銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第二十七話:小心者と小市民との付き合い方 宇宙暦793年春 ハイネセン市、憲兵司令部

 民主共和制の自由惑星同盟は立法の同盟議会、行政の同盟最高評議会、司法の同盟裁判所の三権分立制度を採用し、それぞれが牽制し合う仕組みになっている。

 

 国家元首と首相を兼ねて独裁権力を手中にしたルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが銀河連邦を簒奪した故事から、同盟議会議長が国家元首となって行政の長たる最高評議会議長の突出を抑えていた。戦時体制下で力を強めて国家元首の権限の一部を代行している最高評議会議長は”事実上の元首”とも言われるが、建前だけでも分離している意味は大きい。

 

 行政部門の各委員会においては、各委員長の指名によって代議員から選ばれた委員が意思決定と監督、官僚組織の事務総局が行政実務をそれぞれ司って権力の分散が図られる。地方政府においても権力分散は徹底していた。権力の集中が生む強い指導力より独裁回避を選ぶという信念のもとに同盟の政治体制は構築された。しかし、軍隊は例外だ。

 

 軍事においては軍事組織を素早く正確に動かすことが何よりも大事だ。権限が分散されていたら、調整に手間取って動きが鈍くなってしまう。判断が一秒遅れると部下が死ぬ。補給が一週間遅れると部隊が死ぬ。だから、指揮官に権限を集中して指揮系統を一本化することで組織を素早く動かそうとする。だが、何万もの人員を抱える軍事組織を動かすためには、一人では処理しきれないほど膨大な作業や情報を処理しなければならない。その処理を助けるのが司令部だ。

 

 司令部の参謀スタッフ、事務スタッフ、技術スタッフらはそれぞれの専門知識に応じて処理を分担し、指揮官が軍隊組織を素早く動かせる環境を整える。指揮官と作業を分担する司令部スタッフに対し、副官は指揮官個人の手足として作業を補助する。スケジュール調整、各部署との連絡、決裁を求める者の取り次ぎ、文書整理、資料収集、来客応対などが主な仕事だ。組織の構造や内部ルールに精通していなければ務まらない。信念より協調性、創造性より信頼性が求められる。

 

 バーラト自治政府主席としてエル・ファシル逃亡兵の名誉回復を拒否したフレデリカ・グリーンヒル・ヤンは好きになれないけど、それでも「コンピュータのまたいとこ」と言われるほどの記憶力と処理能力によってヤン・ウェンリーを補佐した名副官だったことは疑いない。そして、副官が最も俺に向いていない仕事であろうこともまた疑いない。

 

 俺の大尉昇進と副官抜擢は、中将昇進と憲兵司令官就任が内定していたじゃがいも参謀こと第一艦隊参謀長クレメンス・ドーソン少将の推薦によるものだった。自分を嫌っているとばかり思っていた人物に大抜擢を受けた俺はかなり戸惑った。将来有望なエリートでもなければ、気に入られてるわけでもない俺が副官に抜擢される謂われはない。裏で何かを企むようなタイプとは思えないけど、理由がわからないのは怖い。だから、憲兵司令部に着任して最初の打ち合わせをした際に思い切って聞いてみた。

 

「なぜ、小官を副官にご指名いただいたのでしょうか?」

「貴官は小官の心を良くわかっておる」

 

 初対面の日とまったく同じセリフが返ってくる。俺の感想もあの時とまったく同じ。わからねえよ。

 

「どういうことでしょうか…?」

「貴官は上司に敬意を払うことを知っている。最近の若い奴は生意気でいかん。特にあのアッテ…」

 

 実名を危うく口にしかけたところでドーソン中将は口をつぐむ。確かに若くて頭が良い人には反発されるだろうな。俺の場合は鬱陶しく思ってるだけでドーソン中将の能力には敬意を持っている。嫌われてさえいなければ、素直に尊敬できたかもしれない。

 

「しかし、本当に小官でよろしいのですか?」

 

 副官は司令官と一心同体の存在だ。それを扱いやすいって理由だけで選ぶのはまずいんじゃないんだろうか。もっと有能でもっと気に入ってる人物を選ぶべきじゃないか。そういう思いを込めて問い直す。

 

「貴官以外は考えられん」

 

 むしろ、俺以外を考えた方がいいんじゃないのか。義勇旅団の時に能力に見合わない出世をするとひどい目に遭うというのをさんざん思い知らされた。正直言うと辞退したい。大尉昇進を返上してもいい。ここはストレートに切り込まないと伝わらないのか。

 

「もっと有能で信頼できる人の方がよろしいのでは。小官に務まるかどうか」

「最も有能で信頼できる人材だから貴官を選んだ」

 

 ドーソン中将は何を言ってるんだ、という表情を浮かべる。俺もきっと同じような表情をしていたに違いない。

 

「どんな細かいことでも気がついたら耳に入れること、指示を素早く正確に実行すること。貴官にその二つを期待している。以上だ」

 

 彼ほどの実力者なら、部下にもかなり高い水準を要求するはずだ。そんな人物の副官が俺に務まるのだろうかと思うとため息が出てしまう。

 

 

 

 俺が与えられた最初の仕事は憲兵司令部の主要幹部の人事情報収集だった。まずは部下がどういう人間か把握しようというのだろう。二日で必要な資料を揃えて提出したところ、ドーソン中将に怪訝な顔をされた。これでは足りないということか。最初からしくじってしまった。

 

「申し訳ありません、司令官閣下。あと二日お時間をいただけたら、ご期待に添える資料を用意いたします」

「いや、これで十分だが…」

「何か問題が?」

「なんでこんなものまで用意したのだ?」

 

 ドーソン中将が指したのは六年前の惑星パデリア攻防戦の戦闘詳報。憲兵司令部参謀のハマーフェルド大佐のファイルに挟んだやつだ。どうしてこれが怪訝な顔をされるか良くわからないけど、説明しておくか。

 

「ハマーフェルド大佐は五稜星勲章を持ってらっしゃいましたよね」

「そうだが」

「あの方はパデリア攻防戦の活躍で五稜星勲章を受章なさいました。誇りにしている勲章の由来を知っていれば、付き合いもしやすいのではないかと考えて用意しました」

「これは今回が初めてか?」

「いえ、ポリャーネ補給基地にいた頃からの習慣ですが」

 

 腕を組んでなにやら考えていたドーソン中将だったが、少し経ってから口を開いた。

 

「第一艦隊司令部メンバーの勲章の由来も覚えたのか」

「覚えております」

 

 どうして、わかりきったことを聞くんだろうか。人付き合いするならそれぐらい当たり前じゃないのか。

 

「今後、勲章保持者の人事情報を小官に提出する際は、必ず戦闘詳報を付けるように」

 

 ドーソン中将はメモ帳を取り出して何やら書き込むと、しきりに頷いていた。

 

 俺の集めた情報で憲兵司令部の主要幹部の人柄を把握したドーソン中将は、今度は憲兵司令部の各部署の発行した公文書を集めさせる。読むたびに頷きながらメモ帳に何やら書き込んでいた。ひと通り公文書を読み終えると、今度は各部署の会計書類を俺に集めさせてやはりメモ帳に書き込む。

 

 その次に部署も階級もバラバラの十数人をリストアップして個別に呼び出し、文書を示しながら「この文面はどういう意味か」「この経費の具体的な用途は何か」などと質問をぶつけた。呼び出された者が答えられずにいると、文書の中の矛盾をネチネチ指摘していく。ドーソン中将が指摘していくたびに呼び出された者の顔から血の気が引いていった。それと同時に全ての部署に監査を入れて不正を暴き出し、ドーソン中将は綱紀粛正を大義名分に憲兵司令部を掌握した。指示通りに情報を集め、各方面との連絡にあたった俺から見てもびっくりするほど鮮やかな手際だった。

 

 しかし、憲兵司令部を掌握した後のドーソン中将は良くなかった。何種類もの内部告発窓口を設置する一方で、自ら現場に顔を出して偏執的に情報を集めて憲兵司令部に関することはどんな些細な事でも知ろうとした。責任者の頭越しに現場に指示を出し、憲兵司令官が中隊長になったと揶揄されるほどだ。他人の悪口やら無意味なアイディアやらを吹き込んで点数稼ぎをする悪い取り巻きが現れる一方で、骨のある人間の反発を受けた。第一艦隊の時とまったく同じだ。

 

 軍人による犯罪の通報窓口を各地の憲兵本部に設置して、市民から通報があればすぐ捜査に乗り出すというフットワークの軽さで憲兵司令部の世間的な評価は高まっているものの内部の士気は著しく低下している。副官の俺はただのメッセンジャーなのに「ドーソンの懐刀」などという根も葉もない噂を立てられて、冷たい視線で見られるようになってきた。

 

 憲兵司令部の主要幹部はしょっちゅうドーソン中将の叱責を受けているのに、なぜか俺だけが一度も叱責されていないというのも話をややこしくしている。俺自身にも叱責されない理由がさっぱり理解できないのに、贔屓されているように言われるのは不本意だ。どうにかして空気を良くしないと、俺の神経が耐え切れなくなってしまう。

 

 針の筵の中でドーソン中将を観察して解決の糸口を考えていると、いろんなことに気づいた。まず、根は悪い人間ではないらしいということ。ニュースで残酷な悪党を見ると憤慨し、不幸な事件を見ると打ちのめされたかのような顔をする。障害者や戦災遺児の支援を呼びかける街頭募金を見かけると、必ず紙幣を何枚も募金箱にねじこむ。専属運転手から聞いた話では、毎朝小さな娘に見送られて家を出て、車の中から笑顔で手を振っているのだそうだ。

 

 他人に腹を立てる時は「俺を馬鹿にした」「生意気」という理由で腹を立て、他人を褒める時は「まじめ」「善良」といった彼好みの価値観に沿っているという理由で褒める。そして、他人から受けた善意も悪意もいかに小さくとも忘れない。要するに根っからの小市民。優しかった頃の父はそんな感じだった。悪意が怖くて怒れないってことを除けば、俺もこういう性格だ。小市民にもなれない小心者というべきだろう。

 

 つまらない取り巻きが集まってくる理由も見えてきた。情報に貪欲なドーソン中将はくだらない話にも真剣に耳を傾けて、人の悪口や自己アピールなんかもメモ帳に記録して情報として認識してしまう。そして、くだらないことを盛んに吹き込んでくる人間を善意の情報提供者として重用してしまう。情報を掌握することで憲兵司令部を掌握したドーソン中将だったが、情報にこだわりすぎて人望を得られない。彼の優秀さは欠点の裏返しなのだ。

 

 チャイ中尉の『あっちが知りたがっているなら、こっちは教えたいことを教えてやるぐらいに思っていればいいんです』という言葉の意味がようやく分かった。そして、自分がやるべきことも。

 次の日から、折を見て憲兵司令部の人間の良い話をドーソン中将の耳に入れるようにした。A中佐は夫婦仲が良い、B大尉は犬を四匹も飼っている、C少佐は勲章とともに与えられた報奨金を全額傷痍軍人救済募金に寄付した、といったいかにもドーソン中将の善意や同情を刺激しそうな話を選んだ。副官として各部署と連絡を取る俺のもとにはいろんな情報が集まる。いい話を集めるのはたやすいことだった。その他にD大佐は雨の中で捜索活動を指揮したせいで風邪を引いてしまった、みたいなドーソン中将好みのまじめな人物の話も耳に入れるようにした。

 

 ある日、俺が難病に苦しむ娘の治療費を稼ぐために進んで残業しているある少佐の話をすると、ドーソン中将は見舞いに行きたいと言い出した。俺の手配で見舞いに行ったドーソン中将はあまりの娘の衰弱ぶりに涙を流し、少佐に「力になれることはないか」と語る。この時から憲兵司令部の人々のドーソン中将に対するイメージは好転し、それに気を良くしたドーソン中将も「君のところの猫は元気かね」などと部下に声をかけるようになり、職場の空気はだいぶ良くなった。

 

 反骨精神の強い人は「つまらない偽善」と反発し、くだらないことを言って取り入ろうとする人もまだまだ多かったが、これまでまじめで素直な人がドーソン中将に親しむようになり、現在はこの三者でバランスがとれている。俺に対するみんなの視線もだいぶ柔らかくなったような気がする。向いてない仕事だから、せめてみんなと仲良くやりたい。これまでの職場ではそう心がけてきた。これからもそうありたいと願う。


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