銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第五十五話:心配する俺と心配される俺 宇宙暦795年3月上旬 ハイネセン市

 第一一艦隊司令官ドーソン中将は執務室のデスクでふんぞり返っていた。胸には先日のティアマト星域の会戦における武勲によって授与されたハイネセン記念特別勲功大章が光っている。

 

 勲章はひと目で功績を示す便利なものであるが、日頃から着用している者はまずいない。ランクの高い勲章ほど作りが凝っていて重量がある。俺は十個近い勲章を持っているが、式典の際に全部着用すると重みでよろけてしまう。壊れたり紛失したりする可能性だってある。だから、普段は略綬と呼ばれるリボンを着用して勲章の代わりとする。ドーソン中将がわざわざ勲章を着用している理由はわかっていた。見せびらかしたいのだ。

 

「フィリップス君」

「はい」

「戦場で武勲を立てることこそが軍人の本分だと、小官は思うのだ」

「もっともです」

「やはり、軍人たる者、武功勲章の一つも持たねば一人前とはいえん」

「おっしゃるとおりです」

 

 参謀勤務の功績によって武功勲章が授与されることはほとんどない。実務能力を高く評価されていたドーソン中将であったが、武勲に乏しい上に細かいことにうるさいせいで、実戦部隊の人間からは軽視されがちだった。ドーソン中将も武勲を誇りにして規律を軽視する実戦部隊の気風を「武勲を鼻にかけるならず者」と嫌い、「軍人の本分は規律を守ること。武勲は二の次」といつも言っていた。それが武勲を立てた途端にこの変わり身だ。まったくもって現金としか言いようがない。

 

「まあ、しかし、また燃料税が上がるそうだな。ジョアン・レベロが財務委員長になってから、次々と増税法案が通っている。財政再建のためとはいえ、庶民には迷惑な話だ」

 

 ドーソン中将はデスクの上に置いてあった新聞をわざとらしく広げてみせる。日付は三日前。彼の勲章授与式の記事が書かれたページが俺に見えるようになっている。褒めて欲しくてたまらないのに、恥ずかしくて自分からは言い出せないのだろう。本当に人間が小さい。こういう人だとわかっていても、頭が痛くなる。

 

「困りますね、本当に」

 

 俺に流されると、ドーソン中将は新聞を置いて、同盟軍礼服の仕立て案内冊子を手にとった。

 

「貴官は礼服を新調したかね?」

「いえ、四年前に士官に任官した時から、ずっと同じ礼服を使っておりますが」

「そうか。小官は最近、礼服を新調してな。来年は上の子供の大学受験があるから、出費は避けたいのだが、着る機会が多いと古いままというわけにもいかん。まったく困ったものだ」

 

 同盟軍の制服には、モスグリーンのジャケットとベレー帽の常装の他に、白い背広風の礼装、モスグリーンの作業服などがある。基本的には軍から貸与される官品であるが、自費購入も可能だ。長期航海で替えの制服が多数必要になる艦艇勤務者には、追加で自費購入する者が多い。士官クラスだと体型に合った制服の方が見栄えがいいということで、自費で軍指定の業者に仕立てさせることが奨励されている。高級士官の礼服なんかはほぼオーダーだが、滅多に仕立て直すようなものではない。ドーソン中将は勲章を授与されたから礼服を新調したと、遠回しにアピールしてるのだ。

 

「最近、勲章を授与されましたからね」

「うむ、そうなのだ」

 

 ドーソン中将の目が喜びに輝く。これ以上知らん振りをしても、遠回しなアピールが延々と続くだけだ。俺の方から折れるしか無い。勲章を授与された当日にお祝いを言ったから十分じゃないかと思うが、ドーソン中将はそうは思わないのだろう。帝国の宿将グライスヴァルト提督の旗艦を撃沈するという大功に、すっかり舞い上がってしまっている。これでは名声が上がるどころか、馬鹿にされるんじゃないだろうか。口の悪いビュコック中将あたりの耳に入ったら、何と言われるかは想像に難くない。黙っていても尊敬されるような実力があるんだから、どっしり構えていて欲しいと思う。

 

 

 

 さんざんドーソン中将の勲章自慢を聞かされて、ほうほうの体で司令官執務室を退出してから二時間後。所用で宇宙艦隊総司令部を訪れた俺は、士官食堂でアンドリュー・フォークと昼食をとっていた。俺はローストポーク、パン、サラダ、スープのセットにジャンバラヤ大盛りとアップルパイ。アンドリューはクラムチャウダーとクロワッサン。彼と一緒に何かを食べるのは、昨年のイゼルローン攻防戦以来だ。

 

「アンドリュー、また痩せた?」

「いやあ、最近は体重量ってないからわかんないな」

「去年は確か五八キロだったよね?」

「そうだったっけ」

 

 アンドリューの身長は一八四センチ。体重五八キロでもだいぶ危ないのに、それより痩せたら一大事だ。

 

「ちゃんとごはん食べてる?そんだけしか食べてなかったら、体もたないでしょ?」

「エリヤが食べ過ぎなんじゃ」

「目の周りのくまも酷いじゃん。あんま寝てないでしょ」

「みんな寝ないで仕事してるのに、俺一人だけ寝てたら申し訳ないじゃん」

 

 ロボス元帥の司令部メンバーは団結が強いことで知られている。上下関係が親密で職場外でも集団行動を好む。失敗を恐れずに行動する姿勢が何よりも評価され、オーバーワークを誇る気風がある。そのため、他の司令部に比べて仕事時間が長くなる傾向があった。自分一人だけ寝てたら申し訳ないというアンドリューの気持ちは理解できる。

 

「倒れちゃったら、もっと申し訳ないことになるよ。睡眠を一時間惜しんだら、一週間働けなくなるって過労死防止キャンペーンで言ってたでしょ?」

「でも、遠征終わったばかりだから、なかなか休めないんだよ。グランド・カナル事件もあったしさ」

「ああ、そうだったね」

 

 第三次ティアマト会戦終了後、同盟軍は国境地域の警備部隊を増強して帝国軍の再侵攻に備えたが、輸送計画のミスから補給難に陥ってしまった。そこで一〇〇隻ほどの民間船が雇われて緊急輸送を行った。しかし、護衛にあたっていた一〇隻の軍艦のうち、九隻はロボス元帥の「敵の餌食にならないように、無理な行動をしないこと」という訓令を口実に危険宙域の手前で引き返してしまい、巡航艦グランド・カナルだけが残ったのである。

 

 輸送船団は不運にも哨戒にあたっていた帝国軍の巡航艦二隻と遭遇してしまう。グランド・カナルは一隻で立ち向かい、輸送船団を脱出させることに成功したが、自らは撃沈されて乗員全員が殉職した。同盟軍は殉職者全員に最高勲章の自由戦士勲章を授与して、英雄に祭り上げることでこの不祥事を乗り切ろうとしている。しかし、護衛が離脱する根拠となった訓令を出したロボス元帥の責任を追及する声は高まる一方だった。

 

 第三次ティアマト会戦は第一一艦隊が終盤で大損害を被ったものの、総体的には同盟軍の勝利と言って良く、総司令官を務めたロボス元帥の威信低下に歯止めがかかったかに思われた。しかし、グランド・カナル事件で台無しになってしまったのである。

 

「悪いことは重なるものだね、本当に。ロボス閣下も最近は体の調子が悪いみたいなんだ。心配だよ」

「俺はアンドリューの方が心配だけどね。去年からびっくりするぐらい痩せていってる」

「一年に一階級昇進してるからね。その分だけ責任ある仕事を任されるようになる。勉強しながら、仕事しなきゃいけない。休む暇がないんだよ」

 

 アンドリューは去年のイゼルローン攻防戦の功績で大佐に昇進している。士官学校首席卒業とはいえ、二五歳で大佐というのは破格の出世だ。士官学校卒業者で最も出世が早い者でも二七前後で大佐、三〇前後で准将というのが相場である。経験を積む暇もないうちに出世して仕事の難易度がどんどん上がっていくなんて、想像するだけで恐ろしい。ロボス元帥はアンドリューならできると見込んで引き立ててるんだろう。しかし、その期待がいつかアンドリューを潰してしまうのではなかろうか。

 

「士官学校卒の二五歳って普通は大尉やってる年頃だよ。そんで、小型艦の副長か、大型艦の科長か、司令部でヒラ参謀ってとこだよね。それなのにアンドリューは大佐で宇宙艦隊総司令部の作戦課長。全軍の行軍計画の責任者だもん。ロボス元帥が期待してるのはわかる。でも、期待しすぎなんじゃないかって思うんだ」

「俺じゃ若すぎて務まらないってこと?」

「違うよ。アンドリューは経験足りない分、必死で努力してるよね?」

「他に取り柄がないからね」

「でもさ、努力すると体力使うじゃん。アンドリューは体を削って必死で期待にこたえようとしてるように、俺には見えるんだ。見てて怖くなるよ」

「うちの司令部では怠けていられないよ。知恵がないなら体を使え、時間がないなら急いで走れというのがロボス閣下のモットーだからね」

「俺のとこは現場に足を運べ、ルールに厳格であれがモットーなんだよね。文化が違うんだろうなあ」

 

 ロボス元帥の司令部とドーソン中将の司令部は、怠けるのを嫌う空気があるという点では良く似ている。だが、積極性が評価されるロボス元帥の司令部に対し、ドーソン中将の司令部では厳密さが評価される。体育会系の真面目さと風紀委員の真面目さの違いというべきだろうか。だから、肉体的負担は後者の方が少なく、精神的な負担は前者の方が少ない。

 

「面白いよね。ロボス閣下の司令部にしか勤めたことがないから、エリヤの話は勉強になるよ」

「うちに来る?アンドリューなら大歓迎だよ」

「やだよ。ドーソン提督は俺みたいな無神経な奴、嫌いだろ」

「まあ、確かにね」

 

 アンドリューが無神経とは思わないが、ドーソン中将の神経質と合わないのは火を見るより明らかだ。日の当たる場所でまっすぐに生きてきたアンドリューと、他人や常識を意識しながら恐る恐る生きてきたドーソン中将は決定的に合わないだろう。

 

「エリヤの司令部なら来てもいいよ」

「俺の司令部に来たら、有給休暇を全部消化するように命令するわ」

「えー、参謀長にしてくれないの?」

「いや、真面目な話、君にはしばらく休んでてほしいよ。不健康を通り越して、病人って感じだもん」

「ひっでえなあ」

「ドーソン提督が戦闘中に過労になったとこ見てるからさ。神様みたいに仕事ができるあの人でも、判断が鈍っちゃうんだよ。参謀はいつも頭を万全な状態に保っておかなきゃ。いざという時に判断が狂ったら、ロボス元帥にも迷惑かけちゃうよ?」

 

 完全にチュン・ウー・チェン大佐の受け売りだが、ロボス元帥の期待に応えて一直線に走る以外の生き方を知らないアンドリューには一番必要なことだろう。できれば、直接引き合わせて、諭してもらいたいぐらいだ。

 

「ありがとう、エリヤ」

「お礼はいいから、俺が言ったこと考えといてよ。次に会った時はベッドの上とか、そんなことになるのは嫌だから」

「わかったよ」

 

 どこまでわかったのか怪しいもんだけど、それでもありがとうとか、わかったとかいう言葉を聞くだけで嬉しくなる。きっと、俺が単純だからなんだろう。しかし、こういう言葉を言えるうちは大丈夫なんじゃないかと根拠なく思っていた。

 

 

 

「確かに根拠が全く無いな」

「大佐もそう思われますか」

 

 勤務が終わって家に帰った俺は、クリスチアン大佐と久しぶりに携帯端末で話している。昨年春のヴァンフリート四=二基地の戦いの功績で大佐に昇進した彼は、現在は第四方面管区の地上軍教育隊長として、新兵教育にあたっていた。

 

「まあな。しかし、貴官らしくて良いではないか。少し安心した」

「何か心配事があったんですか?」

「うむ。貴官は最近、政治に近寄り過ぎていると思っていたのだ」

「政治、ですか?」

 

 心当たりはありすぎるほどある。しかし、ストレートに認めるのは怖かった。

 

「上官を通じて、トリューニヒト国防委員長と親しくしているそうではないか。小賢しい処世術を覚えたのではないかと気を揉んでおったのだ」

「それは事実です。しかし、出世目当ての処世術とかそういうのではないですよ。俺がそういう人間じゃないのはご存知でしょう?」

「では、何だ?」

 

 クリスチアン大佐の声が重い鉄球のように感じられた。後ろめたいことは何一つ無いはずなのに、どうして気後れしてしまうのだろうか。

 

「助けてほしいと言われたんですよ。理想を実現するために」

「本気で言っているのか?」

 

 トリューニヒトと話した時は、期待されたことが心の底から嬉しかったはずだ。それなのにクリスチアン大佐のシンプルな問いかけにその気持ちを伝えることが恥ずかしく感じる。

 

「ええ、本気です」

「政治家というのは、目的のためならいくらでも嘘をつける連中だぞ?」

 

 俺と話した時のトリューニヒトの言葉には嘘はなかったと思う。あれが嘘だったとしたら、騙されてしまっても仕方ない。しかし、それをクリスチアン大佐に伝えることはためらわれた。自分が道化になっているような気がしたからだ。

 

「肝に銘じておきます」

「ならば良い」

 

 深く詰められることなく返されてホッとする。クリスチアン大佐の言葉は軍隊一筋に生きてきたがゆえにシンプルで重厚だ。今の自分には、それと対峙出来るだけの信念は無い。

 

「心配をおかけして申し訳ありません」

「小官が心配しすぎているだけかもしれん。貴官は真面目で公正だが、どこか頼りないところがあるからな。つい世話を焼きたくなる」

 

 クリスチアン大佐の声に苦笑が混じった。この人はいつも一点の曇り無く親身だ。だから、安心できる。

 

「ありがとうございます」

「大佐ともなると、誰が何とか派やらいう話がやたら耳に入ってきてな。鬱陶しくてたまらんのだ。そういうことにばかり目ざとい輩を見ると、軍人をやっているのか、政治をやっているのか、問い詰めたくなる」

 

 彼らしい派閥への反感だ。軍内政治にさぞ辟易しているのだろう。中佐に昇進した時にあまり嬉しがっていなかったのも、階級が高くなれば必然的に政治に巻き込まれることを予感していたからかもしれない。

 

「確かに俺も中佐になってから、そういう話をやたら耳にするようになりました。最近は人の顔を見るたびに、どこの派閥かって反射的に考えてしまいますよ。知らず知らずのうちに染まってしまったみたいです」

「貴官が派閥で他人への態度を変えるような男とは思わん。だが、貴官に対する他人の態度が変わってくることが心配でな」

「と言いますと?」

「小官のところにも、貴官を紹介してほしいなどという者が頻繁にやって来るのだ。奴らから見れば、貴官はトリューニヒトとドーソン提督のお気に入りなのだそうだ。貴官を通してどちらかに取り入れば、将来が安泰になるとでも思っているのだろう。まったく、浅ましいことだ」

 

 トリューニヒトとドーソン中将のお気に入りというのは、客観的に見ても否定はできない。彼らの派閥のメンバーとみなされても仕方ないぐらいに付き合いは深い。しかし、俺を通して彼らに取り入ろうとする人間がいること、そんな人間がハイネセンから遠く離れたクリスチアン大佐の周囲にまでいることなどは、想像もしていなかった。トリューニヒトのお気に入りという虚像が歩き始めている。

 

「大佐と出会った頃のことを思い出します。あの時はエル・ファシルの英雄という虚像が果てしなく大きくなっていくことに恐ろしさを感じていました。英雄の虚像に大勢の人が群がってきた時に、俺という人間に向き合ってくれたのはあなたとルシエンデス曹長とガウリ軍曹だけでした」

「トリューニヒトも英雄の虚像に群がった者の一人だったな」

 

 言われてみて思い出した。当時、国防委員だったトリューニヒトは俺をパーティーに呼ぼうとしたが、クリスチアン大佐に断られた。そのことを根に持って統合作戦本部の広報室に抗議をしたとかいう話を聞いて、心が狭いと思ったんだ。

 

「今、思い出しました」

「記憶力の良い貴官らしくもないな。まあ、政治家と付き合うのは良い。だが、決して心を許すな。奴らは虚像しか見ない。友には決して成り得ない」

 

 クリスチアン大佐が政治家に何を見ているのかはわからない。しかし、政治的な理由でエル・ファシルの英雄という虚像を作り上げたあの騒動に、何か考えるところがあったのかもしれない。とっくにトリューニヒトに心を掴まれてしまっている俺は手遅れかもしれないけど。理性で彼を疑っても、感情が彼を信じるだろう。

 

「わかりました」

「政治というのは汚水溜めのようなものでな。避けて歩くに越したことはない。貴官には一点の曇りもなく生きてほしいと願っている。貴官のようなまっすぐな男は政治などに関わるべきではないのだ」

 

 前の人生の俺はエル・ファシルの逃亡者の汚名に押し潰されて、暗闇を這いずり回りながら、八〇年を無為に生きた。今の人生では日の当たる場所を生きているが、それでも地獄の地上戦を引き起こしたエル・ファシル義勇旅団という幻想の罪の一端を背負っている。クリスチアン大佐が思うほど、俺はまっすぐではない。しかし、まっすぐに生きてほしいという願いには、できる限り応えたいと思った。


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