銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第二十話:横を向いて歩こう 宇宙暦791年9月 ハイネセン市、宇宙艦隊司令部F棟、エル・ファシル義勇旅団司令部

 メディアに出る以外の仕事をほとんど与えられず義勇旅団司令部でネットを見て暇を潰していた俺だったが、九月に入ると忙しくなった。打ち合わせという名目で宇宙艦隊司令部や統合作戦本部や国防委員会事務局や陸戦総監部などを訪問しては幹部と面会するようになったのだ。もちろん、参謀長ビロライネン大佐の仕込みである。義勇旅団の体裁が整ってきたから、メディア向けの広報活動と併行して軍内部向けの広報活動も開始したのだ。

 

 毎日のように提督やら部長といった肩書きを持った人達と会って懇ろな言葉をかけられると、ただただ恐れ入ってしまう。国防委員長バンジャバン、統合作戦本部長フラナリー大将、宇宙艦隊司令長官シトレ大将といった軍部の頂点に立つVIPと会った時などは、魂が消し飛ぶんじゃないかと思ったほどだ。向こうは大物だけあって、完璧な礼儀をもって接してくれるんだけど、俺のような小さな人間にはそれが絶大なプレッシャーになるだ。メディアで不特定多数向けに話す時とはまた違った難しさがあった。

 

 部隊視察に出向くことも多くなった。訓練の様子を見学し、隊長以下の幹部が出席する部隊のミーティングにゲストとして出席し、義勇兵と歓談した。視察の様子は写真と映像で記録されて、エル・ファシル義勇旅団公式サイト内のページ『日刊義勇旅団』に掲載される。

 

『日刊義勇旅団』は義勇旅団の活動状況を知らせるページだが、俺とブーブリルの動静に部隊の活動状況を絡めて写真入りで伝える『義勇旅団の一日』の他に司令部の参謀陣が執筆する『今日の司令部』、日替わりで各部隊の長が執筆する『部隊紹介』、義勇兵のインタビュー記事、エル・ファシルの風物紹介コラム、エル・ファシルの郷土料理のレシピなどが毎日更新で掲載されるという凝った作りになっている。制服姿の俺とブーブリルが笑顔で敬礼しているでっかい画像が表紙になってることと、第一面にいつも俺とブーブリルの写真を使っていることを除けば素晴らしい作りだ。

 

 実際、アクセス数はかなりのものだ。ネットでも話題を呼んでいて、『日刊義勇旅団を語ろう』なんてコミュニティも作られているほどの人気を誇っている。広報の専門家が作っているのかと思ったら、ビロライネン大佐が編集長らしい。あれだけ仕事してるのにこんなものまで作ってしまうんだから、さすがはロボス大将の懐刀だ。好きになれない人だけど。

 

『日刊義勇旅団』の人気は俺の立場に意外な影響を与えた。参謀達は相変わらず俺を軽視しているが、彼らと交流が薄い経理、通信、衛生といった専門スタッフは、廊下ですれ違うたびに声をかけてくれるようになった。昼食に誘われることも多くなり、これまでのように一人寂しく食べることもなくなった。彼らが興味を持っているのが『日刊義勇旅団』の一面で格好良く映ってる旅団長であって、俺という人間でないことはわかっている。それでもかまってくれる人がいるのはありがたい。

 

 孤独に生きることと孤独に慣れることは違う。俺はエル・ファシルで逃亡してからの六〇年間を孤独に生きてきたが、それでも孤独に慣れることはできなかった。覚悟があって孤独になったのなら慣れることもできたのかも知れないが、俺の孤独はそうではない。一人でいるのが心細くてたまらなくて、人に好かれて孤独から脱出しようと努力しては気持ち悪がられた。今はそれなりに他人に尊重してもらえる立場だけど、一人でいると心細くなってしまうことには変わりない。だから、他人に対して強く出れない。今回の義勇旅団のように気が乗らなくても、期待通りに振る舞おうとしてしまう。我ながら情けないと思うけど、こればかりはどうしようもない。

 

「あの人、最近良く食堂で見かけるけど、最近うちの司令部に転属してきたんですか?」

 

 俺の視線の先にいるのは一人で食事をしている同年代ぐらいの若い士官。すらりとした長身でなかなかの美男子だ。線が細すぎる気もしないでもないけど、それがいいという人も多そうだ。宇宙艦隊司令部で何度か見たことがあるが、最近は義勇旅団司令部の食堂で見かけるようになった。いつも一人で食事していたから気になってた。

 

「いや、副司令長官の司令部の方ですよ。最近はうちの司令部との連絡係をしてるようですね。ご存知なかったんですか?」

「あ、いや。そちらは参謀長に任せてるんです。参謀長はもともと副司令長官の司令部に所属してましたから」

 

 答えたのは俺と一緒に食事していた通信課の三人のうちで一番若いチャイ曹長。司令部の仕事をまったくさせてもらっていないことがバレないよう、慌てて取り繕う。司令部の書類は全部副官が俺に取り次ぐ建前だが、実際はビロライネン大佐に取り次がれている。俺は参謀達が処理した書類にサインするだけだ。だから、副官に取り次がれた後の書類の流れを知らない人は俺がちゃんと仕事をしているものと勘違いしていた。

 

「あっちの人が『あいつ使えねえ』ってぼやいてました」

 

 ギクッとなる。ビロライネン大佐があの手この手で俺を有能そうに演出しても、わかる人にはわかってしまうのか。

 

「士官学校卒業した秀才なのにまったく仕事できなくて、使い走りしかさせてもらえないとか。あの通りの美形だから女の子達も最初は喜んでたんだけど、今では見向きもしないそうです。あれじゃきれいなだけのお人形だって。任官して半年ちょっとしか経ってないのに立派に部隊を率いてらっしゃる旅団長とは大違いですよ」

 

 ああ、彼のことか。自分のことを言われているみたいで胸が痛くなる。ロボス大将やビロライネン大佐から見た俺はきれいかどうかはともかくお人形なんだろう。他人事とは思えない。反射的に席を立った俺が早足で近寄っていくと、彼は気配を感じたのかこっちを向く。彼の前に立った俺は精一杯の笑顔を作って声をかける。

 

「俺達と一緒にごはん食べませんか?」

 

 彼は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに笑顔を作ってうなづいた。ちょっとぎこちない感じがする。笑顔を作るのが下手なのかな。なんか親近感を感じた。

 

 

 

「また、アンドリューか。この一時間でその名前を口にするのは何度目だ…?」

 

 クリスチアン少佐の呆れたような声。俺の携帯端末に久しぶりに少佐から通信が入ってきて話している最中なのだ。

 

「すみません」

「いや、仲が良いことだと思ったのだ。貴官には同年代の友人がほとんどいないからな。小官らのような年長者とばかり付き合っていては、僚友との付き合いができなくなってしまうのではないかと心配していた」

「ほんと、申し訳ないです」

「貴官は小官にとっては子供のようなものだ。親が子供の心配をするのは当たり前だろう。申し訳なく思うことなどない」

「本当に感謝しています」

「貴官は素直で真面目だ。指導すればするほど伸びる。上官にとっては本当にかわいくてたまらんが、僚友とは兄弟のように付き合い、部下は子のように可愛がることも大事だ。親にかわいがられても兄弟や子に疎まれるようでは良き家族にはなれん」

 

 少佐の言うとおり、これまでの俺は年長者に可愛がられるばかりで同年代の人間と対等な付き合いをしたことはほとんどなかった。幹部候補生養成所では二歳下のリンツと仲良くしていたけど、リンツの方は俺を弟分扱いしていたフシがある。対等の友人といえるのはおそらくアンドリューが初めてだ。

 

「確かに少佐のおっしゃる通りです。対等の相手との付き合いは考えたことがありませんでした。アンドリューには良い経験させてもらってます」

「軍に入って間もない頃に知り合う僚友というのは良いものだ。一緒に磨き合ってお互いを高め合っていく真の兄弟だ。アンドリューは貴官にとってはそのような友になるかもしれん。大事にせよ」

「はい!」

「明日の朝五時から新兵どもをかわいがってやらねばならんから、今晩はここまでだ。またアンドリューの話を聞かせてくれ。その話をしている時の貴官は本当に楽しそうだからな」

「ありがとうございました!」

 

 高揚した気持ちで携帯端末を切ると、ベッドに横になった。久々に敬愛する少佐と話せたということと、仲良しのアンドリューの話を他人に聞かせることができたということが嬉しくてたまらない。

 

 アンドリュー・フォーク中尉は俺の二歳下だ。士官学校を首席で卒業した後、ロボス大将の司令部にスカウトされて作戦課で勤務している。同盟軍では軍幹部や政治家が有望な若手士官を取り込んで派閥に組み込む行為が横行していた。

 

 派閥に入った士官は統合作戦本部や国防委員会や宇宙艦隊司令部などの軍中枢機関に配属され、戦時には戦艦艦長や正規艦隊参謀といった戦功を立てやすいポストに優先的に起用されて、出世街道を驀進していく。将官ポストが少ない同盟軍では士官学校卒のエリートでも大半が大佐止まりだが、派閥に入って戦功を重ねたら二〇代で大佐、三〇代で将官になれる。ビロライネン大佐がその好例だ。アンドリューもロボス大将の司令部に入って出世コースの入り口に入ったが、いきなりつまずいてしまった。

 

「ロボス大将の司令部って本当に凄い人ばかりでさ。三日で自信なくしちゃった」

「学校だったら課題が与えられるよな。わからなくても先生がちゃんと指導してくれる。でも、司令部は違うんだ。課題は自分で作らないといけないし、わからなければ見放される。しんどいよ」

「幕僚には全体を見渡す目、どんな時でも冷静になる心が必要なんだって。何をすれば伸びるのかって聞いたら、『技術や知識みたいに努力だけで伸ばせるものとは違う。人に聞いてるうちは伸びない』って言われたよ」

「早く一人前になって尊敬するロボス大将の役に立ちたい。足手まといの自分が情けなくなる」

 

 アンドリューのぼやきはいつも俺にグサグサと突き刺さった。努力して与えられた課題をこなすことにはそれなりに自信があった。しかし、義勇旅団のように課題すら与えられない場所ではどうしようもなく無力になってしまうことがわかった。俺は何も期待されないお人形の旅団長、アンドリューは期待に応える方法がわからないという違いはあるものの本質的には同じだ。もちろん、士官学校を首席で卒業したアンドリューとハイスクールの劣等生あがりの俺ではモノが違う。

 

 アンドリューは三大難関校の一角で同盟全土から学力・運動能力共に抜群の人材が集まる士官学校の一学年五〇〇〇人中の首席だけあって、学力はもちろん実技や体育も桁外れだ。宇宙艦隊司令部の体育館で白兵戦技の組み手を試しにやってみたら手も足も出なかった。どんな姿勢で射撃しても楽々と的のど真ん中を射抜いてしまう。どっちも幹部候補生養成所ではそれなりに自信のあった科目だけにショックだった。リーダーシップにおいても士官全体の生徒代表である生徒総隊長を務めていたから、幹部候補生養成所で棟の副代表の大隊長補佐を務めた俺なんかとは格が違う。

 

「まるで漫画の優等生みたいだね。勉強はいつも学年一番、スポーツをすれば運動部のエース、生徒会やボーイスカウトではいつもリーダーって感じ」

 

 そう言ったら、「ミドルスクールまでそうだったけど」とあっさり返されてびっくりしたものだ。こんなスーパーマンでも手も足も出ないんだから、参謀の世界ってどんな魔境なのかと思う。俺のように技術や知識を磨いてルーチンワークをこなす叩き上げ士官には想像もつかない。そこで生き残ったビロライネン大佐が優秀なのは当然だ。かのヤン・ウェンリーは二九歳で少将になるまで参謀一筋だったけど、あの性格で出世街道驀進できたんだから用兵以外の能力も人間離れしていたのだろう。

 

 士官教育を受けてみて初めて分かった。歴史の本の中では無能扱いされている提督でも俺のような凡人のレベルでは物凄く優秀であり、そういった提督を手玉に取れる獅子帝ラインハルト配下の名将やヤン艦隊の諸提督は超人集団なのだ。

 

 歴史の本の中ではアンドリュー・フォークは有名人だ。ロボスが大敗した七九六年の帝国領侵攻作戦「諸惑星の自由」の立案者にして最大の戦犯。救国軍事会議に加担して統合作戦本部長クブルスリーの暗殺未遂を起こし、最後はヤン・ウェンリー暗殺に加担した。歴史に残した負の業績は絶大だ。能力においては要領良くロボスに媚びて出世し、常識では考えられないような作戦指導をして二〇〇〇万人を戦死させた最低最悪の無能。人格においては傲慢で自己中心的で自己認識が完全に狂っているにもかかわらず上昇志向が異常に強く、狂人としか言いようがない。

 

 しかし、俺の見たアンドリューは能力はずば抜けているし、人格もまともというかとても良い奴だ。あれだけ優秀なのにおごったところが全くなくて、いつも自分の至らなさを気にかけている。ずっとリーダーをやってきただけあって社交性が高い。義勇旅団司令部の食堂で俺と一緒に食べるようになったら、あっという間に司令部要員の人達と仲良くなって、ファーストネームで呼ばれるぐらい親しまれてる。射撃や白兵戦技の指導を頼んだら、快く引き受けてくれた。ロボス大将にスカウトされた時の感激を語り、それなのに期待にこたえられない未熟な自分に苛立つ姿は本当にまっすぐで眩しくすら感じる。狂人どころか良い奴すぎて失敗するタイプなんじゃないかとすら思う。

 

 俺は能力でも人間性でもアンドリューには及ばないが、年齢が近くて壁にぶち当たっているという点で強い親近感を感じている。アンドリューの方もそうみたいだ。だから、いろいろと悩みを話してくれるのだろう。ロボス大将は本の中では愚将と言われていたけど、俺が見た印象では凄い人だった。俺を利用しようとしているけど、そのような狡猾さも含めて凄い人だ。アンドリューも本の評価と実際に見た印象が全然違う。

 

 彼らに何が起きて本で言われているようなことをやってしまったのか、あるいは俺が逃亡者にならずに済んだように彼らも俺が見た印象のままの人生を送るのか。先のことはわからないけど、せっかくできた友達と大事に付き合いたいと思った。


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