銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第二十八話:副官が覗いた政治の端っこ 宇宙暦793年秋 ハイネセン市、憲兵司令部

 憲兵司令官副官の朝は早い。ドーソン中将が出勤する一時間前に憲兵司令部の司令官室に到着し、自分の端末を開いてメールをチェックして、スケジュールの変更や追加、その他の連絡の有無を確認する。それから、四人の副官付と打ち合わせをして今日のスケジュールと業務の流れを確認。

 

 副官付というのは副官の補佐役として雑務を担当する士官や下士官。二〇代の若手から選ばれることが多く、必ず女性が含まれる。女性の副官付の選考基準は容貌だと言われているが、憲兵司令官副官付のバイオレット中尉、メイ・リン軍曹がともに能力で選ばれたことは疑いない。美人なのはたまたまだろう。

 

 ドーソン中将が出勤してくると、俺は当日のスケジュールを読み上げる。会議、来客、行事出席といった予定がびっしり詰まっているが、詰め過ぎると不測の事態に対応できなくなる。移動時間などを考慮しつつ、余裕を持たせて組まなければならない。憲兵司令官ともなると、会う相手もVIPばかりだ。予定が狂えば何人ものVIPに迷惑をかけてしまうことになる。スケジュール管理は本当に緊張する仕事だ。おかげでトイレに行く回数が倍に増えた。その他、「あの件はどうなっている」といった求めに応じて報告を行い、資料を手渡す。

 

「メヒアス中佐夫人の件、手配は済んだか?」

「キキョウの花束とティーセットが誕生日当日に届くように手配しました」

「キキョウの花言葉は何と言ったか」

「『変わらぬ愛』『気品』『誠実』です」

「いつもながら貴官は花に詳しいな」

「好きなんですよ」

「なるほど」

「来月、本人もしくは配偶者が誕生日を迎える者のリストです。目を通しておいてください」

「今月の倍か」

「我が司令部はどういうわけか四月生まれが多いですから」

「まあいい、合間を見てバースデーカードを書いておこう。貴官の言うように直筆であることが大事なのだからな」

「恐れいります」

 

 このようにいつどのような報告を求められるかわからない副官は、ありとあらゆる事項を頭の中に叩き込んでおかないといけない。ドン臭い俺には本当にきつい。

 

 始業時刻前から多忙な副官だが、始業後はさらに忙しくなる。ドーソン中将のもとには各部署からの連絡事項がひっきりなしに舞い込み、ドーソン中将から各部署への連絡も随時行われる。執務室にいる時は司令部スタッフが何人も決裁を求めにやってくる。ドーソン中将宛ての超高速通信やメールも次々と届く。それらの取り次ぎは全部俺が行う。会議がある時は会議資料の用意、会議室の準備、議事録作成、後片付け。来客があれば出迎え、取り次ぎ、案内、見送り。外出する際は随行する。出張の際は交通手段や宿泊の手配も行う。ドーソン中将はフットワークが軽い。ただでさえ多い副官の仕事がさらに多くなる。

 

「現地刑法違反ゼロキャンペーンの成果はまずまずだが、リューカス星系の違反者だけは急増しているな。困ったものだ」

「去年末の星系共和国公衆倫理法改正で第一七条、第一九条、第二四条、第三〇条の適用範囲が飛躍的に拡大しています。あのトリプラ星系よりずっと厳しい内容です」

「貴官は星系法まで勉強しているのか」

「そうでなければ閣下のお役に立てないと思いまして」

「そうか。トリプラより厳しいとなれば、現地司令部の責任ではないな。注意を喚起しよう。資料を作成してくれ」

「了解しました」

 

 合間合間に業務に関する打ち合わせも行う。多忙なドーソン中将は打ち合わせに時間を割くことができない。そのため、副官は必要な情報を頭の中で整理して的確に伝える必要がある。軍隊組織の構造やルール、関連法規に通じていなければ、ドーソン中将がどのような情報を必要としているかを見極めることはできない。特にドーソン中将は情報に貪欲な人物だ。気が休まる時がない。最近は一日で食べるマフィンの数が増えた。大雑把な俺には細かい仕事はストレスなのだ。

 

 業務時間が終了してドーソン中将が帰宅すると、副官控室で副官付の士官・下士官達と本日の業務の整理及び明日のスケジュール作成にとりかかる。しかし、多忙なドーソン中将が終業時間と同時に帰宅することは珍しく、ほぼ毎日終業時間後に会議やら懇親会やらに参加している。俺が同行するのは言うまでもない。朝から晩まで仕事漬けでヘトヘトになってしまう。

 

 今、ドーソン中将と会食しているのは国防副委員長マルコ・ネグロポンティ。改革市民同盟幹事長ヨブ・トリューニヒトの側近で、国防委員会における代理人として動いている。ドーソン中将を憲兵司令官に推薦したのは、トリューニヒトの意を受けたネグロポンティだった。かねてから軍規粛正を主張していたトリューニヒトは、規律に厳しいことで知られるドーソン中将に白羽の矢を立てたのだ。

 

「これが統合作戦本部の裏帳簿のコピーだ。憲兵隊には徹底的に追及してほしい」

「国民の血税の無駄遣いは許せませんからな。小官にお任せあれ」

「君の手腕に期待しているぞ」

 

 ちなみに現在の統合作戦本部長は改革市民同盟と対立する進歩党に近いシドニー・シトレ元帥。実にわかりやすい構図といえる。主戦派の改革市民同盟と反戦派の進歩党という政界の対立構図は軍部にも持ち込まれており、宇宙艦隊司令長官ロボス大将を頂点とする派閥は改革市民同盟、統合作戦本部長シトレ元帥を頂点とする派閥は進歩党と親しい関係にある。改革市民同盟、進歩党ともに一枚岩というわけでもなく、党内新興勢力のトリューニヒト派はロボス大将と親しい党内主流派と対立していた。進歩党内部にもシトレ元帥と対立する勢力が存在している。

 

 自由惑星同盟軍は文民によるコントロールが徹底しているために政治家の介入を招きやすく、軍事作戦や幹部人事が政局に左右されることも珍しくない。軍人の側も自分の構想を実現するために政治家を積極的に利用している。今回は軍規粛正を名目に軍部への影響力を拡大したいトリューニヒト派と、軍規違反を徹底的に取締りたいドーソン中将の思惑が一致したことになる。憲兵司令官の副官ともなると、生臭い事情もいろいろ耳に入ってくる。

 

「軍隊はね、お金がないと動かないの。そして、お金を出すのは政治家なんだよね」

 

 アンドリューがそう言ったのを聞いたことがある。当たり前といえば当たり前の話だけど、補給や会計の経験がある俺にはとても重い言葉だ。

 

「どんなに素晴らしい作戦を立てても、お金がなければ実現できない。政治家からお金を出してもらうのも軍人の大事な仕事なんだ」

 

 彼が仕えているロボス大将は同盟軍きっての用兵の名人だが、政治家から予算を引き出す名人でもある。ロボス大将は予算を引き出して出兵して戦功を重ねることで軍部の最高実力者に成り上がった。ライバルのシトレ元帥も似たようなものだ。ドーソン中将が軍規粛正を実現するために政治家と仲良くするのも無理もないかもしれないけど、それでもアンドリューほど積極的に肯定できない。政治家に限らず、有名人と付き合うとその敵対者から無条件で嫌われる。悪目立ちせず誰にも嫌われずに過ごしたい俺にとっては、政治家は避けて通りたい存在だった。

 

 

 

 九月のとある休日の昼下がり。俺とドーソン中将はじゃがいも料理専門店「バロン・カルトッフェル」で一緒に食事をしていた。ドーソン中将から初めてプライベートで誘われたのだ。上司と仲良くなれば、職場での居心地も良くなる。じゃがいも参謀からじゃがいも料理店に誘われるというのもなかなか洒落がきいていていい。

 

「貴官は少し食べ過ぎではないか」

 

 ドーソン中将は、四皿目のブラートカルトッフェルン (ジャーマンポテト)に手を伸ばそうとする俺を困った顔で見ている。

 

「大丈夫ですよ。次はアプフェル・カルトッフェル・アオフラオフ(りんごとジャガイモのグラタン)と田舎風カルトッフェルンザラート(ポテトサラダ)行きます。あと、カルトッフェルズッペのおかわりを」

「そうじゃなくて…」

「デザートもおいしいんですよ」

 

 ため息をついて首を横に振るドーソン中将。何がそんなに悲しいんだろうか。ここの料理は美味しいんだから、もっと楽しそうにすればいいのに。うまい飯を食うだけで人間は幸せになれるんですよ。

 

「貴官はこの店に来たことがあるのか?」

「ええ。友人に連れてってもらったんです」

 

 俺をこの店に連れてってくれたイレーシュ・マーリア少佐は先生というか姉貴分というか、とにかく俺より偉い存在なんだけど、説明がめんどくさいから友人ということにしておく。

 

「ロボス提督の副官をしてるフォーク大尉だったか」

「いえ、それとは別の人です」

「貴官は友達が多いのだな。大いに結構」

「ほんと、俺なんかに付き合ってくれて感謝のしようもないですよ」

「家族とは仲良くしているのか?」

「いや、まあ、それなりに…」

 

 家族とはもう五年近く連絡を取っていない。数日前、マフィンの箱を買って帰る途中に転んでぐじゃぐじゃに潰してしまい、悲しんでいたところに妹のアルマから『おいしいマフィンのお店できたの知ってる?』という題名のメールが来た。ムカついて受信拒否リストにぶち込んでやった。マフィンばっか食べてるから、豚みたいに太って間の抜けたメールをよこすようになるんだろう。それにしても、どこから俺のアドレス探りだしてくるんだろうか。部署が変わるたびにアドレス変えてるのにな。

 

「仲良くしないといかんぞ。家族とは一生の付き合いだ」

 

 しまった、ドーソン中将は家族が仲良くしてる話が好きなんだった。慌てて話題を変える。

 

「閣下の末の娘さんは来年からジュニアスクールでしたね」

 

 そう言った瞬間、急にドーソン中将の表情がパッと明るくなり、せきを切ったように娘のことを喋り出した。こうなると、この人は止まらない。話を聞いているだけで愛情が伝わってきて心が洗われるような気持ちになる。ニコニコしながらドーソン中将の話に頷いてると、俺達のテーブルに近づく人の気配を感じた。

 

「やあ、クレメンス」

 

 声がした方向を見ると、人懐っこそうな笑顔を浮かべた男性が軽く右手を上げながら歩み寄ってくる。綺麗に撫で付けられた髪に甘いマスク。白いシャツにグレーのニットカーディガンを羽織り、細身のパンツを履いている。靴はやや古びているが品の良いカジュアルシューズ。質素な服装だがセンスの良さを感じる。年齢は三〇代だろうか。見覚えのある顔だ。この人物は…。

 

「トリューニヒトさん、お待ちしておりました」

「クレメンス、いつもヨブと呼んでくれと言ってるじゃないか」

 

 男性は立ち上がったドーソン中将の肩をポンポン叩きながら、気さくに笑いかけた。俺も慌てて立ち上がって敬礼する。

 

「はじめまして、エリヤ・フィリップス君。どうしても君に会いたくて、足を運ばせてもらったよ」

 

 蕩けるような笑顔を俺に向ける男はヨブ・トリューニヒト。三八歳の若さで幹事長を務める改革市民同盟のプリンス。現在はドーソン中将と組んで軍規粛正を進めている。現実の歴史では最高評議会議長を務め、旧同盟人・旧帝国人を問わず嫌悪の対象となった。そんな人物の来訪に度肝を抜かれてしまった。


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