銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第三十四話:誰か、勝てると言ってください 宇宙暦794年3月27日~4月6日朝 ヴァンフリート星系4=2基地

 宇宙暦七九四年三月二七日。二日ぶりに総司令部からヴァンフリート四=二基地に入ってきた通信は驚くべき情報をもたらした。

 

「一万隻を越える敵艦隊がヴァンフリート四=二に進軍中。進軍速度等から二六日の夜に上陸した可能性が高いと推測される」

 

 その報を聞いた時、俺の頭は真っ白になった。なぜ、安全地帯のヴァンフリート四=二に突如として敵の大軍が出現するのだろうか。現実で読んだ戦記の展開そのままの事態が進行している。イゼルローン要塞攻防戦の時と違い、どう見ても必然性皆無の偶然が再現されていることに驚愕した。もしかして、あらかじめ運命は決められていて、俺達はそれに乗せられているんじゃないか。そんな非論理的な考えが頭をよぎる。

 

 不穏な事態が進行していると思いつつもかろうじて平穏を保っていた四=二基地はパニックに陥った。あるものは絶望のあまり悲観論を口走り、ある者は敵が接近するまで連絡を寄越さなかった総司令部に怒りをぶちまけ、ある者は興奮して帝国軍を叩きのめしてやると息巻いた。

 

 敵の目的は四=二基地破壊にあると判断したセレブレッゼ中将はローゼンリッターに偵察を命じて、敵軍の正確な位置を把握しようと務めた。特殊戦能力を持つローゼンリッターはこのような状況では最も頼りになる部隊だ。連隊長ヴァーンシャッフェ大佐自らが偵察部隊を率いたのは、情報収集の精度を重視したからだろう。セレブレッゼ中将の対応は常識の範囲内では最善だったと言って良い。中央支援集団司令部は昨日と同様に幹部を招集して会議を開いて対応を協議し、四=二基地に駐留する各部隊も個別に幹部を招集して会議を開いている。

 

 憲兵隊は昨日の会議で取り決めたとおり、交戦を想定した対応プラン通りの行動に移る。基地内の巡回を強化して、混乱の沈静に務めた。パニックに陥った者を発見したら、医務室へ連れて行って落ち着くまで隔離し、悪質な者は営倉に放り込んだ。危機対応は初めてだったが、老練な副隊長ファヒーム少佐の助けを得て何とかやり通し、夕方までには四=二基地は落ち着きを取り戻した。こういう時にはベテランの経験が頼りになる。俺一人で指揮したら、かえって混乱を拡大したかもしれない。不測の事態に慣れていないし、部隊指揮の経験も無い。現実で読んだ戦記に書かれていたような不可解な偶然が起きたことにも驚いていた。

 

 クリスチアン中佐に指摘された実戦経験の乏しさがこんなに早く露呈するとは思わなかった。エル・ファシル義勇旅団長だった時に無理を言って一小隊でも指揮して戦っておくべきだったなんて不毛な後悔をするほどに困り果てていた。

 

 二七日二一時一五分。ヴァーンシャッフェ大佐の偵察部隊が消息を絶ち、副連隊長シェーンコップ中佐らが探索に向かった。単に連絡が通じないだけなら良いが、偵察部隊が敵に発見されていたら取り返しのつかないことになる。探索任務の成否に四=二基地の命運がかかっていると言っても過言ではない。基地に残っている俺達は祈るような思いで偵察部隊とシェーンコップ中佐の帰りを待ちわびた。

 

 二八日に入ると、シェーンコップ中佐らとの連絡も通じなくなった。彼らを探すための部隊を新たに派遣しようという案も出たが、何度も部隊を出したら敵に見つかりやすくなるという理由で却下されている。

 

 三〇日になってもシェーンコップ中佐らからの連絡は入らない。何の情報もないままに見えない敵を待ち続けていると、不安は果てしなく大きくなっていく。いつもこんな不安に耐えている実戦部隊の人達の凄さが初めて実感できたような気がする。そして、エル・ファシルを脱出した時に不安を感じていた人の気持ちもようやく理解できた。先が見えないということは本当に恐ろしい。

 

 三一日の午前二時頃ににようやくシェーンコップ中佐らは四=二基地に帰還した。偵察部隊は壊滅し、生き残ったヴァーンシャッフェ大佐も重傷を負っていて、即座に基地病院に運び込まれたという。

 

 ベッドの中で知らせを受けた俺は不安が恐怖に変わっていくのを感じ、毛布を頭からかぶって強引に眠りについて現実逃避をはかった。こういう時は、どんな状況でも眠りにつける自分の体質に感謝したくなる。

 

 午前七時三〇分。重苦しい空気に包まれた食堂で朝食をとっていると、大きなチャイム音の後にアナウンスが流れた。基地にいる者は今すぐ担当部署に集合し、八時にセレブレッゼ中将の緊急放送が始まるまで待機せよとの内容だ。ただならぬ雰囲気に食堂がざわめき、みんな食事をそこそこに切り上げて駆け足で自分の部署に向かった。

 

 俺も落ち着いていられず、ピラフとスープをお代わりした後にデザートのプリンを平らげて、食後のコーヒーを飲み干してから走って憲兵隊本部に向かう。

 

 俺が憲兵隊本部に到着した時には、既に本部直轄部隊の五〇〇人が広間に集結していた。8時を回ると、スクリーンが明るくなって、やや青ざめたセレブレッゼ中将の顔が映る。放送の内容は驚くべきものだった。

 

 偵察部隊が帝国軍陸戦部隊の攻撃で壊滅したこと、重傷を負ったヴァーンシャッフェ大佐はシェーンコップ中佐に救出されて帰還したものの間もなく死亡したこと、敵に捕獲された偵察車両のナビゲーションデータから四=二基地の位置が知られた可能性が高いこと、一週間以内に総攻撃が行われる可能性が高いことなどを述べ、特別警戒態勢への移行宣言で締めくくった。ヴァーンシャッフェ大佐の死も戦記で読んだとおりだ。

 

 どこまで戦記で起きた展開をトレースするのだろうか。俺の困惑をよそに広間に集まった憲兵達の顔からは不安が消え去っていた。

 

『不思議なものでな、長い間戦場にいると、敵と出会うことを願うようになるのだ。敵が出てくればこれ以上待つ必要がなくなるからな。死ぬのがわかっているのに敵を求めて突撃する者さえいる。不安に苦しむぐらいなら、死んだ方がマシと思うのだ』

 

 一週間前に聞いたクリスチアン中佐の言葉を思い出す。敵の出現が憲兵達を不安から解放してくれたのだ。他の人々もそうであったらしい。この世の終わりが迫っているかのような重苦しい雰囲気に包まれていた四=二基地は放送が終わるとたちまち活気を取り戻し、迎撃体制構築に向けて動き出した。

 

 基地警備部隊に前線部隊の予備として待機している地上軍部隊を加えると、四=二基地には二万人ほどの実戦部隊が駐留している。しかし、いずれも連隊・大隊規模の部隊で指揮系統が一本化されているわけではない。

 

 この規模の基地なら本来は准将か少将の警備司令官がいて、戦時には全部隊を一括して指揮下に入れるものだが、どうしたことか現在の四=二基地警備司令官は空席だった。セレブレッゼ中将以下の将官八人はいずれも後方支援の専門家で実戦経験は乏しい。連隊長を務める大佐四人が現在の四=二基地にいる最高位の実戦部門指揮官であったが、いずれも二個連隊以上の兵力を指揮した経験はない。現実の歴史ではヤン・ウェンリーのもとで一〇万を超える地上戦部隊を率いて勇名を馳せることになるワルター・フォン・シェーンコップも現時点では一個大隊の運用経験しか持っていない。

 

 結局、基地トップのセレブレッゼ中将が全軍をまとめて指揮することになった。経験者がいないなら、せめて最も権威がある者に指揮系統を一本化しようという次善の策である。一三万人に及ぶ後方支援要員も武装して戦闘配置につくことになったが、戦力としてはあてにできない。セレブレッゼ中将自ら指揮する二万の地上戦部隊が一〇万以上と推定される敵の地上戦部隊を相手にどこまで持ちこたえられるかが焦点となる。

 

 一方、憲兵隊に所属する八個憲兵中隊は、基地司令部に三個中隊、工兵団司令部・衛生業務集団司令部・通信業務集団司令部・整備業務集団司令部・輸送業務集団司令部にそれぞれ一個中隊が分散配備されて、各司令部の警備部隊と協力する。警備の名目で将官の監視を継続し、万が一各司令部を放棄する事態に陥ったら保護の名目で身柄を確保するための布石である。

 

 副隊長ファヒーム少佐は憲兵隊をまとめて運用しなければ戦力にならないという理由で分散配備に反対した。現状において俺が最優先すべき任務は将官八人の身柄確保だが、事情を知らない少佐が反対するのは当然だろう。拘束計画の交戦時修正プランを使うのは不本意だったが、事ここに至ってはやむを得ない。

 

 セレブレッゼ中将の主導で中央支援集団司令部は各部隊の担当区域が決定し、必要な物資を配分していった。工兵団は塹壕を掘り、簡易トーチカを構築した。通信業務集団はセレブレッゼ中将の司令部と各部隊の指揮官を結ぶ指揮情報システムを手早く構築し、その運用試験に余念がない。整備業務集団はすべての装備を徹底的に手入れして稼働率を高めて、兵力の劣勢を補おうと努力していた。衛生業務集団は負傷者の収容・治療体制を整えている。同盟軍最高の後方支援集団の活躍によって、ハード面の戦闘準備は瞬く間に進んでいった。

 

 一方、実戦部隊の指揮官は迎撃計画を作成してシミュレーションを重ねている。部隊単位の準備は順調に進んでいたが、部隊間の連携には不安があった。二個連隊の基地警備部隊を除くと、必要に応じて前線に投入される予備部隊で兵種も運用思想も武装もバラバラだった。指揮官達はいずれも経験豊富で有能だったが、それがかえって連携体制の構築を妨げた。

 

 専門とする兵種の指揮に強い自信とそれを裏付ける実績を持つ彼らは、それゆえに視野が限定されてしまっており、他兵種の指揮官との意思疎通が捗らなかったのだ。ローゼンリッター連隊長代理に就任したシェーンコップ中佐は広い視野を持つ数少ない指揮官だったが、それゆえに視野が狭い他の指揮官に苛立っているように見える。

 

 四=二基地に存在する最大の部隊単位は大佐や中佐が指揮する連隊だが、これは同一兵種で構成される。複数兵種の統合運用は旅団戦闘団長や師団長などが担当して、連隊長は自兵種の指揮に専念するのが本来の姿だ。彼らの視野が自兵種に限定されているのは問題ない。司令官として各部隊間の調整にあたるべきセレブレッゼ中将がその役目を果たしていると言いがたいのが問題だった。

 実戦指揮に関する経験も知識も乏しかった彼は、各部隊の指揮官が自らの経験と知識に基づいて出した意見をすり合わせることができず、手をこまねくばかりだった。副司令官のカルーク少将と参謀長のラッカム少将は優秀な後方参謀であったが実戦経験は乏しく、この方面でセレブレッゼ中将を補佐することはできなかった。

 

 シェーンコップ中佐の報告によると元ローゼンリッター連隊長で帝国に逆亡命したリューネブルク帝国軍准将が敵の地上戦部隊指揮官を務めているらしい。リューネブルクは三〇そこそこで連隊長に就任しただけあって特殊部隊の指揮には卓越した力量を持っていたが、複数兵種を運用する能力は未知数である。しかし、逆亡命して准将に昇進してから三年が経っており、一個艦隊の陸戦部隊のトップを務めているからにはそれなりの運用経験を積んでいると考えるべきだろう。同盟軍の内情にも通じていて厄介な相手である。指揮下の一〇万の過半数は地上戦専門部隊で構成されているはずだ。指揮官も戦力も圧倒的に劣勢。心細いと言う他ない。

 

「今回の戦いはどうなるとお考えでしょうか」

 

 憲兵隊長室にコーヒーを飲みに来たシェーンコップ中佐に見通しを聞いてみたことがあった。情けない話だけど、ベテランの言葉を聞いて安心しようと思ったのだ。

 

「戦闘なら予想もできますが、ギャンブルはわかりませんな。なにせ小官は軍人ですから」

 

 苦笑して答えるシェーンコップ中佐。要するに勝算はないということだ。聞かなかったことにして、シェーンコップ中佐が部屋から退出した後にクリスチアン中佐の第一七七連隊司令部に通信を入れて同じ質問をしてみた。

 

「勝てると思わなければ勝てる戦いも勝てん。だから、小官はどのような状況であろうと必ず勝つとしか答えられん」

 

 いかにも歴戦のクリスチアン中佐らしい重厚な答えを聞いて安心した。本当にどうしようもなく情けないけど、誰かに勝てると言って欲しかったのだ。クリスチアン中佐が勝てると言わなければ、勝てると言ってくれる人が見つかるまで聞いて回っていただろう。エル・ファシル脱出前日の記者会見を思い出す。

 

『脱出は明日の正午ですが成功すると思いますか?』

『はい。無事に帰れると信じています』

 

 俺がそう言った瞬間、報道陣は歓声をあげて手が痛くなるんじゃないかと思えそうなほどの拍手をした。当時はなんで彼らがあんなにはしゃいでいたのかわからなかったけど、今の俺にはわかる。彼らは俺を信じたんじゃなくて、俺を信じたかったのだ。帰れると言い切ってくれるなら、誰でも良かったのだ。生きて帰りたいと痛切に願う。戦死はむろん、捕虜になるのも嫌だ。現実では捕虜収容所で九年過ごしたが、死なないだけマシというぐらい酷い場所だった。良い夢だったのにここで終わってしまうのかと思うと、悲しくなってくる。

 

 

 

 四月六日午前一時。ベッドの中に入って眠りにつこうとしたところに大きなチャイム音が鳴り響いた。何度も聞いた音だが、この時間に訓練放送などするわけもない。ついに来たかと身構える。

 

「敵軍が現在当基地に向けて進軍中!到着予想時刻は五時間後!これより戦闘態勢に移行する!総員、すみやかに戦闘配置に着け!繰り返す…」

 

 心の準備ができていたとは言いがたかったけど、その時が来てみると驚きはあまり感じなかった。すぐに着替えて基地司令部に全速力で向かう。憲兵隊はこれまでに戦闘態勢移行時の集合訓練を重ねていたから、今さら指示を出す必要はない。廊下では大勢の人が配置に付くべく駆けまわっている。人生初の地上戦の幕が開けようとしていた。


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