銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第三十六話:俺が初めて越えた死線 宇宙暦794年4月6日18時~ ヴァンフリート4=2基地司令部ビル

 宇宙暦七九四年四月六日一八時。ヴァンフリート四=二基地の司令部ビルのJブロックに帝国軍が進入してきた。

 

 六個警備中隊一三五四人、三個憲兵中隊七三一人、前線から後退してきた実戦要員八八二人、武装した後方支援要員一五八四人の計四五五一人が司令官臨時代理ラッカム少将に率いられて司令部ビルに立てこもっているが、戦闘訓練を受けているのは警備中隊と実戦要員を合わせた二二三六人のみ。

 

 一方、司令部ビルの周囲に展開している敵の実戦要員は二万と推定される。外部にいる実戦部隊の一部から合流の連絡があったが、まだ到着していない。到着したところで焼け石に水でしかないが。

 

 俺は中隊長デュポン大尉とともに一個憲兵中隊を率いて、中央司令室に至る三つの通路を抑えている。基地から脱出できる見込みが無くても、中央司令室にいる将官三人を最後まで目の届く範囲に置いておくことで任務に対する義理を果たそうと思ったのだ。ローゼンリッター連隊長代理のシェーンコップ中佐が腹心のブルームハルト中尉と一個小隊を貸してくれたのは嬉しい誤算だった。サービスということらしいのだが、誰に対するサービスなのかは良くわからない。

 

 残りの二個憲兵中隊は副隊長ファヒーム少佐の指揮下で警備についている。憲兵隊は伝統的に陸戦部門からの転属者を多く受け入れており、ファヒーム少佐もその一人だ。若い頃に中隊の下士官兵を取り仕切る中隊先任曹長を務めた経験があり、実戦では俺よりずっと頼りになる。仲は良くなかったけど、彼の経験には随分助けられた。最後の打ち合わせでもいつものように意見が対立して、礼を言う機会を逸してしまったのが少し残念だ。

 

 火砲の轟音が鳴り響き、司令部ビルが大きく揺れる。Jブロック以外の場所にも突破口を開こうとしているのだろう。死の恐怖に動悸、冷や汗、息苦しさなどがこみ上げてくる。後悔のないように死にたいという思いが俺の正気をギリギリで保たせていた。

 

「こちら、Kブロックの第二警備中隊。多数の敵の進入を確認。戦闘状態に入ります」

「第五歩兵中隊はPブロックを放棄して、Lブロックに後退します」

 

 手元にある野戦用携帯端末からは、敵の前進と味方の後退を伝える通信がひっきりなしに入ってくる。司令部から送られてくる簡易戦術図では味方を示す青のブロックが敵を示す赤にどんどん塗りつぶされている。迎撃を指揮するラッカム少将はブロック放棄以外の指示はほとんど出していない。守りに自信があると言ってたわりには諦めが早過ぎるんじゃないかと思わないでもないけど、敵を引きずり込みながら戦力を集中しようとしているのかも知れない。

 

 司令部ビル内の戦闘が始まった二時間後には二一階まで制圧されていた。中央司令室がある二四階まで敵が上がってくるのも時間の問題だろう。一個中隊よりやや大きい程度の規模まで減少したファヒーム少佐の部隊は、他の部隊とともに二二階で戦っている。

 

「こちら司令部。二二階にいる部隊は後退して、二三階に集結してください」

 

 野戦用携帯端末からラッカム少将の指示が飛ぶ。二一階を放棄してから五分も経っていないのにまた放棄というのはさすがに早過ぎるんじゃないかと感じる。

 

 二一階の放棄指示は二〇階を放棄した七分後に出た。後退が完了していないうちに新たな放棄指示を出しているせいで、かなりの兵が取り残されて戦力を無駄にしてしまっている。

 

 ラッカム少将の指揮は素人の俺から見ても拙劣に見えた。名参謀も指揮官としては無能だったということなのだろうか。一矢を報いようと彼女は言ったけど、このままでは何もできないうちに死んでしまいそうだ。一つ下の階で激戦が展開されていると思うだけで心臓が高鳴り、身震いがする。手元のビームライフルを強く握ると少しだけ震えが収まった。

 

「こちら司令部。二三階にいる部隊は後退して、二四階に集結してください」

 

 今度は二二階を放棄してから三分後の指示。あまりに早すぎる。まだ二二階で戦っている部隊も多いはずなのに何を考えているんだろうか。いずれにせよ、これ以上の後退は無いはずだ。この階の中央司令室を失ったら組織的抵抗ができなくなる。ここが俺の死に場所になるだろう。

 

「中隊長、戦闘準備」

 

 不安で喉が詰まりそうだが、かろうじて声を絞り出して中隊長のデュポン大尉に指示を出す。本来の指揮官を尊重すると言う名目でデュポン大尉に指揮を委ねているが、実戦ができないことを隠す言い訳であるのは言うまでもない。

 

「了解いたしました!」

 

 俺よりちょっと年長のデュポン大尉は張りのある声で答えると、きびきびと部下に指示を出している。彼は俺が役割分担をわきまえて指揮に口を出そうとしないと勘違いしているらしく、申し訳なくなるぐらいに張り切っている。

 

 通路の奥から銃声が聞こえてくると、デュポン大尉が直接率いる二個憲兵小隊は射撃の構えを取った。あの向こうでは味方が必死の戦いを続けているのだろう。最初で最後の戦いの始まりが近づくにつれて、胸の高鳴りがどんどんひどくなっていく。

 

「隊長代理殿!」

 

 デュポン大尉の叫び声で、自分が駆け出していたことに気づいた。視界に敵と揉み合う味方の背中が近づいてくる。緊張に耐え切れなくなった俺は無意識のうちに飛び出してしまっていたのだ。戻ろうと思っても足が止まらない。クリスチアン中佐に指摘された弱さが最悪の場面で顔を出してしまった。

 

「総員突撃!隊長代理殿を死なせるな!」

 

 号令とともに大勢の駆け足の音がする。整然と敵を迎え撃つ用意をしていたデュポン大尉の部隊だったが、俺を救おうと突撃を開始したのだ。四=二基地の憲兵隊の最高指揮官は俺だから、デュポン大尉にどんな作戦があっても、俺が動いたらご破算にして従うしかない。残り数十分の命だからどんな死に方をしようと関係ないはずなのに、忠実な部下を巻き込んでしまったことに強い自己嫌悪を感じた。

 

 胸の中に広がっていく後悔を振り払うようにひたすら走り続け、気が付くと敵中に躍り込んでいた。大部隊が押し寄せてきたとばかり思っていたのに、意外と数が少ない。足を止めずにビームライフルを構えて引き金を引く。銃身から光の束が迸るたびに敵が倒れていった。こんな心理状態でも体で覚えた技術は裏切らないらしい。

 

 三メートルほど先にいる敵兵三人が俺に銃口を向けたが、一瞬で全員を仕留める。後に続くデュポン大尉らの援護もあって、一時的に敵を押し戻すことに成功した。ここまで来たら、今さら後戻りなどできない。俺は前方に向かって走りながら、ひたすら敵を撃ち倒し続けた。

 

 俺とデュポン大尉率いる憲兵は突撃を続けたが、やがて分厚い敵兵の壁に阻まれた。どれだけ撃ち倒しても敵は減るどころか数を増やしていく。俺の周囲にいた味方は一人、二人と倒れていき、比例するように敵の射撃は勢いを増していった。周囲を見回すと、味方は五人しか残っていない。デュポン大尉の姿もいつの間にか見えなくなっていた。ビームライフルのエネルギーも切れかけていて、これ以上の戦闘継続は不可能だった。

 

 ビームライフルは実弾武器と比べると動き続けている相手には狙いをつけにくいという欠点があるが、数を揃えて撃ちまくって動ける範囲を狭くしてやればどうということはない。敵の射撃をかわし続けていた俺だったが、もはやかわしきれないほどに敵の射撃は激しくなっていた。装甲服の肩に敵のライフルから放たれた光線がかする。

 

「あーあ、もうおしまいか」

 

 あれほど死ぬのが怖かったのに、本当に死が迫ったら意外とあっさりしたものだった。あまりに怖がりすぎて、いざとなったら白けてしまったのかもしれない。敵の射撃が今度はヘルメットにかする。次に当たったらおしまいだな。何度も何度も都合よくかするわけもない。

 

 アンドリュー、クリスチアン中佐、イレーシュ少佐、ドーソン中将、ルシエンデス曹長、カウリ軍曹、リンツ、ヨブ・トリューニヒト、シェーンコップ中佐、その他これまで世話になった人達…。いろんな人の顔が脳裏に浮かんでは消えていく。もう会えないと思うと寂しい。

 

「こちらにおられましたかっ!」

 

 後ろから聞こえるファヒーム少佐の声が俺を現実に引き戻す。ちらっと後ろを見ると、ファヒーム少佐を先頭に数十人の兵士が援護射撃をしながらこちらに向かってきた。敵も応戦しているが、援軍の射撃の前にバタバタとなぎ倒されていった。憲兵の射撃技術ではここまで命中させることはできないはずだ。不思議に思っていたが、ファヒーム少佐の横にいる人物の顔を見て納得がいく。

 シェーンコップ中佐の腹心であるライナー・ブルームハルト中尉。つまり、この階にいたローゼンリッターの小隊が憲兵と一緒に援軍に来たのだ。

 

「司令部より後退命令が出ております!早く二五階まで後退してください!」

「後退命令!?」

「一〇分前に出ました!この通路以外の我が軍は撤収完了しておりますぞ!」

 

 ちらっと時計を見ると、二三階の放棄命令が出てから一一分が経っている。驚くべきことにラッカム少将は一分で中央司令室放棄を決定したらしい。いったい何を考えているんだろうか。いや、我を忘れて突撃して命令を聞き逃した俺が言っていいことではないか。

 

「ブルームハルト中尉、隊長代理殿の援護をお願いしたい。我らはここで敵を食い止める」

「了解しました。エーゼルシュタイン軍曹、貴官の分隊はファヒーム少佐らを援護せよ」

「不要だ。ローゼンリッター一人は一般兵一〇人にまさる。隊長代理殿の力になってもらいたい。我らの指揮官なのでな」

「憲兵だけで大丈夫ですか?」

「貴官らが後退するまでの時間ぐらいは稼いでみせる。いざとなれば、これを使う」

 

 ファヒーム少佐は手に乗せた何かを見せると、ブルームハルト中尉は大きく頷いてから敬礼をした。何を手に乗せているのか、この角度からは見えない。ただ、二人の表情から少佐が命を賭けるつもりであるのはわかった。何かとつっかかってきて鬱陶しい人だったけど、気づいてみたら世話になりっぱなしだった。

 

「ファヒーム少佐、あなたには本当に…」

「次に指揮官を務められる際は、いたずらに勇を好まれませぬよう」

 

 礼を言おうとする俺を遮って一言だけ言うと、ファヒーム少佐はビームライフルを構えて銃撃戦に加わった。いたずらに勇を好むな、か。俺がなんで後退命令を聞き逃したのかわかっていたんだな。それなのに助けに来てくれた。

 

「行きましょう」

 

 ブルームハルト中尉に促された俺はファヒーム少佐に敬礼すると、ローゼンリッターと一緒に中央司令室に向かって走り出す。せいぜい残り数十分の命だけど、今の少佐の背中を死ぬまで忘れたくないと思った。

 

 しばらく走っていると、廊下に五〇人ほどの敵が集まっているのが見えた。ローゼンリッターの半数がトマホークを抜いて突撃し、残り半数が援護射撃をすると、たちまち敵は蹴散らされていく。倍近い敵に躊躇なく突っ込んでいく勇気、あっさり蹴散らしていく桁違いの強さのいずれもこの世のものとは思えない。

 

 ローゼンリッターに守られながら二五階に上がる階段の最初の段に足を乗せた瞬間、俺達が来た通路の方向から大きな爆発音が聞こえた。何が起きたのかは考えるまでもなかった。ファヒーム少佐は手榴弾か何かを使って、敵を巻き込んで自爆したのだ。泣きそうになったけど、辛うじてこらえた。


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