銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第四十二話:ルールの中で戦うということ 794年7月9日 ハイネセン市、憲兵司令部

 ヴァンフリート星系での戦闘終結後に拘束された将官七人の供述と帝国側から提供された資料によって、同盟軍内部に根を張っていたサイオキシン麻薬組織の構造が明らかになりつつあった。

 

 組織が結成されたのは三〇年ほど前。捕獲した帝国軍艦に積まれていたサイオキシンの中毒性に目を付けた同盟軍人Aが捕虜を逃がして、帝国側組織と連絡を持ったのが始まりだったという。強度の緊張状態に晒されている前線の軍人は常に強い快楽を求めている。麻薬は酒・賭博・セックスなどと並ぶ友だ。Aによって構築されたイゼルローン回廊経由のIルートから流れてきたサイオキシンが同盟軍内部に蔓延するまで、さほど長い時間はかからなかった。Aは僚友や部下を仲間に引き入れて組織を拡大していき、同盟軍内部のサイオキシン中毒患者は飛躍的に増大していく。

 

 事態を憂慮した憲兵隊は何度も摘発を試みたが、Aの組織は売人や下級幹部の間の横の連絡を絶って直属の上司以外と接することがないように系列化されており、逮捕者から有力な情報を引き出すことはできなかった。有力な情報を持っていると目された逮捕者がことごとく獄中で不自然な病死や自殺を遂げたのも組織の全容解明を妨げていたが、これは組織の手によるものであったことが判明している。

 

 Aとその部下達は表の世界でも着実に階級を上げて軍の要職に就き、正規の命令系統を悪用して軍隊を麻薬取引のために動かせるような権力を得た。表と裏の両方から軍隊に隠然たる影響力を行使する一大マフィアの誕生である。

 

 統合作戦本部首席監察官や国防委員会情報部長を歴任して大将まで昇進したAが一〇年前に退役すると、帝国側資料で「グロース・ママ」と呼ばれる幹部が新たな最高指導者に就任する。後方支援部門のエリートだったグロース・ママは立場を利用して軍の輸送組織を手中に収めて、従来はメンバーの手によって行われていたサイオキシンの輸送体制を改革した。軍の輸送艦は補給物資に紛れ込んだサイオキシンのコンテナをそれと知らずに輸送させられ、組織のメンバーは同盟領内のどこにいても商品を受け取ることができるようになった。グロース・ママが最高指導者に就任した時期と、同盟軍内部のサイオキシン中毒患者数が急増した時期はちょうど重なっている。

 

「しかし、あのラッカム少将が麻薬組織のボスだったなんて想像もつきませんでした」

 

 グロース・ママこと中央支援集団参謀長エイプリル・ラッカム少将の小太りで主婦みたいな容貌を頭の中で思い浮かべた。彼女と一緒にいた時間はそれほど長くないが、ユーモアに富んだ親しみやすい人柄には好感を持っていた。落ち着きを失っていたセレブレッゼ中将を諌めたのも見ている。あんな人格者が麻薬組織のボスだなんて、誰が想像できるだろうか。

 

「貴官の目でも悪党に見えるような人物なら、ボスにもなれなかっただろうな」

 

 ドーソン中将の口調に嫌味がまじる。彼は他人の間違いに気づいたら、嫌味たっぷりに指摘してくる。悪気があるわけでもないし、指摘自体は間違ってないから俺はあまり気にしないけど、腹を立てる人も多い。それはともかく、長年にわたって摘発の手を逃れてきた大犯罪者が俺にもわかるような尻尾を出しているわけもないという指摘は正しい。

 

「閣下のおっしゃるとおりです」

「ラッカムとその片腕のメレミャーニンは戦闘に乗じて行方をくらましたというわけだ。奴らは本当に悪運が強い。常識外の奇襲が無かったら、貴官に拘束されていたのだからな」

「残念です」

 

 同盟軍の勢力圏のど真ん中にあるヴァンフリート四=二宙域は安全地域とみなされていた。だから、大きな後方基地が置かれていたのだ。そんな場所に敵が一個艦隊もの大兵力を送り込んで来ることなど、誰も想像していなかった。軍事の専門家であればあるほど、あの戦闘が起きた理由が理解できないはずだ。

 

 俺が前の人生で読んだ戦記によると、ヴァンフリート星系の戦いの帝国側総司令官のミュッケンベルガー元帥は正統派の用兵家で奇策は使わないと評価されていた。ラッカム少将もクリスチアン大佐の言う偶然を味方につける能力の持ち主だったのだろうか。

 

「せめて、総司令部からの連絡がもう少し早ければ撤収できたものを。聞けば、二日前から敵の移動を察知していたのに警告すら出さなかったそうではないか。通信波で所在がばれる危険があるなどと言い訳しておるらしいが、怠慢としか言いようが無い。ロボス元帥は部下を甘やかし過ぎと言われているが、ここまで酷いとは思わなかった。小官が司令官なら、このような怠け者は司令部から叩き出しておるところだ」

 

 苦々しげにドーソン中将は吐き捨てた。敵の進駐を知らされた二日前から総司令部との連絡が途絶していたけど、こういう事情があったのか。

 

 常識外の敵の用兵に味方の怠慢。状況がすべてラッカム少将に味方していた。今になって思えば、司令部ビルにおける拙劣な迎撃指揮も状況を最大限に利用して、逃げ延びようとしたラッカム少将の策だったのかもしれない。俺が読んだ戦記や人物伝には彼女の名前はまったく出てこなかった。英雄名将がひしめくあの時代にあって、後方支援部隊の参謀長程度では名前を残せるはずもないから、それは当然のことだ。司令官のセレブレッゼ中将だって、ラインハルト・フォン・ローエングラムやアレックス・キャゼルヌの伝記の片隅に名前が出るだけなのだから。ラッカム少将のような歴史に名を残していない怪物がまだまだ宇宙に潜んでいるのかもしれないと思うと恐ろしくなる。

 

「セレブレッゼもセレブレッゼだ。腹心中の腹心が麻薬の売人に成り下がっていたことに気づかなかったとは。三〇年以上の付き合いなのに何を見ておったのか」

「セレブレッゼ中将は組織とは関係なかったんですか?」

「拘束された中央支援集団の将官五人はいずれも組織と関係ないことが判明した。戦死したリンドストレーム技術大将も無関係だ」

 

 組織と関係があったのは行方をくらましたラッカム少将とメレミャーニン准将だけだったということか。いろいろ良くしてくれたセレブレッゼ中将や戦死して二階級特進したリンドストレーム技術大将が無関係だったのには安心したけど、巨悪を取り逃がしてしまったことは悔やまれる。

 

「他の司令部メンバーの関与は?」

 

 佐官級の人物が麻薬組織に関与している可能性もささやかれていたはずだ。だから、俺は司令部メンバー全員拘束という命令を受けていた。知っている人間、たとえば入院したおかげで拘束を免れたブレツェリ少佐あたりが関わっていたらと思うと不安になる。

 

「佐官級、尉官級の関与者の名前が記されているリストだ。目を通したまえ」

 

 部隊や基地ごとに分けられた関与者リストには、百人近い佐官や尉官の名前が記されている。これだけの士官が麻薬組織に関与していたなんて恐ろしい話だ。中央支援集団司令部の項目を見ると、十数人の名前が載っている。俺と仲が良い人は一人もいない。全員が戦闘中に行方不明になっていた。結局、中央支援集団司令部に潜んでいた麻薬組織のメンバーは一人も拘束されなかったことになる。

 

「さすがにこれはがっくりきますね。何のために四=二基地にいたのか」

「貴官の無念はわかる。だが、ここまでわかっているのに捜査を打ち切らざるを得ない我々も無念なのだ」

 

 ドーソン中将は説明を続ける。捜査が進むにつれて、Aとラッカム少将が築き上げた組織の規模が当初の予想を遥かに上回るものであることがわかってきた。拘束者リストから漏れていた多数の将官が捜査線上に浮上し、軍中枢の高官の名前もあがっていた。組織の幹部の中には軍を退いた後に政治家に転身した者もいて、疑惑は政界まで波及しつつあった。

 

 同盟軍が消えてなくなりかねないほどの巨大疑獄に恐れをなした最高評議会は、国防委員会の反対を押し切って捜査打ち切りを決定。同盟・帝国の二国の憲兵隊による秘密合同捜査は表に出ることなく終結した。麻薬組織の幹部達への告発は行われず、全員が依願退職することとなった。彼らが拠点としていた部隊や基地は改編の名目で人員を総入れ替えされる予定だ。

 

 三〇年かけて同盟軍内部に張り巡らされた麻薬密売のネットワークは解体されたが、誰一人として公的な処罰は受けていない。軍人としてのキャリアを失ったものの、依願退職扱いで階級と勤続年数に応じた退職金と年金を与えられ、民間への再就職斡旋を受けることもできる。既に退役している者は何のペナルティもなく、民間での地位を保っていた。あまりに理不尽な結末に涙が滲んでくる。

 

「サイオキシン中毒になった兵士達は未来を失ってしまいました。それなのに組織の幹部は罪を問われること無く、兵士を食い物にして得たお金を持って第二の人生を謳歌しています。そんなことが許されていいのでしょうか?」

「許されていいはずがない。だが、我々は軍人だ。政府の決定には従わなければならない」

 

 民主国家ではシビリアンコントロールが鉄則だ。軍人は国民の代表たる政府に助言を行うことはできるが、それ以上の介入は許されていない。内心がどうであろうと、政府の決定に公然と異議を差し挟むことは許されない。軍隊はあくまで民主政治を守るための道具であって、自らの意思で行動してはならないのだ。政府の決定に軍隊が異議を唱えて独自の動きを始めたら、国家が軍隊に乗っ取られてしまう。それはわかっているけど、明らかに政府が間違っている時でも従わなければならないのだろうか?

 

 前の人生の俺は市民を守るという軍人のルールを踏み外したことですべてを失った。今の人生の俺はルールの原理原則を貫くことで信用を得た。ルールを守ることで自分が守られるということを何よりも痛感している俺にとって、ルールを踏み外す政府は自分を守らない存在だ。そして、ルールの枠組みの中で生きることによって守られる人間すべてを守らない存在だ。そのような政府にも軍人は従うべきなのだろうか?軍人は市民を守るべき存在ではないのか?

 

「政府が間違っていても、従わなければいけないんですか?」

「間違っているかどうかを決めるのは政府だ」

「政府だってルールに従わなければいけないでしょう?政府がルールを破ったら、どうすればいいのでしょう?」

「政府に従うというのが我々の守るべき至上のルールだ。それ以上は考える必要はない」

「しかし…」

「くどいぞ!」

 

 必死に食い下がる俺に耐え切れなくなったのか、ドーソン中将は怒りを爆発させた。

 

「フィリップス少佐、我々の仕事は政府の決定の範囲内でルールを守ることだ。ルールの解釈は政府が行う。我々に許されているのは、軍人としての立場からの助言と、有権者としての投票権を行使することまでだ」

 

 ドーソン中将は早口で彼らしい原則論を展開する。しかし、原則を踏みにじる相手にもそれが通用するのだろうか。

 

「貴官の信念を通したいのなら、政府に助言できるような立場になることを目指すべきではないか。実績を上げて、階級を上げて、政治家と親しくなって、政府の信頼を獲得するよう努力すべきではないか。違うか?」

「ルールの範囲内で戦うべきということですか?」

「そうだ。だから、小官はトリューニヒト幹事長と親しくしている。今回の秘密合同捜査もあの方の尽力のおかげで実現したのだ」

 

 そういえば、ドーソン中将に秘密捜査開始を伝えるメモを渡したのはトリューニヒトだった。憲兵司令部は国防委員会の指示で動いていたが、国防副委員長のネグロポンティはトリューニヒトの腹心だ。今回の捜査打ち切りは国防委員会が最高評議会決定に屈した形になっているが、その実はトリューニヒトが最高評議会に敗北したということなのか。

 

「小官とあの方は信念を同じくしている。だからこそ、小官は期待した。今回は力が及ばなかったが、これで終わりではない。いずれ、あの方はもっと強くなる。その時こそ、正義が実現する」

 

 トリューニヒトといえば、後世の評価では信念を持たない機会主義者、美辞麗句を弄ぶ煽動家と言われている。しかし、この目で見たトリューニヒトはそのようなイメージとは全然違っていた。

 人物伝や戦記が伝える評価が一面的なものでしか無いことは、今の人生で何度と無く経験している。切り取られた範囲においては正しいが、切り捨てられたものもだいぶ多い。トリューニヒトを機会主義者、煽動家と断じる後世の歴史は何を切り捨てたのだろうか。彼とドーソン中将が共有する信念、実現しようと考える正義とはどのようなものなのだろうか。

 

「トリューニヒト幹事長の信念とはいかなるものなのでしょうか?」

「貴官と同じだ。貴官ならあの方がなさろうとしていることを理解できるはずだ」

 

 俺の信念と同じ?俺には好き嫌いはあっても、信念と言えるほどのものはないぞ?トリューニヒト幹事長やドーソン中将ほどの人なら、もっと立派な信念があるんじゃないか?

 

「捜査の話はここまでだ。今からフェザーンでの任務について話そう」

 

 ドーソン中将は俺の思考を断ち切るかのように言葉を続けた。

 

「任務内容はある人物との面会。滞在期間は三日」

「どのような人物なのですか?」

「帝国が派遣した使者だ。その人物との面会をもって、捜査は完全な幕引きとなる」

「小官が同盟を代表して、帝国の使者と面会するということになるのでしょうか?」

「そうだ」

「帝国を代表しているからには相当な大物でしょう。小官の格では釣り合わないのではないでしょうか?」

「先方が貴官を使者として派遣するように要請してきたのだ」

「あちらが!?」

 

 俺を帝国の大物が指名してきただって?同盟では帝国の提督の名前ですら元帥や上級大将クラスを除けばほとんど知られていないし、帝国でも同盟の中将以下の提督はほとんど知られていないはずだ。一介の少佐を帝国が認知しているなんて思えない。一体どういうことなのだろうか。

 

「先方の事情はわからないが、貴官が来ることに意味があるらしい。交渉ではなくて面会と言っているから、とにかく貴官に会いたいのだろう」

「どうして小官なのでしょうか」

「わからん。交渉にあたっているトリューニヒト幹事長からは、先方が貴官との面会を希望しているとしか聞いていない」

「了解しました」

 

 ドーソン中将は俺の返事に満足そうにうなずくと、デスクの中から紙袋を取り出した。

 

「今回の任務にあたってはこれを使用してもらう。開けたまえ」

 

 紙袋を受け取って中を開けてみると、身分証とクレジットカード、衣服、帽子が入っていた。身分証の名義はイアン・ホールデン。生年月日も住所もでたらめだ。衣服も帽子も普段の俺なら着用しないようなデザイン。

 

「これはいったい?」

「非公式の使者なのでな。偽名を使ってくれ。貴官は顔が知れてるから、多少変装してもらわねばならん。後の手はずは退室後にハラボフ大尉に聞くように」

「はい」

 

 帝国の使者との面会だなんて、途方も無い大任だ。ヴァンフリート四=二での中央支援集団司令部メンバー拘束とは比較にならない。しかも、先方からの指名という。途方も無い大任に心臓が激しく鼓動し、お腹が痛くなり、冷や汗が背中を伝っているが、深呼吸をして必死で心を落ち着ける。緊張している場合ではない。今度こそは成功させて、期待に応えなければならない。


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