銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第五十六話:未来に向かう道は過去から続いている 宇宙暦795年4月3日 ハイネセン市エルビエアベニュー

 宇宙暦七九五年四月三日一三時。ハイネセン市営鉄道のチャーチストリート駅西口。ダーシャ・ブレツェリは俺を見つけると、にこにこして駆け寄ってきた。やや緩めでふわっとした素材のブラウス、やや短めのスカート。全体的にふわふわした感じが丸顔のダーシャに似合っている。

 

「待った?」

「全然」

 

 人と待ち合わせる時は、必ず20分前には到着することにしている。一方、ダーシャはいつもギリギリだ。彼女は頭が良いのに、時間の使い方はあまりうまくない。本当は九時か一〇時に待ち合わせたかったのに、休日は必ず昼近くまで寝ている彼女に合わせてこの時間になった。

 

「どう?」

「どうって何が?」

「今日の私の格好」

「かわいいんじゃないの」

 

 俺がそう答えると、ダーシャは不機嫌そうにむくれた。かわいいと言ってるのに、何が不満なんだろうか。彼女なら何を着てもかわいらしいと思う。それに服よりも大きな胸の方を意識してしまう。

 

「だから、どうかわいいのさ」

 

 知るかよ、と思ったけど、怖くて言えない。なんでいちいちこんな事を聞いてくるんだろうか。仕事には無駄がないのに、プライベートではいつもこの調子だ。悪い奴じゃないんだが、面倒くさい。

 

「いや、なんていうか。ダーシャらしいというか」

 

 曖昧に答えてお茶を濁そうとしたが、ダーシャは許してくれなかった。結局、歩きながら、俺がモテない理由だの、今着ている服を選んだ理由だのをさんざん聞かされることになった。そこから、現在身に着けてるアイテムの説明に話が及んでいくのがいつもの展開である。俺が聞いているかどうかはわりとどうでもいいらしく、ある程度一方的に喋ったら満足してしまうのが唯一の救いだろう。

 

 階層社会のゴールデンバウム朝では、服装を見れば身分がわかるようになっている。平民は質素な服装を強いられ、貴族は格式にふさわしい高価な服を着なければ後ろ指を差される。例外は軍人、官僚、貴族社会に出入りするビジネスマンぐらいである。だから、ファッションはきわめて保守的で多様性に欠けていた。

 

 一方、自由惑星同盟はどのような服装をしようと自由だから、ファッションも多種多様だ。そのため、宇宙のファッション市場は自由惑星同盟とフェザーンを中心に動いていた。

 

 三千万の人口を擁する同盟の首都ハイネセンは、フェザーンに匹敵するファッションの都である。市内にある四つのファッション街は、それぞれの個性を持ったファッションを発信している。今日の目的地、エルビエアベニューは、清潔感があるスタンダードなファッションの発信地として知られている。

 

 自分の私服のセンスが相当危ういと気づいた俺は、ファッション好きのダーシャに私服選びのアドバイザーを頼んだ。蛇足ではあるが、ダーシャから予習用として渡されたファッション雑誌によると、去年のフェザーン行きに際して、憲兵隊のユリエ・ハラボフ大尉が用意した変装用の服は、フェミニンでありながら性別を選ばないファッションで知られるスペイシースクエアの街の系統らしい。

 

「いや、みんな凄くおしゃれだね。こんな安物の服で歩いていいのかな?」

「気後れする?」

「うん、俺がいていい場所じゃないような気がするよ。軍服着てくれば良かった」

「だから、ちゃんとした服を買わなきゃいけないの。どこに行っても気後れしないためにね」

 

 ダーシャの言うことはもっともだ。こんな街を歩いていると、服なんて着れればいいという考えは三秒で吹き飛んでしまう。着て歩けなければ意味が無いのだ。

 

「でもさ、本当に俺に似合う服があるのかな。自分がこの街を歩いてる人みたいになれるとは思えない」

「私が選ぶから大丈夫。エリヤはスタイルがいいから、何でも似合うよ」

「ほんとかなあ」

 

 今はダーシャを信じるしかない。格好悪くてごめんなさいと街行く人々に心の中で謝りながら、ひたすら彼女の後を付いていく。おしゃれな人々の洪水に押し流されそうな今の俺にとって、彼女の存在だけが命綱だった。

 

 やがて、バカラプラザに辿り着く。数多くのファッション専門店が入居しているこの高層ビルは、エルビエアベニューの総本山ともいうべき存在であった。俺が入っていいのだろうか。そう思うと、緊張でお腹が痛くなってきた。

 

「どうしたの?入らないの?」

「あ、いや、ちょっと腹痛が…」

「馬鹿なこと言わないの」

 

 ダーシャは俺の訴えを無視して、バカラプラザにすたすたと入っていく。こんなところに置いて行かれたら、遭難してしまう。慌てて彼女の後を付いて行った。導かれるがままに混雑するバカラプラザの中を無我夢中で歩き、エスカレーターに乗る。やがて、ダーシャはある店の前に立ち止まった。

 

「エリヤ、この先は全部私に任せといて!」

 

 未だかつて無いほどの烈気を目に宿しているダーシャに対し、無言で頷く以外の選択は俺にはなかった。この先も何も、最初から全部任せているのだから。だだっ広い店の中はさながら服のジャングルと言った風情だった。これだけ服があったら、何を着ていいのかわからなくなってしまう。

 

「まずはボトムスだね」

 

 そう言うと、ダーシャは服のジャングルの中へ分け入っていった。何をしていいかわからずに途方にくれている時、何をするべきかを知っている参謀の存在が最後の希望となる。第三次ティアマト会戦でチュン・ウー・チェン大佐から学んだ参謀の助言の大切さを改めて思い知らされた。しばらくすると、ダーシャは五本ほどズボンを持って戻ってきた。

 

「全部試着して!」

 

 言われるがままに試着室に入り、ズボンを履いたらダーシャに見せる。いろいろと角度を変えながら、敵の隙を探す提督のような目で下半身を見つめられると恥ずかしくなってしまう。ダーシャが見終わると、次のズボンの試着。それを五本分終えると、ダーシャはちょっと考えこんで、インディゴブルーのジーンズを掴んで俺に差し出す。

 

「これにしよ!」

 

 よりによって、試着した中で一番履きたくないズボンだった。ぴったりしすぎていて、似合わないんじゃないかと思ったのだ。

 

「ちょっとぴっちりしすぎじゃない?」

「そんなことないって。スキニーは定番だよ。エリヤみたいに足が細くて長いと良く似合うの」

「まあ、ダーシャがそう言うんなら、そうなんだろうな」

 

 彼女が似合うというのなら、きっと似合うのだろう。わからない時はプロに任せるのが一番なのだ。自分でなんでもやろうとしてはいけないということを軍隊で学んだ。いくらするのかな、と思って値札を見る。

 

「一一八ディナール!?」

「どうかしたの?」

「高すぎない?だって、ジーンズでしょ」

「この質だったら、むしろ安いよ」

「俺、四〇ディナール以上のズボン、買ったこと無いけどなあ」

「だから、ださいんじゃん」

 

 一部の隙もない正論の前に完全敗北を喫した俺は、このズボンを買うことに決めた。しかし、ズボン一本でこの値段だと、ファッション好きな人は破産してしまうのではなかろうか。

 

「パーカー?持ってるから買う必要ないよ」

「エリヤの持ってるパーカーって、どうせダボッとした安物でしょ?」

「まあ、そうだけど」

「体にフィットしたの着なきゃ格好悪いよ」

「はい」

 

「この柄、派手すぎない?」

「全然。よく似合ってるよ」

「色もちょっと明るすぎるし、俺のキャラじゃないっていうか」

「エリヤってどういうキャラだったっけ?」

「地味で暗くて、そして…」

「これからは明るくて元気なキャラを目指そうね」

「はい」

 

 この調子でダーシャに選んでもらった服を買っていき、最終的にズボン三本、カジュアルシャツ二着、長袖カットソー二着、七分袖カットソー一着、半袖カットソー三着、パーカー二着、カーディガン一着、ジャージ上下一着、シューズ一足、ブーツ一足を購入した。

 

 合計一二三三ディナール。中佐の月給と勲章の年金を合わせて、毎月五〇〇〇ディナール以上の収入があり、軍人三点セットの酒もギャンブルも女遊びも嗜まず、家庭も持っていない俺には余裕で払える額だ。しかし、服を買うのにこれだけ払うという事実に、クレジットカードを取り出す手が震える。ダーシャの方を見ると、拳をグッと握って親指を上げている。

 

「ありがとうございました」

 

 店員の声を背にした俺達は店を後にした。買った服は配送料を払って、後で家まで送ってもらうことになっているため、手には何も持っていない。実に便利な世の中である。

 

「あー、いい買い物したねー。楽しかった」

 

 心の底から楽しそうに笑うダーシャを見て、本当にいい奴だと思った。自分の服だろうが、他人の服だろうが、服を選ぶのが楽しくてたまらないのだ。

 

 これまでの俺は親しい人達の軍人としての側面しか見てこなかったが、去年入院してダーシャ、ベッカー中佐、スコット大佐らと知り合ってからは、プライベートの側面にも目を向けるようになってきている。これまで見なかった面を見つけるのはとても面白い。

 

「本当に助かったよ。君がいなかったら、どうなることかと思った」

「私の方こそ、お礼を言わなきゃいけないよ」

「なんで?」

「私は胸が大きいからさ、服を選べないのよね」

「そうなの?」

 

 胸が大きいのは良いことだと、何の疑いもなく思っていた。テレビには胸が大きいタレントが大勢出てくる。母も姉も妹も胸が小さくて、いつも胸が大きい人を羨ましがっていたのを覚えている。プライベートでの付き合いがあるイレーシュ中佐やガウリ軍曹もさほど胸が大きいわけではないし、軍隊の先輩と思って付き合っていたから、こういう話題はしなかった。だから、胸が大きい人の意見を聞くのはこれが初めてだ。

 

「体にフィットした服を着たら、胸が目立っちゃうでしょ?ミドルスクールの頃から、ジロジロ見られることが多いのよ。エリヤも私と初めて会った時は胸に視線が行ってたよね。だから、胸が目立つ格好はしたくないんだ」

「ご、ごめん」

 

 気づかれてたことを知って、軽く落ち込んだ。エル・ファシルの英雄だった頃の俺には、賞賛の視線ですら居心地悪く感じられたものだ。好奇の視線なら、なおさら傷つくはずだ。服装の評価を聞かれて、服より胸が気になるなどと内心で思った自分が恥ずかしくなった。

 

「でも、目立たないようにゆるゆるの服を着たら、太って見えちゃうのよ」

 

 実際、俺も最近まではダーシャは太っていると思っていた。彼女は顔が丸っこくてぷっくりしている。入院中はサイズが大きめのパジャマを着ていたし、軍服だって大きめのを着ていた。二週間前にふとしたことから体重を教えられて、太っているどころか身長あたりの平均より軽いことに驚いたものだ。彼女は自分より六、七センチほど背が高い俺の方が体重が軽いことにショックを受けていたようだが。

 

「だから、好きなように服を選べるって嬉しいわけ。エリヤは細くて姿勢いいから、何を着ても似合うしさ」

 

 でも、俺は身長低いし、などとは言えなかった。結構気にはしているけど、ダーシャの苦労に比べたら、平均より三、四センチ低いぐらいどうってことはない。ファッションが好きで好きでたまらないのに、好きな服を選べないのはさぞ辛かっただろう。

 

「俺で良ければ、また付き合うよ」

「え、いいの、本当に!?」

「いいよ、俺のセンスで服選んでも、この街を堂々と歩けるような格好できないもん。全部、君が選んでくれた方がいい」

「ありがとう、本当にありがとう」

「いいって、いいって。助け合いは大事だろ」

「今日はおごるよ。食べたい物あったら、何でも言って」

「だからいいって」

 

 大喜びするダーシャを嬉しさ半分困惑半分の気持ちで眺めながら、一緒にバカラプラザを出たところで不意に声をかけられた。

 

「エリヤ?」

 

 振り向くと、俺と同年代ぐらいの男が立っていた。体格は平均的で目が小さくて鼻が低い。服装もこの街に違和感なく馴染む程度にはおしゃれだが、個性は強くない。印象が薄いというのが彼から受けた印象だった。

 

「どなたでしょうか?」

「エリヤだよな?エリヤ・フィリップス」

「そうですが」

 

 男はさらに困惑したような表情になったが、俺だって困っている。ファーストネームで俺を呼ぶ人間なんて、家族を含めてもこの広い宇宙ではせいぜい一〇人ちょっとだ。俺には男兄弟がいないから、目の前の男は友人ということになるはずだが、まったく記憶にない。

 

「フィリップス君の同級生とか?」

「ええ、そうなんですよ」

 

 見かねてダーシャが出した助け舟に、男はホッとした様子で応じる。もっとも、ミドルスクールやハイスクールの同級生だって、俺をファーストネームで呼ぶような相手はほとんどいない。いたとしても、前の人生で逃亡者の汚名を着た俺を迫害する側に回った。どのみち、思い出す必要は無いだろうと思い、足を踏み出す。

 

「ミドルスクールの三年度で同じクラスだったリヒャルト・ハシェクだよ。もう八年も会ってないから、忘れちゃったのかな。エリヤもいろいろあったみたいだし」

 

 その名前を聞いた俺は足を止める。彼は捕虜交換で帰国した後の俺とは会っていない。だから、彼からは迫害を受けなかった。しかし、ここで再会できるとは思わなかった。彼が今の人生で出現する可能性をまったく考えていなかった。

 

「あーっ、リヒャルトか!!」

「そうだよ、なんで忘れんだよ。ひっでえなあ」

「ごめん、もう会えないかと思ってたから」

「おい、大袈裟だな。それになんで泣いてんだよ」

「いや、だって、本当にもう会えないと思ってた」

 

 リヒャルト・ハシェクはミドルスクール時代の数少ない友人の一人だった。前の人生では、ハシェクは軍の通信科学校に進んで下士官となり、七九六年の帝国領侵攻作戦「諸惑星の自由」で戦死している。だから、七九七年二月の捕虜交換式で帰国した俺と会えなかった。死んでしまって二度と会えないものと思っていたし、迫害にも関わっていなかったから、顔を忘れてしまっていた。

 

 しかし、よく考えれば、今の時間軸では生きていて当然の人間なのだ。当然なのはわかっているのに、涙が止まらない。

 

「いったい、どうしたんだよ。俺の顔を忘れてるかと思えば、今度は泣き出しちゃって。アルマちゃんは覚えててくれたのに」

「アルマ?」

「うん。ついさっき、そこで会ったよ。あっちから声かけてきてくれてさ。エリヤは全然変わってないけど、アルマちゃんは…」

 

 もはや、ハシェクの言葉が耳に入らない。妹のアルマがすぐ近くにいる。その事実に全身の血が凍り付き、激しい動悸がした。

 

 いつも自分の後ろを付いてきていた甘えん坊の妹が、悪鬼のような形相で憎しみをぶつけてきた恐怖はまだ拭い去れていない。メールなら削除すればなかったことにできる。しかし、本人がすぐ近くにいれば、直接的な接触の可能性がある。前の人生と今の人生はだいぶ前に道を違えたはずだったのに、再び交わり始めているのだろうか。二度と会えないと思っていたハシェクとの再会、そしてアルマが至近距離にいるという事実がそんな錯覚を呼び起こした。

 

「どうしたの、エリヤ。顔色悪いけど」

 

 今の光に満ちた人生の象徴とも言えるダーシャが心配そうに俺の顔を見る。彼女と暗闇の中にあった前の人生の象徴とも言えるアルマがすぐ近くにいることに、本能的な恐怖を覚えた。

 

「行こう、ダーシャ」

「え、どうしたの?妹さんが近くにいるなら…」

「いいから、来い!」

 

 そう叫ぶと、俺は強引にダーシャの手を引っ張って走りだした。アルマに見つかる前にここを離れなければいけない。

 

「ねえ、本当にどうしちゃったの!?」

 

 ダーシャの問いを無視して、ひたすら夕暮れ時のエリビエアベニューの長い長い歩道を駆け抜けた。今の人生で得たものを手放すまいという思いが、俺の足を急がせた。




原作の記述を元に1ディナールは現在の1米ドルと同等に近い価値があると計算しました。

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