銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第六十一話:与えるべきもの 宇宙暦795年8月初旬 エル・ファシル星系

 宇宙戦といえば、多くの人は正規艦隊同士がぶつかり合う対帝国戦争を思い浮かべることだろう。有利な決戦地への誘導、敵の機動の妨害、敵戦力の漸減などを意図した分艦隊や戦隊単位の前哨戦の後、両軍の艦隊主力が決戦地に集結して決戦が行われる。数万隻の艦艇が整然と陣形を組んで砲撃を交わし合い、一度に数十万人の命が失われる主力決戦は戦争の華だ。

 

 しかし、対帝国作戦は敵味方両軍の予算や戦力の都合からせいぜい年二回。同じ艦隊が二回続けて前線に出ることは無い。はっきり言うと年一回の出兵に備えて訓練を重ねるのが正規艦隊の仕事だ。

 

 宇宙海賊やその他の脅威から星間航路を保安する任務もまた宇宙戦である。数十隻から数百隻単位の小集団で広大な宙域を哨戒して、脅威を発見次第排除する。単独での排除が困難であれば、近い宙域で哨戒にあたっている味方部隊に応援を依頼する。個々の戦闘の規模は対帝国戦争とは比較にならないほど小さく、先制の利と数の多さでほぼ勝敗が決まってしまうため、戦術の妙を示す余地も少ない。地味なことこの上ないが、戦闘が生じる機会は多い。航路保安にあたる警備艦隊や巡視艦隊は一年中作戦活動を行い、いつ遭遇するかわからない敵との戦闘に備えている。

 

 任務の質の違いは、指揮官に求められる用兵の違いにも通じていた。対帝国戦争に従事する正規艦隊の下級指揮官には大部隊の一員として高級指揮官の意図を実現する用兵、高級指揮官には部下に細部を委ねて大局的見地から大部隊を動かす用兵が求められる。

 

 一方、航路保安に従事する警備艦隊の下級指揮官には小部隊を独自の判断で動かす用兵、高級指揮官には広大な宙域に分散した小部隊の動きを調整して哨戒体制を作り上げる用兵が求められる。

 

 現在の俺の立場は警備艦隊の下級指揮官にあたるが、小部隊用兵の経験はまったく持っていない。ポリャーネ補給基地の給与係長、エル・ファシル義勇旅団長、駆逐艦アイリスⅦ補給長、ヴァンフリート四=二基地憲兵隊長代理など、四度の管理職経験を持つ俺だったが、完全なお飾りだったエル・ファシル義勇旅団長を除くと、自分より経験豊かな部下に依存した組織運営を行ってきた。しかし、今回は能力がそこそこでも性格的に頼りない部下しかいない。用兵を任せられる部下がいない以上、自分が用兵能力を身につける以外の道はない。

 

 上司のビューフォート大佐と一緒に哨戒活動に出て実地で学び、待機中は駆逐隊を徹底的に訓練した。訓練というのは部下を鍛えあげるためだけにあるものではない。それを指揮する者も鍛えあげるのである。教師が生徒を指導することで経験を積んで、自らの能力を向上させていくようなものだ。ビューフォート大佐が長年の経験から作り上げた訓練マニュアルを使って指揮下の駆逐隊を訓練することで、ビューフォート流の用兵を身に付けていくのだ。

 

 訓練は厳しくなければならない。知的能力と違って、動きというのは限界まで心身を追い込まないと向上しない。バラット軍曹から体力トレーニングを受けた経験や幹部候補生養成所で射撃や近接格闘を習得した経験から学んだことだ。しかし、厳しいだけでは嫌になってしまう。自分の能力が向上したという喜びが無ければいけない。これは幹部候補生養成所を受験した時に学力の向上がさらなる学習意欲を生んだ経験から学んだことだ。確実に能力が向上するような訓練を行い、厳しく追い込みながら向上する喜びを与えていく必要がある。

 

「通信部門成績最優秀者 上等兵 ソフィア・ロペラ君 貴官が九月上半期の通信訓練において示した成績は顕著にして部隊の模範とするに足るものである。賞与金ならびに休暇を贈り、これを表彰する 第一三六七駆逐隊司令 中佐 エリヤ・フィリップス」

 

 表彰状を受け取ったロペラ上等兵に対し、俺は笑顔で手を差し出した。

 

「良く頑張りましたね。現在は第一級航宙通信士の試験に取り組まれていると聞きました。あなたならきっとできると信じています。頑張ってください」

 

 ロペラ上等兵が俺と握手をかわすと、ホール内は拍手で包まれた。このように各部門ごとに選出された訓練成績優秀者を第一三六七駆逐隊の将兵全員の前で表彰し、賞与と休暇を与える。また、訓練成績が優秀な艦の表彰も行い、乗員全員に休暇を与えて、次の優秀艦が選ばれるまで食事にデザートを追加する。式典の最後に国歌「自由の旗、自由の民」を流して全員で唱和する。将兵がどんな報奨を喜ぶか、どんな演出をすれば表彰を受けた者が格好良く見えるかを考えた結果、このようなスタイルに落ち着いた。

 

 表彰を受けているレベルに達していないが訓練成績が良い者には勤務評定で配慮を示す。頻繁に部隊を視察して、成績が向上している者に声をかけて皆の前で賞賛する。成績が伸び悩んでいる者にアドバイスをする。賞賛やアドバイスを与える者は、事前に名簿を目を通して選んだ。「自分はちゃんとあなたを見ている」という気持ちを示すことがいかに人を喜ばせるかは、ロボスやトリューニヒトと話した時に知った。結果を褒められるより、努力を見ていると言われる方が嬉しいのだ。

 

 

 

「練度も士気も高い。装備は新しい。第一三六七駆逐隊はいい部隊だよ。本当にいい部隊だ」

 

 ビューフォート大佐はいい部隊という言葉を繰り返した。わざわざ強調した理由はわかっている。続きは聞きたくない。時間がこのまま止まってくれたらいいのに。

 

「なのに、実戦に弱すぎる」

「わかっていますよ。指揮官の責任でしょう」

 

 今の人生で仕事ぶりを面と向かって批判されるのは、実は初めての経験だ。手取り足取り丁寧に教えてくれるビューフォート大佐は、文句の付け方も丁寧だった。何も言わずに文書に赤ペンで修正を加えて突っ返してくるドーソン中将とは対照的だ。

 

「努力しているのはわかっているんだよ。定型的な部隊行動の指揮はかなり上達している。攻撃、防御、機動のいずれも悪くない。ただ、びっくりするほど柔軟性に欠けてる」

 

 定型的な行動は得意なのに柔軟性がない軍人は、小説では主人公の踏み台にされると決まっている。ものすごく残念な評価を受けているのは明らかだった。

 

「柔軟性ってどうやって身につければいいんでしょうか…?」

「わからないねえ」

 

 とても情けない質問をしているのは自分でも良く分かる。ビューフォート大佐が困惑するのも無理はない。

 

「用兵って他の業務みたいにマニュアルを読み込んで、動作を体で覚えていくだけじゃ覚えられないんですね…」

「まあ、用兵って、四六時中発生する偶発的な事態への対処だからね。求められる判断速度、それに反比例するように不確実で量も少ない情報。いずれもデスクワークの危機管理とは格段に違う。判断に必要な時間が乏しいと人は焦る。質量ともに不確実な情報も焦りを生む」

「気が小さいってことなんでしょうね」

「わかってるじゃないか。慎重って言い換えをしない率直さは君の美点だよ。いい加減な判断をするのが怖いんだね。自信がないから」

 

 気が小さい、自信がないというのはまったくもってその通りだ。反論のしようもない。俺が原理原則にこだわるのも安心できるからだ。原理原則は使う者に自信を、逆らう者に後ろめたさを与える。俺のような小心者は誰かが正しいと言ってくれないと、自分の判断に自信を持てない。その通りですと言って、首を縦に振る。

 

「ウィレム・ホーランド提督を知ってるかい?」

「知っています。有名な方ですから」

「これまで二〇人以上の上官に仕えてきたけど、あれほどの自信家はいなかったよ。あの人の指揮を受けたら、どんな大敵相手にも負けるはずがないと思えた。戦うのが楽しくてたまらなかった」

 

 ホーランド少将がイゼルローン攻防戦で見せた用兵は素晴らしい物だった。空前絶後の天才ラインハルトさえいなければ、イゼルローンを攻略出来ていたはずだ。二月のティアマト星域会戦では精彩を欠いて評価に陰りが出ているものの屈指の用兵家であることは疑いない。そんな人物に対する元部下の証言というのはとても新鮮だった。

 

「ホーランド提督に仕えるまでは、戦いなんて自分と関係ないところで始まって、関係ないところで終わるものだと思っていた。生き残れたら運が良かっただけってね」

 

 俺にとっての戦いもそんなものだった。勝敗は雲の上にいる提督達が決めるもの。自分がいくらベストを尽くしても勝つ時は勝つし、負ける時は負ける。これまで参加した戦いは全部そうだった。

 

「しかし、それは間違いだった」

「違うんですか?」

「戦いというのは流されるがままにするものじゃない。自分を信じて流れを引き寄せる。そうしないと生き残れない。指揮官に一番必要なのは自信だということを、ホーランド提督が率いる駆逐群で戦って初めて知った」

「偶然の中から勝機を拾い上げる能力というものがあると聞いたことがあります。数えきれない戦いを経験したベテランにしか身につけられないと。流れを引き寄せるというのも同じことなのでしょうか」

「同じことなのかな。ただ、私の見解はちょっと違う。経験が豊富なことは流れを引き寄せるための必要条件であっても、十分条件とはいえない。戦歴数十年のベテランだって、ほとんどは慣れに頼って漫然と戦ってるだけだよ。君の部隊のベテランを思い浮かべてみるといい」

 

 四〇年以上の軍歴を誇るオルソン少佐、ダルレ少佐、バディオーリ少佐らの顔が頭の中に浮かぶ。ベテランだけあって技能はかなり高い。実戦の呼吸も心得ている。しかし、ルーチンワークとして軍務をこなしているといった感じで、積極性にも粘り強さにも欠けている。偶然の中から勝機を見い出せるような存在とは思えない。

 

「確かにそうですね」

「実戦経験を積んで自信を身につけることもあるだろう。しかし、大抵は経験を積んでも流されることに慣れるだけ。流れの動かせるだけの自信は身につかない」

「どうすれば、身につくのでしょうか?」

「とにかく結果を出すことだね。自分の用兵の正しさを確信して、流れを動かす資格があると思えるようになることさ。勝利は人を強くするよ。勝てなければ、技能は伸びても自信は持てないままだ。私だってホーランド提督の下で勝利を経験しなかったら、今頃は手癖で軍務をこなして、生き残ったら幸運に感謝するだけの存在だっただろう」

 

 ビューフォート大佐は三〇年近い軍歴を誇るベテランだ。それが一〇年そこそこの軍歴しか持っていないホーランド少将の下で戦うまで、自信の大切さを理解できなかったというのは奇妙に思える。しかし、それも自信に満ちたホーランド少将と出会って、平凡な指揮官を比べることができるようになって初めて理解できたのかもしれない。

 

 前の歴史で宇宙を統一したラインハルト・フォン・ローエングラムとその麾下の名将たちはいずれも若かった。用兵経験、技能の高さでは門閥貴族出身のベテラン提督に及ばなかったはずだ。にも関わらず、常勝を誇ったのは勝利を重ねて、戦いの流れを動かせるという自信を持ったからなのかもしれない。同盟軍と勝敗が曖昧な戦いを重ねていたベテラン提督は用兵技術に長けていても、流れを動かす力は持っていない。

 

「小官でも結果を出せるんでしょうか。今のままじゃできると思えなくて」

「出させてみせるよ。有能な部下を使わないと勝てないというのでは、私の用兵もたかが知れている。軍人である以上、部下は選べない。どんな部下を使っても勝てるようにならなければ、キャリアもここまでだ」

 

 欲が薄そうなビューフォート大佐がキャリアアップに意欲を見せているのは意外だった。自分の分をわきまえていて、任務を着実にこなしつつ、波風を立てずに定年まで暮らすことを望んでいるようなイメージがあった。

 

「大佐は上を目指しておられるのですか?」

「そりゃそうさ。本来の私の器量なら五〇代半ばで中佐、六五歳の定年間際に大佐に昇進して花道を飾るのがせいぜいだったろう。しかし、七年前のエル・ファシル脱出作戦で君やヤン・ウェンリーのおこぼれに預かって思いがけず中佐に昇進し、ホーランド提督の下に付いていささか用兵がわかるようになった。今は四七歳で大佐。定年まで一八年ある。士官学校を出ていない私には分不相応かも知れないが、一度ぐらい閣下と呼ばれてみたい」

 

 ビューフォート大佐のような叩き上げにとっては、階級を上げるのは至難の業である。現場責任者たることを期待される彼らは、大きな武勲を立てられる正規艦隊の指揮官および参謀、有力者の引き立てを受けられる軍中央のオフィス勤務といったポストとは縁がない。俺が持っている中佐の階級ですら得られずに定年を迎える者が多いのだ。望外の出世を果たしたビューフォート大佐が将官の地位を望むのも無理は無い。

 

「変な質問をしてしまいました。申し訳ありません」

「中央勤務が長いエリート、特にシトレ派の人は、階級を上げたい、勲章がほしい、予算がほしい、昇給がほしいという私みたいな者のささやかな夢に理解が薄くて困るんだ。無頓着でいられるほど恵まれた立場は羨ましいよね」

 

 自分のことを言われているようで、心底から申し訳ない気持ちになった。七年前のエル・ファシル脱出行で一等兵から兵長に二階級昇進を果たし、四年前に少尉に任官して、現在は中佐の階級にある。周囲にいるのは二〇代や三〇代で佐官の階級を得た士官学校卒のエリートばかり。兵役あがりのつもりでいたのに、いつの間にか望まずとも昇進できるエリートの思考に染まってしまっていたらしい。誰に対しても気配りができるという評価は、俺が軍隊で生きていく上で最大の財産となっている。他人が求めている物を軽く見ることがあってはならない。

 

「気を付けます」

「いやいや、君はかなり理解があるよ。おかげでうちの部隊は予算に困らずに済んでいる。シトレ派の人にこんなことを頼んでたら、説教食らってたところだ」

「尽くせるべストは尽くしたいですから。部隊を運営してみると、少しでも多くの予算が欲しいという気持ちが分かります」

「上は予算を節約しろ、少ない人数で部隊を回せ、民主主義のために頑張れとうるさい人ばかりでね。君のような物分かりがいいエリートに頑張ってもらわないと、上が予算獲得に失敗したツケを現場の将兵の血で贖うことになる」

「はい」

「部隊が欲しがっているのは予算と勝利。将兵が欲しがっているのは昇進と昇給と名誉と福利厚生。それらを与えられる指揮官になってほしい。期待しているよ」

 

 ビューフォート大佐の表情からはいつもの冗談めかした感じが消えていた。ずっと地方の警備艦隊で勤務してきた彼は、地方部隊が置かれた現状にいろいろと思うところがあるのだろう。将官への昇進を望んでいるのも部隊や将兵が望むものを与えられる力を求めてのことなのかもしれない。

 

 

 

 地方部隊の窮状の元凶は緊縮財政路線だった。一五〇年にわたる対帝国戦争は国家財政を破綻寸前に追い込んでいた。国家の財政支出の五割から六割を占める軍事予算を戦時国債で賄い、その利払いが国家予算を圧迫するという悪循環に陥っている。多くの専門家が数年以内に同盟政府はデフォルトに追い込まれると警告していた。財政再建を行わなければ、同盟は戦わずして崩壊する。その危機感に押されて登場したのが、経済学者にして進歩党代議員のジョアン・レベロだった。

 

 三二歳の若さでテルヌーゼン大学経済研究所教授に就任したレベロは、タネ・マフタ星系政府やポートロコ星系政府の財政顧問に就任して、財政改革の指導にあたった。破綻状態だった両星系政府の財政再建に成功した彼は一躍脚光を浴びる。進歩党から代議員に当選すると、財政問題の論客として同盟議会で活躍。財政再建重視の立場から、帝国との和平と軍縮を訴えており、反戦派から絶大な支持を受けている。

 

 反戦派の進歩党と主戦派の改革市民同盟は長年にわたって政権争いを展開してきたが、七九一年の総選挙で極右勢力が台頭したことに危機感を抱いて以来、連立政権を組んできた。連立政権下で財務委員長に就任したレベロは財政再建を望む世論と連立政権が有する圧倒的議席数の後押しを受けて、聖域とされた国防予算にメスを入れることに成功。財務委員長の職を退いた後も最高評議会議長の諮問機関である財政諮問会議の委員として、緊縮財政を推進してきた。昨年の内閣改造で二度目の財務委員長に就任している。

 

 改革市民同盟主流派と近い宇宙艦隊司令長官ラザール・ロボス元帥は連立政権に対して強く出ることができず、進歩党に近く軍隊の自制を望む良識派の立場から軍縮を支持していた統合作戦本部シドニー・シトレ元帥は、国防予算の減額に同意した。

 

 皮肉なことに国防予算の減額は、政治家を通して国防予算の配分に影響力を行使できる彼らの軍部に対する支配力を強めてしまう。乏しい予算を巡って争う各部隊や各機関の長に現状維持をちらつかせて支持を集め、減額をちらつかせて批判を封じることで二大派閥体制を盤石とした。このような状況において優先的に予算が配分されるのは、シトレとロボスの二元帥でも無視し得ない政治力を持つ軍中央の機関や正規艦隊である。政治力に乏しい警備艦隊や辺境基地などの地方部隊は減額ではなくてゼロ査定と言われるほどの予算減に見舞われた。

 

 少将が指揮官を務める分艦隊規模の部隊とされていたエル・ファシル星系警備艦隊は、人件費削減と少数精鋭化の大義名分で、准将が指揮官を務める戦隊規模に縮小された。訓練予算を確保できなかったがゆえに練度が低下し、福利厚生予算の乏しさゆえに士気が低下した。このような警備艦隊の著しい戦力低下もエル・ファシル方面の宇宙海賊の勢力増大に大きく寄与している。

 

 地方部隊の戦力低下はエル・ファシルに留まらない全国的な現象だった。統合作戦本部が提唱する地方部隊の少数精鋭化路線によって、多くの軍人が退役に追い込まれた。将兵のモラルは地に落ちて、各地で民間人に対する非行が報告された。犯罪者と結託して軍の物資を横流しする者、宇宙海賊に情報を流す者なども現れた。

 

 軍人の非行を嫌うシトレ元帥は厳格な取締りを命じたが、何ら効果はあがらなかった。地方部隊のモラル崩壊の間隙を縫って宇宙海賊の活動が活発化した。退役した地方部隊の軍人の参加、給与削減で生活に困窮した軍人によって横流しされた地方部隊の装備によって、宇宙海賊の戦力は向上していた。

 

 軍部におけるトリューニヒト派の勢力増大を招いた要因はいくつもあるが、国防予算減額に同意した上に中央偏重の予算配分を行った二大派閥に対する地方部隊の反感はその中でも重要な要因であろう。トリューニヒトはレベロとの駆け引きに勝利して数年ぶりの国防予算増額を勝ち取ると、二大派閥に冷遇されていた地方部隊に気前良く配分して支持を広げた。中央にあって地方部隊の現状を憂える者もトリューニヒト支持に回り始めている。

 

 前の歴史では、軍拡を訴えるトリューニヒトは精神論者、軍隊の自制を訴えて軍縮を支持する良識派に連なるシトレ元帥は現実主義者と言われていたが、それは軍中央や正規艦隊で勤務するエリートの視点だったようだ。地方部隊にとっては、シトレ元帥は過酷な予算案を押し付けておきながら、モラル向上を求める精神論者。トリューニヒトは予算難という地方部隊の現実に向き合ってくれる人物だった。シトレ元帥とレベロが公私にわたる親友関係であったのも地方部隊のシトレ元帥に対する反感を強めていた。

 

 トリューニヒトが俺をエル・ファシル警備艦隊に派遣した理由がようやくわかったような気がする。中央勤務が長かった俺に地方部隊が置かれた窮状を見せ、俺がどのように向き合うかを試したかったのだろう。トリューニヒトが凡人といったのは、警備艦隊の軍人のように民主主義の理念にはまったく興味がなく、生活の安定と組織内での地位向上を求め、困窮すればあっという間に非行に走る人々だ。彼らの姿は前の人生の俺の姿でもある。エル・ファシルの現状は凡人のための政治という言葉に、強い現実感を与えてくれた。


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