銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第二十二話:期待が人を殺す 宇宙暦791年12月下旬 ハイネセン市

 反攻作戦「自由の夜明け」は同盟軍の完勝に終わり、帝国の占領下にあった三五の有人星系と百九三の無人星系は奪還された。イゼルローン回廊に至る通路を確保し、同盟は国境を押し戻すことに成功した。同盟軍史上でも稀に見る一方的大勝利に国民は熱狂し、凱旋したシドニー・シトレ、ラザール・ロボスの両大将は歓呼の声で迎えられた。

 

 義勇旅団も英雄と讃えられ、数々の勲章や表彰を受けた。俺は中尉に昇進し、共和国栄誉章など三つの勲章を授与された。エル・ファシルに投入された地上軍八九万人のうち三万人が死亡するという激戦にあって、まったく血を流さなかった俺が英雄扱いされるのは本当に心苦しい。普段ならメディアの話題を一人でかっさらえるような華々しい武勲を立てた本物の英雄が大勢いたおかげで俺が目立たずに済んだのが救いだ。

 

『総員、勇敢なる敵将に敬礼っ!』

 

 俺の号令を受けて、炎の中に消えていったカイザーリング中将に敬礼する兵士達の映像がソリビジョンで流れている。またか、とうんざりした気分になってチャンネルを変えた。お飾りの俺が司令官らしく振舞っているのを見ると恥ずかしくなってしまう。降伏勧告を読み上げる場面と自爆したカイザーリング中将への敬礼を命じる場面ばかり流れ、中将が皇帝の肖像画に敬礼して帝国国歌を歌う場面、「ジーク・カイザー」と叫ぶ場面などがカットされているのには腹が立った。これではまるで俺が主役で敵将が引き立て役じゃないか。

 

 ソリビジョンのチャンネルを変えようと思ったタイミングで携帯端末からメール着信音が鳴る。見てみると、差出人は妹のアルマ。題名は『今、ソリビジョン見てるよ。お兄ちゃんかっこ良かった』。

 

 ムカついて即座に受信拒否リストにぶち込む。三年ぶりにこのタイミングでこの内容のメールを送ってくるというのがあいつらしい間抜けぶりだ。なにせ、勉強できない俺よりもっと成績が悪かったからな。携帯端末を変えて連絡を絶った俺のアドレスをどうやって知ったのかちょっと気になったけど、兄を「生ごみ」と呼んで消毒スプレーかけるような奴のことなんて考えても時間の無駄だ。すぐに意識の外に追放して他の人達のことを思い出す。

 

 今回の作戦は六個正規艦隊と地上軍八〇個師団を動員した大作戦だけあって、俺と親しい人もたくさん参加した。少佐に昇進していたイレーシュ大尉は第三艦隊所属の駆逐艦艦長として初の指揮官職を経験した。バラット軍曹はエル・ファシル攻防戦に参加して重傷を負ったものの命に別状はなく、名誉戦傷章を授与された。ローゼンリッターに入ったリンツはエル・ファシル攻防戦で帝国軍の装甲擲弾兵連隊長を捕虜にした功績で中尉昇進が内定している。アンドリューはちょっとずつ仕事に慣れてきて、ロボス大将の参謀長ロックウェル中将に初めて褒めてもらえたそうだ。

 

 クリスチアン少佐は重装甲歩兵大隊長としてドーリア方面の諸星系を転戦して武勲を重ね、次の人事では中佐昇進が確実だという。彼のような下士官からの叩き上げのほとんどは少佐以上には昇進できない。中佐以上の階級の軍人に割り当てられるポストの数は、少佐の階級を持つ軍人に割り当てられるポストと比べるとかなり少ないからだ。叩き上げ軍人が少佐と中佐の間にある壁を突破するには、優秀な現場指揮官に留まらない何かを持っていなければならない。クリスチアン少佐が戦場の勇者というだけに留まらない評価を受けているのは言うまでもないだろう。

 

「中佐ともなると、書類仕事やら渉外やらが多くてなぁ。もちろん命じられたらどのような職でも引き受けるが、本音を言うとオフィスは小官の性には合わん」

 

 いつも前向きな少佐が珍しく弱気になっている。昇進したのに落ち込んでいる人なんて初めて見たけど、前線で体を張ってきたことを誇りにしている少佐らしいといえば少佐らしい。

 

「喜んでらっしゃるとばかり思っていたので意外です」

「軍人がみんな昇進を喜ぶと思ったら間違いだ。階級が上がれば上がるほど現場から遠くなる。職務によってはこれまで磨きあげてきた技能がまったく役に立たなくなる。それが嫌で昇進を辞退する者も多いのだぞ」

 

 少佐に言われてみて義勇旅団のことを思い出す。少尉の給与係長から義勇軍大佐の義勇旅団長になったけど、全然嬉しくなかったな。せっかく仲良くなった給与係のみんなと離れ離れになってしまったし、頑張って覚えた給与計算のスキルも役に立たなかった。正規軍での階級は少尉のままだったけど、仮に正規軍大佐に昇進して旅団長になったとしても嬉しくなかっただろう。

 

「そう言われてみると、昇進ってあまり嬉しくないかもですね。分不相応なポストに就いてもみんな迷惑するし」

「昇進したら、自分が新しい階級にふさわしいかどうか悩むのがまともな軍人というものだ。昇進したくて上に媚びるなど言語道断だっ!」

 

 上に媚びたわけじゃないけど、ロボス大将に褒められたのが嬉しくて出来もしない旅団長職を引き受けてしまった自分が情けない。能力不相応な地位は重荷でしかなかった。ビロライネン参謀長の画策で持ち上げられれば持ち上げられるほど恥ずかしくなった。

 

「その点、貴官は立派だ。義勇旅団長に任命されて見事に五〇〇〇人を統率してみせた。まっすぐに背筋を伸ばし、凛とした声で降伏を勧告する貴官には将帥の風格があった。敵将カイザーリング中将も敵ながら見事な最期だった。死にゆく敵将を敬礼で送る貴官に心が震えるほどの感動を覚えた。やはり貴官こそが真の軍人精神の持ち主だ」

 

 クリスチアン少佐は感極まって涙を浮かべている。参謀長ビロライネン大佐の演出のおかげで俺がお飾りだということは世間には知られていない。ブーブリルとともに義勇旅団を率いて勇敢に戦ったことになっている。馬鹿馬鹿しいお芝居が少佐のような純粋な人を感動させているのを見ると、騙しているようで申し訳ない気持ちになる。俺を本当の英雄だと思っている人達の視線を恥じること無く受け止められる日が来るのだろうか。実力に不相応な期待を受けるのが本当に辛い。

 

 

 

 ガウリ軍曹はシトレ大将に随行してヘアメイクを担当していたが、最近ハイネセンに帰還した。コンビを組んでいるカメラマンのルシエンデス曹長は胃腸を壊したために奪還されたばかりのドーリア星系の軍病院で入院している。「パスタばかり食べてるからよ」と軍曹は言っていたけど、だったら俺との食事場所にパスタ専門店を選ぶのはどういうことなのかと思う。

 

「エリヤ君が元気で帰ってきてくれてホッとした。自分が担当した人が亡くなるって辛いもん」

「ありがとうございます」

「シャルディニー中佐が亡くなった時はショックだったよ。エリヤくんに万が一のことがあったら、立ち直れなかったよ」

「カルヴナの英雄でしたっけ?ネットの書き込みが気になって携帯端末にかじりついてた人」

「うん。エル・ファシルで戦死したの。新聞とか見てなかった?」

「忙しいんでなかなか見れませんでした」

 

 シャルディニー中佐という人がカルヴナで何をして英雄になったか知らなかったし、エル・ファシル攻防戦に参加していたことも知らなかった。まったく縁がない人だったから、戦死したところで感慨の抱きようもない。

 

「あと二年で定年だったのに。英雄にならなきゃ良かったのかもね」

 

 あと二年で定年ってことは六〇過ぎてたのか。今年で五〇歳ぐらいのガウリ軍曹が以前担当してたってことは、五〇代で英雄になったわけだ。ネットの書き込みを気にしてたっていうから、てっきり若い人だと思ってた。でも、英雄にならなきゃ良かったってどういうことだろうか。

 

「何かあったんですか?」

「あの人、専科学校出てからずっと地上軍の基地警備隊を転々としていたの。五五歳でやっと少佐に昇進してそのまま六五歳の定年まで勤めるって誰もが思ってたんだけど、カルヴナで活躍して英雄になった時からおかしくなっちゃってさ」

 

 地上軍は宇宙軍と比べると地味だが、その基地警備隊ともなるとさらに地味だ。そんな部署でどうやって英雄と言われるような功績を建てたのかは知らないけど、何十年も地道に勤めてきた人がいきなり脚光を浴びておかしくなってしまうというのは想像しやすい。

 

「空挺連隊の連隊長に抜擢されてから、ストレスで体を悪くしてたみたい。裏方の基地警備隊から花形の空挺部隊を任されてプレッシャーだったんでしょうね。真面目な人だったから。軍医に休養を勧められたけど、無理を言って今回の出兵に参加したの。そして、無理な突撃をして戦死。シャルディニー中佐は周囲の期待に殺されちゃったんでしょうね」

 

 ガウリ軍曹の声の震えから、沈痛な思いが伝わってくる。真面目一筋に生きてきて初老に差し掛かった人が英雄になったおかげで周囲に期待されてプレッシャーに苦しんだあげくに不幸な死を遂げるなんて、どうしようもなくやりきれない。シャルディニー中佐と面識がない俺でさえそう思ったのだから、付き合いがあったガウリ軍曹の無念は想像するに余りある。

 

 数日後、「一人で行く覚悟が無いから付き添ってほしい」というガウリ軍曹と一緒にハイネセン郊外にある故シャルディニー中佐の自宅を訪ねた。俺達を出迎えたのは六〇過ぎの小柄な婦人だった。中佐の未亡人であるこの婦人は俺達の訪問に物凄く恐縮していて、申し訳ない気持ちになってしまう。未亡人の話によると、この家は故人が少佐に昇進した時に購入したものなのだという。士官は転勤が多く、普通は官舎か民間の賃貸住宅に住む。シャルディニー夫婦が家を購入したのは老後の住まいとするためだった。

 

 未亡人は俺達をリビングルームに通すと、分厚いアルバムを持ってきて長い長い思い出話を始めた。ミドルスクールの同級生でプロポーズの時の格好がとてもダサくて笑ってしまったとか、長男を出産した時に立ち会ったら緊張のあまり失神してしまったとか、最年長の孫が難関ジュニアスクールに合格した時にはしゃぎすぎて転んで怪我をしたとか、未亡人の話から伺える故人の人物像はお人好しのおっちょこちょいと言った感じだった。

 

 アルバムの中の故人の写真もいかにも呑気そうなおじさんといった感じで、英雄らしい雰囲気はどこにも無い。整然はまったく知らない人だったけど、こんな人が英雄になったばかりに死んでしまったと思うと悲しくて悲しくてたまらなくなる。隣のガウリ軍曹にハンカチを渡されて、自分が泣いていることに気づいた。俺達が帰る時、未亡人は何度も何度も礼を言っていた。

 

「エリヤくん、一緒に来てくれてありがとうね」

「いい話聞けてよかったですよ。こちらこそ軍曹に感謝です」

「あなたは長生きしてね」

「俺が?」

「うん。死ぬってこういうことだよ。悲しいよ」

「死なないですよ」

「心配になっちゃうんだよ。期待に応えようと努力するところは凄く偉いよ。でもね、頑張りすぎて死んじゃうんじゃないかって心配になる。エリヤくんがみんなに期待されてるところ見てると怖くなるよ」

「でも、期待されないってつまらないですよ」

 

 期待されるのは辛い。英雄なんて呼ばれると息が詰まりそうになる。期待されるにふさわしい力がない自分が情けなくなる。しかし、期待されないのは地獄だ。かつての俺はエル・ファシルでリンチ司令官に従って逃亡したことがきっかけですべての人から見放された。誰も俺に期待しなくなり、頑張っても拒絶されるだけだった。誰にも見てもらえない暗闇の中で俺はゆっくりと腐っていき、酒や麻薬に救いを求めた。

 

 この夢の中では俺に期待してくれる人や頑張りを見てくれる人がいる。暗闇で生きてきた俺が求めてやまなかった光がこの世界には満ちている。ずっと光を浴びていたい、暗闇に戻りたくない。その思いが俺を他人の期待を裏切ることを恐れる人間にしてしまった。お人形であることを期待されても裏切れない。

 

「期待に応えるだけだったら、いつまでも他人の都合に振り回されるだけだよ?やりたいこととかないの?」

 

 やりたいことか。前は故郷で就職して平穏に暮らしたいと思ってたけど、その平穏な生活の中で何をしたいかなんて考えてなかったな。今は与えられた役割を果たすために努力をして、みんなに認められて…。あれ、もしかして…。

 

「どうやら無いみたいです…」

「立派なことじゃなくていいんだよ。毎日おいしいごはん食べたいとか、かわいい女の子と仲良くしたいとか。そういうのでいいの」

「それも…」

「良く考えたら、エリヤくんは欲が薄かったね。強いの食欲ぐらい?たくさん食べれたら味はどうでもいいって感じだから、ある意味薄いか」

「そうっすね。俺、自分のものは何も欲しくないんですよ」

「これから探しな。まだまだ時間あるよ」

 

 ガウリ軍曹に背中をポンと叩かれる。

 

「どうやって探せばいいんでしょうね…」

「エリヤくん、私のこと好き?」

 

 一瞬返答に困るけど、まさかそういう意味ではないだろうと思い直して答える。

 

「好きですよ」

「クリスチアン少佐は?ルシエンデス曹長は?」

「好きです」

「背の高い家庭教師のお姉さんは?熱血体育教師のお兄さんは?」

「好きです」

「絵が上手な陸戦隊の子は?補給基地でかわいがってくれたお姉さん達は?」

「好きです」

「男前のアンドリュー君は?」

「好きです」

「じゃあさ、今言った人達と一緒に何をしたいか考えてみて。一緒にごはん食べるとか、遊びに行くとか」

「ああ、なるほど!」

「今言った人達、都合さえ合えば大抵のことには付き合ってくれるんじゃないかな」

 

 ガウリ軍曹はにっこり微笑む。なんか、凄くワクワクしてきた。みんなの顔を思い浮かべ、一緒に食べたいものや一緒に行きたい場所や一緒にやりたい遊びを考えるのはとてもとても楽しかった。


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