銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第二十九話:陽だまりのような彼 宇宙暦793年9月 ハイネセン市、じゃがいも料理店「バロン・カルトッフェル」

 ヨブ・トリューニヒトの経歴は実に華麗である。国立中央自治大学を首席で卒業した後、徴兵されて統合作戦本部総務課に二年間勤務して兵長まで昇進した。二二歳で法秩序委員会事務総局に入ると警察官僚の道を歩む。二九歳の時に国家保安局警備部公安課副課長で退官すると、改革市民同盟から同盟代議員選挙に出馬して初当選を果たした。現在の当選回数は三回。政治家としては若手だが、存在感は大きい。

 

 俳優のような端整な美貌にスポーツで鍛え上げた長身を持ち、ベストドレッサー賞政治部門で毎年優勝争いを演じるほどのファッションセンスを兼ね備えている。煽情的な弁舌で対帝国強硬論を展開して主戦派からは熱烈な支持、反戦派からは強烈な反感の対象となっている。視聴者受けする容姿と派手なパフォーマンス、バラエティー番組にも気軽に出演する気さくなキャラクターからメディアでは引っ張りだこだ。

 

 反戦派からは「見かけだけで中身が無い」と揶揄されるが、元官僚だけあって政策議論に強く、治安問題と国防問題では改革市民同盟随一の論客とされる。豊富な資金力を背景に若手議員のリーダー格となり、多くの財界人や官僚や報道人や知識人がブレーンとなっている。前政権では情報交通委員長として初入閣を果たし、現在は三八歳の若さで党幹事長を務めている。長老支配が続いている主戦派では、反戦派のジョアン・レベロやホワン・ルイ、過激派のマルタン・ラロシュに対抗しうる数少ない若手指導者と目されていた。ヨブ・トリューニヒトに対する現在の評価は賛否両論だが、彼が政界屈指の実力者であることを否定する者はいないだろう。

 

 一方、後世の評価はかなり微妙だ。宇宙暦七九六年の「諸惑星の自由」と名付けられた帝国領侵攻作戦が大失敗に終わった後の政局を収拾するまでが頂点で、救国軍事会議のクーデターを防げず、ヤン・ウェンリーをクーデター疑惑で召還した間に帝国軍の攻撃を受け、銀河帝国亡命政権を後援したために獅子帝ラインハルト・フォン・ローエングラムの侵攻を招き、戦争指導を放棄した挙句に獅子帝を討ち取る寸前だったヤン・ウェンリーに降伏を命じるなど、為政者としては無能としか言い様がない。

 

 獅子帝が攻めてくるまでのトリューニヒトは物凄く有能な指導者に見えていた。帰国後にさんざんいじめられたおかげで主戦派嫌いになった俺ですら、彼が率いる国民平和会議に投票したことがあるぐらいだ。しかし、今になって思えば軍部、警察、メディアが三位一体でトリューニヒトをゴリ押ししていたおかげでみんな勘違いしていたに過ぎなかったと思う。ヤン・ウェンリーやユリアン・ミンツなどは「何があっても傷つかない保身の天才」「エゴイズムの権化」と恐れていたそうだが、トリューニヒトを敵視するあまりの過大評価ではないだろうか。

 

 トリューニヒトの無能は旧同盟、帝国本土のいずれでも軽蔑されていた。町内会長選挙でも当選はおぼつかなかっただろう。ヤン・ウェンリーの後継者たる八月党が崩壊した後に旧同盟領で隆盛を極めた極右勢力だって、トリューニヒトを再評価しようとはしなかった。さて、俺の目の前にいるヨブ・トリューニヒトは現在の評価、俺の評価、ヤン達の評価のうちのいずれに近い人物なのだろうか。

 

「ここのポムフリット(ポテトフライ)は本当に絶品でね。フランクフルターヴルスト(フランクフルトソーセージ)をかじりながらつまむとたまらないんだよ」

 

 トリューニヒトは満面の笑みを浮かべ、ポムフリットとフランクフルターヴルストを次々と口に放り込んでいる。上品な容姿に似合わないがっつきぶりに好感を抱いてしまう。うまそうに飯を食う奴に悪人はいない。

 

「どうしたんだい、エリヤ君。私が食事しているのがそんなに不思議かい?」

 

 油でベトベトの口元を緩めて人懐っこそうに笑いかけるトリューニヒトと、ソリビジョンで見る気取った姿とは全然違う。

 

「いや、随分おいしそうに召し上がってらっしゃると…」

「そりゃ、ここの料理はおいしいからね。何と言っても帝国仕込みだ。我が国の食文化は素晴らしいが、じゃがいも料理とソーセージでは帝国に一日の長がある」

「この店、ご存知だったんですか?」

「クレメンスにこの店を教えたのは私だよ。ハイネセン広しといえど、本物のじゃがいも料理とソーセージを食べさせてくれるのはここだけさ」

 

 三大難関校の一角で高級官僚養成校と名高い国立中央自治大学を首席で卒業し、警察官僚を経て政治家になったエリートの中のエリートがこんな庶民的な店を知ってるなんて意外だった。

 

「トリューニヒト先生はこの店を気に入ってらっしゃるんですか?」

「ここの主人は帝国からの亡命者で、かつてはローゼンリッターに所属していたんだ。ローゼンリッターのことは知ってるよね?」

 

 同盟末期に生きてローゼンリッターを知らない者などいるはずもない。帝国からの亡命者とその子弟だけで編成され、第八強襲空挺連隊に匹敵する地上軍最精鋭部隊だ。現実においては、ヤン・ウェンリーやユリアン・ミンツの私兵として活躍し、シヴァ星域の決戦では獅子帝ラインハルトの旗艦ブリュンヒルドに突入して皇帝親衛隊と激しく戦った。

 

「ええ。幹部候補生養成所の友人がいますから」

「帝国の圧制から逃れて自由のために戦う戦士。それがローゼンリッターだ。ここの主人も素晴らしい戦士だったが、瀕死の重傷を負って引退せざるを得なかった。退職金をもとに店を開いて、今では我々においしい料理を食べさせてくれる。故郷の味を懐かしんで食べに来る亡命者も多い」

 

 この店にそんな由来があったなんて知らなかった。カウンターの方をチラッと見る。でっぷり太ってきれいに頭が禿げ上がった主人は根っからの料理人といった風情で、軍隊とは遠い世界の住人に見える。

 

「そうだったんですね。知りませんでした」

「この店は同盟の民主主義の象徴だ。誰もが専制と戦う自由を持っていること、専制打倒の大義の前ではすべての人間が平等であるということを教えてくれる。私は帝国の専制を憎むが、国民は憎んでいない。彼らは我らと同じ専制の被害者だからだ。この店では同盟で生まれた人間も帝国で生まれた人間もみんな笑顔で同じ料理を食べている。その光景を見るたびに専制を打倒して、すべての人間が笑顔で同じ食卓を囲める世界を作らなければならないという思いを強くする」

 

 ソリビジョンの中のトリューニヒトが扇動的な言葉で帝国への憎しみを煽って群衆を熱狂させるのを見ると、俺みたいな小心者は引いてしまう。しかし、目の前のトリューニヒトは静かだが力強い口調でゆっくりと語りかけてくる。言葉の一つ一つが俺の心に深く響く。すべての人間が笑顔で同じ食卓を囲める世界。青臭い理想だけど、誰にも省みられずに孤独にもがいた六〇年の暗闇を生きた俺にはとてつもなく素晴らしい理想に思えた。

 

「ま、いつもそんな難しいこと考えているわけじゃないけどね。いつもは何も考えないでガツガツ食べてる」

 

 真剣な面持ちから一転してくだけた雰囲気になり、軽くウィンクをしてみせるトリューニヒト。とても気さくな人だ。態度も面構えも偉そうなネグロポンティと同じ政治家とは思えない。

 

「なんか、イメージ変わりました」

「失望させてしまったかな?」

「いえ、なんか親しみやすい人だなって。政治家ってもっと近寄りがたいって思っていました」

「ははは、帝国の貴族じゃあるまいし。私もエリヤ君も同じ人間だよ。現に同じ食卓を囲んで、同じ物を食べているじゃないか」

 

 言ってることは凄く当たり前なんだけど、この笑顔で言われるとまったくその通りって思ってしまう。

 

「トリューニヒト幹事長」

「どうした、クレメンス」

「お口が汚れてますぞ」

「ああ、気が付かなかった。ありがとう」

 

 ずっと黙っていたドーソン中将に口元が油でベトベトのままになってることを指摘されたトリューニヒトは、軽く頭を掻いてから慌ててナプキンで口を拭く。大物政治家とは思えないお行儀の悪さがおかしくて笑ってしまった。

 

「エリヤ君」

 

 トリューニヒトが真顔になって俺を見ている、しまった、あまりに親しみやすいせいで気を抜いてしまった。相手がとんでもなく偉い人だってことを忘れていた。

 

「やっと笑顔を見せてくれたね」

 

 心の底から嬉しそうな笑顔になって俺を見るトリューニヒト。本当に表情がよく変わる。イレーシュ少佐みたいだ。素直に感情を出せるって羨ましいな。

 

「どうもすいません…」

「なかなかいい笑顔するじゃないか。ソリビジョンではいつも真顔だから新鮮だよ」

 

 どう反応すればいいんだろう。人に好意を示したい時は笑ってみせるけど、もともとあんま笑わないんだよな。トリューニヒトみたいな笑顔を作れたらいくらでも笑うんだけど。人に見せれるような笑顔作れないからなあ。

 

「あ、ありがとうございます…」

「そんなに固くならなくていいのに。もっとリラックスしていいんだよ」

「は、はい…」

 

 まともに喋れない自分が悲しくなる。アンドリューみたいに初対面の人といきなり打ち解けられる社交性が欲しくなる。

 

「クレメンス、何でもできる子なのに人付き合いだけは不器用っていうのも面白いね。君が気に入るわけだ」

「小官は器用な奴は好かんのです。隙あらば手を抜こうとするし、叱ったら反省せずに口答えしますからな。それに比べて、フィリップス大尉は真面目で素直です。あれだけ才能があるのに努力を怠らず、能力を鼻にかけることもない。良い人材を見付けました」

 

 トリューニヒトとドーソン中将が何やらニコニコ笑って話してるけど、何を言ってるのかさっぱりわからない。ドーソン中将って俺のことを気に入らなかったんじゃないのか?フィリップス大尉って別の人じゃないのか?こんなに褒められるようなことをした覚えはないぞ。

 

「クレメンスがエリヤ君を副官にした時は驚いた。英雄に裏方仕事なんかできないと思っていたからね」

「フィリップス大尉ほど骨惜しみしない者はそうしういませんよ。裏方こそ本領でしょう。久々に人を育てる楽しみを思い出しました。憲兵司令部には真面目な若手士官が多い。フィリップス大尉ほどの逸材はそうそうおりませんが、ひとかどの人材には育つと思っております」

 

 話を整理すると、この二人の間では俺は優秀ってことになってるのか?日々至らないことばかりでいつ叱られるかビクビクしてるぐらいなのに。

 

「エリヤ君」

 

 戸惑ってる時にいきなりトリューニヒトに名前を呼ばれてびっくりしてしまった。

 

「は、はい!」

「クレメンスは私の大事な友人だ。今後も片腕として助けてほしい」

「か、片腕ですか…」

 

 普通は大物政治家からこんなに大きな期待をかけられたら、感激してしまうだろう。しかし、俺は小心者だ。期待の大きさにビビってしまう。

 

「今の君の立場なら両腕と言った方がふさわしいかな。これまでと同じようにやってくれたらいいよ」

 

 両腕!?一本増えてるじゃねえか。この人はどれだけ俺を高評価してるんだ。優しすぎて誰でも優秀な人材に見えてるんじゃないのか?うかつに「はい」と答えて、期待にこたえられなかったら申し訳ない。でも、頼まれて「はい」と言わないのはもっと申し訳ないな。

 

「はい。できるかどうかはわかりませんが、頑張ってみます」

「今まで通りでいいんだよ、今まで通りで。そんなに畏まらなくても」

 

 苦笑して手を振るトリューニヒト。俺が気負い過ぎないように気を遣ってくれてるのか。大物政治家だけあって、気配りが半端ないな。

 

「彼は本当に真面目だねえ、クレメンス。見てるだけで嬉しくなってしまう」

「幹事長にお褒めいただいて、小官も鼻が高いです」

 

 気に入られたってことなのかな。とにかく、喜んでもらえて良かった。あれだけ気さくに接してくれた人に悪印象を与えてしまっては申し訳ない。

 

「エリヤ君、今日は楽しかった。機会があったらまた一緒に食事をしよう。マカロニアンドチーズがおいしい店を知ってるんだ」

「小官も楽しかったです。わざわざお越しいただいてありがとうございました」

 

 トリューニヒトは立ち上がると、微笑みながら俺に手を差し出した。俺が手を握ると、トリューニヒトも手を握り返す。大きくて温かい手だ。トリューニヒトが手を離した時、ちょっと寂しい気持ちになった。彼といる時間が終わってしまうのが寂しかった。トリューニヒトはパンツのポケットから二つに折られた封筒を取り出してドーソン中将に渡す。

 

「今度のパーティ会場だ」

「そろそろ、お始めになるのですな」

「思いの外、準備に時間がかかってしまった。待たせてしまってすまないね」

「仕方ないでしょう。手続きというものがあります」

「主役は君だ。よろしく頼む」

「お任せください」

 

 パーティーなんか開くんだ。国防委員会がドーソン中将を表彰でもするのかな。軍規粛正キャンペーン、結構成果出てるみたいだから。ネグロポンティ国防副委員長から話が行くのが筋だけど、トリューニヒトとドーソン中将は仲良しみたいだから、直接話した方がいいのかな。

 

「クレメンス、エリヤ君。期待している」

 

 そう言うと、トリューニヒトは伝票を全部持ってカウンターに向かった。俺とドーソン中将が食べた分も払ってくれるらしい。この目で直に見たヨブ・トリューニヒトは本当に気さくでいい人だった。微妙に抜けてるところもほっとする。主戦派だけど帝国憎しで凝り固まってるわけじゃなくて、帝国国民の気持ちも思いやってる。暖かい太陽のような人というのが自分の目で見た印象だった。

 

 もちろん、いい人だから政治手腕があるとも限らない。実際、最高評議会議長になった後のトリューニヒトは失策続きだった。権謀術数の世界では人柄の良さは失敗を招くかもしれない。それでも、次の選挙で改革市民同盟に入れるぐらいはいいかなと思った。


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