銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第三十一話:食えない薔薇 宇宙暦794年3月 ヴァンフリート星系4=2基地

 ヴァンフリート星系第四惑星第二衛星の通称はヴァンフリート四=二という。無人星系においては中心となる恒星のみ固有名詞を与えられ、惑星や衛星の呼称は番号で呼ばれる場合が多い。地表は氷と岩石と亜硫酸ガスで覆われ、大気はきわめて希薄。重力は惑星ハイネセンの四分の一の〇.二五G。俺が現在勤務している基地はそんな不毛の惑星の南半球にあった。

 

 ヴァンフリート四=二基地は来るべきイゼルローン要塞攻略戦の後方支援を目的として設置された。補給・通信・医療・整備の各機能を完備し、数十万人分の被服・燃料・糧食・武器・弾薬を収納できる倉庫群、数千隻の輸送船が停泊可能な宇宙港、軍事用シャトル数万基が発着可能な巨大滑走路といった設備も持ち、数万隻の軍艦に対する後方支援が可能だ。方面管区司令部が置かれてるような基地でも、これだけの規模の支援能力を持つ基地は少ない。

 

 ヴァンフリート四=二に降り立った俺は基地の大きさに驚いたが、一〇〇日そこそこで建造されたという話を聞いてさらに驚いた。チーム・セレブレッゼの実力は後方支援業務経験者なら誰でも知っているが、実際に目の当たりにすると圧巻としか言いようがない。

 

 分艦隊及び星系管区警備艦隊より大きな単位の部隊には、輸送艦・補給艦・整備工作艦・作業工作艦・病院船などの補助艦艇からなる後方支援集団が付属している。司令部の後方担当参謀が作成した後方支援計画に従い、各艦の補給責任者と協力して補給・輸送・整備・医療・工兵等を担当する実働部隊だ。中央支援集団は国防委員会直轄部隊で全軍の後方支援組織の中心に位置している。

 全軍の後方支援計画の作成及び監督を行う後方勤務本部を後方支援における統合作戦本部とすると、中央支援集団は宇宙艦隊に匹敵する存在といえる。現在の中央支援集団司令部は歴代最強メンバーと言われ、司令官の名前から「チーム・セレブレッゼ」と称されていた。そのチーム・セレブレッゼの最高幹部である将官八人の誰かがサイオキシン麻薬組織の幹部というのは前代未聞のスキャンダルだろう。ヴァンフリート四=二の基地憲兵隊長代理として赴任した俺の本当の任務は、自由惑星同盟軍史上最高の後方支援集団司令部メンバー全員に対する拘束命令の執行だった。

 

 中央支援集団司令官と後方勤務本部次長を兼ねるシンクレア・セレブレッゼ中将は今年で四八歳。現在はヴァンフリート四=二基地において、ヴァンフリート星域に展開する宇宙艦隊の後方支援を指揮している。現在の同盟軍の後方支援システムを構築した人物で、国防研究所研究員時代に発表した数々のロジスティックス理論は民間分野でも応用されていた。後方支援組織の運用にも卓越した力量を示し、セレブレッゼ中将が後方支援を指揮すると物資の流れは整然とした旋律を奏でて、時計の針のような正確さと疾風のような迅速さで前線に行き渡ると言われる。

 

 自由惑星同盟軍にはドーソン中将のような優秀な後方幕僚が大勢いるが、彼らの優秀さはあくまで既存のシステムの運用者・管理者としての優秀さだ。セレブレッゼ中将は効率的な後方支援システムを構築してその運用管理ノウハウを簡易なマニュアルに落としこむ才能に長けていて、別格の存在といえる。彼に比肩する才能を持つのは統合作戦本部後方参謀部長アレックス・キャゼルヌ准将ぐらいだが三三歳と若く、経験の点で及ばない。名実ともに自由惑星同盟軍の後方支援の第一人者というのが現時点におけるシンクレア・セレブレッゼ中将に対する一般的な評価だ。

 

 一方、俺が現実で読んだ歴史の本ではセレブレッゼ中将はヴァンフリート四=二基地の戦闘で若き日の獅子帝ラインハルトに捕らえられて准将から少将に昇進するきっかけを作った人物、あるいはアレックス・キャゼルヌ以前の後方支援の第一人者として名前が上がるぐらいで、具体的な業績や人柄についてはほとんど触れられていない。軍事の専門書にはもっと詳しく触れられていたのかもしれないが、俺が読んだのは一般向けの人物伝や戦記ばかりだったのだから、セレブレッゼ中将の業績など些末事なのだ。

 

 もっとも、かつての俺が軍事の専門書を読んでも、セレブレッゼ中将の業績は理解するのは不可能だっただろう。軍人としての実務経験を積んで初めて理解できるようになった。歴史の本の中で「大将になった事自体がおかしい」と評されていたドーソン中将の真価もやはり実務経験を積んだ後に理解できた。

 

 現実の俺は何も学ばず何も経験せず、ただ時間をやり過ごして八〇年を生きた。自分の身の回りのこともまったく理解できなくて、何もせずに状況をただ受け入れるだけだった。だからこそ、理解できることが増えるのは喜びに感じる。かつてと比べ物にならないぐらい、俺に見える世界は広がった。しかし、世の中には理解できない方が良かったこともある。現在の俺の頭痛の種、シェーンコップ中佐がその好例だ。

 

 ワルター・フォン・シェーンコップ中佐の有能さを疑う者は誰一人として存在しない。一八歳で同盟軍陸戦学校を卒業して伍長に任官し、二二歳で幹部候補生養成所を卒業して少尉に任官して亡命者部隊ローゼンリッターの小隊長となり、三〇歳の現在では中佐まで昇進してナンバー2の副連隊長を務めている。

 

 白兵戦技検定・射撃検定・体力検定のすべてにおいて最高ランクの特級にあり、勇猛さも群を抜き、自由惑星同盟軍最強の戦士の一人と目される。地上戦指揮官としても卓越した力量を持ち、大部隊の組織的運用と少数精鋭部隊による強襲戦術の両方に長けている稀有な人物だ。部隊運営能力も高く、彼が指揮する部隊では規律が隅々までいきわたり、装備の手入れも行き届き、報告書や命令書は簡潔にして明快だ。部下を心酔させるカリスマ性、若手を育成する指導力も最高水準で備えている。下士官からの叩き上げであるにも関わらず凡百の士官学校卒業者を凌ぐ昇進速度を誇り、将来の地上軍を担う存在として期待されていた。

 

 しかし、人格的には危険極まりないという評判だ。上位者に対する服従心、国家に対する忠誠ともに稀薄だが、反骨精神は旺盛。言動や女性関係が奔放であるにもかかわらず、一度も処罰されたことがない用心深さも持つ。

 

 歴歩の本を読んだ時はヤン・ウェンリーに仕える前のシェーンコップ中佐が危険視される理由がわからなかった。しかし、四=二基地に赴任して、軍規を取り締まる憲兵の立場で関わるようになって初めてシェーンコップの扱いづらさが理解できた。こんな人間を四年も部下として使ったという一点においてヤン・ウェンリーは偉大であると言っていい。一〇年近く彼の片腕を務めたという一点においてリンツは尊敬されるべきだ。まあ、リンツは幹部候補生養成所時代から尊敬すべき人間だったが。煮ても焼いても食えないというのが、俺がシェーンコップ中佐に対して抱いた印象だった。

 

「憲兵隊長代理殿、本日は何の御用でしょうか」

 

 貴族的な美貌に優雅な物腰を持つシェーンコップ中佐はうやうやしく一礼した。礼節を完璧に守りながら嘲弄の意を明確に伝える振る舞いはいつもと全く同じだ。彼はことさらに俺だけを軽視しているわけではなく、万人に等しくこんな態度を取るらしい。この基地で一番偉いセレブレッゼ中将を怒らせたことも一度ではないそうだ。怒れば狭量に見られ、見過ごしておくにも我慢ならないというギリギリのラインを一歩も踏み外さないから腹が立つと言っていた人がいたけど、俺はあまり腹が立たない。貫禄の差が圧倒的すぎて、軽視されて当たり前のような気がするのだ。

 

「シェーンコップ中佐。当方の調査では、貴官は当基地に着任されてからの四〇日間で一二人の女性と関係をお持ちになったそうですね。事実に相違ないでしょうか?」

「事実に反しておりますな」

「どの点に相違があるでしょうか」

「昨晩、一三人目と関係を持ちました。事実関係の把握には正確を期していただきたいものです」

 

 しまった、と思った。シェーンコップ中佐は他人の言葉の中にある誤りを決して見逃さない。見つけた誤りを細かく指摘して自分のペースに持ち込んでいく。いつも引っかかってるのに何ら対策を打ち出せない頭の悪さが悲しくなってしまう。

 

「申し訳ありません」

「ご理解いただけましたか。有り難いことです。ところで、憲兵隊長代理殿は小官が一三人の女性と関係を持ったことが事実であるということを確認されたかったのでしょうか?」

「何ぶんにも相手がある話なので、中佐ご本人のお話も伺っておきたかったのです」

「石橋を叩いて渡ると評判の憲兵隊長代理殿らしいですな。それでは失礼いたします」

 

 シェーンコップ中佐はわざとらしく頭を下げると、くるりと背を向けて憲兵隊長室から出ていこうとした。

 

「あ、待ってください!まだ話終わってないんです!」

 

 俺が慌てて呼び止めるとシェーンコップ中佐は再びこちらを向いてニヤリと笑う。完全にあっちのペースにはまってしまってる。俺って本当馬鹿だ。

 

「シェーンコップ中佐の女性関係に関して苦情が何件も入っているんです」

「ほう、そのようなつまらない苦情にも対処せねばならないとは。憲兵隊長代理殿のご苦労お察ししますぞ」

 

 あんたのせいだと突っ込む気も起きない。実のところ、俺だって異性交際なんて勝手にやればいいと思ってる。だから最初のうちは苦情が来ても放置していたんだけど、シェーンコップ中佐と寝た女性同士がさや当ての末に殴り合いをしたと聞いて釘の一本も差しておくことにしたのだ。差さる相手でないのはわかっているけど、せめて差すふりぐらいはしないと立場上まずい。

 

「一昨日の晩にマルグリット・ビュッサー伍長とエルマ・カッソーラ軍曹が殴り合いの喧嘩をいたしまして。それで…」

「それはいけませんな。戦友同士仲良くしないと」

「ええ、おっしゃるとおりです…」

 

 シェーンコップ中佐は俺の言葉を遮って、他人事のようにとぼけてみせる。「基地内の風紀がどうこう」みたいに言っても鼻で笑われるのは火を見るより明らかだったから、「喧嘩は良くない」の線で攻めてみようとしたけど、やはり歯が立たなかった。

 

「憲兵隊長代理殿が両人の仲直りをご希望ならば、不肖ながらこのワルター・フォン・シェーンコップ、仲立ちの労を厭いませんぞ。何と言っても平和が一番ですからな」

 

 どうしてそういう話になるんだ。この人に口で勝てる気がしない。体ではもっと勝ち目ないけど。

 

「仲直りは当人同士の問題ですから、小官には何とも言いかねるのですが、もうちょっとこう、貴官が女性関係を控えめにしていただけたら、喧嘩の種も無くなるんじゃないかと思うんですよね…」

「憲兵隊長代理殿は喧嘩に心を痛めておられるということなのですな」

「まあ、そういうことです」

「他でもない憲兵隊長代理殿の仰せであれば、微力を尽くしましょう」

 

 え!?これでいいの?なんかあっけないけど、納得してくれたなら良かった。

 

「ありがとうございます」

「小官としたことが、女性はアフターケアを怠れば嫉妬するということをすっかり失念しておりました。今後はこのようなことがないように努力いたしましょう」

「そ、そっちの努力ですか…」

「まさか、双方の合意のもとに成り立つ自由恋愛をやめろなどと言うために小官を呼び出したわけでもないでしょう。基本法令集と国防関連法令集を判例も含めて暗記しておられると評判の憲兵隊長代理殿であれば、自由恋愛を禁止する規定が我が国に存在しないことはご存知でしょうからな」

 

 法律を盾に反論を封じられてしまった。この人は俺が法律を暗記してることまで利用してくる。「憲兵隊長代理殿、宇宙軍基地服務規則第四五条では何と言いましたかな」などと聞かれ、条文に一般的解釈を付けて答えると、「では、小官の行動の正当性は服務規則が保障してくださってるわけですな」と返されるといったやりとりは日常茶飯事だった。

 

「おっしゃるとおりです」

「自由恋愛にかまけて軍規を蔑ろにしたというのであれば、お叱りも甘受いたしましょう。しかし、小官は任官より今日に至るまで一度も軍規違反を犯したことはありません。不勉強なそこらの憲兵ならいざ知らず、軍規に通じておられる隊長代理殿が法的根拠無く小官の自由恋愛に介入しようとなさるのであれば、法を枉げたとの誹りは免れんでしょうな。隊長代理殿がそのようなことをおっしゃるとは夢にも思いませんが」

 

 軍隊において嫌いな人間を攻撃する手段として最もポピュラーなのは、軍規違反を探して処分に追い込むことだ。訓告や口頭注意といった軽微な処分であっても、度重なれば昇進や昇給の面で不利になる。不良軍人のレッテルを張られて周囲から忌避されることもありうる。処罰対象となる違反事項は軍刑法・服務規則・倫理規程・訓令といった多岐にわたる規律関連法令の中に無数に規定されており、その気になれば真面目な人間でも一つか二つぐらいには引っ掛けることができる。軍隊で他人に嫌われるリスクは果てしなく大きいのだ。

 

 しかし、シェーンコップ中佐は軍規に引っ掛けようとする敵に事欠かないにも関わらず、一度も処罰を受けたことがない。ルールを知り尽くし、合法性を完全に確保して感情論以外の反論を封じた上で好き勝手に振る舞ってのけるのがシェーンコップ中佐の恐ろしいところだった。

 

「まったく、貴官のおっしゃるとおりです」

「憲兵隊長代理殿はいつも物分かりが良くて助かります。それでは失礼いたします」

 

 にやりと笑って敬礼すると、シェーンコップ中佐は部屋から退出した。背中が汗でびっしょりになっているのがわかる。彼と会うたびに、肉食獣のいる檻の中に放り込まれたかのようなプレッシャーを感じる。これが格の違いと言うことなのだろう。好き嫌いの対象にもならないほどに次元が違う。こんな存在と出くわすのは人生で初めてだった。

 

 その三日後。俺は苦虫を何十匹も噛み潰したような顔をした四=二基地憲兵隊副隊長ファヒーム少佐に説教されていた。

 

「隊長代理、あんなことを言われては困りますな」

 

 ファヒーム少佐は五〇代後半のベテラン憲兵だ。短い白髪に鋭い目つき。横柄で口やかましく、容姿も性格も世間がイメージする憲兵のイメージそのままの人物。階級が同じ上に三〇歳ほど年下の俺の補佐役に回されたのが不満なのか、何かと突っかかってくる。しかし、今回に限っては完全に俺が悪い。

 

「いや、まさかああなるとは思わなくて…」

「シェーンコップ中佐がどういう人間かご存知でしょう?今回の件に限らず、隊長代理は彼に対して弱腰すぎます。このままでは憲兵がローゼンリッターに舐められてしまいますぞ」

「ほんとごめんなさい」

「憲兵隊長代理殿がお許しになったと言われておおっぴらに女性を口説かれては、隊内の風紀維持に務める憲兵の立場がありませんぞ」

 

 隠れ蓑のはずの憲兵隊長代理の仕事でここまで苦労するとは思わなかった。シェーンコップ中佐以外の面倒事も多い。クリスチアン中佐やリンツなどの旧知がいるから、拘束命令執行までは楽に過ごせると思っていたけど甘かった。こんな有様で今後もやっていけるんだろうか。司令部の規律維持強化という名目で最重要拘束対象の将官八人に憲兵を貼り付けて監視下に置くことには成功したが、拘束命令を執行する前にストレスで死んでしまうかもしれない。


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