銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第五十三話:破竹のじゃがいも 宇宙暦795年2月18日 ティアマト星系、第十一艦隊旗艦ヴァンドーズ

 戦闘開始から一二時間が過ぎた現在、帝国軍の戦線は崩壊しつつあった。艦列にはところどころ穴が空き、砲撃の勢いも時間を追うごとに落ちている。正面からの砲戦だけで敵がこうも崩れるのは珍しい。帝国軍総司令官のミュッケンベルガー元帥は堅実な手腕の持ち主だったが、それゆえに精鋭を手堅く運用してくる同盟軍には打つ手がなかったのかもしれない。

 

 ウランフ提督率いる第九艦隊は艦載機部隊を発進させて、格闘戦に移行している。第一一艦隊も徐々に敵艦隊との距離を詰めて、格闘戦に持ち込むタイミングをはかっているところだろう。第五艦隊は正面の敵を攻めきれていないが、このまま戦局が推移すればいずれは撤退に追い込めるだろう。同盟軍の勝利が確定するのも時間の問題と思われた。

 

「前方一一時方向に、グライスヴァルト艦隊旗艦エインヘリャルを確認!」

 

 司令室のメインスクリーンに、ひと目でそれと知れるグライスヴァルト艦隊の旗艦エインヘリャルの威容が映っている。門閥貴族出身の提督が好みそうな重厚長大な艦体は紫色に塗装されていた。悪趣味な上に悪目立ちして実戦向きとは思えないが、亡命者のベッカー中佐から、門閥貴族は戦争を名誉心と冒険心を満足させるゲームの一種と捉えていると聞いたことがある。旗艦も自己アピールの道具としか考えていないのだろう。

 

「第一六戦隊は一一時方向に急速前進。他の部隊は艦載機部隊の出動準備」

 

 ドーソン中将の指示を受けて、ストークス准将率いる第一六戦隊がエインヘリャルに殺到していく。周囲の敵艦は必死でエインヘリャルを守ろうとするが、火力と機動力に優れた巡航艦中心の第一六戦隊の勢いに抗しえず、次々と撃沈されていく。

 

「第一六戦隊より報告!エインヘリャルを射程内に捉えました!」

「他の艦に構うな。エインヘリャルに砲撃を集中せよ」

 

 ドーソン中将の声が上ずっている。帝国軍で個人の旗艦を所有できるのは大将以上の提督に限られる。グライスヴァルト提督は侯爵家の当主で大将の階級を持っている。さほど有能ではないが、三〇年を越える戦歴を誇り、同盟軍に名を知られている数少ない帝国軍の提督だ。ティアマト星域に展開する敵の中では、ミュッケンベルガー元帥に次ぐ大物だろう。歴戦の提督でもそうそう巡り会えない巨大な獲物を目前にしたドーソン中将が興奮するのは当然といえる。俺なら興奮しすぎて気絶してしまうかもしれない。

 

「頼む、沈んでくれ」

 

 エインヘリャルに向けて乱れ飛ぶビームやミサイルを眺めながら、必死で祈り続ける。ここまで来たら取り逃がすことは考えられないが、なんせドーソン中将は小心者だ。びびって詰めを誤ってしまっては一大事である。

 

 エインヘリャルの中和磁場は第一六戦隊の攻撃を正面から受け止めている。普通の戦艦ならとっくに撃沈されているはずだが、帝国軍の旗艦は機動性を犠牲にして防御力を高めていた。集中砲火を浴びせても、突破は容易ではない。中和磁場が攻撃を受け止めきれなくなって崩壊する前に誰かが救援に来れば、グライスヴァスト提督を取り逃がしてしまう。

 

「まだ沈まないのか」

 

 猛攻撃を浴びているのに、エインヘリャルは一向に沈む気配がない。戦術スクリーンに視線を向けると、全速力でこちらに向かっている八〇〇〇隻前後の敵予備部隊が見えた。数分後にはエインヘリャルに到達するぐらいの距離にいる。速度と距離から推測するに、ミュッケンベルガー元帥は第一一艦隊がエインヘリャルを確認する前に手を打っていたようだ。ドーソン中将もそれに気づいて、他の艦に構わずにエインヘリャルにのみ砲撃を集中するように指示したのだろう。

 

「もしかして、エインヘリャルは不沈艦なんじゃないか」

 

 そんな錯覚に駆られて、背筋が寒くなる。迫り来る敵の予備部隊に耐え切れなくなって、戦術スクリーンからメインスクリーンに視線を移動する。砲撃を浴び続けたエインヘリャルの中和磁場が弱まり始めていた。一本のビームが遂に中和磁場を貫き、エインヘリャルの艦体に到達する。分厚い装甲に受け止められてほとんど打撃を与えられなかったが、中和磁場が破れるということを知って勇気づけられた。

 

 中和磁場を貫く砲撃の数は秒を追うごとに増加し、エインヘリャルの装甲に穴を穿つ。衝撃に耐えかねた艦体は大きくひしゃげ、数本のビームが貫通すると同時に巨大な火球となって消滅した。

 

「エインヘリャル、撃沈しました!!!」

 

 オペレーターの絶叫とともに司令室は歓声に包まれた。俺も思わずデスクから立ち上がって、わーっと叫びながら両手を大きく叩く。参謀の大半はドーソン中将と不仲だったが、それでも滅多にない巨大な武勲に歓喜している。司令室が初めて一体となったように思えた。

 

 ドーソン中将だけはあまり顔色が変わっていない。落ち着いているのではなくて、放心しているのだろう。大将クラスの旗艦を撃沈するなんて、数年に一度あるかないかの武勲なのだ。ドーソン中将の武名は否が応にも高まるだろう。

 

 どれだけ長い時間が経ったかと思って時計を見ると、第一六戦隊がエインヘリャルを射程内に収めてから五分しか経っていなかった。

 

「まだ、戦闘が終了したわけではない。気を緩めるな」

 

 ドーソン中将はすぐにいつもの神経質そうな表情に戻り、指示を飛ばし始める。気が小さいから、どれだけうまくいっていても安心できないのだ。むしろ、うまくいき過ぎて恐怖すら感じているのではなかろうか。小心者の俺には良く分かる。しかし、付き合いが浅い人には名将らしい周到さに見えるに違いない。

 

 一度成功すれば、内心と関係なく他人は好意的解釈をしてくれる。エル・ファシルの英雄になった時に経験したことだ。今の俺は名将クレメンス・ドーソンが誕生する瞬間を目の当たりにしているのかもしれないと思った。

 

 戦術スクリーンを見ると、第九艦隊と交戦している敵は既に戦列を維持できなくなっている。第五艦隊と交戦していた敵は後退を始めている。練度が低いせいか、各艦が速度を揃えられずに雑然と退いている。艦列は不揃いで特に両翼の後退が遅れていた。第一一艦隊の正面では、遅れて到着した敵の予備部隊がグライスヴァルト艦隊の残兵の退却を援護している。もはや同盟軍優位は動かないだろう。

 

 チュン大佐の意見を聞きたくなって、彼のデスクに向かった。手ぶらでは何だから、缶コーヒーを持っていく。

 

「やあ」

 

 人事部長チュン・ウー・チェン大佐は食事の真っ最中だった。デスクの上に直にパンが置かれているが、もはやこの程度では驚く俺ではない。飲み物の缶が何本か倒れ、中身がこぼれて書類にしみを作っているが、想像の範囲内だ。デスクにケチャップやマヨネーズが付いているのにはちょっと引いた。どんな食べ方をすれば、こんなことになるんだろうか。かのヤン・ウェンリーが「彼よりは私のほうがずっとましだろう」と評した行儀の悪さを再確認させられた。

 

「あ、どうも」

「パンが欲しいのかい?」

「いえ、そういうわけではなくて」

「遠慮しなくていいさ。君のおかげで食べられるパンだ。胸を張って受け取るといいよ」

 

 そう言うと、チュン・ウー・チェンは胸ポケットからぺしゃんこになったクロワッサンを取り出した。せめて、デスクの上に置かれているクロワッサンにしてほしかったけど、人がくれる食べ物は好き嫌い関係なしに喜んで受け取るのが俺の流儀だ。前の人生で妹のアルマにあげた食べ物を目の前で捨てられた悲しみを、他人に味わわせるわけにはいかない。

 

「ありがとうございます。ごちそうになります」

「うんうん。好き嫌いがないのはいいことだ。かく言う私も好き嫌いはないんだが、娘が偏食でね。人参を食べたがらない。困ったものだよ」

 

 突っ込みどころが多すぎて、どう突っ込めばいいのかわからなかった。前にトマトが食べられないと言ったのをはっきり聞いてるし、パン以外の物を食べているのを見たことがない。あと、娘がいるというのも初めて聞いた。家庭を持ってるのにこんなにだらしないなんて、奥さんは何をしてるんだろうか。

 

 様々な疑問が頭の中で渦巻いていたが、チュン大佐ののんびりした声によって現実に引き戻された。

 

「戦術スクリーンが面白いことになっているよ」

 

 言われたとおりに戦術スクリーンを見てみると、突出したホーランド少将の部隊がいつの間にか凹形陣に誘い込まれている。もたもた後退していたはずの敵がホーランド少将を半包囲下に置いて、猛攻を加えていることに驚く。

 

「これはどういうことですか?」

「さっき、この部隊は指揮官の能力だけでもっているって言ったよね?」

「ええ、まあ」

「わざと指示を遅らせて、隙を見せたんだろう。ホーランド少将が乗ってきたと見るや、指示を飛ばして瞬く間に凹形陣を組んで反撃に打って出たってところかな」

「そんな真似ができるんですか?」

「この指揮官の指示に従えば、絶対に生き残れる。そう信じられてる指揮官ならできる。将兵を自分の指示に依存させてるわけさ。円熟の極みだね」

 

 やはり、あの部隊の指揮官はラインハルトなのだろうか。彼なら練度の低い将兵を操ってみせることなどたやすいはずだ。チュンは老練な用兵と思っているようだが、ラインハルトは天才的なひらめきによって百戦錬磨のベテラン以上の答えを導き出すことができる。ホーランド少将は前の歴史と同じように、ラインハルトの罠に引っかかって死んでしまうのだろうか。

 

「ああ、さすがはビュコック提督だ。後続がすぐにカバーにやってきたね」

「敵の指揮官がさらなる策を打ってくる可能性はあるでしょうか?」

「この段階では低いんじゃないかな。ほら」

 

 第五艦隊の後続部隊がホーランド少将を救援に来ると、敵部隊は素早く囲みを解いて後退した。今度は整然と艦列を整えている。後続部隊は敵を追撃しようとせず、大損害を被ったホーランド少将のカバーに徹していた。

 

「ホーランド少将に一撃を加えて、追撃の勢いを殺すのが目的だったのさ。ビュコック提督もそれを察知して深追いを避けた」

 

 ほっと胸を撫で下ろす。あの部隊と第一一艦隊が衝突する可能性は限り無く低くなった。敵予備部隊もじきに後退するだろう。このまま戦いが終われば、グライスヴァルト提督の旗艦を撃沈したドーソン中将が間違いなく戦功第一となる。

 

「勝ちましたね。予備部隊の指揮官は用兵下手そうですし」

「無駄な攻撃が多いね。ちょっと手を出したらすぐ引っ込める。何をしたいのかわからないね」

 

 第一一艦隊と戦っている敵予備部隊は、最初はごく普通に艦列を整えて戦っていたのに、途中から戦い方が変わった。六〇〇隻前後の戦隊規模、一〇〇隻前後の群規模の攻撃を立て続けに仕掛けてきては、すぐに後退している。ヒット・アンド・アウェイのつもりにしても、ドーソン中将の素早い対応によって、蚊に刺されたほどの打撃も与えられていない。

 

「援護に徹するには、血の気が多すぎるんでしょうね。投入戦力が少なさすぎる上に、攻撃を加える場所も不規則です。我が艦隊と比べて疲労が少ないおかげで良い動きをできていますが、いつまでもつことやら」

「戦力を集中して突入しても、跳ね返されるのは目に見えてるからね」

「もう心配する必要はなさそうです。いろいろと相談に乗っていただき、ありがとうございました」

「礼には及ばないよ。これから君が書く報告書に、私の意見が盛り込まれたことへのお返しさ」

「ああ、そうでしたね」

 

 前の歴史と違って、第三次ティアマト会戦は同盟軍の完勝で終わりそうだ。ドーソン中将は大きな武勲を立てて、ホーランド少将も痛手を被ったもののビュコック中将の援護で大事には至らなかった。事前にビュコック中将の指示で深追いをしないことになっているから、ドーソン中将が暴走する心配もない。無意味な抵抗を続けている敵予備部隊が諦めて退けば、戦いは終わる。緊張が解けて、疲労がどっと襲ってきた。

 

「大丈夫かい、顔色悪いけど」

「戦いから目が離せなくて、休んでいられなかったんですよ」

「それはいけないね。平時と戦闘中では蓄積される疲労が格段に違う。一六時間も休んでなかったら、頭がまともに働かないだろう。参謀はいつも頭脳を万全の状態に保っておかなきゃいけないよ」

「次からは気をつけます。それにしても…」

 

 指揮卓のドーソン中将に視線を向ける。第一一艦隊がここまで戦えたのは、彼の優れた指揮の賜物だろう。自分の目と耳であらゆる情報を把握して、自分の頭で判断を下し、中級指揮官の頭越しに指示を飛ばすことも厭わず、個艦レベルの指揮にすら介入した。グライスヴァルト提督が前に出過ぎていたのは幸運だったが、それとてドーソン中将の努力に対する報奨と思える。

 

「参謀の小官が疲れきっているのに、不眠不休で指揮をとっている司令官閣下は本当に凄いです」

「ああ、そういえばドーソン提督は休んでないんだね。憲兵司令官だった時もそうだったのかい?」

「ええ、あまりお休みにならないですよ。休むように言っても、集中が切れるからとおっしゃるんです。仕事中毒というか、なんというか」

 

 チュン大佐は腕を組んで、何事かを考えているようだった。

 

「どうかなさいましたか?」

「ちょっと気になることがあってね。君はデスクに戻って、居眠りでもしててくれ」

「わかりました」

 

 足元がふらついて、世界がゆらゆら見える。眠気も酷く、意識を保つのがやっとだ。やっとのことでデスクに戻ると、そのまま突っ伏してしまった。勝ちが確定する瞬間を見届けられないのが残念だ。次の戦いではちゃんと休憩を取るようにしようと誓った。


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