銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第四十八話:読めるだけでは動かせない 宇宙暦794年11月初旬~下旬 イゼルローン回廊、イゼルローン遠征軍総旗艦アイアース

 緒戦でイゼルローン回廊の出口を素早く制圧してから、優位に戦いを進めていた同盟軍だったが、一一月に入ってからの数日間は苦戦を強いられていた。

 

 同盟軍の分艦隊がほぼ同数の敵に敗れたという報告が連日のように総司令部に入り、一一月六日には第七艦隊所属の第四分艦隊が全滅と言っていいほどの惨敗を喫した。司令官ラムゼイ・ワーツ少将と参謀長マルコム・ワイドボーン大佐が戦死し、生還した艦艇は三〇〇隻にも満たない。一一月一四日には総司令部直轄の高速機動集団が総兵力の三分の二を失って潰滅した。

 

「またやられたか!」

「二八〇〇隻のうち、九〇〇隻が生還か。ワーツ少将の時に比べたら、損害が少なく済んだな」

「指揮権を引き継いだ副司令官のアラルコン准将の健闘の賜物だろう」

「キャボット少将は意識不明の重体だそうじゃないか。四〇年近く戦場を渡り歩いて一度も不覚を取ったことが無い古強者がこんなことになるとは」

「兵卒から叩き上げた歴戦のワーツ少将と若手参謀随一の秀才ワイドボーン大佐のコンビでも歯が立たなかった相手だ。アッシュビーが帝国に生まれ変わったのかもしれんね」

「勘弁してくれよ。これ以上仕事が増えたらたまらん」

 

 俺は正体不明の強敵の話で盛り上がっている後方参謀達を横目に、兵站状況の分析書を書いていた。

 

 現在の味方と敵の戦力分析及び戦況予測、各宙域の特徴、兵站線の現状、想定される兵站組織の運用、兵站支援に使用される兵力などの要素に関して述べた上で考察を行う。各部隊が必要とする補給量、現時点で達成されている補給水準、利用可能な補給手段、補給を制約する条件に関する分析。要求される輸送量、利用可能な輸送手段、実現可能な輸送量、想定される輸送経路、輸送路襲撃の可能性と必要な警備戦力に関する分析。各要素が兵站状況に与える影響、想定される問題、総司令部の方針の長所と短所を指摘。最後に兵站業務を滞り無く実行できるか否か、実行できない場合はどのようにするべきか、他部門と後方部門がどのように連携するか、総司令官は兵站に関するどの要素に大きな配慮を示すべきか、後方部の立場からはどのような作戦方針が望ましいか、兵站業務を実施する上で避けられない制約は何か、などを提言して締めくくる。

 

 俺が書いたのは補給計画全般の調整にあたる後方部企画課の立場からの分析書であって、運用課や輸送課や補給課などに所属する後方参謀はそれぞれの立場からの分析書を作成する。これらを集約して検討し、後方部全体の分析が作成される。兵站状況は戦況によって変化するため、ちゃんとした分析を書くにはつねに前線から送られてくる情報に敏感でなければならない。戦況を理解する必要があるから、作戦業務や情報業務に関する素養も必要となる。計算能力、分析力、説明能力が必要なのは言うまでもない。

 

 戦況が変動すれば、要求される補給量などが著しく変化する。正体不明の強敵のせいで兵站状況を把握するだけでも一苦労だ。何度も何度も分析書を書かされ、調整に出向くことも多くなる。軍隊が動けば動くほど参謀の仕事量も増えるのだ。事務仕事のおかげで与えられた課題を分析することには慣れているが、現在進行形で動いている状況の把握と分析にはなかなか慣れることができない。高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処する思考こそが参謀には求められる。そういう思考が苦手な俺がダーシャに頭が悪いと言われるのも仕方ない。それでも、職務に精励していれば気が紛れた。正体不明の強敵に感じている恐怖を忘れることができた。

 

 強引に中央突破してきた敵に旗艦を破壊されて指揮系統が崩壊したワーツ少将の部隊、巧妙な機動で半包囲状態に追い込まれて側面と背後から攻撃されて壊滅したキャボット少将の部隊などの戦闘記録画像を見た時、数千隻の艦隊がこうもあっさりと消えてなくなるのかと恐ろしくなったものだ。

 

 軍人になって初めて理解したことだが、戦略的優位無しで補給が万全な同数の敵を戦術手腕だけで壊滅に追い込むのは至難の業である。特に同盟軍の正規艦隊に所属する部隊は全軍五〇〇〇万の頂点に立つ精鋭で、指揮官も参謀も最優秀の人材が選ばれている。

 

 宇宙暦七九〇年代後半から八〇〇年代初頭にかけての戦乱では大勢の名将が活躍したが、兵力的にほぼ互角で補給が万全な状態の同盟軍正規部隊に真っ向勝負を挑んで壊滅に追い込んでみせたのは、獅子帝ラインハルト・フォン・ローエングラムしかいない。かのウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ、ジークフリード・キルヒアイス、ウォルフガング・ミッターマイヤー、オスカー・フォン・ロイエンタールですら、撃破はできても壊滅にまでは追い込めなかっただろう。

 

 前の人生の歴史の第六次イゼルローン攻防戦では、ラインハルトは分艦隊を率いて二〇回以上も出戦して華々しい勝利を収めている。俺が見た戦闘画像の中でワーツ少将やキャボット少将の部隊をあっさり壊滅に追い込んだのもおそらくはラインハルトだろう。これほどの軍事能力の持ち主がこの宇宙に何人もいるとは思えない。

 

 ゴールデンバウム朝時代の帝国軍では、少将が数千隻単位の分艦隊を率いた。ヴァンフリート四=二基地の戦いで俺を半殺しにしたラインハルトはセレブレッゼ中将を捕虜にできなかったものの、何らかの武勲を立てて数千隻を率いる少将に昇進したのではないだろうか。五〇〇万の同盟軍の中で、俺だけが恐るべき敵指揮官の正体を知っている。しかし、その事実は何一つ状況を打開する役には立たない。

 

 俺が持っているラインハルトに関する知識は伝記や戦記から得たものだ。なにせ歴史上で唯一人類世界を武力統一した英雄にして当時の政権の創始者だから、すべての図書館に「ラインハルト帝専門コーナー」が設けられるほどの本が出版されていた。市販されている本を読んだだけでも、彼の性格、活躍、用兵は概ね知ることができた。第六次イゼルローン攻防戦で何をしたかも知っている。しかし、俺にはラインハルトを先回りしてその活躍を封じることはできない。

 

 かつての俺は、図書館で歴史の本を読むたびに「なぜああしなかったのか、自分ならこうするのに」という想像をめぐらせて、負けた側の司令官や参謀の無能を罵ったものだ。歴史の成り行きを知っていれば、先回りして成功できると思っていた。今の人生が始まると、ヤン・ウェンリーに従えば絶対に助かるという前の人生の知識を使ってやり直しに成功した。先回りして前の人生で失敗した要因を片っ端から潰していけば、良い人生が送れるものと信じていたが、実際に軍人になってみると、自分ができることがあまりにも少ないことに気付かされた。

 

 軍隊という組織の中では、俺は一つの部署のスタッフに過ぎず、自分の生死すら指揮官に委ねざるを得ない立場だった。ほんの少しの期間だけ指揮官を務めたが、戦う戦場も指揮すべき部下も選べず、生死も遥か雲の上の事情に左右される程度の存在でしかない。ささやかながらも軍人としての知識と経験を積んで、かつての自分はアマチュアの後知恵でしかないことを思い知った。

 

 ラインハルトに負けた同盟の司令官や参謀は俺なんかより、よほど有能で経験も豊かだ。俺が指摘できる程度の問題点に関する配慮は完璧になされている。歴史の本ではホーランド少将とアンドリューが立てたイゼルローン攻略作戦はラインハルトの手で失敗することになっているが、実際に作戦計画書を読んでも、俺にはどこに穴があるのかさっぱり分からない。

 

 ホーランド少将率いるミサイル艇部隊は要塞に肉薄した後にラインハルトの分艦隊に側面を突かれて敗北している。しかし、作戦計画書の中では情報参謀によって襲撃を受けそうなポイントが指摘され、作戦参謀が作った対応策が盛り込まれていた。

 

 参謀の仕事をやってみて、作戦計画がいかに緻密に作られているかが理解できるようになった。数十人の参謀が頭脳を結集して想定できる可能性を片っ端から検討して練られた案の穴を探すのは容易ではない。そもそも、俺は半人前の後方参謀で作戦計画には関与していない。だが、関与できる立場だったとしても、修正、もしくは実行中止を求めて受け入れられるほど説得力のある指摘はできないと思う。

 

 前の歴史でラインハルトがホーランド少将襲撃に成功したのも、おそらくは情報参謀や作戦参謀でも想像がつかないような死角から襲撃したからだろう。しかし、「想像もつかない死角から襲ってくる敵がいるから、作戦中止した方がいい」なんて言って誰も聞くわけがない。どこに参謀達が想像していない死角があるのか、その死角からの攻撃を防ぐ方法はないのか、その死角の存在は作戦を中止しなければならないほどの脅威なのか、などを理路整然と説明できない予言者を相手にする軍人などいないのだ。

 

 ヤン・ウェンリーの天才をもってすれば、ラインハルトが狙う死角を見つけることができるかもしれないが、上司でも同僚でもない俺に「想像もつかない死角があるから探してください」と言われて、やる気になったりはしないだろう。そんな筋が通ってない話を信じて動くような人間だったら、ヤン・ウェンリーは名将の声価を確立する前に敗死していたはずだ。

 

 優秀な参謀が数十人がかりで練り上げた作戦を自分一人のひらめきであっさりひっくり返す。精強な同盟軍正規部隊を戦術の妙だけで壊滅に追い込む。そんな芸当ができる相手を本に書かれている程度の知識で先回りして太刀打ちできると思えない。いや、むしろ本で読んだからこそ、太刀打ちできるとは思えないというべきだろう。天才がやったことの結果だけを知っていても、何一つ意味は無い。結局のところ、天才に対抗するには、それに匹敵する能力が必要になる。

 

 ラインハルトが二五年の生涯で成し遂げた軍事的偉業の数々を知った上でなお、先回りできると思っている軍人なんて、リン・パオやブルース・アッシュビーのような不敵さとひらめきを兼ね備えた天才ぐらいではなかろうか。常勝の声価を確立した後のラインハルトに対抗する責任を負わされたヤン・ウェンリーやアレクサンドル・ビュコックの感じたプレッシャーを想像するだけで恐ろしくなる。俺が彼らと同じ立場に立たされたら、気絶して二度と起き上がれないに違いない。

 

「帝国軍にえらくこざかしい指揮官がいるようだ。先日からの敵の優勢は、そいつひとりの功に負うているのではないか」

 

 キャボット少将の高速機動集団が壊滅した翌日の将官会議の席上で総司令官ロボス元帥は苦々しげにそう言っていたという。たかだか一個分艦隊ではあるであるにも関わらず、ラインハルトの戦果はロボス元帥にも無視し得ないレベルに達していたのだ。

 

 同盟軍は整備された教育制度と実力本位の昇進制度によって選抜された得られた質の高い人材によって、帝国軍の物量に対抗してきた。実力で選ばれた同盟軍指揮官の指揮能力が身分で選ばれた帝国軍指揮官のそれに優っているという認識があったからこそ、前線の将兵達は安心して戦うことができた。

 

 帝国軍の分艦隊司令官や艦長の質はここ数年で著しく向上していると言われている。分艦隊レベルの戦いで一方的な敗北を重ねたら、同盟軍の人材面の優位が失われたという認識を将兵に与えかねない。イゼルローン要塞攻略に向けて動いている総司令部には人的にも時間的にも余裕がなかったが、ラインハルトの分艦隊に対処する必要があった。ロボス元帥の命令で総参謀長ドワイト・グリーンヒル大将が対策を練ることになった。

 

 一一月一九日。同盟軍は総参謀長ドワイト・グリーンヒル大将の立てた作戦にもとづき、ラインハルト率いる分艦隊三〇〇〇隻を誘い出して一万隻で包囲した。八〇〇隻を失ったラインハルトは命からがら包囲網を突破してイゼルローン要塞に逃げ込み、連敗続きでふさぎ込んでいた同盟軍将兵の溜飲を大いに下げた。

 

「これでイゼルローン攻略に専念できるよ」

 

 久々に士官サロンにやってきたアンドリューは肩の荷が下りたようにため息をつくと、ローストグリーンティーを口にした。もともとアンドリューは濃いブラックコーヒーを好んでいたが、胃に悪いということで最近はローストグリーンティーを飲んでいるのだ。胃に気を使わないといけないぐらい強烈なストレスの中でイゼルローン攻略作戦に取り組んでいるアンドリューにとっては、ラインハルトの分艦隊の敗北は朗報だっただろう。

 

「あの分艦隊、本当に迷惑だったよね。損害が多くなると、後方参謀の仕事が急増するからさ。グリーンヒル総参謀長には感謝しなきゃね」

 

 ヤンが包囲作戦の提案者なのは「ヤン・ウェンリー元帥評伝」を読んで知ってるけど、実現に動いたのは名目上の提案者であるグリーンヒル大将だ。後方部の仕事を急増させたラインハルトを前線から追い払ったことには実際感謝している。兵力を出し惜しんでラインハルトを取り逃がした責任者でもあるが、倍の兵力を投入したとしてもラインハルトが敗死するところが想像できないから、気にしても仕方がない。

 

「作戦立てたのはヤン大佐だよ。エリヤと一緒にエル・ファシルで活躍した英雄。覚えてるよね?」

 

 アンドリューの口からヤン・ウェンリーの名前が出て、少し身構えた。前の人生ではアンドリュー・フォークはヤン・ウェンリーに対抗意識を燃やしたあげくに無謀な帝国侵攻作戦を立案したと言われていたからだ。

 

「う、うん、お、覚えてるよ」

「俺と同じ作戦参謀なんだけどさ。全然仕事しない人なんだよね」

「そ、そうなんだ」

「あの人はシトレ元帥派だから、ロボス閣下のためには働きたくないのかなあって思ってた。ロボス閣下とは話さないし、作戦部長のコーネフ少将とも口をきかないで、同じシトレ元帥派のグリーンヒル総参謀長やキャゼルヌ後方部長とばかり話していたし」

 

 アンドリューの口調からは悪意は感じられず、困ったものだといった感じだったが、ヤンに対してはあまり好意的でないようだ。ロボス元帥や作戦部長コーネフ少将を蔑ろにしているのを派閥意識と思っているらしい。

 

 ロボス元帥には義勇旅団で酷い目にあったけど、とても感じの良い人という印象は変わっていない。コーネフ少将に直接会ったことはないけど、アンドリューの話を聞く限りではユーモアがある人のようだ。仕事をしないのはまだしも、ロボス元帥らを蔑ろにしてシトレ派の参謀とばかり話しているのは弁護のしようもない。人間の好き嫌いは仕方ないけど、せめて体裁ぐらいは繕ってほしい。

 

「それは良くないね」

「まあ、でもロボス閣下のために働いてくれて良かったよ。これを機に作戦部に溶け込んでくれるといいんだけど」

「作戦部の参謀ってほとんどロボス元帥派だっけ?」

「そうだよ。ロボス閣下は理想の用兵を実現するために、作戦参謀は身内で固めてるから」

 

 ちょっとヤンに対する評価を訂正した。ロボス元帥派の参謀達はアンドリューの話を聞く限りでは、わりとアットホームな雰囲気らしい。そんな中に他派閥の人間が放り込まれたら、さぞやりにくいことだろう。ヤンの態度は大人気ないけど、同情すべき点は多いように見えた。

 

「ヤン大佐はシトレ元帥派でしょ?君らはみんな仲良しだから、入りにくいんじゃないかな」

「別に気にしてないのに。一緒に仕事してる間は仲間なんだからさ。グリーンヒル大将も俺達とは仲良くしてるし」

 

 アンドリューが気にしなくても、ヤンは気にするだろう。仲良しグループにも平気で入っていけるグリーンヒル大将のコミュニケーション能力が異常に高いだけで、普通の人は入っていいと言われても尻込みしてしまうものだ。かく言う俺も転校したばかりの頃に、幼馴染同士で固まった仲良しグループに遊びに誘われたけど、びびって断ったことがある。全銀河を敵に回して戦った英雄にも俺と同じような面があることが分かって、ちょっとうれしい。

 

「まあ、そんな簡単じゃないよ。俺だって転校した頃は結構苦労したもん。周りがみんな仲良しだと、疎外感感じるんだよね」

「へえ、そんなもんなんだ」

「ああ、アンドリューは学校ではずっと中心にいたからわかんないのかな。知らない人ともすぐ仲良くできちゃうし」

「そうだね」

「ヤン大佐は親の仕事の都合で通信教育だけで義務教育済ませたらしいよ。だから、人見知りしちゃうのかもね」

「なるほどなあ」

「チームワークで仕事する参謀が人見知りなのはまずいけど、悪気はないと思うよ」

「うん、わかった。ありがとう」

 

 ラインハルトの動きを見ると、今の人生と前の人生の歴史は近い歩みをしているように見える。しかし、アンドリューはヤンへの対抗意識なんてまったく持ってない。ロボス派と仲良くしていないのを気にしているだけだ。

 

 どうも、二つの歴史の間には微妙な違いがあるらしい。たとえば、前の歴史でラインハルトの捕虜になったセレブレッゼ中将は、今の歴史では辺境に左遷されたものの健在だ。この微妙な違いが良い方向に作用して、アンドリューの立てた作戦でイゼルローン要塞が陥落してくれることを願った。


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