銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第六十話:ひとつひとつ積み重ねて 宇宙暦795年7月上旬 エル・ファシル星系

 第一三六七駆逐隊の現状は、初の戦闘指揮官職に意気込んでいた俺の出鼻を挫くには十分だった。将兵の気持ちは緩みきっていて、無断欠勤や遅刻が多い。装備類は手入れがいい加減。部署間の連携はまったく成り立っていない。アルコール、ギャンブル、性風俗に過度にのめり込む者、多額の借金を抱える者も多い。軍規違反者の摘発件数は少ないが、まともな取締りが行われていないせいだろう。基地の外で犯罪を犯して現地警察に逮捕される者の異常な多さがそれを裏付けている。部隊内部では暴力事件や盗難事件が頻発しているようだが、対策が行われた形跡はない。

 

 この部隊の首脳である二人の副司令、八人の幕僚は長い経験から手の抜き方しか学んでこなかったようなロートルか、そうでなければ任期を無事に終えてハイネセンに戻ることしか考えていない事なかれ主義のエリートだった。二人の副司令を除く駆逐艦艦長三一人の中にも見るべき人物はいない。初日の訓示で俺が抱負を述べた時も幹部達の反応は鈍く、やる気が見られなかった。怠惰と無気力が第一三六七駆逐隊を覆い尽くしているのがはっきりと分かる。さまざまな改善案を用意していたが、今のままでは徹底されないのは明らかだった。まずは俺の威信を確立する必要がある。

 

 最初に駆逐隊司令部と各駆逐艦の文書と帳簿を集めた。連日夜遅くまで司令室にこもってチェックすると、ミスの隠蔽、帳簿操作といった不正の証拠が山のように出てくる。良くこんな文書が通ったと感心してしまうほどに書式不備も酷い。

 

 一段落すると、特に不正が酷かった副司令一人、幕僚二人、艦長二人を個別に呼びつけた。最初はふてぶてしい表情だったが、俺が証拠となる文書を示して問題点を細かく指摘していくと、顔色がどんどん悪くなっていった。最後に免職もしくは停職に相当することを伝えて進退を問う。免職処分を受ければ、退職金は支給されず、軍人年金も大幅に減額される。停職処分から復帰しても、給与等級が下げられ、進級リストの順番も大きく落とされてしまい、軍人としての未来は事実上閉ざされる。結局、五人全員が辞表を提出した。

 

 残った幹部達も大半は何らかの不正をはたらいていた。彼らは俺に不正の証拠を握られていること、今回はたまたま不問に付されただけに過ぎないことを理解して、すっかり震え上がってしまった。俺のところに機嫌伺いに来る者も現れる始末だ。ドーソン中将が憲兵司令部を掌握する時に用いた手段の模倣であったが、自分でも驚くほど鮮やかに事が運んでしまった。

 

 幹部を掌握すると、今度は軍規違反の取締りを強化に乗り出した。各艦の艦長に摘発成績が優秀であれば勤務評価に大幅な加点を行うこと、部下の軍規違反を隠蔽したら重い処分を下すことを伝えた。不正の証拠を握られている者は俺の機嫌を取ろうと考え、不正をはたらいていなかった者は本来の真面目さを発揮し、必死になって部下の取締りに励んだ。私的制裁、パワハラ、セクハラ、麻薬犯罪に限っては、匿名記名を問わず密告を受け付け、摘発と同時に密告網を形成することで防止を試みた。警備艦隊の憲兵隊と協力して、素早く処分を下せる体制も整えた。その結果、緩みきっていた軍規は急速に引き締まっていったのである。これも憲兵隊で学んだ手法だった。

 

 厳しくするだけでは、将兵はついてこない。艦単位、全隊単位の勤務成績優秀者表彰制度を作り、優秀者は月一回の全体朝礼で俺自ら表彰することとした。また、暇を見ては各艦からの要望書に目を通し、自分の目で現場を視察して直接将兵と話して、シャワーが壊れている、クーラーの効きが悪いといった生活上の細かい要望を聞いて行った。そして、俺の決裁で片付く事項に関してはすぐに解決に乗り出し、上位者の決裁が必要な事項に関しては申請書を書いて提出した。

 

 指揮官はちゃんと自分達を見ていてくれると思わせることができれば、部下はやる気を出す。また、要望という形で部隊の問題点に関する情報を得ることもできる。これは目下の人間の力を引き出すことに長けたクリスチアン大佐、イレーシュ中佐、トリューニヒト国防委員長達から学んだ。

 

 軍務がもたらす強い緊張は、軍人の心身を激しく消耗させる。軍隊特有の濃密な人間関係も大きなストレスをもたらす。疲れた心を癒やそうとする軍人にとって、酒、ギャンブル、性風俗がもたらす快楽は最大の友である。サイオキシン麻薬の軍隊への浸透は昨年の密売組織壊滅作戦によって食い止めることができたが、覚せい剤、コカイン、ヘロイン、マリファナといった伝統的な麻薬は今でも根強い人気を誇っている。依存症に陥る者、多額の借金をする者も少なくない。私的制裁もストレス発散手段という側面が大きかった。ストレスを発散できずに精神を病んでしまい、病気退職や自殺に至るケースも多発している。将兵の士気を高水準で維持するには、メンタルケアへの配慮も欠かせない。

 

 精神疾患を甘えと断じた初代皇帝ルドルフの遺訓が生きている帝国軍と違って、同盟軍はメンタルケアに大きな配慮を示している。各部隊にはカウンセリングルームが設けられ、部隊内から選ばれてトレーニングを受けた相談員が将兵の相談相手になる。大きな部隊には臨床心理士や精神科医が配属されて、本格的なメンタルケアに従事する。十字教や楽土教といった既成宗教の聖職者も軍属に採用されて、メンタルケアの一翼を担う。精神疾患の治療支援制度も充実していた。

 

 しかし、人事評価への影響や他人への漏洩を恐れて相談制度の利用を避ける者、相談制度や治療支援制度を利用した同僚を甘えていると非難する者が多く、軍の配慮が結果に結びついているとは言いがたい。

 

 メンタルケアに関わる制度を安心して利用できる雰囲気作りが重要と感じた俺は、相談の事実を人事評価に反映させないこと、相談内容の漏洩には厳罰をもって応じることを明示し、メールや端末通話による相談窓口も設置した。相談員と臨床心理士、精神科医の連携体制も整備した。メンタルケアと深い関わりがあり、深刻さにおいては同等の借金問題に関しては、法務士官による相談窓口を別に設けた。各艦の艦長、副長、科長といった管理者向けのマニュアルを作り、上官の立場からのメンタルケアもできるように務めた。

 

 これらの手法はヴァンフリート四=二基地の私的制裁撲滅キャンペーンの経験に、メンタルケアの専門家から学んだ知識を加えて考えた。

 

 

 

 宇宙暦七九五年七月。俺は第一三六七駆逐隊所属の全艦を率いて、惑星エル・ファシル近辺の宙域で上司のビューフォート大佐が率いる駆逐隊を相手に演習を行っていた。

 

「なかなかやるじゃないか。これなら、私の指導は必要なかったかな」

「この状況でそれを言いますか」

 

 俺は開戦から二時間で総戦力の五割を失い、統裁官の星系警備艦隊司令官フラック准将によって敗北判定を受けたのだ。まさか、ここまで完膚なきまでに叩き潰されるとは思わなかった。

 

「あんなにまずい用兵をしたのに、二時間持ちこたえたじゃないか。思ったより三〇分長かった」

「用兵下手なのには違いないでしょう。微妙な褒め方をしないでくださいよ」

 

 ビューフォート大佐は陣形を整えて正攻法で挑んできた俺の攻撃をのらりくらりと防いでいる間に、いつの間にか別働隊を使って俺の背後を取ってしまった。そして、前後からの挟撃で俺の駆逐隊を全面敗北に追い込んだのだ。

 

「二ヶ月であれだけ部下を掌握できるなんて大したものだよ。部隊の動きもとても良かった」

「もしかしたら勝てるんじゃないかって、ちょっとは思ってたんですよ」

「用兵なんて、経験積んだらいずれうまくなる。フィリップス君はまだ若い。焦る必要はない」

「戦術シミュレーションもめちゃくちゃ弱いんですよ。センス無いのかもしれません」

 

 昨年の夏に初めて参謀になった時、用兵の基本を学ばなければいけないということで、対戦型の戦術シミュレーションに挑戦した。結果は一五戦一五敗。アンドリューを相手にした時なんて、兵力二倍のハンデを付けてもらっておきながら、いつの間にか包囲殲滅されるという醜態を晒したものだ。

 

「戦術シミュレーションか。懐かしいね。初めて駆逐隊司令になった時にやらされた」

「どうだったんですか?」

「一回しか負けなかったね」

 

 ヤン・ウェンリーは士官学校時代にマルコム・ワイドボーンを戦術シミュレーションで破ったそうだ。ワイドボーンは昨年の一一月に戦死するまで、作戦の天才と言われていたほどの用兵能力の持ち主である。ドーソン中将は第一一艦隊の分艦隊司令官相手に戦術シミュレーションで連勝した。ビューフォート大佐もほとんど負けていない。つまり、戦術シミュレーションの結果は用兵センスの有無を示していることになる。

 

「夢のないこと言わないでください。へこんじゃうじゃないですか」

「単独哨戒できるようになるのは、しばらく先だね」

 

 現在の俺は用兵経験が浅いため、哨戒活動に出る際は必ずビューフォート大佐の指揮下に入っている。海賊と遭遇したことも何度かあったけど、俺ひとりでは対処できる自信がなかった。他の駆逐隊は単独で哨戒活動に出ることが許されている。第二九九駆逐群に所属している四人の駆逐隊司令のうち、俺だけが独り立ちできない。

 

「ほんと、足引っ張ってるようで申し訳ないです」

「君は良くやってるよ。他の駆逐隊にもいい刺激になっている」

「あんまり、適当なこと言わないでくださいよ」

「なんせ、君が来てから、びっくりするぐらい予算が通りやすくなった。実戦では足手まといでも、十分貢献しているよ」

「また、微妙な褒め方をしますね」

「いや、本当に助かってる。指揮官にとって一番の敵は、有能な敵将じゃなくて予算不足なんだよね。ここ数年は減らされてばかりだった。予算が足りてるなんて夢のようだ」

 

 予算が通りやすい理由はわかっている。俺がトリューニヒトと太いパイプを持っているおかげだ。部隊が得られる予算は政治家との関係に大きく左右される。だから、政治家と親しい軍人は予算配分を通じて強い影響力を持つことができた。統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥はここ数年間の財政政策をリードしてきたジョアン・レベロ、宇宙艦隊司令長官ロボス元帥は改革市民同盟主流派の領袖にしてサンフォード政権の黒幕と言われるラウロ・オッタヴィアーニとそれぞれ親しい関係にある。

 

「世知辛い話ですね」

「戦闘に長けた指揮官はいくらでもいるけど、いるだけで予算が降ってくる指揮官なんてそうそういない。派閥に強いパイプ持ってる人が部隊にいるといないじゃ、天地の違いだよ」

 

 エル・ファシルに来るまで、派閥で重用されてる軍人は他の軍人に嫌われるものとばかり思っていた。しかし、派閥の威を借りて威張り散らすような真似をしなければ、かえって歓迎されるみたいだ。ないないづくしの軍隊においては、予算を引っ張ってくれる存在はありがたいということなのだろう。

 

 トリューニヒトが政治は汚いけど、それでも必要だと言っていた意味が良く分かる。そして、軍隊において政治を避けようとするクリスチアン大佐の生き方がとてつもなく難しいことも。

 

「派閥とのパイプじゃなくて、自分の能力で評価されるようになりたいですよ」

「人脈も能力のうちだと思うけどね。何の能もないのに、偉い人に気に入られるわけがないんだから」

 

 実際、俺には何の能もないと思うんだけど、それを言うわけにはいかない。何の能もない人間でも大事にするトリューニヒトやドーソン中将の人の良さを間抜けと勘違いする人がいるかもしれないからだ。

 

「用兵ができたらかっこいいじゃないですか」

「何でも自分一人でできるようになる必要はない。戦争は団体競技だ。上司がいて、同僚がいて、部下がいる。君は人と関係を結ぶのが上手だから、用兵が下手でもいい指揮官になれるよ」

「頑張ります」

「じゃ、これから部隊のみんなを呼んで、演習の反省会始めようか。きっついこと言うから、心の準備しといて」

 

 哨戒に出るたびにビューフォート大佐は要所要所で俺のもとに通信を入れて部隊の動かし方、警戒の仕方などをアドバイスしてくれる。課題を与えて突き放すドーソン中将の指導になれた俺には、手取り足取り教えようとするビューフォート大佐の指導は新鮮に感じた。反省会でも俺の用兵のどこがいけなかったのか、丁寧に指摘することだろう。彼の教えを吸収して、早く単独で哨戒できるようになりたいと思った


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