銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第四十七話:押しに弱い俺と押しが強い彼女 宇宙暦794年11月初旬 イゼルローン回廊、イゼルローン遠征軍総旗艦アイアース

 宇宙暦七九四年一〇月一三日。自由惑星同盟宇宙艦隊司令長官ラザール・ロボス元帥に率いられたイゼルローン遠征軍は、通常は二週間以上かかるバーラト星系からイゼルローン回廊への道程をわずか一二日で踏破。意表を突かれた帝国軍は有効な対応ができず、第九艦隊副司令官ライオネル・モートン少将に率いられた同盟軍先鋒部隊はイゼルローン回廊の同盟領側出口を制圧下に置いた。春のヴァンフリート星系出兵では精彩を欠いたロボス元帥であったが、得意とする機動戦で帝国軍の出鼻をくじいて、幸先の良いスタートを切ることに成功した。

 

 一〇月半ばから一一月にかけて、勢いに乗ってイゼルローン要塞まで押し込もうとする同盟軍と、緒戦の劣勢を挽回しようとする帝国軍は来たるべき本戦に備えて少しでも有利な場所を取ろうと回廊のあちこちで前哨戦を展開していた。二〇〇〇隻から三〇〇〇隻前後の分艦隊、六〇〇隻から八〇〇隻前後の戦隊、一〇〇隻から一五〇隻前後の群、二〇隻から三〇隻前後の隊などの各単位で小規模戦闘が休みなく続いている。数で優る同盟軍がじわじわと前進してはいるものの、帝国軍もまだまだ余力を残しており、イゼルローン要塞まで到達するのはもう少し先になりそうだ。

 

 遠征軍総司令部のスタッフ達は回廊全域で戦っている各部隊間の調整、来たるべき要塞攻略の準備などで多忙をきわめている。そんな彼らが激務の合間の息抜きに訪れるのが総旗艦アイアースの士官サロンだ。おおらかなロボス元帥は勤務時間中の自主休憩を認めている。そのため、どの時間帯にもテーブルを囲んでお茶を飲みながらくつろいでいるスタッフの姿がちらほら見られた。ロボス元帥や総参謀長のグリーンヒル大将が取り巻きを引き連れて顔を見せることもある。

 

「エリヤ、それはね。率先して自主休憩を取ることで、他の者が遠慮無く休めるように配慮なさってるんだよ。その気配りがロボス閣下の素晴らしいところなのさ」

 

 目を輝かせて語るのは二歳下の親友のアンドリュー・フォーク中佐。現在は遠征軍総司令部の作戦参謀を務めている。少尉に任官してから現在に至るまでずっとロボス元帥の司令部で働いている生粋のロボス派だ。三年前に知り合った頃は見るからに健康的だったのに、最近は血色が悪くなり、肉付きもかなり薄くなった。まだ二四歳なのに四、五歳は老けて見える。心配になって、無理に士官サロンまで誘った。

 

「本当にロボス元帥のことが好きなんだねえ」

 

 総司令部人事参謀のイレーシュ・マーリア中佐はアンドリューを眺めてしみじみと語る。冷たい感じの美貌と一八〇センチを超える長身にぞんざいな口調が相まって凄まじい威圧感を放っているが、根は優しい。なんせ、俺のような馬鹿に親身になって受験勉強を指導して、幹部候補生養成所に合格させてくれた人だ。初対面のアンドリューは彼女の強烈な眼力にやや怯え気味だが、いずれは睨まれてるんじゃなくて優しい目で見られているのだと理解できるだろう。

 

「それはもう。士官学校出た時からずっとお世話になってますから。閣下との最初の出会いは三年生の春の…」

「うんうん、フォーク中佐の気持ちはよく分かるよ。恩返ししようって頑張ったんだね。えらいよね」

「イゼルローン回廊に着いた夜にロボス閣下からお誘いを頂いたんですよ。『後で私の部屋に来なさい。秘蔵のウイスキーを一緒に飲もう』って。閣下と二人きりで飲めるなんて、もう本当に…」

「わかるわかる。感激したんでしょ」

 

 アンドリューは空気が読める奴だけど、ロボス元帥の話になると止まらなくなるのが玉に瑕だ。イレーシュ中佐は初対面なのにアンドリューの扱い方をわかっている。これといった武勲が無く、軍中央での勤務経験も少ないにも関わらず、教育指導能力を評価されて士官学校卒業者の平均より五年ほど早く中佐に昇進しただけのことはある。チームワークで仕事をする参謀の世界では、イレーシュ中佐のような人材は重宝される。

 

「アンドリューはバーラト星系からイゼルローン回廊までの行軍計画を立案して、迅速な行軍を実現させた立役者。本戦のイゼルローン要塞攻略でも作戦案が採用される。今やロボス元帥が最も信頼する参謀だよね。俺もアンドリューみたいな参謀になりたいよ」

 

 イレーシュ中佐に話の腰を折らせ続けるのも申し訳ないので、アンドリューに花を持たせつつ話題を変えることにした。アンドリューみたいな参謀になりたいというのはお世辞ではなくて本音だ。

 

 副官は上司を助けることだけを考えていれば良かったけど、参謀は全体のことを考えなければいけない。事務能力に加えて、全体に目を配る視野の広さと積極的に動きまわる行動力が求められる。自分が担当している分野以外の業務知識も豊富に必要だ。それらを備えた参謀の中で若くして頭角を現し、五百万人を超える遠征軍の行軍計画立案を任されているアンドリューは雲の上の存在のように思えた。

 

「コーネフ少将やビロライネン准将に比べたら、俺なんてまだまだだよ。イゼルローン要塞の攻撃案だって、ホーランド少将が同じ案を出してなかったら、通らなかったんじゃないかなあ」

「ホーランドねえ」

 

 ホーランド少将の名前がアンドリューから出ると、イレーシュ中佐はいつになく刺を含んだ口調で応じる。ここまで誰かに対して嫌悪感を露わにすることは珍しい。そういえば、イレーシュ中佐とホーランド少将は同じ三一歳だから、士官学校では同期だったはずだ。

 

 同盟軍の若手士官の中で最優秀の三人を挙げろと言われたら、誰もがその中の一人に必ずウィレム・ホーランド少将の名前を挙げるに違いない。大胆かつ機動的な用兵に定評があるホーランド少将は、突破機動や迂回機動の指揮に抜群の力量を示して数多の武勲に輝いた。特に二年前のマグ・メル星系会戦と昨年のタンムーズ星系会戦では、高速機動部隊を指揮して勝利を決定づける活躍をしている。大言壮語癖で一部の顰蹙を買っているものの、覇気を隠し切れないのだろうと好意的に受け止める者も多い。将来の同盟軍を背負って立つ存在であることは疑いなかった。

 

 前の人生の歴史におけるホーランド少将は第六次イゼルローン攻防戦の功績で中将に昇進。第一一艦隊を率いて参加した七九五年の第三次ティアマト会戦で第五艦隊司令官ビュコック中将の制止を振り切って独断で戦闘を開始して、獅子帝ラインハルトの前に敗死した。最後の失敗によって評価を著しく落とし、反目したビュコックが不朽の英雄として後世に語り継がれる存在になったことから、愚将の汚名を後世に留めた。士官学校の同期から見たウィレム・ホーランドとはどのような人物なのだろうか。

 

「確か、ホーランド少将とは士官学校の同期でしたよね」

「うん、そうだよ」

「どんな方だったんですか?」

「私が卒業した第二二六期の首席だよ。とにかく嫌な奴でさ。自信家で傲慢で目立ちたがりで、自分が世界の主役かなんかだと勘違いしてたね。他人のことなんて、引き立て役としか思ってなかった」

「そんな人でも首席になれるんですか?どんなに勉強ができても、リーダーシップが欠けていたら士官学校じゃ評価されないですよね?」

「士官学校でリーダーになれる子って、フォーク中佐みたいに凄い気配りができる子か、そうでなかったらホーランドみたいに凄い自己中心的な子なんだよね」

「自己中心的って、リーダーシップとは一番程遠いんじゃないですか?」

「ホーランドみたいに自分にできないことはないって本気で信じてるような子にズバッとできるって言われたら、本当にできそうな気になっちゃうの。だから、競技大会ではいつも主将、学生隊ではいつも隊長。ぐいぐい引っ張って欲しいタイプとは相性抜群なんだろうね。エリヤ君みたいな」

「俺がですか!?」

 

 幸か不幸か、ホーランド少将みたいな上司を持ったことはなかった。ああいう人から見たら、俺みたいにとろくて気が小さい部下はイライラするんじゃないだろうか。相性が良いとはとても思えない。

 

「うん。君ってとても押しに弱いじゃん。あの子とか」

 

 イレーシュ中佐は自分のことを棚にあげて、俺の隣に座っているダーシャ・ブレツェリ少佐を指さす。ブレツェリ少佐、いやダーシャは両手でカップを持って、入っているココアにふうふうと息を吹きかけて冷まそうとしている。

 

「いや、ダーシャは特別ですよ」

「しかし、その手があったなんて思わなかったよ。私もやってみようかな」

「やめてください」

 

 今の俺とダーシャはファーストネームで呼び合う仲だった。ファーストネームで呼ばなければ、一切返事をしないという暴挙に出た彼女に屈服させられたのだ。まさか、二週間も返事をしないとは思わなかった。目の前にいる俺に対して、わざわざ携帯端末のメールを使って業務連絡をしてきたのを見た時、完全に心が折れてしまった。

 

「なかなかかわいい子じゃないの。君に彼女ができる日が来るなんて思わなかったよ」

「まったくです。女っ気が全然なかったエリヤがいきなりブレツェリ先輩捕まえちゃうとは思いませんでした。びっくりですよ」

「ああ、ブレツェリ少佐はフォーク中佐の一期上の先輩だったね」

「ええ、風紀委員会のブレツェリ先輩と有害図書愛好会のアッテンボロー先輩の戦いは下の学年でも語り草でしたよ」

「じゃがいも閣下と言い、ブレツェリ少佐と言い、エリヤ君は風紀委員みたいな人に本当に好かれるねえ」

「エリヤが尻に敷かれてるところが目に浮かぶようです」

 

 さっきまでイレーシュ中佐にびびっていたはずのアンドリューがいつの間にか生気を取り戻している。こういう話題になると急に元気になりやがって。なんて現金な奴なんだ。まあでも、やつれてるよりはずっといいか。

 

「彼女じゃありませんってば」

「エリヤの言うとおり、まだ友達ですよ。今は」

「そうだよね、ダーシャ」

「今はね」

 

 ダーシャはココアを冷ますのを諦めたらしく、カップをテーブルに置いて話に割り込んできた。それにしても、猫舌なのにどうしていつもホットココアを飲もうとするのか、俺にはまったく理解できない。

 

「今は、なんだね」

「なるほど、今は、そうだということですね」

 

 イレーシュ中佐とアンドリューが足並みを揃えて、「今は」を強調している。ハンス・ベッカー中佐とグレドウィン・スコット大佐もそうだったが、俺の周りにいる人間はなんでこういう時だけ呼吸がぴったり合うのだろうか。しかも、目の前の二人は今日が初対面じゃないか。

 

「ええ、今は、です」

 

 ダーシャもはっきりと、「今は」に力を込めて二人に返事をする。だから、意味深にそこを強調するなよ。どういうつもりなんだ。

 

「エリヤ君の指導係してるんだっけ?だったら、今は無理かもしれないね」

「はい。キャゼルヌ准将に言われまして」

 

 ファーストネームで呼び合うようになって一週間が過ぎた頃、一緒にキャゼルヌ准将に呼び出された。そして、「最近、仲がいいようだから」という理由で組まされることになったのだ。現在はダーシャの助手をしつつ、指導を受ける日々である。

 

「この子、馬鹿だけど素直だから長い目で見てあげてね」

「エリヤの受験勉強を指導したのってイレーシュ中佐でしたっけ?」

「うん、もう六年も前だよ。最初は本当に酷くってね。今だから言うけど、ジュニアスクール卒業レベルの勉強も怪しかったの。それが今じゃ私と肩を並べて参謀やってるんだよ。信じられないでしょ」

「私もいつか、『参謀の仕事を全然知らなかったのに、今じゃ名参謀だよ。信じられないよね』って言えるよう頑張ります」

「見込みある?」

「イレーシュ中佐もご存知とは思いますが、頭悪いですよね。事務スタッフの思考と参謀スタッフの思考の違いがまだ理解できてないみたいで、ちょっとイライラします」

「容赦ないねえ」

 

 イレーシュ中佐は面白そうにダーシャを見つめている。入院していた頃のダーシャは愛嬌のある容貌もあって馬鹿っぽく見えたけど、実際は士官学校を三位で卒業しただけあってなかなかの切れ者だった。それもカミソリのような切れ方だ。言いにくいこともズバズバ言う。仕事中は第一艦隊の後方主任参謀だった頃のドーソン中将に何度もレポートを書き直しさせられた時を思い出すような厳しい指導を受けている。

 

「でも、中佐のおっしゃる通り素直ですよね。目の前のことに全力で取り組んで、どんなに面倒なことでも手を抜こうとしません。人並みの知識があれば、人並み以上の能力を発揮するんじゃないでしょうか。キャゼルヌ准将もそう見込んで、私に指導を任せたんだと思います」

 

 真面目な顔で語るダーシャにイレーシュ中佐は満足そうにうなずき、アンドリューは感心したような顔をしている。ダーシャが俺に対してここまで冷静な評価を下しているとは思わなかった。

 

「そうそう、よく見ているね。だから、エリヤ君は強引なタイプと相性がいいの。じゃがいも閣下もそうだよね。あの人の強引な指導がエリヤ君の事務能力を引き出した。ブレツェリ少佐は何を引き出せるのかな。とても楽しみだよ」

「期待に背かないよう頑張ります」

 

 今日のダーシャは妙に発言が優等生っぽい。イレーシュ中佐の前ではダーシャは優等生っぽくなって、アンドリューはおとなしくなる。イレーシュ中佐は誰に対してもお姉さん的に振る舞う。アンドリューは目上に弱いけど、恋愛絡みの話になると元気になる。俺と仲が良いという以外に何の共通点もないこの三人が一堂に会したのは初めてだ。俺には見せない顔が見れて、とても興味深い。いつか一人前の参謀になったら、この三人の優秀な参謀としての顔も見ることもできるだろう。そういう未来を思い浮かべるのは結構楽しかった。


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