下に恵まれました」

 

 前任の係長がどんな奴か知らないけど、カヤラル曹長とシャリファー軍曹を部下に持っているのにまとめられないなんてどんだけ無能なんだ。あの二人がいたら、寝てたってまとめられると思うぞ。

 

「部下は上官次第で有能にも無能にもなる。部下が頑張っているのは、上官たる君が頑張ったからだ」

「俺があまりに頼りないから、部下が頑張るしか無いんですよ、きっと」

「若い子が頑張ってる姿見たら応援したくなっちゃうのかな。あれとか」

 

 コズヴォススキ大尉は俺のデスクの方を見て目を細める。大きなクッキー缶の中にクッキーやチョコレートやマフィンがぎっしり詰まっている。給与係のみんなが持ち寄ったお菓子だ。恥ずかしくなって頭をポリポリとかいてしまう。

 

「みんなが持ってきてくれて食べろ食べろって言うんですよ。子供扱いされてるみたいで…」

「童顔だもんねえ。ソリビジョンで見るよりずっと幼くて驚いたよ」

 

 反応に困ったのでとりあえず笑ってみると、反比例するように大尉の表情が曇る。

 

「君は有能で人柄もいい。できればずっとうちの課にいてほしかったんだが…」

 

 ずっといてほしかったって、どういうことだ。それって俺がいなくなること前提で言ってるのか?出ていかなきゃいけないようなまずいことでもしたのか?

 

「どういうことですか?」

「なかなか言い出せなかったんだが、この話が本題なんだ。難しい話だから場所を変えるけどいいかい?」

「はい」

 

 大尉の後について会計課の部屋を出る。難しい話ってなんなんだろう。足を一歩踏み出すたびに不安が大きくなっていく。大尉が立ち止まったのは基地司令室の前。

 

「コズヴォフスキ大尉、ご苦労だった。エリヤ・フィリップス少尉には私から話そう」

 

 司令室の主である基地司令オロンガ大佐に敬礼する大尉。基地司令が直接話すような大事になってるのか。俺の不安は頂点に達して腹痛を引き起こす。

 

「エリヤ・フィリップス少尉。宇宙艦隊司令部への転属命令が出ている。七月末日までに出頭せよとのことだ」

「う、宇宙艦隊司令部ですか!?」

「そうだ」

 

 宇宙艦隊司令部って言えば同盟軍の実戦部隊の中枢だ。士官学校卒のエリートの中でも特に優秀な人材が集まってる。なんで俺がそんなところに呼ばれるんだ?動揺で声が震えてしまう。

 

「ど、どういうことですか…?」

「小官にもわからない。秋に大規模な出兵があると聞いているから、その関係だとは思うが」

 

 いくら大規模な出兵があると言っても、宇宙艦隊司令部には俺なんか必要ないだろ。俺より経験豊富な補給士官なんていくらでもいるじゃないか。さっぱり理解できない。

 

「辞退はできないんですか…?」

「小官の権限の及ぶ範囲であれば受け入れることもできるのだが…。」

 

 二〇〇〇人を超える部下を率いる基地司令の権限すら及ばない雲の上から出た命令なのか。そんな世界の住人がなぜ俺の人事なんかに介入するんだろうか。宇宙艦隊トップの司令長官はシドニー・シトレ大将。ナンバー二の副司令長官はラザール・ロボス大将。いずれも今年就任したばかりでそれぞれ六個正規艦隊を指揮下に置いて宇宙艦隊を二分する存在だ。この二人のどちらかの周辺ということになるのかな。考えるだけで気が遠くなりそうだ。

 

「了解しました」

 

 一礼して基地司令室を出て、会計課の部屋に向かう。ドアを開けると俺のデスクの周りに給与係員が集まってコーヒー片手にお菓子をつまんでいるのが見えた。一人が俺に気づいて手を振る。彼女たちにどう別れを告げるか考えるだけで気が重かった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。