銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第五十八話:凡人民主主義 宇宙暦795年4月5日 ハイネセン市、ウッドリバー街「ティエラ・デル・フエゴ」

 ヨブ・トリューニヒトはこの半年で急速に勢力を拡大している。昨年一一月にドゥネーヴ派を離脱し、オッタヴィアーニ派やヘーグリンド派を離脱した中堅・若手の代議員とともに、自らの派閥『フリーダム・アンド・ユニオン』を結成。世代交代と政治改革を旗印に、改革市民同盟の次期党代表候補に名乗りをあげた。

 

 一二月の内閣改造で国防委員長に就任すると、三年ぶりの軍事予算増額を勝ち取って、軍人や軍需産業の間で支持を広げている。経済政策の転換を望む財界非主流派、官界の綱紀粛正を求める若手官僚、強い指導者を待望する主戦派言論人などがブレーンに加わり、政界再編の旗手として注目される存在だった。

 

 今、俺はそのトリューニヒトとともにウッドリバー街のバー「ティエラ・デル・フエゴ」にいる。薄暗い照明、薄汚れたテーブル、もうもうと立ち込めるタバコの煙、延々と流れる三十年前のポピュラーソング。客のほとんどはくたびれた背広や汚れた作業服を身にまとった中年男性。メニューは全部手書き。無節操なまでに多種多様な料理と酒は、どれも信じられないぐらい安い。気鋭の政治家が来るような店とは思えないような場末感だった。

 

「ヨブの旦那、ずいぶんとご無沙汰でしたねえ」

「最近、仕事が忙しくてね」

「ああ、年度初ですからねえ。旦那のとこみたいな堅い会社は大変でしょう」

「宮仕えも楽じゃないよ。来週のカーライルステークスで一発当てて、楽隠居と洒落込みたいもんだ」

「エンドレスピークの銀行レースでしょ?家を抵当に入れて全額ぶち込んでも、小遣いになりゃしないんじゃないですかね」

「チャーリー、私がそんなせこい勝負をすると思っているのかい?男なら大穴一点買いに決まっているだろう」

「だから、勝てねえんですよ」

「勝算はあるさ。君がエンドレスピークを一点買いしてくれたら、間違いなく大穴が来る。なにせ、君が買った馬はいつも外れるからね」

 

 安物のスーツに身を包み、古ぼけたジャンパーを羽織り、常連客と気さくに競馬の話をするトリューニヒトは、驚くほど店に馴染んでいた。会社とか、宮仕えとか言っているのはどういうことだろう?

 

「坊主、ヨブの旦那みたいな大人になるんじゃないぞ。博打で勝てなくなっちまうからな」

「ひどいな、チャーリー。この子は博打なんかしないよ」

「なるほど、旦那が反面教師になってるってわけですか」

「そういえば、君の子供はみんな博打嫌いだったね」

「ひっでえなあ。まあ、相変わらず憎たらしそうで何よりでさあ」

 

 常連客は苦笑すると、足をふらつかせながら席に戻っていった。かなり酒が入ってるらしい。いくら知り合いだと言っても、政治家相手に随分と遠慮がない。他の客も店のマスターもトリューニヒトの存在に緊張している様子は全く無い。

 

「委員…、いや、ヨブさん。これはどういうことなんですか?」

「どうしたんだい?」

「この店の人達が小…、いや、俺を気にしてないのはわかるんです。最後にテレビに出たのは四年近く前だし、ネットで出回ってる画像も今の俺とは…」

「全然似てないね。学生みたいな格好だ」

 

 曖昧にごまかそうとしたのに、トリューニヒトにストレートに突かれて、少しへこんでしまった。

 

 今日の俺は無地のカットソー、ボーダー柄のプルオーバーパーカー、チノパン、カジュアルシューズ。ウッドリバー街は庶民の街だ。手持ちの服はおしゃれすぎて、学生風にまとめなければ街に溶け込めないと判断した。成功しているのはいいことなのだが、二六にもなってそう見える自分の容姿に微妙な気持ちを感じずにはいられない。気を取り直して、何事もなかったかのように話を続ける。

 

「ヨブさんは今も毎日のようにテレビに映ってますよね?」

「そうだね」

「どうして、ここの人達はテレビで騒がれてる話題をあなたに振らないんでしょうか?」

 

 非公式の面会なので、トリューニヒトのことは「ヨブさん」と呼び、一人称は「俺」にするようにと言われている。それでごまかせるとは思えなかったのが、どうやらごまかせてしまっているらしいことに面食らっていた。

 

 六年近く前、エル・ファシルの英雄としてメディアにもてはやされていた俺が故郷のパラディオンに戻ると、家族や知り合いはみんな脱出行の裏話を聞きたがった。軍隊で知り合った人もやはり脱出行の裏話に強い興味を示した。大抵の人はメディアで騒がれていることの裏側を知りたがる。ティエル・デラ・ブエゴの客が誰も知りたがろうとしないのは不自然に感じた。

 

「彼らは私が政治家だってことを知らないからね」

「そうなんですか…?」

「そうとも。この店では、堅い勤めをしているヨブで通ってる」

「いや、でも、テレビとか見てるのに気づかないんですか?」

「だって、彼らは政治ニュースなんて見ないからね。たまに目についてもすぐ忘れる。興味ないから」

 

 あっさりと切り捨てるトリューニヒトの言葉に驚いた。有権者の大半が政治に興味を持っていないのは事実だ。ここの客のように政治ニュースにすら興味を示さない人がいるのも想像の範囲内ではある。しかし、政治家はその事実を認めてはいけない立場にあるはずだ。自分を支えてくれる有権者を見下すことになる。

 

「何を驚いたような顔をしてるんだい?彼らの方が多数派であることぐらい。君だって知っているだろう」

 

 知っている。しかし、それは彼の立場では言ってはならないことだ。良い人に見えるトリューニヒトも内心では有権者を見下していたのだろうか。衆愚政治家という前の歴史の評価のほうが正しいのだろうか。

 

「働いて食べて寝て起きる。人と出会って関わる。子供を産み育てる。余暇に体を休めて趣味を楽しむ。そのどれもが人生を賭けるに値することだ。普通は日々の営みをこなすだけで精一杯だろう。そんな中で社会や国家まで見つめる余裕を持てる者はどれほどいるのだろうか。政治に興味を持つことが正しくて、持たないことは正しくないのか。日々の営みに忙殺されるのは悪いことなのか。君はどう思う?」

 

 政治に興味を持たなければならないというのは、民主主義国家で生きる以上は大前提であるはずだ。ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムも有権者の無関心に付け込んで、銀河連邦を簒奪した。だから、政治に興味を持たなければならないと学校で習った。

 

「しかし、それではルドルフみたいな悪人を止めることができないのではないでしょうか?」

「なぜ、そう思う?」

「有権者が政治に興味を持たなかったせいで、ルドルフの本性を見抜けませんでした。もっと興味を持っていたら、騙されずに済んだと思うのです」

「ルドルフに投票した人達は何も考えずに騙されたのかな?真剣に考えて投票した人はいなかったのかな?興味を持っていれば、ルドルフに投票しないと言い切れる理由はあるのかな?」

 

 トリューニヒトの口調は柔らかいが、問いかけの内容はこの上なく重い。俺がこれまで当たり前のように信じていたことの正当性が問われている。経済は長期にわたって停滞し、治安は悪化の一途をたどり、道徳や規律は失われ、希望を持てなかった銀河連邦末期。その時代に俺が生きていたら、ルドルフに投票せずにいられたんだろうか。

 

「自分にはわかりません」

「社会を良くしようと真剣に願って投票した人もいたはずだ。興味を持って考え抜いた末に、ルドルフしか選べなかった人もいたんじゃないか。ルドルフの登場に警鐘を鳴らした共和派政治家なんて、きつい言い方をすると、当時の社会的混乱を収拾できずに警鐘を鳴らしてるだけの人達だよ。真面目に考えた結果、そんな無能者に投票する有権者がいたら、そちらに驚きを感じるね」

「興味を持ったからこそ、ルドルフに投票したのではないかとお考えなのですか?」

「私にはそうとしか思えない」

 

 興味を持ったからこそ、ルドルフに投票したのではないかとトリューニヒトは言う。だとしたら、政治に興味を持ってもルドルフを止められないということになる。興味を持っても持たなくてもルドルフを止められないとしたら、政治に興味を持つべき理由はどこにあるのだろう。そもそも、民主政治自体に致命的欠陥があるということになりはしないか。

 

「おっしゃるとおりだとすると、政治に興味を持つ意味がないように思えてきます」

「政治はゴミ溜めなんだよ。日々の営みに忙殺されてなお、ゴミ溜めに興味を持つ方がおかしい」

 

 トリューニヒトの言葉は政治に興味を持つなと言っているように聞こえて、ちょっとイラッとした。建前を平然と踏みにじるような行為は好きになれない。

 

「昼にお話を伺った時は、『政治はゴミ溜めだ、しかし誰かが片付けなければならない』とおっしゃったのに、今は政治に興味を持つべきでないとおっしゃっているように聞こえます。矛盾しているのではないでしょうか」

「矛盾はしていない。日々の営みに忙殺されている人々がゴミ溜めに興味を持たずとも、安んじて暮らせるように片付ける。それが政治家の仕事だと私は思うよ」

「それなら、民主主義である必要がどこにあるのでしょうか?専制君主に全部任せてしまっても、結果は同じじゃないですか?何のために参政権があるんですか?」

 

 俺は民主主義の絶対的な信奉者というわけではない。前の人生の半分以上はローエングラム朝銀河帝国の治世で暮らしている。民主主義でも専制政治でも、俺が良い目を見られないことには変わりがなかった。しかし、現在の自分が民主主義のルールで生きている以上は、それに忠実でありたいと思う。いや、ルールから外れて生きていけるほど、自分が強くないと言った方が正しい。

 

「真剣に政治を考えている人達だけで、世の中を動かさないようにするためじゃないかな。政治のことなんかどうでも良くて、その時々の気分や目先の損得勘定で投票する。そんな有権者を多数派にするためだろう」

「それでは間違った政治をすることになります」

「ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは間違いを許さない人物だった。そんな彼に間違いのない政治を有権者が期待した結果、少しでも間違っていると思われたものは世の中から抹消されていった。人間なんて間違いだらけの存在だろう。間違いを無くそうとする事こそがルドルフに至る道じゃないかな?」

 

 確かにルドルフは間違いの無い政治を目指した。その結果、劣悪遺伝子排除法によって、障害者や意欲に欠ける者を抹殺するに至った。政治に間違いを許さない姿勢がルドルフの暴走を招いたのではないかというトリューニヒトの指摘は正しい。ルドルフに間違いがあるとしたら、それは人間が間違った存在であることを許せなかったことだ。

 

「間違いのない政治を目指したら、人間が間違わないことを目指すしか無いでしょうね。それが無理なのはわかります。俺だって、間違わずに生きるのは無理です」

「世の中の人間の大半は凡人だよ。目先の損得やその場の空気に流されて、間違いばかりを起こす。欲が深いくせに無欲に見られたい。怖くて逃げたいのに逃げたと思われたくない。愚かなのに馬鹿と言われたくない。私もそんな間違った凡人の一人だ」

 

 俺が知る限り、トリューニヒトは最も凡人からかけ離れた存在だ。容姿、頭脳、カリスマ、運の全てに恵まれ、エリートコースを突っ走って官僚になった後、政治家に転身して成功した。今や政権に手が届くところまで来ている。前の歴史でも最高評議会議長就任後は危機管理能力の無さを露呈したが、それを差し引いても非凡な人物ではあった。八月党が下した保身とエゴイズムの怪物という評価は同時代人の感想として大袈裟に過ぎると思うが、それでも凡人でないことは敵対者ですら認めていた。

 

「あなたが凡人とは思えませんが」

「昔は私もそう思っていたよ。自分は人とは違う、選ばれた存在だと思っていた」

「違うのですか?」

「今になって思えば、選ばれたと思っていたこと自体が私の凡人たるゆえんだったのだろうね」

 

 トリューニヒトの表情に陰りがまじる。見覚えのある表情だ。前の人生のハイネセンのスラムで出会った人々が同じような表情をしていた。人生に疲れきって、夢を見ることを諦めた敗北者の顔。あの頃に鏡を見たら、俺も同じ顔をしていたことだろう。

 

 公式に知られている限り、トリューニヒトは挫折らしい挫折を経験していない。歴史においても、数多くの失策を犯しながら、キャリアに傷が付いたのはバーラトの和約後に最高評議会議長の座を追われた時だけだ。それとて、後を継いだジョアン・レベロの背負った苦労を思えば、うまく身を保ったと言える。そんな人物がなぜこんな表情をできるのだろうか。トリューニヒトには何かがある。俺には計り知れない何かが。

 

「あなたは何を諦められたのですか?」

「非凡であることを諦めた。それで良かったと思うよ。万人に強くあれ、間違いを犯すな、意識を高く持て、政治を真剣に考えろと強要せずに済んだのだから」

 

 トリューニヒトの過去の言葉を思い出す。

 

『この店では同盟で生まれた人間も帝国で生まれた人間もみんな笑顔で同じ料理を食べている。その光景を見るたびに専制を打倒して、すべての人間が笑顔で同じ食卓を囲める世界を作らなければならないという思いを強くする』

 

『ルールは公正に適用され、不正が許されることはなく、献身は必ず報いられ、みんなが同胞意識を持って信頼し合い、助け合い、分かち合いながら前進する。そんな社会を作りたいと思っている』

 

 ようやく、トリューニヒトの考えが見えてきた。彼は万人に弱くても構わない、間違いを犯しても構わない、意識が低くても構わない、政治を真剣に考えなくても構わないと言いたいのだ。人間の弱さをそのまま認めるというのがトリューニヒトの根底にある。とすると、彼がどのような居場所を作ろうとしているのかも見えてくる。 

 

「あなたが作ろうとなさっているのは、弱くて間違いを犯す凡人のための居場所ですね。そして、凡人のささやかな欲望や自尊心を満たすための政治」

 

 俺の答えにトリューニヒトは笑みを浮かべると、大きく頷いた。

 

「目先の損得や気分で左右されて間違いを犯す凡人のためにこそ、民主主義はある。間違いを無くすのではなく、間違いながら進んでいく。政治のことを考えず、日々の営みに流されていても暮らしていける。アーレ・ハイネセンが唱える『自由、自主、自律、自尊』の理念は凡人には重すぎる。正しい政策やイデオロギーを選択しようとする者や、万人に政治意識の高さを求めて間違いのない政治を目指そうとする者の顔ばかり見る政治は、ルドルフに至る道だ」

 

 徹底した凡人目線のトリューニヒトの考えは、徹底した強者目線のルドルフのアンチテーゼ足り得るだろう。自由であることを至上として、強者しか持ち得ない自主性と自律心と自尊心をすべての人に求めるアーレ・ハイネセンへのアンチテーゼでもある。ルドルフの強者の自由、ハイネセンの万人の自由に対する第三の極、凡人の平等だ。

 

 歴史が評するところの理念無き政治屋とは正反対の極めてラディカルな思想を聞かされたことに興奮を感じる。危険領域に入っているのは明らかだったが、好奇心を強く刺激された俺は質問を続けた。

 

「いつも、あなたは個人主義を批判して、愛国心と自己犠牲を賞賛してらっしゃいますよね。それも凡人のための居場所作りと関連があるのですか?」

「もちろんだとも。凡人は弱い。助け合わなければ、踏みにじられてしまう。愛国心は悪党の最後の拠り所という言葉がある。その言葉はある意味では正しい。誇るべき能力も愛すべき人も頼れる絆も持たない者でも、同盟国民というだけで同胞を得て、誇りを持てる。誇りを持てば、努力せずとも強くなれる」

 

 トリューニヒトの主張は全体主義に近いが、目的はあくまで凡人の幸福であって、国家を強くすることが目的ではない。国家単位で村を作る共同体主義と言うべきだろうか。それもぬるま湯のような村である。アーレ・ハイネセンの信奉者であるヤン・ウェンリーがトリューニヒトと生理的に合わなかった理由が理解できたような気がする。

 

「大多数の凡人はそれで良いと思います。では、少数の非凡な者はどうなるのでしょうか?凡人のための居場所では、窮屈な思いをさせられるのでは」

「それは仕方がない。少数の非凡な者が多数の凡人に非凡であることを強いる場所より、非凡な者が凡人に合わせることを強いられる場所の方が暮らしやすいと思うよ。突き抜けた個性に多数の凡人が振り回されるなど、悪夢だろう」

 

 凡人のためなら、出る杭を打つことも辞さない。トリューニヒトはあっさりとそう言ってのけた。彼にとって、天才は打つべき杭でしかない。凡人の俺には居心地が良さそうだが、割り切りが良すぎて剣呑なものを感じる。政治家というより、宗教家や思想家のそれに近い。

 

「ホーランド提督の第一一艦隊司令官起用に反対された本当の理由がようやく理解できた気がします」

「彼は非凡すぎる。私の構想にはそぐわない」

 

 ドーソン中将の第一一艦隊司令官起用は、自派の勢力を拡大するための手段に過ぎないと思っていた。しかし、今になって理念的な背景が理解できた。ドーソン中将は有能な人だが、非凡な人ではない。スキルの習熟度が桁外れに高いだけで、非凡な発想は何一つ持っていない。徹底的に平凡なアプローチを重ねて、あらゆるスキルに習熟するに至った。言わば凡庸さを極め切った存在である。トリューニヒトの理念に合致した人材だ。

 

「ところでエリヤ君、君にとって必勝の戦略とはどういうものかね?」

「必勝の戦略ですか?」

「そう、君が提督ならどのような必勝の戦略を用意するか」

 

 これまで参加した戦闘、仕えた指揮官を思い出してみる。ヴァンフリート四=二基地攻防戦のセレブレッゼ中将、イゼルローン攻防戦のロボス元帥、第三次ティアマト会戦のドーソン中将。それぞれの長所と短所、自分に真似できる長所と真似できない長所を比較検討する。

 

「自分は業務経験が浅いので、参謀との意思疎通を大事にします。指揮経験が浅いので、分艦隊司令官との意思疎通を大事にするとともに、訓練と規律を徹底して将兵が思い通りに動くようにします。戦力が足りないと不安なので、多くの予算と最新装備と訓練された兵員を回してもらえるよう、国防委員会にお願いします」

「君らしい平凡さだね」

「自分の能力と権限の範囲内で必勝を期するなら、これ以上の手は考えつきません」

「その発想こそ、私が求めているものなんだよ。誰にでも理解できる用兵、誰にでも理解できる部隊運営。自分の長所を良く理解して、コミュニケーションと管理を軸に据えているのも素晴らしい」

「ありがとうございます」

 

 ラディカルな理念を聞かされて、恐れを感じていたところでいきなり褒められると、裏があるのではないかと身構えてしまう。小心者の悲しさだ。

 

「クレメンスに仕えている間、君は一度も直言をしなかった。欠点を改めようとせず、その平凡さを大事にした。結果として、君は誰よりも良くクレメンスを補佐できた。他人を変えようとせずに、長所を目に向ける。凡人を凡人のままで活かそうとする。私はそんな君のあり方を高く評価しているつもりだ」

 

 ドーソン中将に仕えて二年四ヶ月。仕事ぶりを評価されたことは少なくない。特にどんな内容でも一枚の紙にまとめる文章力と、記憶力の良さは良く褒められた。忠誠心が厚いとも良く言われた。しかし、ドーソン中将への向き合い方を褒められたのは初めてだ。嬉しくなって警戒心が溶けていく。俺って本当に現金だ。

 

「第一一艦隊司令部からは外れてもらう」

「どういうことですか?」

 

 喜んできたところでいきなり落としてくる。天まで持ち上げられてから、いきなりハシゴを外された気分だ。

 

「クレメンスと話し合った結果だよ。優秀な書記官というのが君に対する一般的な評価だが、むしろ管理者にこそ適正があるように思える。しかし、クレメンスの下ではスタッフワークを伸ばせる機会がない。どうしても自分の手で育てたい気持ちはあったが、君の可能性を限定したくないと気持ちもあり、彼は悩んでいたんだよ」

 

 ドーソン中将がそんなことで悩んでいたとは思わなかった。国防委員長に相談するぐらい、俺の育て方をちゃんと考えてくれてたなんて、嬉しいやら申し訳ないやら、どんな表情をしていいかわからない。

 

「次の任地はエル・ファシル星系。三度目の赴任ということになる」

「エル・ファシルですか!?」

「そうだ。現状は知っているだろう。君の手でケリを着けるんだ」

 

 エル・ファシルとは長い因縁がある。光に満ちた今の人生の始まり、そして偽りの英雄伝説の始まりでもあった。俺はエル・ファシルの現状に少なからず責任を負っている。長きにわたる因縁にケリを付ける時が来たのかもしれない。


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