銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第一章:エル・ファシルの英雄
第一話:逃亡者の末路 新帝国暦50年(宇宙暦848年) ハイネセン市


 ローエングラム朝銀河帝国領の最貧地域の一つに数えられる惑星ハイネセンの街角を、旧自由惑星同盟軍の軍服を着用した男たちが練り歩いていた。彼らは手押し車に積み込んだ巨大スピーカーから流れる大音声の旧自由惑星同盟国歌「自由の旗、自由の民」をバックミュージックに、車道を我が物顔に占拠していた。

 

「旧領土民はバーラトから出て行け!」

「帝国は祖国を返せ!」

「自由惑星同盟バンザイ!」

 

 男達の怒声が寂れきったハイネセンの街角に響く。彼らは惑星ハイネセンが属するバーラト星系を拠点とする極右組織「自由祖国戦線」のメンバーだった。自由祖国戦線は自由惑星同盟復活と反帝国を主張する過激派で、帝国官吏や大企業に対する暴力的な攻撃で知られていた。かつては自由と平等の総本山と謳われたハイネセンもいまやこのような集団の闊歩するところとなっている。

 

 銀河の半分を支配する自由惑星同盟の首都として繁栄したハイネセンは、宇宙暦八〇〇年にローエングラム朝銀河帝国が全宇宙を統一すると、銀河帝国打倒を目指す地球教や反帝国レジスタンスのテロが吹き荒れる危険地帯と化した。テロに対処すべき新領土総督府は、総督ロイエンタール元帥の反乱、皇帝ラインハルトの病死などが引き起こした政治的空白の影響で十分な対処ができなかった。その結果、ハイネセンにおける経済活動は著しく停滞した。

 

 とどめを刺したのは宇宙暦八〇一年六月に起きたいわゆるルビンスキーの火祭り事件である。フェザーン自治領の残党を率いて反帝国活動を行っていた元自治領主アドリアン・ルビンスキーが引き起こした同時多発爆弾テロは、ハイネセン市街地の三割を焼き尽くし、天文的な額の経済的損害をもたらした。

 

 七月に皇帝が逝去すると、ハイネセンの統治はバーラト自治区政府に委ねられることになる。旧自由惑星同盟軍のイゼルローン駐留軍を母体とする反帝国組織「イゼルローン共和政府」は、帝国と和議を結んで、ハイネセンを含むバーラト星系を自治区として民主政治を継続することを認められた。民主政治再興の希望に燃えて乗り込んだ彼らを待っていたのは、街並みも人心も荒廃しきった無残な惑星であった。

 

 ハイネセンに住まう十億の人口を支えていたのは、銀河を二分する大国の首都であるという政治的地位であった。全土から集められた膨大な物資を再分配することによって行政機構を維持する中央政府の存在がこの惑星の繁栄を保証していた。しかし、ハイネセンに物資を供給していた諸星系は今やローエングラム朝の支配下にある。

 

 バーラト自治区政府は発足当初から、廃墟と化した巨大都市、バーラト星系の経済力では養いきれない膨大な人口という二つの負債を抱えることとなった。政権運営に失敗すれば、「無能は罪悪」を国是とする帝国政府が自治権回収に乗り出すことは目に見えている。帝国政府は内政不干渉を口実にバーラト自治政府への財政支援も拒否した。帝国軍という難敵に対して一歩も引かなかった民主主義者達は、今度は経済という帝国軍以上に強大な敵との戦いを強いられる。ラインハルトが死に際に民主主義者に与えた試練は途方もなく巨大だったといえよう

 

 民主主義の理念は軍隊相手には強い力を発揮したが、財政難に対しては何の役にも立たなかった。ハイネセン市街の復興は遅々として進まず、膨大な消費人口は失業者の群れと化し、あらゆる公共サービスの質は同盟時代と比較にならないほどに低下した。周辺諸星系は貧しいバーラト星系よりも帝都フェザーンに物資を供給することを望み、物価は急速に跳ね上がった。

 

 帝国の新領土行政府の施策もハイネセンの経済的衰退に拍車をかけた。彼らは帝国の主権が及ばないバーラト自治区統治下のハイネセンを避けるように交通・流通網の再編を進めていき、旧同盟領ではハイネセン抜きの経済秩序が形成されていった。アレクサンデル・ジークフリード帝が行った新領土開発事業の対象からも「自治権を尊重する」という理由でバーラト自治区は外された。

 

 終わりのない不況の前に、ハイネセン住民が抱いていた民主主義再興の希望は失われていった。彼らの怒りは旧イゼルローン共和政府系軍人を中心とする自治政府与党「八月党」に集中し、バーラト自治区成立自体が間違いだったとする者、自治区廃止と帝国領編入を求める者が続出する。誰が政権を担当しても絶対に失敗する状況であることを考えると、八月党に対する非難はいささか過大であったかもしれないが、不況にあえぐ人々には関係ないことだった。

 

 皮肉なことに民主主義の復活は、ローエングラム朝内部の権力争いによって引き起こされた。建国に多大な貢献をしたにも関わらず、官僚によって政権から閉めだされた軍人が「官僚専制打倒」を唱えて議会創設を主張したのだ。

 

 軍の元老たる獅子泉の七元帥が第一線から退くと、不満を抑えきれなくなった軍人はまず武力による政権奪取を試みた。しかし、ヒルデガルド皇太后と帝国宰相エルスハイマーによって築かれた堅固な官僚機構は、四度にわたるクーデター計画をことごとく未然に阻止。権力への野心を抑えきれない軍人が次に目を付けたのは、バーラト自治区で施行されている議会制度だった。官僚に対抗しうる権力機構として議会を創設して、数千万の将兵とその家族の支持を背景に軍部の代弁者を議員として送り込めば、合法的に権力を獲得することができる。

 

 かくして、ラインハルトとともに民主国家を滅ぼした功臣の末裔は、全宇宙で最も熱心な民主主義者となって議会設立に動き始めた。民主主義の優位性を示したいバーラト自治区政府、官僚専制に不満を持つ帝国内部の諸勢力が軍人の議会創設運動に乗っかって、数年間の政治抗争を経て帝国議会が設立されるに至った。

 

 宇宙暦八三三年あるいは新帝国暦三五年、銀河帝国において初の帝国議会選挙が行われた。軍人を中心とした反官僚勢力「臣民党」と、官僚勢力が結成した官制与党「忠誠党」の対決は、予想通り臣民党が圧勝した。民主主義が勝利したかに思われたが、最大の担い手たる八月党は旧バーラト自治区の一二選挙区ですら三議席しか獲得できず、他の選挙区では全敗という結果に終わった。

 

 帝国議会が発足すると、バーラト自治区政府は「民主主義存続の戦いは成し遂げられた。これからは議会で戦うのだ」と宣言して自主解散し、バーラト星系は正式に帝国領に編入された。しかし、ハイネセンに繁栄が戻ることはなく、一辺境惑星に落ちぶれている。人口は往時の四割まで減少し、失業率も全国屈指の高さを誇る。

 

 自由惑星同盟時代の繁栄への郷愁、経済的窮乏への不満などがハイネセン住民の排他的な気質を育んだ。リベラリストの八月党が八三三年総選挙の大敗をきっかけに崩壊すると、旧同盟の極右政党でバーラト自治区時代には活動を禁じられていた統一正義党の流れを汲む勢力が急速に台頭した。旧同盟の名を借りて鬱憤を晴らしたいだけの新興極右勢力も乱立している。

 

 極右組織は独自の行動部隊を持ち、旧領土出身者や対立組織構成員に暴力をふるっていた。行動部隊の中には犯罪組織と結託してマフィア化するものも少なくなく、帝国の官憲も手をこまねいている。貧困と暴力に支配された犯罪都市。それが今のハイネセンだ。

 

 

 

 自由祖国戦線のデモ行列を横目に片手で杖をつき、もう片方の手で本を抱えて足を引きずりながら歩道を歩いていた老人がいる。小柄で痩せている上に背中も曲がっていて見るからに貧弱な容姿だが、この世の不幸を一身に背負ったかのような陰気な表情がさらにみすぼらしい印象を与えていた。片手に杖を持ち、もう片方の手で本を抱えている。

 

 老人が車道をチラッと見て小さくため息をつくと、行列の中から、行列の中から二人の男が飛び出して駆け寄ってきた。一人が飛び蹴りをして老人を転倒させると、もう一人が地面に押さえ込む。続いて七~八人が行列の中から出てきて老人を取り囲み、罵声を浴びせながら足蹴にして小突き回す。通行人は遠巻きに見ているだけで誰も助けようとしない。

 

 騒ぎを聞きつけてやってきた数人の警官が割って入ろうとすると、デモ隊は一斉に警官に飛びかかって乱闘が始まった。警官を数で圧倒して袋叩きにしていたデモ隊だったが、十五分ほど経って武装警察部隊がやってくると形勢は逆転する。デモ隊のメンバーは次々と警棒で殴り倒され、地面に倒れたところに手錠をかけられて拘束された。半分ほどが拘束されるとデモ隊は戦意を失って散り散りになり、後にはうつ伏せで倒れている血まみれの老人が残されていた。

 

 一人の警官が「大丈夫ですか?」と老人に声をかけるが返事はない。警官は顔色を変えて携帯端末を取り出して何やら話している。救急車を呼んでいるのだろうか。

 

 老人は激しい暴行を受けたものの辛うじて意識は失わずにいた。体中に走る激しい痛みに返事もできないだけだ。両目からは涙が流れている。

 

「なんでこんな目に…」

 

 こう思うのは生まれてから何度目だろう。今年で八〇歳になるこの老人、エリヤ・フィリップスの人生は不運の連続だった。自由惑星同盟が健在だった宇宙暦七六八年に生まれた彼は十八歳でハイスクールを卒業して二年間のアルバイト生活の後に徴兵された。エル・ファシル星系警備艦隊司令官アーサー・リンチ少将の旗艦グメイヤに配属されたのが転落の始まりだった。

 

 エル・ファシルに帝国軍が迫ってくると、恐怖に駆られたリンチ少将は民間人を保護するという任務を放棄して直属の部下を連れて逃走した。リンチ少将の旗艦の乗員だったエリヤもわけのわからないうちに共に逃走することになったが、帝国軍の警戒網に引っかかって捕虜になってしまう。捕虜収容所ではエリヤ達は看守からも他の捕虜からも「卑怯者」と蔑まれていじめ抜かれたが、いつか祖国に帰るという希望を支えに耐え抜き、九年目に捕虜交換でようやく帰国を果たした。しかし、本当の地獄はここから始まる。

 

 捕虜収容所から生還した者は普通なら勇者と賞賛されて一階級昇進と一時金を受け、他にも様々な恩典に浴することができるが、守るべき民間人を見捨てて逃亡した卑怯者はその例外だった。エリヤは犯罪歴と同等に扱われる不名誉除隊処分を受け、恩典にも浴することができなかった。

 

 ネットでエル・ファシルの逃亡者リスト」なる写真付きのリストが出回り、エリヤも吊るし上げの対象になった。外を歩くたびに通行人から罵声を浴びせられた。数少ない友人には絶縁を言い渡された。極右組織の構成員に街角で殴られて土下座させられた。リンチを受けて骨折したのに冷笑を浮かべた警官に「お前が悪い」と言われて被害届を受け付けてもらえないこともあった。家の壁には「卑怯者」「非国民」と落書きされた。近所の店はエリヤとその家族に物を売らなくなり、遠くの店でコソコソ買い物するしか無かった。家族には毎晩「なんで帰ってきたんだ。死ねばよかったのに」と罵られた。仕事を探しても、「エル・ファシルの逃亡者」と知れた途端に落とされた。

 七九九年の帝国軍侵攻に際して志願兵として軍に再入隊してようやく仕事にありついたが、そこでもさんざんいじめられて四か月で逃げ出した。

 

 仕事に就けず家にも帰れなくなったエリヤはすっかり身を持ち崩してしまい、置き引き、万引き、違法な商売の下働きなどで小銭を稼いでその日暮らしをするようになった。同盟が滅亡した頃にはエル・ファシルの逃亡者への差別はだいぶ薄れていたが、酒や麻薬にどっぷり漬かってしまっていたエリヤはまっとうな暮らしに戻ることはできず、つまらない犯罪で刑務所に出入りを繰り返した。やがて重度のアルコール中毒と麻薬中毒に苦しむようになり、何度か精神病院に入院した。自殺未遂も経験している。

 

 長く苦しい治療の果てにアルコール中毒と麻薬中毒を克服した頃には六〇歳を過ぎていて、エリヤに残されていたのは乱れた生活やリンチの後遺症でボロボロになった肉体と、知識や経験をまともに積み重ねてこなかった頭脳のみ。福祉施設に収容され、現在は十字教の救貧院で生活している。

 

一般的な収入がある人々から見れば救貧院の生活は貧しかったが、エリヤにとってはようやく得た安息だった。救貧院の老人達はいずれも苦労をしすぎて心を閉ざしてしまった人々であり、職員達は哀れみはあったものの一人の人間としての興味を入院者に抱くことはなかったから、他人と親しく接することはなかったが、人間と接することがもはや苦痛でしかなかった彼にとってはむしろ快適だった。

 

 刑務所で身につけた読書の習慣のおかげで、一人でも充実した時を過ごすことができる。最近はローエングラム朝の建国者である獅子帝ラインハルトや自由惑星同盟末期の英雄ヤン・ウェンリー元帥といった同時代の英雄の活躍を記した本がお気に入りだった。それでも、外に出て本の外の世界に触れると惨めな自分を思い知らされる。

 

「エル・ファシルで逃げなければ良かった」

「いっそ死ねば良かった」

 

 エル・ファシルで逃げて汚名を負ってから不遇の六〇年を生きたエリヤ老人は泣き続ける。涙のせいか、傷の痛みのせいか。次第に目の前がぼんやりとしていく。


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