銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第二十五話:カルトッフェルの休日 宇宙暦792年7月 ハイネセン市 射撃場及びじゃがいも料理店「バロン・カルトッフェル」

 ハイネセンに帰還して二ヶ月ほど過ぎた休みの日。俺とイレーシュ少佐は軍が経営している射撃場でスコアを競っていた。最近、射撃の腕が上がってきたような気がした俺は他人に見せたくなり、射撃の名手であるイレーシュ少佐を誘ったのだ。第七方面管区司令部で生まれて初めてハンドガン射撃をした時、俺は的にかすりもしなかったのに彼女は真ん中辺りにビシバシ当てていた。今なら人に見せられる程度にはうまくなってるから、撃ってるところを見てもらってアドバイスでも貰おうと思っていた。

 

「また俺の勝ちですね」

「ハンドガンで五連敗、ライフルで四連敗。悔しいなあ。君相手にこんな敗北感味わされるなんて思わなかったよ」

 

 イレーシュ少佐は幅の広い肩をがっくりと落として大きくため息をついた。一八〇センチを越えるスラリとした長身に彫刻のような美貌を持つ彼女であるが、クールそうな印象に反して感情表現はかなりストレートである。

 

「まだやります?」

「いや、いいよ。何度やっても君には勝てなさそうだ」

 

 無念そうに首を振る彼女を見て、こんな顔もするんだなあと新鮮な気持ちになり、口元が緩んでしまう。

 

「ニヤニヤしないでよ。ムカつくね」

「あ、すいません」

 

 調子に乗りすぎたかと思って慌てて謝る。最近の俺は人と会った後に「はしゃぎすぎたかな」と不安になることが多い。理由はわからないけど、前と比べてだいぶ生意気になっているように感じる。

 

「なんかさあ、前よりかなりガキっぽくなってない?」

「あ、いや、もしかしたら、そうかも…」

「前の君だったら、『最近、射撃がちょっとうまくなった』なんて理由で人を誘ったりなんかしなかったよね」

「まあ、確かに…」

「『ちょっとはうまくなってきたから、見てください』なんて殊勝なこと言って呼び出しといて、一方的に叩きのめすとか。ずいぶん洒落た真似ができるようになったね」

「いや、まさか、ここまでだなんて…」

「私がここまで下手だったなんて思わなかったってこと?」

「そうじゃなくて…」

 

 ヤバい、言えば言うほどドツボにはまっていく。叩きのめすつもりなんて無かったんだ。五回やって一回ぐらい競り合って、「うまくなったね」って褒めてもらえたらいいなって思ってた。圧勝するなんて予想してなかった。でも、「自分がこんなにうまくなってるとは思わなかった」なんて言ったら嫌味すぎる。どうしよう。頭を抱えていると、彼女は目を細めて優しく微笑む。

 

「今の方がずっといいよ。ガキっぽくてかわいいよね」

「勘弁して下さい。これでも結構気にしてるんですから。ただでさえ子供っぽい顔なのに内面まで子供になったらたまんないですよ」

「褒めてるんだよ。前の君は他人の言うことを素直に聞きすぎてた。素直なのはいいことだけど、素直すぎるのは怖いね。嬉しい時は笑って、悔しい時は悔しがって、頭にきたらちゃんと怒る。それができなきゃガキ以前。君は成長したんだよ。やっとガキになった」

「本当に褒めてるんですか…?」

「うん。人間って赤ん坊からいきなりおじいさんにはなれないでしょう?」

「ええ、まあ…」

「赤ん坊から子供になって、子供から少年になって、少年から青年になって…。そうやって一つ一つ成長していくの。君もそうやって一歩一歩大人に近づけばいいんだよ」

 

 子供になったのも成長なのか…。すごく微妙だけど、スローン大尉やチャイ中尉みたいな大人になった自分は想像できないから、子供になれただけでも喜んでいいのかな。

 

「腕の見せびらかし方だけは立派な大人だけど」

 

 マジで怒ってる。そんなつもりがなかったんです。お願いだから許してください。

 

 

 

 一時間後。射撃場から歩いて一〇分の距離にあるじゃがいも料理専門店「バロン・カルトッフェル(じゃがいも男爵)」。俺の前に置かれた大皿にはりんごのジャムがたっぷりかかった分厚いカルトッフェルクーヘン(じゃがいものクーヘン)が何枚も積まれている。

 

「いや、もうホントごめんね。まさかあそこで泣いちゃうとは思わなかったんだよ」

 

 イレーシュ少佐は両手を合わせて拝むように謝っている。二枚目のカルトッフェルクーヘンが皿に積まれた時点でもう怒りは解けてたんだけど、必死で謝る彼女がものすごくおかしくてむくれてみせてたら、いつの間にか五枚積まれていた。粘ったらもっと増えそうだけど、これ以上増やしても仕方がない。カットフェルトルテ(じゃがいものトルテ)、じゃがいものアイスクリームなども食べたい。もういいだろう。

 

「わかってくれたらいいんです」

 

 にっこり笑ってみせると、イレーシュ少佐の顔がパッと明るくなった。年齢も貫禄もずっと上の人に対して失礼な感想だけど、こういうところがすごくかわいいと思う。

 

「それにしても、四年前は銃の持ち方も知らなかった子がこんなに上達するなんてねえ。信じられないよ」

「少佐の『君は努力すれば大抵のことは人並み以上にできます』という言葉を励みに頑張ったんです」

「覚えててくれたんだ」

「忘れるわけないでしょ。あの日に少佐から頂いた言葉、今でも全部そらで言えますよ」

「泣かせること言わないでよ。ホント、君ってかわいいなあ」

 

 やめてください。誰にも遠慮せずに好きなように笑ったり怒ったりできて、時には意地悪も言える。かわいいなんて言葉を恥ずかしげもなく口に出せてしまう。そんなあなたの方がずっとかわいいじゃないですか。俺には言えないですよ。

 

「あ、いや、でも。ここ一年近くストレス溜まってたから、トレーニングで解消してたんですよ。射撃だけじゃなくて、ナイフも戦斧も徒手格闘も前よりはちょっとはできるようになりました」

「君のちょっとって、まともに銃を構えられなかった人がめちゃくちゃちっこい的に全弾命中させちゃう腕になる程度のちょっとだよね」

「いや、もう本当にちょっとなんですよ」

 

 あわてて話題を変えようとした俺だったが、変な方向に飛び火してしまったようだ。まいったなあ。面と向かって褒められるの苦手なんだよ。恥ずかしくなる。

 

「義勇旅団の司令官をやった後、イゼルローン攻防戦に参加したんだから、そりゃストレス溜まるわ」

「最近はじゃがいも参謀のおかげで本当にトレーニングがはかどりますよ」

「ああ、ドーソン准将かあ。最近、国防委員会に『食べられるじゃがいもが調理室のゴミ箱に七七キロも捨てられていた』なんて内容の分厚いレポート提出したんだってね。読まされる人がかわいそうになるよ」

「レポートを書くためのデータ取りに使われた俺ら第一艦隊の人間だってかわいそうです」

「でも、じゃがいも参謀ってうまいこと言ったもんだね」

「でしょ?」

 

 ドーソン准将に何度もレポートを突き返された俺だったが、一番苦労したのはじゃがいも投棄問題に関するレポートだった。他のレポートが受理されても、このレポートだけは何度も突き返された。補給長会議でその話題をふられた時に「じゃがいも参謀殿」と呼んだらスローン大尉を始めとするベテラン達に大受けして、今ではアイリスⅦが所属する第三分艦隊全体に広まっている。第一艦隊全体に広まるのも時間の問題だろう。現実のドーソン准将のあだ名「じゃがいも士官」のパクリなんだけどね。

 

「ああいう細かい人に目をつけられると後が大変だよ。ささいな恨みも忘れないから。戦艦の艦長してた時に士官学校の同期で自分より席次が一つだけ上だった人が副長として配属されてくると、徹底的にいびったんだって」

「その話、もう少し早く知りたかったです」

「ドーソン准将が君みたいな生意気の正反対の子をどうしていじめるのかわかんないけど、英雄として目立ってるのが気に入らなかったのかな」

「英雄なんて全然ありがたいもんじゃないですよ」

「エル・ファシル攻防戦、ひどかったからねえ。あんな戦場で民間人ばかりの義勇旅団が良く生き残れたよね」

「いや、まあ大変でした」

 

 大変だったのは確かだ。イリーシュ少佐が思っているのとはまったく違う意味で。彼女は軍の公式発表通りに俺達があの激戦を戦い抜いて苦労したと思い込んでるが、実際はあの激戦が終わるまでまったく出番がなかったことによるモラルの崩壊が一番の問題だったのだ。真相を言ったところで誰も得をしないから黙ってるけど。

 

「地獄のエル・ファシルから戻ってきたら、今度は配属された第一艦隊がイゼルローンでトゥールハンマーの直撃食らう。生還したらドーソン准将に目を付けられる。ホント、ついてないね」

 

 端から見ると、俺って危ない橋をたくさん渡ってるのか。エル・ファシルでは苦労してないし、イゼルローンでも見ているだけで終わっちゃったから危ない目にあったって自覚はあんまりない。デスクワーカーの俺にとっては、ドーソン准将のことを抜きにしてもハイネセンに戻ってからが一番大変だった。

 

「レポート全部出しちゃったから、じゃがいも参謀とも縁が切れました。しばらく出征は無いだろうし、のんびりやりますよ」

「ドーソン准将も少将に昇進するって噂だから、第一艦隊からは出て行くんじゃない?次にあの人が行く部署はご愁傷さまだけど。細かいことは現場に任せて全体を見渡すのが司令部の仕事だから、司令部と現場の違いがわからない上司に来られると迷惑なの」

 

 イレーシュ少佐は今は駆逐艦の艦長をしているけど、もともとは士官学校の経理研究科で後方参謀教育を受けたエリートだ。艦長の職は腰掛け程度でいずれはまたどこかの司令部の参謀になるだろう。全体を見渡す参謀的な思考をする人から見ると、参謀のくせに現場にばかり目が向いているドーソン准将は鬱陶しいということだろうか。チャイ中尉が言っていた通り、「若くて頭が良い人の反骨心を掻き立てる」「士官学校を出たエリートさんとは喧嘩になる」んだな。俺とうまくいかない理由が良くわからないけど。

 

「少佐は参謀畑だから他人事じゃないんでしょうね。俺は現場畑だから関係ないですけど」

「君だって参謀になるかもよ?」

「まさか。士官学校出てないし」

「アレクサンドル・ビュコック中将って知ってる?第五艦隊司令官」

「ええ、まあ」

 

 アレクサンドル・ビュコック提督を知らない旧同盟人などいるはずもない。現実では最後の同盟軍宇宙艦隊司令長官として、獅子帝ラインハルト自ら率いる大軍相手に奮戦して、旗艦ブリュンヒルドに肉薄したものの力尽きた悲運の名将だった。獅子帝が戦場で斃した敵将は数知れないが、全軍に敬礼を命じて敬意を表したのはビュコック提督ただ一人であった。ヤン・ウェンリーを除けば最も獅子帝を苦しめた同盟軍提督であり、その壮烈な最期と相まって同盟滅亡後も長く語り継がれた。こんなところで伝説の英雄の名前が出てくることに驚きを感じるが、良く考えたら現時点のビュコック提督はまだ伝説の存在ではない。

 

「あの人って志願兵から砲術畑一筋にコツコツ頑張って五〇半ばで大佐になった人なの。叩き上げで大佐まで行く人って滅多にいないからそれだけでも凄いことなんだけど、能力を認められて艦隊運用担当参謀に起用されて将官の道が開けたの。六〇歳で准将になって今年の春に六六歳で中将に昇進したから、将官になってからは士官学校卒のエリート並みの昇進速度ね。五〇過ぎまで現場一筋だった人が途中でエリートコースに乗ることもあるってこと。だから、君が参謀になることも可能性としては有り得るんだよ。今の君の昇進速度は士官学校卒業者と殆ど変わらないし」

 

 伝説の英雄を俺を比べられてもなあ。そんなの例外中の例外じゃないのか。

 

「よほど凄い武勲立てたんじゃないんですか?」

「砲術士官って軍艦の砲塔の指揮官だよ?砲術長になっても、せいぜい一つの軍艦の砲塔全体の責任者。補給長の君とおんなじで武勲なんて立てようがないよ。砲術長から出世したら艦長になれるけど、それでも艦隊の中では一万数千分の一だね。そういう立場で武勲なんてそうそう立てられないよ。幕僚にならなくても武勲を立てられるのって陸戦隊と空戦隊ぐらいかな。艦艇乗りや後方部門で叩き上げて将官になった人はみんな参謀やって、大部隊を動かす能力を示してからコースに乗ってるね。階級は武勲に対して与えられるって勘違いしてる人多いけど、本当は能力に対して与えられるものだからね。将官にふさわしい能力がない人を昇進させて部隊が全滅したら元も子もないでしょ?」

 

 どんなに現場で優秀でもせいぜい軍艦1つぐらいしか動かせない。大佐なら軍艦数十隻の群を指揮する可能性はあるけど、それだって数千隻を動かす分艦隊や一万隻以上を動かす艦隊の幕僚とは比較にならない。だから、現場でどんなに優秀でも参謀を経験して大部隊を動かす能力を示さないと将官になれないわけか。参謀になって、アンドリューやビロライネン大佐みたいなスーパーエリートに引けをとらない活躍ができる叩き上げなんて、ビュコック提督みたいな超人ぐらいだろう。

 俺には無縁だってことがはっきりとわかった。最初からわかってたけど。スローン大尉やチャイ中尉のような補給の古強者でも尉官どまりだもんな。

 

「そんなもんなんですね。勉強になります」

「今さら言っても仕方ないけど、君はやはり士官学校出ておくべきだったと思うよ」

「どうしてです?」

「だって、今の君と同格の士官ってみんな年上でしょ?現場だと二〇代後半だってあまりいないよね」

「そうですね」

「士官学校出て参謀になったら、同格の士官はみんな同年代だよ。職場に同年代の友達がいないとしんどいね。喜びも苦しみも分かち合えるのって年が近い仲間だけだからさ。士官学校の同期の絆が強いのも同じような立場で同じような苦労してるからだよ」

 

 言われてみると、俺の同年代の友達ってアンドリューぐらいだな。でも、あいつは幕僚だから現場の俺と同じような苦労を分かち合えるわけじゃない。クリスチアン中佐も俺に同年代の友達がいないことを心配してた。尊敬する二人から同じ心配をそれぞれの視点でされるってことは、今の俺の人間関係がよほどまずいってことなのかな。

 

「出てないものは今さら仕方ないですよ。そもそも、ミドルスクールやハイスクール行ってた頃も同級生の友達少なかったし。同年代の友達がいないのは慣れてます」

「慣れないでほしいよ。君が幕僚になったらっていうのもまあ、同年代の子と仲良くしてほしいっていう私の願望なんだけど」

 

 今の俺には同年代の友達はアンドリューぐらいしかいない。だけど、同年代の友達が少なくても、イレーシュ少佐やクリスチアン中佐のようにそれを心配してくれる人がいる俺の人間関係はそんなに悪くないんじゃないかと思う。でも、彼女らが心配するってことは俺にはわからない問題があるんだろう。心配をかけずに済む日は来るのかな。参謀になるような能力がない自分が申し訳なく感じる。


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