銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第四十四話:国境を越えて託された思い 宇宙暦794年7月29日 フェザーン市、「コーフェ・ヴァストーク」マラヤネフカトゥルム店

 帝国側の使者、ループレヒト・レーヴェから送られてきたメールで待ち合わせ場所に指定されていたのは、「コーフェ・ヴァストーク」マラヤネフカトゥルム店。

 

「コーフェ・ヴァストーク」は帝国、同盟、フェザーンの三か国に展開するフェザーン資本のコーヒーチェーン。マラヤネフカトゥルムはフェザーン最大のオフィス街ジファーラ地区の外れにある超高層ビル。見るからにビジネスマンが多そうな場所にこんなふわふわした格好で行ったら浮いてしまうんじゃないかと不安だったが、いざビルに来てみるとそうでもなかった。

 

 有名企業がたくさん入居しているはずなのに服装がきっちりしている人はあまりいない。ネクタイをしている人は半分もおらず、明らかに私服としか思えないような格好の人も多い。Tシャツにハーフパンツ、素足でサンダルなんて人までいる。ハイネセンのオフィスビルではネクタイを締めてる人の方が多く、まして私服同然の格好の人なんてまず見かけない。あらためて、フェザーン人の服装に関する自由な考え方に驚かされる。

 

 一階にあるコーフェ・ヴァストークの店内に足を踏み入れ、カウンターの若い男性店員に帝国語で声をかける。フェザーン自治領は名目上は帝国の主権下にあるので、公用語も帝国語なのだ。同盟公用語を話せないフェザーン人なんているはずもないが、やはり帝国語の方が無難だろう。

 

「ループレヒト・レーヴェさんはどちらの席においででしょうか?」

「イアン・ホールデン様でございますね。ただ今ご案内いたします」

 

 店員は俺の格好に驚く様子を一かけらも見せずに丁寧に応じると、伝票を持ちながら歩き出した。ちらっと店内を見ると、ラフな格好の客が多い。きっちりした格好の方が浮いていたに違いない。席と席の間の通路は広めで何かあっても動きが取りやすい。場所選び一つをとっても、ループレヒト・レーヴェは用意周到な人らしい。

 

「こちらでございます」

 

 店員は店の奥まで歩いて行くと、角の席を指し示す。そこに座っていたのは三〇歳前後と思われる黒い髪の男性。俺に気づいて席から立ち上がろうとしていた。精力的な面構えに広い肩幅。白いワイシャツの上にダークグレーのジャケットを着ているが、ネクタイは付けていない。俺が言うのもなんだけど、あまり軍人っぽく見えない。内務省の警察官僚、あるいは司法省の検察官あたりだろうか。

 

「イアン・ホールデンさんですね。はじめまして、ループレヒト・レーヴェです」

「はじめまして」

 

 俺が帝国語で挨拶すると、ループレヒト・レーヴェは笑顔を浮かべて手を差し出してきた。俺も手を差し出してしっかりと握手をする。レーヴェの手は大きいけれどそんなに厚みはなくて柔らかい。軍人らしくないという第一印象を裏切らない手だ。

 

「それにしても、意外とかわ…、いやお若いですな」

 

 意外そうな表情をレーヴェは浮かべる。予想はしていたけど、実際に言われてみるとちょっと傷ついてしまう。レーヴェが悪いわけではない。ガキっぽい俺の顔とこんな服装を選んだハラボフ大尉が悪い。動揺を見せないように笑顔を作る。

 

「良く言われます」

「仲介者から憲兵司令官の側近中の側近と聞いておりましたので、もっと年配の方かと。失礼いたしました」

「あなた方の側から僕を直接指名いただいたそうですが、名前以外の情報は伝わっていなかったのでしょうか?」

 

 同盟全軍で数十万人もいる少佐の一人にすぎない俺を名指ししてくるぐらいだから、帝国側はかなり俺のことを深く調べているものとばかり思っていた。しかし、憲兵隊における立場ですら交渉を仲介した人間に教えられたみたいだ。名前程度しか知らないなら、なぜ俺を指名したのだろうか。

 

「我々はあなたの本名も存じておりません。ヴァンフリート四=二基地の麻薬組織メンバーの逮捕権を持っていた人物と会いたいという要望を伝えました」

「そういうことでしたか」

「あれほどの大任を任される人物であれば、かなりの重鎮であろうと予想しておりました。交渉にあたっていた貴国の政治家が将来の我が軍を背負って立つエリートだと言っていたと仲介者から聞いていたこともあって、知らず知らずのうちに先入観を抱いてしまっていたようです。先入観は軍人が最も忌避すべきものですが、なかなか逃れることができません。お恥ずかしい限りです」

 

 非を認めるレーヴェの率直さに好ましいものを感じた。有能であればあるほど、プライドが邪魔をして自分の非を認めることができないものだ。彼のようないかにもやり手と言った雰囲気の人物にしては珍しい率直さと言える。良くできた人だと思った。

 

「いえ、こちらもあなたが警察官僚か検察官だとばかり思っていました。先入観というのは怖いですね。四=二基地でも先入観に惑わされて、組織の最高指導者を取り逃がしてしまいました。真実を見抜く目がないことをこれほど悔やんだことはありません」

「官僚に見えると言われることはあまり無いので新鮮です。弁護士に見えるとは良く言われますが」

 

 爽やかに笑ってみせるレーヴェの顔を見て、自分が彼を警察官僚や検察官と勘違いした理由がわかった。率直に非を認めたことからも伺えるように、何よりも公正さを重んじて生きているように見えるのだ。他人の命を預かる軍人は自分の判断に自信を持たなければ務まらないから、しぜんとプライドも高くなる。プライドを保とうとして、公正さを欠いてしまう者も少なくない。プライドより公正さを優先できるレーヴェが弁護士に見えるのも無理は無い。

 

「僕は若く見えると言うより、幼く見えると良く言われます。内面の未熟さが外見に反映されているのかもしれません」

「グロース・ママを取り逃がしたのはあなたの責任ではありません。本日はそのことを伝えに参りました」

 

 レーヴェの表情から笑みが消えて、眼光が鋭くなる。電光に打たれたかのような緊張が体に走る。

 

「僕の責任ではないと言うのは、どういうことでしょうか?」

「捜査情報が漏れていたのです。我が国の憲兵隊の中に組織に内通していた者がおりました」

 

 グロース・ママとはサイオキシン密輸Iルートの同盟側組織のトップだったエイプリル・ラッカム少将のこと。彼女は俺が中央支援集団司令部の拘束命令を受けていたことを知っていたのかな。いや、漏れたのは帝国側の捜査情報だから、捜査の手が中央支援集団司令部に伸びている程度の情報しか持っていなかった可能性のほうが高いか。帝国軍の憲兵隊と合同捜査をしていたけど、捜査情報を完全に共有していたわけではない。容疑者を拘束する手段みたいな技術レベルの情報は共有する必要もない。

 

「だから、ヴァンフリート四=二に帝国軍が進駐してきたのを奇貨として逃亡を図ったんですね。恥を晒すようですが、我が軍の勢力圏のど真ん中にあるあの基地で戦闘が起きるとは夢にも思っていませんでした。油断としか言いようがありませんね。僕は想定外の戦闘に慌てふためいていたのに、ラッカムは逃亡に利用することをとっさに思いついていました。認めたくはありませんが、自分の器量はラッカムに遥かに及びませんでした」

「あの場所で戦闘が起きるなんて、誰も思っていなかったでしょう。起きるように仕組んだ者以外は」

 

 起きるように仕組んだ?ヴァンフリート四=二基地攻防戦は偶然起きた戦闘ではなくて、起きるべくして起きた戦闘だということなのか。しかし、誰が何のために。

 

「どういうことでしょうか」

「敵の勢力圏のど真ん中に一個艦隊を配置するなど、用兵の常識では有り得ません。全滅してくださいと言っているようなものですから。そして、一個艦隊もの大戦力が自軍の勢力圏を長駆するのを見過ごすのもやはり有り得ません。有り得ないことを起こしたのは、グロース・ママとその手先です」

「しかし、一個艦隊を動かすとなると、総司令官の判断になるんじゃないですか?今回の事件を担当して大抵のことには驚かなくなりましたが、宇宙艦隊司令長官が敵国の麻薬組織のボスに便宜を図るなんてさすがに有り得ないでしょう?」

「我が軍の宇宙艦隊総司令部の幕僚に、ヴァンフリート四=二に艦隊を配置するよう総司令官を誘導した者がいました。ヴァンフリート四=二が敵の勢力圏外であるかのように偽装する工作が行われた形跡もあります。総司令官は幕僚の意見をあまりお疑いにならない方です。誘導に乗って四=二宙域に艦隊を移動させました」

 

 ミュッケンベルガーの用兵のミステリーの謎が思わぬところで解けた。ヴァンフリート四=二の戦闘は彼の気まぐれな用兵で起きた遭遇戦じゃなくて、幕僚の誰かが意図的に起こしたものだったのだ。だから、前の人生でも今の人生でも発生した。しかし、それでは説明がつかないこともある。

 

 同盟軍総司令部が敵艦隊の移動を察知した時点で四=二基地に連絡を入れていたら、戦闘が起きる前に中央支援集団は安全な場所まで撤収していただろう。同盟軍の誰かが自軍の勢力圏内を横断する敵艦隊を見つけていたら、喜んで攻撃を仕掛けていたはずだ。総司令部の怠慢や通信の混乱が起きなかったら、四=二基地の戦いも起きなかった。

 

「総司令部の怠慢で四=二基地への連絡が遅れなかったら、あるいは通信が混乱して我が軍が円滑に動けない状況に陥っていなかったら、誘導者が意図した四=二基地攻撃は空振りに終わったはずです。あまりに偶然に頼りすぎた策ではないでしょうか?」

「これは憶測ですが、そちらの総司令部にグロース・ママの手先がいたのではないでしょうか。通信が混乱して同盟軍が動けないことを帝国側の組織に伝えた者、四=二基地への連絡を握り潰した者が。それが誰であるかは我々には知る由もありませんが、帝国側組織の者が数回にわたってそちらの組織に連絡を入れた形跡はあります」

 

 同盟軍の宇宙艦隊総司令部の幕僚の中に麻薬組織のメンバーがいたことは今回の捜査でわかっていた。取り調べでは組織の実態解明を目的としていたし、ヴァンフリート四=二基地の戦闘がラッカムを逃がすための策略だと想像していた者もいなかった。麻薬組織のメンバーがヴァンフリート星系の戦いでどんな動きをしたのかを検証は行われていなかった。偶然と思っていたことが全部仕組まれたことだったら、前と今の人生の四=二基地の戦いが同じ展開になるのはむしろ当然だろう。

 

 前の人生でも同盟と帝国の憲兵隊が合同で麻薬組織を取り締まろうとしていて、内通者からの情報でそれを知ったラッカムが帝国側組織と図ってグリンメルスハウゼン艦隊を四=二基地に差し向けて逃亡した。そう考えると、やるせない気持ちになる。

 

「四=二基地の戦闘では部下が大勢死にました。僕を逃がすために死んだ者もいます。偶然起きた戦闘での死なら諦めもつきます。しかし、仕組まれた戦闘で死んだのなら…」

 

 わずかな憲兵とともに押し寄せてくる敵を迎え撃って俺を逃がしてくれたファヒーム少佐、俺の突撃に巻き込まれて倒れたデュポン大尉らの最期が脳裏に浮かぶ。

 

 怒りとも悲しみともつかない感情で胸が詰まり、涙が滲んできた。こんなくだらない策略のために彼らは死んだのか。いや、彼らだけではない。四=二基地の戦闘では三万人の戦死者が出た。生き延びたものの怪我の後遺症で体が不自由になった者もいる。俺だって死にかけたし、後遺症が残ってもおかしくなかった。兵士達をサイオキシン中毒者にして荒稼ぎして、捜査の手が伸びてきたら敵に味方を攻撃させて屍の山に紛れて逃亡する。どこまで自分勝手な連中なのだろう。

 

「あなたの無念はお察しします。私を派遣なさった方がヴァンフリート四=二基地の麻薬組織メンバーの拘束命令を受けたあなたを指名したのもそういう理由です」

「レーヴェさんを派遣された方というのはどういう方なのでしょうか?」

「ヴァンフリート四=二に進駐した艦隊を指揮なさっていた方です」

 

 前の人生では皇帝フリードリヒ四世の腹心だったグリンメルスハウゼン子爵がヴァンフリート四=二に進駐した帝国軍艦隊の司令官だったはずだ。前の人生と今の人生のヴァンフリート四=二の展開は全く同じだった。地上部隊の指揮官も同じリューネブルク准将とラインハルト・フォン・ミューゼル准将だった。そう考えると、レーヴェを派遣したのはグリンメルスハウゼン子爵なのだろうか。確証がないのに断定する訳にはいかないが。

 

「その方はなぜ僕を指名されたのでしょう?」

「結着を付けさせるためと言っておりました。私とあなたの両方に」

「レーヴェさんにも?」

「私はヴァンフリート四=二に進駐した艦隊に潜んでいる麻薬組織メンバーの拘束命令を受けていました。今の主の知遇を頂いたのもその時でした」

 

 レーヴェが使者となった理由がようやく分かった。薄々感じてはいたけど、彼は憲兵隊で捜査に関わった人間だった。しかし、わからないことがある。

 

「憲兵のあなたがなぜ艦隊司令官の指示で動いていらっしゃるのでしょうか?そして、なぜ私にこの話を聞かせようとなさるのでしょうか?あなたが捜査情報をご存知なのはわかります。しかし、憲兵隊の上司に無断で他人に伝えて良いものなのでしょうか?」

「憲兵隊は捜査を打ち切りました。ヴァンフリート星系の戦いが終わった直後のことです。捜査記録は破棄されて、捜査自体が無かったことにされました。拘束された者も全員即時釈放されています。捕虜になったグロース・ママとその配下は移送中に事故で全員死亡」

 

 あまりにも酷い結果に頭がクラクラしてしまう。捜査記録を破棄して、容疑者を全員釈放して無かったことにするって同盟よりずっとひどいんじゃなかろうか。この調子なら、捕虜になったラッカム達も事故を装って自由の身になったのだろう。同盟は捜査を打ち切ったけど、麻薬組織のメンバーを軍から追放している。拠点になっていた部隊も徹底的に再編されたから、組織が再起できる見込みはない。それに引き換え、帝国の憲兵隊は何をしているのだろうか。どんな事情があるにせよ、これだけは納得できない。

 

「差し支えなかったら、打ち切られた理由をお聞かせいただけませんでしょうか。ちょっと納得がいかないのです」

「捜査を指揮しておられた憲兵総監は急病を理由に辞職して、翌日にお亡くなりになりました。後任の総監はすぐに捜査打ち切りを決定しています。どうやら、虎の尾を踏んでしまったようです」

 

 帝国の憲兵総監を務めるのは上級大将か大将。序列も結構高かったはずだ。そんな大物がいきなり辞職して次の日に死亡、後任が捜査打ち切りを決定って怪しんでくださいと言わんばかりに怪しい。

 

「一体、何が起きているのですか…?」

「組織の背後にいる政府高官の摘発。それが憲兵隊の最終目標でした。最有力の門閥貴族で現職閣僚でもあるその人物は何度も大きな疑獄事件に関係しましたが、そのたびに追及の手を逃れています。今回もまんまと逃げられてしまいました」

 

 同盟政府は社会的な悪影響を恐れて、捜査を打ち切った。しかし、帝国では一人の高官が自分のエゴのために事件を憲兵総監ごと闇に葬ってしまったのだ。どちらも理不尽だとはいえ、レーヴェの感じている怒りが俺より大きいことは想像に難くない。それなのに言葉が激しくなることもなく、淡々と言葉を続けている。驚くほどの自制心に尊敬の念すら感じた。

 

「憲兵総監はお亡くなりになる直前に、今の私の主に捜査記録のコピーを託されました。真相を知ったのも捜査記録を見せていただいたおかげです。あの方がおられなかったら、何も知らないまま辺境に飛ばされるところでした」

「ということは、レーヴェさんのご主君は力のあるお方なのですか?組織の背後にいる高官からあなたを守れるぐらいの力が」

「皇帝陛下より厚い信任をいただいているお方です」

 

 破棄されそうな捜査記録を保管し、レーヴェや俺に事件の真相を教えようとした善意の持ち主。憲兵総監を死に追いやることができるような権力者でも手を出せないほどの皇帝の信任が厚い人物。一体何者なんだろうか。

 

「立派な方なのですね」

「世の中にはびこる不正とそれを正す力がない自分に憤りながら、真実を残そうと尽力されてきた方です。不正を正す力を持つ者が現れる日のために」

 

 前の人生で読んだ歴史の本によると、ゴールデンバウム朝の門閥貴族の腐敗ぶりは酷いものだったという。無能なのに政府や軍部の高官の地位を占めて、民衆から搾り取った富で放蕩の限りを尽くし、宮廷の中で陰湿な謀略を巡らしていたという。そんな人々の中にあって、レーヴェの主は自分の限界を知りながらも絶望することなく、未来を信じて戦い続けた。後に続く者の捨て石となるために。なんと気高い精神の持ち主なのだろうか。名前を知りたいと思ったけど、好奇心で聞いてはいけないような気がした。

 

「四=二基地の戦闘で多くの人が死んだのに、捜査は打ち切られてラッカムも逃げ延びてしまいました。正義はどこにあるのか、わからなくなってしまいます。しかし、レーヴェさんの主のお話を聞いて、世の中も捨てたものではないと思いました。主のもとに戻られましたら、よろしくお伝えいただけると幸いです」

「承知しました」

 

 レーヴェは頷くと、上着のポケットの中から小さな紙の包みを取り出して俺に差し出した。

 

「これは何ですか?」

「憲兵隊の捜査記録データが入っている補助記録メモリです。そちらの憲兵隊に役立てていただきたいと主は申しておりました」

「わかりました。あなたのご主君の志、決して無にはいたしません」

「主は憲兵総監閣下から託された捜査記録を読み、ご自分が麻薬組織の策略に利用されたことに落胆して病にかかってしまいました。もって年内いっぱいでしょう。あなた方に主が託したのはデータだけではありません。志も託されたと、そうお考えください」

 

 未来のために戦い続けて、報われる日を見ることなく世を去ろうとしている人物から、最後の志を託されたことに心が震えるような思いがした。顔も名前も知らない人だけど、その熱い心は十分に伝わった。涙を抑え切れなくなるほどに。

 

「はい」

 

 手で涙を拭いながらレーヴェに返事をする。ずっと穏やかな表情を保ったままの彼の前で泣くなんてみっともないけど、格好つけられるほど強くもない。格好悪くても、そこから始めるしかない。自分の無力を自覚しながらも戦い続けたレーヴェの主のように。

 

「私はオーディンに戻って、主が亡くなるまで精一杯お仕えするつもりです。亡くなられた後は辺境に行くことになるでしょう。一度虎の尾を踏んでしまった者が中央に戻れる見込みはありません。ですから、私の志もあなた方に託しましょう。国は違えど、不正を正そうという気持ちは変わらないはずです」

 

 同盟軍の辺境星系の基地は能力も意欲も低い人物や上層部から忌避された人物の吹き溜まりとなっている。帝国軍でも事情はそれほど変わらないはずだ。獅子泉の七元帥の一人で憲兵総監や内務尚書を歴任したウルリッヒ・ケスラー元帥のような名将ですら、ラインハルトの元帥府に招かれるという幸運がなければ辺境勤務で一生を終えるところだった。公正で誠実で剛毅なレーヴェがケスラー元帥のような幸運に恵まれてほしいと願う。

 

 ケスラー元帥は軍人というより弁護士に見えたそうだが、レーヴェもそんな感じだ。ケスラー元帥もレーヴェも憲兵だったし、年齢も近そうだ。性格も似ている。ケスラー元帥は前の人生でヴァンフリート四=二に進駐したグリンメウスハウゼン子爵に仕えていた時期がある。じつに共通点が多い。違うところといえば、髪の色ぐらいだけど。

 

 そういえば、俺は髪を染めている。レーヴェが髪を染めていないという保証もない。瞳の色だって、俺と同じようにカラーコンタクトをはめていてもおかしくはない。組織の背後にいる高官の手先に狙われているだろうから、変装をする必然性は俺より高いはずだ。ケスラー元帥はあまりメディアに出なかったから、容貌に関しては特徴的な髪の毛の色以外の印象があまりない。ループレヒト・レーヴェという名前も間違いなく偽名だろうし。

 

 もしかして…、と思ったけど確証はない。彼が何者であろうと、立派な人物であるのは間違いない。彼とその主を決して忘れたくない、託されたものをしっかり受け継ぎたいと思った。


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