銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第二十四話:端末と紙で戦う補給長の戦場 宇宙暦792年5月~初夏 イゼルローン回廊及びハイネセン市、第一艦隊基地

 宇宙暦七九二年五月六日午前六時四五分。同盟軍宇宙艦隊五一四〇〇隻と帝国軍イゼルローン要塞駐留艦隊一三〇〇〇隻は戦闘状態に突入した。要塞を背に布陣する敵に対し、味方は横一列に並んで四倍近い数で敵を押し潰そうとしているように見える。

 

 用兵素人の俺には難しいことは良くわからないが、敵艦がビームを放ったらたちまちその何倍ものビームを叩きつけられて爆散するのを見ると、味方が圧倒的有利なのは間違いない。俺が乗っているアイリスⅦも格好良く言えば味方と連携して、意地悪な言い方をすれば味方の尻馬に乗って二隻の敵艦を撃沈していた。砲塔や操艦を担当する人達は今頃大忙しだろう。補給担当の俺は戦闘が長引かないと出番がない。しばらくは高見の見物だ。

 

 八時五〇分。二時間にわたって四倍の同盟軍の攻勢を防いだ帝国軍は後退を開始した。要塞主砲トゥールハンマーの射程に引きずり込むつもりなのだろう。過去四回のイゼルローン要塞攻防戦で帝国軍が用いた戦術だ。シトレ大将もそれを察知したのか、全軍に後退を命じる。俺にだってわかることなんだから、シトレ大将がわかってるのは当然だろう。歴史の本ではこの後で突入して要塞にイゼルローン要塞に肉薄するはずなんだけど、今のところはそういうそぶりはない。砲撃でこちらを牽制しつつ陣形を保ってゆっくり後退していた帝国軍が一斉に方向転換を始める。

 

 これで今の戦闘は終わったのかな。戦闘が中断されている時間が補給部門の出番だ。各部署からの物資補充要請を受け付けたり、戦闘に参加した人達に食事や着替えを配ったりしなければならない。ほっぺたを手でピシっと叩いて気合いを入れた瞬間、急にスクリーンの画面が切り替わってシトレ大将が映った。

 

「全艦、全速前進!敵の尻尾に食らいつけ!」

 

 シトレ大将の叱咤が轟いた瞬間、後退していたアイリスⅦは急速前進を開始した。艦が大きく揺れる。再び宇宙空間に切り替わったスクリーンを見ると、すべての味方艦が敵めがけて全速で突進している。呆気にとられていると、味方はあっという間に敵に追いついて突入した。五万隻の総突撃に思わず息を飲んでしまう。

 

 同盟軍は敵ともつれ合いながらも要塞方向へとグイグイ押し込んでいく。要塞外壁に据え付けられた砲塔や銃座が一斉に対空砲火を放ち、同盟軍の前進を阻止しようとする。味方の攻撃飛行隊のスパルタニアンと敵の要塞航空隊のワルキューレが要塞上空でドッグファイトを展開している。敵味方入り乱れた混戦状態のため、要塞主砲トゥールハンマーは使用できない。歴史の本に書かれていた通りの光景が目の前で展開されていた。手に汗握る熱戦、一進一退の攻防だ。この後も本に書いてた通りに展開するとしたら、無人艦の突撃で錯乱した要塞守備隊がトゥールハンマーを発射して駐留艦隊ごと同盟軍を吹き飛ばすことになる。でも、これほど激しい戦いがあらかじめ決められたかのような決着を迎えるとも思えない。

 

 敵の要塞駐留艦隊、対空砲火、要塞航空隊と味方の艦隊、攻撃飛行隊が入り乱れる混戦をかいくぐるように数隻の味方艦が要塞に突進して行く。どれも駆逐艦や巡航艦で強襲揚陸艦は含まれていない。要塞内部に陸戦隊を突入させる目的で無いのは明らかだ。まさか…。

 

 味方艦はまったく速度を緩めずに要塞に突っ込んで衝突する。大爆発が起き、要塞は衝撃で激しく揺れた。間髪を入れず第二陣、第三陣が要塞に突っ込んでいき、衝突するたびに外壁が爆発した。本に書いてあった通り、シトレ大将は無人艦を特攻させたのだ。閃光に包まれて激しく揺れる要塞は陥落寸前であるように見える。このままいけば、トゥールハンマーを発射される前に決着が着くんじゃないか。いや、それ以前に敵の指揮官がトゥールハンマーを発射できるとも限らない。このまま勝ってほしいと願う。第一、トゥールハンマーを撃たれたらアイリスⅦも無事ではいられない。

 

「補給長、あれを見てください!」

 

 隣のデスクからスクリーンを眺めていた経理主任シャハルハニ軍曹が叫ぶ。イゼルローン要塞の外壁に白い輝きが生じ、どんどん大きくなっていく。嘘だろ、おい。ここまで忠実に歴史をトレースするなよ。一気に血の気が引いていくのがわかる。

 

「きました!」

 

 シャハルハニ軍曹が悲鳴をあげる。要塞主砲トゥールハンマーから放たれた巨大な光の柱は混戦を演じていた両軍を貫き、多数の艦艇を一瞬にして消滅させた。すさまじい衝撃波を受けてアイリスⅦが大きく揺れる。

 

 再び要塞の外壁に白い輝きが生じる。第二射がくる。シャハルハニ軍曹はデスクの下に隠れているが、俺は身動きを取れずに固まっている。二射目のトゥールハンマーは第一射より大きな揺れをアイリスⅦにもたらした。艦内の照明が暗くなり、大きな警報音の後に複数の区画の破損を伝える放送が流れ、廊下から慌ただしく駆けていく複数の足音が聞こえる。今の衝撃波で艦体が損傷したようだ。この様子だと死者が出たかもしれない。顔なじみの乗員の顔をいくつか思い浮かべて無事を祈る。

 

 デスクの上の端末の画面を見ると、艦体や電子機器の修理部品の請求が多数来ていた。端末に向かって緊急度が高い部署に承諾の返事を送った後、倉庫にいる補給主任ランブラキス曹長に補充指示を出す。打ちのめされてる場合じゃない。俺は俺の戦いをしなければ。席に着いた俺はキーボードを叩き始めた。

 

 

 

 五月七日。第五次イゼルローン要塞攻防戦は自由惑星同盟軍の撤退をもって終結した。戦死者と行方不明者の合計は約五〇万人。過去四度の攻防戦と比較すると遥かに損害は少なく、イゼルローン要塞を陥落寸前まで追い詰めたこともあって、シトレ大将は敗将であるにもかかわらず凱旋将軍のような扱いを受けた。年内の元帥昇進も取り沙汰されている。

 

 一方、アイリスⅦは乗員九三人中二人が死亡、一五人が重傷を負った。後になって知ったことだが、アイリスⅦの所属する第一艦隊の第三分艦隊はトゥールハンマーで半数近い艦艇を失っており、生還できたのはかなりの幸運だったようだ。しかし、生き残ったからといって喜んでばかりはいられない。

 

 各部署の責任者は戦闘中の記録及び部下の勤怠評価に所見を付して提出することが義務付けられている。死傷者、機材の破損状況、需品の消耗状況に関しても報告しなければならない。これらの文書が艦、隊、戦隊、分艦隊、艦隊と各単位ごとに集約され、最終的には統合作戦本部と国防委員会のもとに集められて作戦や人事配置などを検討する材料となる。公式に発表される死傷者数や破損艦艇数もこれらの報告類がもととなっていた。宇宙空間で敵艦と戦っていた軍人達は、今度は机上で書類相手の戦いに赴かねばならない。

 

 現実の人生とこの世界で暮らした人生を合わせれば八四年になるが、その間に作った文書を全部合わせても、ハイネセンに帰還してからの一ヶ月で作った文書の数には及ばないんじゃないかと思えた。一度戦いが起きると、こんなにたくさんの文書が必要になるのかと驚かされた。戦闘状況や部署の状態を伝える報告書の他に、上級司令部が独自に指定したテーマに関するレポートも書かなければならなかった。まるで学校の宿題みたいだな、とため息が出てしまう。そして、学校においては宿題をたくさん出す教師が一番鬱陶しい。

 

 戦隊司令部、分艦隊司令部、艦隊司令部のそれぞれがテーマを指定してレポートを書くように求めてきたけど、艦隊司令部が指定してきたテーマは格段に多かった。「タンクベッドの適切な設定温度。二五度と二六度の違い」「マーマイトの残食についてどう思うか」「七七.三キロのジャガイモが投棄されていた問題について」などという無駄に細かいテーマばかり指定してくる。こんなテーマで補給責任者に報告書を書かせようとする人間はこの世に一人しかいない。そう、「切れ者ドーソン」こと後方主任参謀クレメンス・ドーソン准将閣下だ。彼のことは鬱陶しいと思うけど、嫌いにはなりきれない。それでもこんなくだらないレポートを書かされるとげんなりしてしまう。

 

 アイリスⅦが所属している第三分艦隊第一七戦隊の第五五九駆逐隊には三〇隻の駆逐艦が所属していたけど、イゼルローン要塞攻防戦で一二隻を失った。損失分の補充の目処は立っておらず、今日の駆逐隊補給長会議も空席が目立っていて寂しい限りだ。これといった議題もなかったため、議長のスローン大尉はさっさと会議終了を宣言した。会議が始まる際に配られたお茶が冷めないほどの早業である。その後、いつものように茶飲み話が始まった。むしろ、こちらの茶飲み話がメインと言っていいだろう。

 

 駆逐艦の補給長はほとんどが下士官からの叩き上げで平均年齢も高い。その中でも第五五駆逐隊の補給長は特に平均年齢が高く、過半数が五〇代でそれ以外はほぼ四〇代後半、三〇代が一人、二〇代は俺だけという有様だ。今日の茶飲み話でもドーソン准将の出した宿題が話題になったが、年寄りが多いだけあって実にのんびりとしたものだった。

 

「まったく。後方主任参謀殿も仕事熱心なものだね」

 

 タバコ片手に他人事のように言うのは来年で定年を迎えるスローン大尉。三九年間補給一筋に生きてきたベテランだ。

 

「ああいう方が上にいる時に要望書出すとすぐ通るんですよ。現場のことを熱心に知ろうとなさってますからな」

 

 髪も髭も真っ白でガリガリに痩せていて、鶴を思わせる風貌のチャイ中尉はドーソン准将の仕事熱心ぶりを褒める。先ほど懐から取り出した小瓶から紅茶が入った手元のカップに琥珀色の液体を注いでいたような気がしたけど、気のせいだろう。

 

「現場のことを知ろうとしすぎるのも考えものじゃないですか?窮屈でたまらないですよ」

 

 ドーソン准将のレポートに苦労させられてる俺としては、愚痴の一つも言いたくなってしまう。

 

「フィリップス中尉はいちいち真面目に対応するからいけないんです。『上に政策あれば下に対策あり』と昔の人は言っています。上の言うことを適当に聞き流すのも必要です。我々に求められているのは権限の範囲内で最善を尽くすことであって、上の顔色を見ることじゃあありません。あっちが知りたがっているなら、こっちは教えたいことを教えてやるぐらいに思っていればいいんです」

 

 年齢は俺の二.五倍近くて軍歴は一〇倍近いチャイ中尉の言葉には、内容の是非を超えた部分で説得力を感じてしまう。だけど、俺が彼のような老獪さを身につけるには七回ぐらい生まれ変わる必要がありそうだ。

 

「まあ、若いうちはああいうのに腹が立つのも仕方ない。私も三〇年前はそうだった。上司が馬鹿に見えて仕方なくて、ガンガンやり合ったもんだ。反発しながら上との付き合い方を覚えていくのもいいと思うよ。全力で殴り合わないと見えないものもあるからね」

 

 俺を見つめるスローン大尉は孫を見るかのような優しい視線を俺に向ける。年齢では俺の父より十歳年長な程度で親子でも十分に通用する年齢差で、現実では俺の方が二〇年以上長く生きているのだけど、風格では祖父と孫と言って良いぐらいの差がある。こういう人に諭されるのも悪い気分ではない。

 

「全力で殴り合うなんて小官にはとても…」

「ドーソン准将のレポート、全部真面目に書いて提出したじゃないか。最近は良くやり合ってるみたいだし」

「やり合ってなんかいませんよ。いびられてるんですよ」

 

 ドーソン准将のレポートを馬鹿馬鹿しいと思いつつもきっちり調べて意見も書いて提出したら、直々の呼び出しを受けてびっしりと赤ペンで修正やコメントが書き込まれて突き返された、全件再提出を命じられた。一週間かけて書き直して再提出したら、また赤ペンでびっしり修正やコメントが書き込まれて突き返された。五日かけて書きなおして再提出すると、また赤ペンの書き込みで埋め尽くされて突き返された。ドーソン准将のような業務管理のベテランから見れば、若くて経験が足りない俺が書いたレポートの内容なんて間違いだらけでイライラするのかもしれない。だけど、ここまでしつこく突き返され続けると悪意を感じてしまう。俺のことが嫌いなんだろうか。

 

「ドーソン准将はエリートに嫌われるタイプですから、フィリップス中尉とうまくいかないのも無理もないかもしれませんね」

 

 いつの間にか懐から取り出した小瓶から直接琥珀色の液体を飲んでいるチャイ中尉。俺の他に一四人の補給長がこの部屋にいるけど、誰一人として「勤務時間中なのにいいのか」という突っ込みはしない。できるわけがない。さらに言うと琥珀色の液体にびっくりしてとっさに突っ込めなかったけど、発言の内容もなかなかに衝撃的だ。ドーソン准将はむしろエリート的なんじゃないのか?だから、エリートとはかけ離れた気質のヤンやアッテンボローとはうまくいななかったんじゃ。

 

「どういうことでしょうか?」

「ドーソン准将は若くて頭が良い人の反骨心を掻き立てるタイプなんですよ。だから、士官学校を出たエリートさんとは喧嘩になる。しかし、小官のような現場組は上にも下にも良い顔をして楽することばかり考えてるから、どうってことないんですな」

 

 俺は若いけど頭は良くないし、大して真面目でも無いぞ。士官学校出てないからエリートでもない。でも、楽をしようとも、上にも下にも良い顔しようとも思ってなかった。真面目に仕事に取り組んだら、全部丸く収まると思ってた。ドーソン准将のような人はそれを丸く収めてくれないから困るんだ。

 

「いや、でも現場に顔出されると鬱陶しくありません?」

「ああいう方は現場に顔を出さない人らと違ってこちらの事情に興味を持ってるから、ごまかし方心得てたら付き合いやすいんですよ。取り巻きを大勢連れ歩いてるわけでもありませんしね」

 

 ドーソン准将に反発したつもりはなかったんだけど、補給長たちから「やり合ってる」って見えてるってことは無意識のうちに反発してたんだろうか。ドーソン准将もそれを悟って腹を立てているのかもしれない。補給長達のように「ドーソン准将は付き合いやすい」と言い放てる老獪さを身に付けられるようになるまで、何年かかるんだろうか。真面目に仕事に取り組んで、上司や部下や同僚と仲良くやるだけでは限界があるようだ。軍人の仕事は本当に奥が深いと思った。


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