銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第四十五話:ヨブ・トリューニヒトの目指すもの 宇宙暦794年8月初旬 ハイネセン市、カンサイ風お好み焼き店「ヨッチャン」

 お好み焼きは小麦粉を生地、野菜、肉、魚介類、麺類などを具材とするパンケーキの一種だ。生地に混ぜ込んで鉄板で焼くカンサイ風と、生地の上に具材を載せて薄焼き卵で覆って焼き上げるヒロシマ風があり、ソースやマヨネーズなどで味付けをして食べる。安価でボリューム満点なために、庶民の味として親しまれてきた。主食、おかず、おやつなど多種多様な食べ方が可能な汎用性の高さも人気のもとだろう。

 

「お好み焼きを好んで食べる人達の間では、焼き方、入れる具材、食べ方によって激しい対立が生じている。それもこの食べ物が無限の可能性を含んでいるからだろうね。我が国では自由と多様性を大事にする民主主義の精神が食べ物にも息づいている」

 

 俺と憲兵司令官ドーソン中将と改革市民同盟幹事長ヨブ・トリューニヒトはカンサイ風お好み焼き店「ヨッチャン」で同じ鉄板を囲んでいた。

 

 トリューニヒトはコテを持ってお好み焼きを焼いて食べながら、俺とドーソン中将を相手に熱っぽく語り続けている。宇宙暦が始まる以前に遡るお好み焼きのルーツから説き起こし、具材の比較、カンサイ風とヒロシマ風の違い、お好み焼きを愛した偉人のエピソード、主食派とおかず派とおやつ派の仁義無き戦いなどに及ぶ話は実にスケールが大きくて面白かった。話し続けている間もコテを持つ彼の手は休み無く動き続けて、お好み焼きを焼き続けている。テーブルに置かれている白米の丼は、彼がおかず派に属していることを雄弁に語っていた。

 

「人類は一七〇〇年の時を費やしても、ついに主食派、おかず派、おやつ派の対立を解消することはできなかった。対立する者同士はお互いを邪道と罵り合い、同じお好み焼きを愛する同胞であるはずなのに憎み合うことをやめられなかった。しかし、憎み合っていても共存していかなければならない。なぜなら、我が国は民主主義国家だからだ。エリヤ君はクリストフ・フォン・ランツフートを知っているかい?」

 

 クリストフ・フォン・ランツフートは元の名をクリストファー・シャンクリーといい、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが軍籍にあった頃からの同志だった。ルドルフが政界に転じた後も軍に留まって昇進を続け、軍人の立場から銀河連邦簒奪に手を貸した。ゴールデンバウム朝が成立すると、シャンクリーはランツフート公爵に叙せられて、名前をゲルマン風のクリストフに改めている。初代軍務尚書となったが、宇宙暦三一八年に不敬罪で処刑された。ルドルフ第一の忠臣と言われていたランツフート公爵の唐突な処刑の背景は未だに判明しておらず、銀河帝国史上最大の謎の一つとされている。

 

「知っています」

「主食派のルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは、お好み焼きを白米と一緒に食べる者を徹底的に弾圧した。ランツフートの処刑もお好み焼きと白米を一緒に食べたのが露見したからという説がある」

「お好み焼きの食べ方をめぐる争いって本当に深刻なんですね。初めて知りました」

「ま、これは今考えついた話だけどね」

 

 ソースや青海苔が付いたままの口元に微笑みを浮かべたトリューニヒトを見て、全身からへなへなと力が抜けていく。彼にはノリを重視して適当なことをポンポン言ってしまう悪癖があるけど、人懐こい笑顔を見せられたら腹を立てるのが馬鹿らしくなってしまう。

 

 トリューニヒトの真価は煽情的なパフォーマンスではなく、えも言われぬ愛嬌にあった。これは今の人生になって初めて知ったことだ。知った時にはすっかり彼の愛嬌に心を掴まれてしまっていたけれど。

 

「いかにもありそうな話だろう?」

「え、ええ…」

「ルドルフがお好み焼きを食べたかどうかは知らないが、臣下や国民に自分の食べ物の好みを押し付けようとしたのは事実だ。主食派とおかず派が対立しながらも共存して、同じ鉄板で焼いたお好み焼きを食べることができる。それが民主主義の素晴らしさと私は思うね。君もそう思うだろ、なあ、クレメンス」

 

 トリューニヒトは砕けた調子でドーソン中将に同意を求める。

 

「まあ、幹事長のおっしゃる通りですな。小官はどうあっても、お好み焼きをおかずに白米を食べるなど承服いたしかねますが」

「ははは、君は本当に頑固だな。そこが君の良い所だが」

「恐れ入ります」

 

 大らかなトリューニヒトと几帳面なドーソン中将。正反対の二人が共有する信念っていったい何なのだろうか。退院当日にドーソン中将の話を聞いた時からずっと気になっている。フェザーンから帰った俺はトリューニヒトに食事の誘いを受けてドーソン中将とともにこの店に来たんだけど、まったく本題に入ろうとしない。まさか、お好み焼きを語るために俺達を呼んだわけでもないだろう。

 

「クレメンス、エリヤ君」

 

 俺の思考はトリューニヒトの声で中断された。表情から砕けた感じが消えて、静かな厳粛さが漂っている。ついに来たかと思い、体が緊張で硬くなる。

 

「すまなかった」

 

 トリューニヒトの口から出てきたのは謝罪の言葉。しかし、俺は彼に謝罪される覚えなど無い。

 

「どういうことでしょうか?幹事長に迷惑をかけられた覚えはないですよ」

「フィリップス少佐の言うとおりです。幹事長はできるだけのことをなさいました」

「私の力が及ばなかったせいで君達の苦労を無にしてしまった。君達だけではない。憲兵や四=二基地で死んだ者すべての苦労を台無しにしたのは私だ」

「幹事長の尽力がなかったら、ここまで戦えませんでした。フェザーンで使者に会って四=二基地の戦いの真相を理解できたのも幹事長のおかげです。本当にありがたいと思っています」

 

 国防委員会を動かして帝国憲兵隊との秘密合同捜査を実現させたのはトリューニヒトだった。最終的に捜査は打ち切られてしまったが、最高評議会が危機感を覚えるところまで粘ってくれた。ルーブレヒト・レーヴェとの会見を実現させるための交渉にあたったのもトリューニヒトだ。この事件に関しては、感謝の気持ちしかない。

 

「犯罪者どもは軍を追い出されただけで大手を振って歩いている。奴らが麻薬取引で得た汚れた金を没収することもできなかった。馬鹿を見たのは巻き込まれた人達だけだ。理不尽だと腹を立てる資格も私にはない。ただただ、力不足を恥じるばかりだよ」

 

 憲兵隊は麻薬組織の幹部達の秘密口座、彼らが汚れた金を綺麗にするために使ったマネーロンダリングルートも抑えていたが、捜査が打ち切りになったために手出しできなかった。麻薬取引の拠点になった部隊は徹底的に改編されて、もともと所属していた人達はバラバラに転属された。中央支援集団も徹底的に改編されて、司令官のセレブレッゼ中将は辺境の第一六方面管区司令官に左遷されている。

 

「セレブレッゼ中将は本当にお気の毒です」

「後方勤務本部の次期本部長から一転して辺境送りだからね。落胆して辞職するかもしれない。辺境に送られるというのはそういうことだ」

 

 俺の士官としてのキャリアは辺境の補給基地から始まった。下士官から叩き上げて目立った功績のないまま年齢を重ねていった者と、不名誉な事情で中央から飛ばされてきた者が勤務している士官の大半を占めており、のんびりしていたけど出世や活躍とは無縁な職場だった。セレブレッゼ中将のようなトップエリートにとって、辺境に飛ばされるということは辞めたかったらどうぞと言われているに等しい。盟友だったラッカムのエゴで死地に追いやられて、生き残ったと思ったらこれでは可哀想過ぎる。

 

「しょせん、世の中はこんなものなのかなんて割り切りたくはありません。帝国の使者から、何度も何度も理不尽な思いをしながら、不正を正す力を持つ者が現れる日を夢見て戦い続けた人の話を聞きました。世の中はそんなに捨てたものではないと教えてくれたその人や四=二基地で死んでいった人達に恥じないように生きたいと思いますが、自分がそこまで強くなれるのかどうか自信がありません」

 

 フェザーンから帰る途中、いろんなことを考えていた。四=二基地での失敗を繰り返さないように実戦経験を積みたい、ラッカムのような悪党が再び現れた時に戦えるようになりたい、レーヴェとその主のような強い心がほしい、二度とこんな悔しい思いはしたくない。

 

「エリヤ君、悔しかったかい?」

「はい」

「私も悔しい」

 

 そう言うと、トリューニヒトは俺の顔を見る。

 

「エリヤ君、強くなりたいかい?」

「はい」

「私も強くなりたい」

 

 短い言葉から万感の思いを感じる。歴史が伝えるエゴイストでもなければ、俺が知っている好人物でもないトリューニヒトを初めて見たような気がする。

 

「クレメンス、エリヤ君。我々はもっと強くならなければならない。それぞれの場所で信頼を得て、立場を強めていこう。我々の言葉に耳を傾けてくれる者の数を増やそう。信頼と数が我々の力となる」

 

 ああ、なるほど。トリューニヒトの行動の根底には、信頼の強さと耳を傾ける者の数が力になるという考えがあるのか。攻撃的なパフォーマンスで人目を引き、冗談と本音をちゃんぽんにした軽妙な会話で親しみを覚えさせるのは耳を傾けさせるため。マメに人に会って一緒に食事をするのは信頼を得るため。人間関係で政治を動かそうとしてるんだ。しかし、トリューニヒトは得た力で何をしたいのだろうか?

 

「トリューニヒト幹事長は何のために強くなりたいとお考えなのでしょうか?」

「ルールは公正に適用され、不正が許されることはなく、献身は必ず報いられ、みんなが同胞意識を持って信頼し合い、助け合い、分かち合いながら前進する。そんな社会を作りたいと思っている」

 

 トリューニヒト自身の口から語られた元警察官僚らしい理想にドーソン中将が大きく頷く。ドーソン中将がトリューニヒトを支持した理由、俺と同じ理想と言った理由が理解できた。

 

 前の人生で逃亡者として迫害されて私刑がまかり通る恐ろしさを知り、同盟滅亡後の混乱期のハイネセンで秩序が崩壊したカオスの恐ろしさを知った。今の人生でルールの公平な適用こそが弱い者を暴力から守り、強い者の自分勝手を防ぐことを知った。ルールの建前を愚直に貫くことによって得られた信頼が最強の武器であることを知った。そんな俺にとって、トリューニヒトが提示する秩序ある社会像は魅力的に見える。ドーソン中将よりやや遅れて控えめに頷いた。

 

「今後は私がエリヤ君の昇進を全力でサポートしよう。自力でもいずれ将官になれる人材と見込んではいるが、それまで待ってもいられない。早く昇進して私の力になってほしい」

「はい!」

 

 俺が自力で将官になれるというのは大袈裟すぎると思った。経験が浅いうちに昇進するのも怖い。だけど、彼のような人に力になってほしいと言われるのは凄く嬉しい。感激で胸が熱くなった。

 

「これまで通り、ルールの中で正しく戦いなさい。そうして得られた信頼が君の力、ひいては私の力になる」

「頑張ります!」

「中佐昇進、受けてくれるね?自信がないなんて言わせないよ」

 

 中級職の少佐から上級職の中佐への昇進は怖い。戦艦艦長、駆逐隊司令、艦隊司令部の課長が務まる自信がない。しかし、期待には応えたい。これまでの俺は昇進して新しいポストに就くたびに務まるかどうか不安になったものだけど、終わってみるとひと通りの仕事を回せるようになっていた。上級職でもやってみたら、案外できてしまうのかもしれない。

 

 じんわりと汗が滲んでいる手のひらを握りしめ、緊張でガチガチに固くなっている自分を奮い立たせた。


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