銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第三十七話:死線の果てに見た獅子 宇宙暦794年4月6日夜 ヴァンフリート4=2基地司令部ビル

 ファヒーム少佐らの犠牲で二四階を脱出して二五階に上がる階段を最上段まで登ったところで、下から大勢の人間の足音が駆け上がってくる足音が聞こえた。振り向くと、階段を埋め尽くすような数の敵兵が押し寄せている。

 

「フィリップス少佐、ここは小官達に任せて上へ!」

 

 ブルームハルト中尉はゼッフル粒子散布器を取り出してスイッチを入れると、トマホークを抜く。部下達もそれにならってトマホークを抜いて登ってくる敵に立ち向かう。俺は深々と頭を下げると、二五階の廊下に出て駆け出した。

 

 任務達成どころか生存も絶望的になってしまったが、せめて最後まで命令を貫く努力をして、やるだけのことはやったと思って死にたい。さっきのような真似をしてしまったら、死んでも死にきれない。せめて、この建物にいる三人の将官のうちの一人でも確保しよう。

 

 二五階だとすぐ敵が乗り込んでくるかもしれないと思って三〇階まで上がる。エレベーターが止まっていたので階段を使った。装甲服を着て駆け上がっているのに疲れを感じない。どんなに鍛えられた人間でも装甲服を着たまま動けるの二時間が限度だそうだが、まだまだ余裕があるみたいだ。人気のない場所を探していると、女子トイレが視界に入った。こんな場所に誰かが隠れているとは思えないけど、念のためにハンドガンを構えて警戒しながら侵入する。

 

 ポケットからメモ用紙を取り出して「故障中」と書いて一番奥の個室の扉に貼り付けてから、中に入って鍵を掛ける。個室に入って落ち着いた俺は、野戦用携帯端末でセレブレッゼ中将、カルーク少将、ラッカム少将の三人との交信を試みた。全員にそれぞれ一〇回ほど通信を送ったが、返事がない。これで終わりにしようと思ってセレブレッゼ中将に一一回目の通信を送ったところ、反応が返ってきた。

 

「司令官閣下、聞こえますか?こちらはエリヤ・フィリップス少佐です」

「今、どこにいる?」

「三〇階です」

「私は二七階だ。早く来てくれ」

「二七階のどちらですか?」

「資材課の近くだ。とにかく早く来てくれないか」

 

 不安に駆られてシェーンコップ中佐に電話した時のような弱々しい声。司令部ビルに敵が突入してくるまではセレブレッゼ中将の弱さを不甲斐ないと思っていたけど、取り乱して突撃してしまった今では共感に近いものを感じる。あんな状況で落ち着いていられる方がまともじゃない。

 

「了解いたしました。これからお迎えに上がります」

「おお、待っているぞ」

 

 セレブレッゼ中将の声に生気が戻った。司令部に憲兵を入れた俺に対して非好意的だった彼だけど、喜んでもらえると嬉しくなる。これまでの敵の勢いから考えると、もうすぐ三〇階まで到達するだろう。一人で二七階まで下りるのは不可能に近いけど、司令官を助けに行って死ぬのなら格好は付く。最後に使う武器となるであろうハンドガンを握り締めて階段を下りた。

 

 二九階から降りる途中で何回か敵と遭遇したが、どの敵も二人から五人程度の小集団に過ぎず、物陰に隠れてやり過ごすことができた。二四階で遭遇した敵に比べると、数もやる気も比べ物にならないぐらい少ない。散発的に銃声が鳴っていて、戦闘も続いているようだ。

 

 二八階から二七階に降りると、出会い頭に二人組の敵兵に出くわした。緩慢な動作でビームライフルを構えようとする敵の手をハンドブラスターで撃ちぬく。ライフルを落とした敵に間合いを詰めながら接近。右側の敵の首に右腕を引っ掛け、左側の敵の手首を掴んで同時に転倒させた。いずれも同盟軍のオフィシャルな徒手格闘テクニックだが、こんなに鮮やかにきまったのは、〇.二五Gという低重力のおかげだろう。床に転がっている敵に何発かハンドブラスターを撃ちこむと、資材課のある区画を目指して全力で廊下を走り抜けた。

 

 資材課がある区画は通常照明が壊れたのか、非常用の薄暗い赤色灯が灯っていてとても視界が悪い。この辺りでも散発的に銃声が聞こえていた。セレブレッゼ中将を探していると、帝国軍の装甲服を着た人物が同盟軍の気密服を着た人物をハンドブラスターで狙っているのが見える。気密服を着た人物は敵兵を見ているが、何の反応も示していない。こんな時だけど、同盟軍の仲間を放っておく訳にはいかない。俺はハンドブラスターを抜くと、敵兵に向けた。

 

「銃を捨てて手を上げろ」

 

 帝国語でそう勧告した瞬間、しまったと思った。わざわざ自分の存在を知らせてやることもないのに、どうしてこんなことをしてしまったんだろうか。つくづく、戦闘慣れしていない自分に腹が立った。こうなった以上はさっさと撃ち殺してしまうしか無い。

 

 狙いをつけて引き金に手をかけた瞬間、敵はピュッと鋭く腕を振った。右手に何かがぶつかって鋭い痛みが走り、ハンドブラスターを落としてしまう。重いものがぶつかったような感触からして、ハンドブラスターを投げつけられたようだ。右手の痛みを堪えながら、態勢を立て直そうとすると、いつの間にか間合いを詰めてきた敵のタックルを受けて転倒してしまった。

 

 あっという間に敵にマウントポジションを取られてしまった。薄暗い照明のせいで顔ははっきりと見えないが、端整な顔立ちをした若者のようだ。貴族の子弟だろうか。同盟軍ではマウントポジションからの抜け方もオフィシャルテクニックとして教えている。格闘二級の資格を持つ俺なら、陸戦のプロ相手でも簡単にやられはしない。まして、貴族の坊っちゃん相手だ。不意を突かれたけど、まだまだ逆転の余地はあるはずだ。

 

 俺は隙を見て手足の自由を確保してマウントポジションを抜けようと試みた。しかし、相手は左腕と足を巧みに使って俺の手足を完全に抑えこみ、まったく隙を見せようとしない。ローゼンリッターと双璧をなす精鋭と言われる第八強襲空挺連隊屈指の徒手格闘の達人と組み手をした時以来の経験だった。もしかして、自分はとんでもない強敵と対峙しているのではないか。そんなことを思って恐ろしくなった。

 

 敵は俺のこめかみに拳を浴びせかけてくる。装甲服の防御力を持ってしても、脳を揺さぶられたらダメージは避けられない。腕の関節や首といった装甲服の接合部にも拳を打ち込まれた。敵の攻撃は俺の肉体ではなくて意志を打ち砕こうとしているかのように鋭く正確だ。放つ者の強靭な意志を体現したかのような拳が一発入るたびに俺はぶざまに悲鳴をあげる。敵は貴族の坊っちゃんどころじゃない。装甲服を身にまとった殺意だ。

 

「殺される」

 

 そう確信した時、涙が流れた。さっきは敵の銃撃に晒されても全然怖くなかったのに。ああ、そうか。怖いのは死ぬことじゃなくて、無力なことなんだ。今の俺は徹底的に無力感を味わわされている。ボーっと見てるだけでちっとも助けてくれない気密服の人の存在も無力感をかきたてる。

 

「大丈夫か!」

 

 同盟公用語の叫びか聞こえると同時に複数の光条が俺の上を通り過ぎて行った。敵は俺を解放すると素早い動きで銃撃をかわしながら、さっき俺に投げつけたハンドブラスターを拾って応射する。芸術的なまでに動きに無駄がない。敵は徒手格闘のみならず、射撃にも長けているようだ。帝国の特殊部隊に所属する近接戦闘全般のプロフェッショナルなのかも知れない。とんでもない相手に喧嘩を売ってしまった。

 

「味な真似をしてくれるな。だが、貴族の飼い犬ごときがローゼンリッターに勝てると思うなよ」

 

 上半身を起こすと、同盟軍の装甲服を着た三人の男がビームライフルを構えている。助かった。いかに目の前の敵が近接戦闘のプロであっても、ローゼンリッターの隊員三人を敵に回しては勝ち目がない。敵がジリジリと後退すると、その後方から驚くほど背が高い人影が走り寄ってきた。帝国軍の装甲服を着ている。

 

「ラインハルト様!」

 

 ラインハルト?そういえば、獅子帝ラインハルトは現実の歴史ではヴァンフリート四=二基地攻防戦に参加してたっけ。盟友のジークフリード・キルヒアイスは長身で知られていた。つまり、あの格闘の達人は…。

 

「キルヒアイス!」

 

 何度も立体テレビで聞いた声だ。獅子帝ラインハルト・フォン・ローエングラム。人類史上、唯一武力による人類世界の統一を成し遂げた不世出の覇王。同盟末期からローエングラム朝にかけての時代を生きた俺には忘れようもない英雄。戦争の天才というよりは闘争の天才で、勝負と名のつくもので人に遅れを取ることはほとんどなかった。近接戦闘にかけても天才的な技量を持ち、政敵から差し向けられた刺客を何度と無く撃退したという。

 

 盟友ジークフリード・キルヒアイスはラインハルトをも上回る近接戦闘能力を持ち、現実の歴史では同盟末期からローエングラム朝成立に至る動乱期における最強の戦士の一人と評されていた。

 

 この時間軸ではラインハルトはミューゼル姓を名乗る帝国の高級士官の一人、キルヒアイスはその副官にすぎないはずだが、それでも俺ごときの最後の戦いに出張ってくるには豪華すぎるキャストだ。現時点では簒奪の機会が巡ってくるかどうかもわからない。だが、政戦両略の天才にして皇帝の寵愛も深い彼が栄達してゴールデンバウム朝の重臣になる可能性はきわめて高い。こんな大物と最後に巡り会えたなら、格好もつくというものだ。

 

 そこまで考えて、ひとつの可能性に思い当たる。彼を殺したら、もっと格好がつくんじゃなかろうかということだ。戦いに敗れて任務も達成できないまま死んでしまっても、将来を嘱望される皇帝の寵臣を道連れに殺せば帳尻は合うかもしれない。そんな誘惑にかられた俺は痛む体を必死で動かして、ラインハルトの投擲で叩き落とされたハンドブラスターに手を伸ばす。

 

「一人が二人に増えても同じことだ。ホイス、シュレーゲル。行くぞ」

「了解です、ウィンクラー中尉」

 

 ローゼンリッターの三人はトマホークを構えると、同時にラインハルトとキルヒアイスに飛びかかった。キルヒアイスはトマホークを抜いて応戦し、ラインハルトはハンドブラスターで援護射撃をする。何の打ち合わせもしていないのにすばらしく息の合った連携だ。本当の意味で一心同体となっている二人に見とれてしまいそうになるが、この機を逃せばラインハルトを殺せなくなる。腕の痛みが酷く、意識も朦朧としていたが、辛うじてハンドブラスターを握ってラインハルトに狙いをつける。当たっても当たらなくても笑って死ねる。思い残すことはない。

 

「今だ」

 

 引き金を引こうとした瞬間、頭がグラグラして手の力が抜けてハンドガンを落としてしまった。こめかみを殴られたのが響いていた。目の前ではラインハルトの銃撃で勢いを殺されたローゼンリッターの三人が、キルヒアイスの斬撃であっという間に物言わぬ死体となるという光景が展開されていた。

 

 彼らの美しい戦いぶりに体が震えてしまう。死の恐怖とかそういうものとはまったく別の震え。一瞬、神という言葉が頭のなかをよぎる。彼らは俺なんかが行き掛けの駄賃に手を出していい存在ではないということを思い知り、唇を強く噛みしめる。

 

「クソっ…」

 

 心の底から悔しさが込み上げてきた。人生をどこか他人事のように感じていたから、こんなことになってしまったのではないか。逃亡者にならなかった人生というアナザーワールドではなく、メインワールドとしてこの世界を捉えるべきではなかったか。失敗続きだった人生のやり直しではなく、本当の人生として生きるべきだったのではないか。自分はこの世界で出会った人達に不誠実に向き合っていたのではないか。そんな思いが涙となって両目からあふれ出す。

 

 ラインハルトとキルヒアイスは確実に俺を殺すはずだ。残り数十秒の人生だけど、格好良く死ぬぐらいなら格好悪く生きたかった。格好悪くて馬鹿で不誠実な俺だったけど、そんな俺にもこの世界は結構優しかった。

 

 頭が再びグラグラ揺れて、意識が薄れていき、上半身がバタンと倒れて視界が真っ暗になる。殺される瞬間に意識が無いなんて、なんか俺らしい。俺は俺を最後まで好きになれなかったけど。

 

「ラインハルト様は既に武勲を立てられました。撤退命令も出ています。この場所に留まる意味はありません」

「お前の言う通りだ。欲張ってもしかたがない」

 

 そんな声がかすかに聞こえたが、朦朧とした頭では何を言っているのか理解できなかった。


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