銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第六十二話:有能と無能の決定的な分かれ目 宇宙暦795年9月2日 エル・ファシル星系、惑星ゲベル・バルカル周辺宙域

 エル・ファシル方面航路で活動している海賊組織は大小合わせて三〇を超えると言われている。彼らは常に離合集散を繰り返しているため、実態は容易に掴めない。しかし、五つの大組織が飛び抜けた勢力を有していることは誰もが認めるところだろう。その一つ「ヴィリー・ヒルパート・グループ」の幹部三人がエル・ファシル星系政府に投降を申し出てきたのは、宇宙暦七九五年六月のことだった。星系政府及び星系警備艦隊の代表者と幹部三人の間で降伏条件をめぐる交渉が進められ、八月末に合意に達した。

 

 宇宙暦七九五年九月二日。エル・ファシル星系警備艦隊司令官ジェフリー・フラック准将は幹部達の投降を受け入れるべく、惑星ゲベル・バルカルの第一衛星周辺宙域に向かっていた。指揮下の戦力は二個巡航群、二個駆逐群、二個支援隊の合計四四五隻。警備艦隊の三分の二、ヴィリー・ヒルパート・グループが保有する戦闘艦艇の二倍以上にあたる。仮に今回の交渉がヴィリー・ヒルパート・グループの罠であったとしても、力ずくで突破出来るだけの戦力だ。

 

 残る三分の一は警備艦隊副司令官と第三四六駆逐群司令を兼ねるリャン・ダーユー大佐に率いられて、惑星エル・ファシルに留まっている。万が一、フラック准将が敗れても帰還してリャン大佐と合流すれば、隣接星系から援軍が来るまで十分に持ちこたえられるという寸法だ。慎重なフラック准将らしい布陣といえる。

 

 俺が率いる第一三六七駆逐隊はフラック准将に従って、ゲベル・バルカルに向かう最中であった。これまでは多くてもせいぜい三〇隻程度の敵しか相手にしたことがなかった。数百隻規模の戦闘が想定される任務に従事するのはこれが初めてだ。二月に参加したティアマト星域の会戦と比べるとはるかにささやかではあるが、あの時は参謀だった。駆逐艦三三隻の運命が自分の判断一つで決まると思うと、心がそわそわして落ち着かない。

 

「心配しすぎではありませんか」

「初めての艦艇指揮だからね。いくら心配してもし足りないよ」

 

 駆逐隊首席幕僚スラット少佐に対し、務めて穏やかな口調を作って答えた。あんたが頼りないからだ、とは言わない。首席幕僚は司令の代わりに心配して、注意を喚起すべき立場のはずだが、情報の収集や分析に心を砕いている様子は見られない。いちいち指示を出して、懸念材料を洗い出させなければいけない。

 

「今回は戦闘になる可能性は低いでしょう。万が一戦闘が起きたとしても、相手は小勢。我が方の勝利は間違いありません」

 

 万が一に備えるのが指揮官と幕僚の務めのはずではないか。あまりに無責任な首席幕僚の言葉にイラッときたが、顔に出ないようにどうにか抑えた。業務知識、処理能力の点では不足がない。あからさまに手抜きをするわけでもなく、反抗的でも無い。ただ、向上心というものをまったく持ちあわせておらず、いい仕事をしよう、自分を高めようという意識が完全に欠如しているのである。

 

「首席幕僚のおっしゃる通りです」

 

 情報幕僚のメイヤー大尉がスラット少佐に同調する。第一三六七駆逐隊の幕僚はいずれもスラット少佐と同レベルだった。イゼルローン遠征軍や第一一艦隊の司令部にいた参謀であれば、言われずとも自分から情報を集めていたはずだ。しかし、目の前にいる連中は指示を出さなければ動こうとしない。動く必要性を感じているようにも思われない。獅子帝ラインハルト・フォン・ローエングラムは無能者より怠け者をより憎んだという。仕事をやってもできない人間より、やらない人間の方が発揮できる能力は低い。生まれつき怠惰な俺には、彼らがこうなってしまう理由がわかるだけに、責める気持ちにもなれない。

 

 たとえば、スラット少佐は下士官から三〇年近くの歳月を費やして少佐まで昇進した叩き上げである。彼のようなキャリアの持ち主にとって、少佐から中佐の間の壁は果てしなく分厚い。飛び抜けた能力があるわけでもない彼が努力したところで上を望むのは難しい。賞賛を得られるほどの結果も出せない。昇進や名誉と無縁なところで、職人的なやり甲斐を見出すこともできなかったのだろう。自分の限界が分かってしまったら、向上心も消え失せてしまう。

 

 メイヤー大尉は士官学校を卒業しているが、席次は後ろから数えた方が早かったそうだ。士官学校卒業者が同盟軍人五〇〇〇万人のうちで十数万人しかいないエリートといっても、軍中央や正規艦隊司令部での勤務が多いトップエリートはごく一部に過ぎない。大半は軍艦の艦長、隊や群といった下級部隊の指揮官、地方部隊の参謀、基地司令を歴任する。四〇代前半で大佐に昇進し、五〇歳前後で早期退職制度を利用して軍を退く。出世競争を勝ち抜いて将官に昇進できるのは、同期中の二〇人に一人と言われる。メイヤー大尉のように士官学校の卒業席次が低く、能力が抜群に高いわけでもなく、出世競争を勝ち残れる自信が無い者は、やはり向上心を持てないだろう。

 

 俺は軍中央や正規艦隊での勤務歴が多い。そういう職場では、士官学校の卒業席次が最低でも中の上、向上心も能力も並外れて高く、軍務にやり甲斐を見出していた者が大半を占める。叩き上げ士官や下士官の知り合いも中央で勤務するだけあって、抜群の向上心と能力を兼ね備えていた。ほんのわずかな期間だけ地方の補給基地にいた時は、職務に慣れていなかったせいで周囲の人間がみんな優秀に見えた。いつも上を見上げるばかりだった俺だったが、エル・ファシル星系警備艦隊に配属されて初めて、他人の向上心や能力の欠如に頭を抱える経験をした。

 

 三十年近く戦場で生き抜いたスラット少佐、三大難関校の一つである士官学校を卒業したメイヤー大尉。資質において水準以下であるとは到底思えない。根っから怠惰というわけでもないだろう。結局のところ、彼らに欠けているのはベストを尽くそう、上を目指そうという気持ちだ。俺は資質に欠けているが、向上心だけは強かった。そして、向上心が報いられる環境に身を置くことができた。

 

 スラット少佐やメイヤー大尉らと自分を比較して、ようやく自分が有能扱いされる理由が理解できた。向上心をもって仕事に取り組むこと自体が得難い能力なのだ。そして、向上心を持ち続けられる環境にあったことは幸運である。前の人生の俺は向上心を持てる環境にいなかった。

 

「そうかもね。ありがとう」

 

 微笑んで、心にもない感謝の言葉を述べる。スラット少佐とメイヤー大尉が席に戻ったのを見計らうと、指揮卓の端末を使ってこっそり情報収集作業を始めた。これまでの俺は部下に支えられてきた。ヴァンフリート4=2基地の戦いでは失敗を重ねたにも関わらず、部下の犠牲で生き延びた。俺が頼れる指揮官だったら、彼らは死なずに済んだかもしれない。頼りない部下を眺めながら、今の自分は彼らにとって頼れる指揮官なのだろうかと考えた。

 

 

 

 エル・ファシル星系第四惑星ゲベル・バルカルは巨大なガス状惑星だった。周囲には巨大な磁気圏が形成されていて、宇宙船の電子機器を狂わせる放射線帯を作っている。周囲を取り巻く八七個の衛星も宇宙船の航行を困難にしていた。艦艇運用の経験が乏しい俺としては、最もやりにくい宙域だ。計器異常が報告されると胸が不安で高鳴り、衛星の脇を通り過ぎるたびに冷や汗をかいた。

 

 俺の心配をよそに第一三六七駆逐隊は一隻の落伍艦も出さずに、ゲベル・バルカル周辺宙域を航行中である。警備艦隊の将兵はエル・ファシル星系全体の地形を知り尽くしていた。航宙経験が豊富な各艦の艦長は危なげない運用を見せてくれた。幕僚は駆逐隊全体の行動をうまく調整している。部隊の航宙能力が信頼できる水準に達していることは、数少ない好材料といえる。他の部隊が衛星周辺をくまなく索敵しているが、宇宙海賊が展開している様子はない。

 

「目標宙域に到達。周囲を警戒しつつ待機せよ」

 

 上官のビューフォート大佐からの指示が指揮卓に据え付けられたスクリーンを通して伝えられる。

 

「了解しました」

 

 敬礼して了解の意を示した後、指揮下にある全駆逐艦の艦長との間に回路を開き、ビューフォート大佐が下したのと同様の指示を伝える。警戒を命じるだけなら誰でもできるが、末端まで警戒を徹底させるのは難しい。将兵が人間である以上、長時間の緊張状態は心身に大きな負担を強いるからだ。

 

 俺が旗艦としているパタゴニア八三号司令室のメインスクリーンには、エル・ファシル星系警備艦隊に向かって航行している三〇隻ほどの小型艦艇が映っている。あれがヴィリー・ヒルパート・グループからの投降者らしい。

 

「意外と少ないですねえ。投降してくる幹部三人が率いる艦艇は一〇〇隻は下らないと聞いていたのですが。どうしたことでしょうか」

「降伏を嫌がる部下が多かったのかもしれんな」

「そんなものでしょうか」

「海賊行為は相当長く食らい込まれる。死刑判決を受ける可能性だってある。いくらこちらが恩赦を約束しても、信用しきれないだろうよ」

 

 パタゴニア八三号の通信長ボー中尉の疑問に艦長ガリツィオス少佐が答えているのを聞きながら、苦い気持ちになる。

 

 恩赦を条件に宇宙海賊の降伏を認めれば、血を流さずして宇宙海賊の勢力を削げるが、犯罪者への断罪を望む世論の反発を買う。銀河連邦軍で海賊対策に従事していたルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは、降伏を申し入れてきた宇宙海賊を宇宙船ごと焼き殺して世論の拍手喝采を浴びている。世論を恐れた政府によって恩赦が撤回されて投降者が重罰に処される事例、功績に目が眩んだ軍人が約束を破って投降者を処刑してしまう事例も少なくない。世論に押されて約束を反古にする政府や軍の姿勢が、宇宙海賊の根絶を困難にしていた。

 

「あれって、軌道警備隊の快速艇じゃないですか?」

「新世代型と言われるミーティア級か。予算不足のせいでバーラトとその周辺の警備隊にしか配備されていない。あんな代物を海賊が持っているとは、世も末だな」

 

 軌道警備隊というのは、衛星軌道を警備する惑星警備隊所属の艦艇部隊のことだ。航路警備を担当する星系警備艦隊に対し、惑星周辺宙域の警備を担当する。警察部隊としての性格が強く、小型快速艇を主力としていた。

 

 数隻から数十隻のグループでの奇襲及び一撃離脱を基本戦術とする海賊にとって、快速艇の索敵能力と速度は魅力的である。軌道警備隊からの横流し、国防予算削減で経営難に苦しんだ軍用艦艇製造メーカーとの闇取引によって、多数の旧式快速艇が海賊の手に渡っているのは周知の事実だった。しかし、軍でも配備が進んでいない新世代型を所有する海賊はこれまで確認されていない。容易ならぬ事態といえる。

 

 ヴィリー・ヒルパート・グループの投降者が発光信号を出すと、警備艦隊は艦列を空けて迎え入れる。事前に暗号を打ち合せていたのだろう。通信傍受を避けるために発光信号を使用するというのも隠密行動の基本だ。

 

 投降者の船団を取り囲むように展開した警備艦隊が周囲を警戒しつつ、帰還するために方向転換した時、百隻程度の船団が出現した。いずれも戦闘能力を有する小型艦艇だ。出現方向からして、投降者を追ってきたヴィリー・ヒルパート・グループの部隊らしい。

 

 警備艦隊司令官フラック准将はいつでも逆撃を加える事ができる態勢を取りつつ、ゆっくり後退するよう全軍に指示する。接近してきたら、四倍の戦力をもって叩き潰すだけのことである。

 

「無事に終わりそうですな」

「エル・ファシルに帰還するまでは、気を抜かないようにね」

 

 表情が緩んでいるスラット少佐にやんわりと釘を刺す。緊張感を持続できないというのは彼に限ったことではなく、第一三六七駆逐隊全体の通弊だ。訓練を通して動きはかなり良くなった。士気も以前とは比べ物にならないほど高い。しかし、精神的持続力の根本的な欠如はどうしようもなかった。頑張る動機、頑張れば報われるという経験のいずれも持たない彼らに多くを求めるのは酷というものだろう。指揮官に足りないものを部下が補うのと同様に、部下に足りないものは指揮官が補うべきだ。

 

 緩んだ空気を引き締め直そうと指揮卓の端末を叩いて、全艦の艦長との間の回線を開いた瞬間、艦体が大きく揺れた。無様にも椅子から床に転げ落ちてしまう。

 

 立ち上がってメインスクリーンを見ると、投降した船団が爆発を起こしていた。単なる事故ではなく、爆薬でも満載してたんじゃないかと思えるような大爆発だ。衝撃波で多数の艦艇が破壊され、警備艦隊の艦列が大きく乱れた。その隙にヴィリー・ヒルパート・グループの追撃部隊が突進してくる。

 

「あれは!」

 

 司令室にいる者全員がスクリーンを見て、絶句していた。二時方向、七時方向、一〇時方向にある衛星群の中から、それぞれ一〇〇隻ほどの新手が躍り出てきたのだ。どうやら、衛星の海中に潜んでいたらしい。衛星の周囲に展開する敵の存在を気にするあまり、内部に潜んでいるとは予想できなかった。

 

 警備艦隊は陣形を再編する間もなく、四方向からの奇襲を受けて大混乱に陥った。敵の小型艇は航行困難な宙域を自由自在に飛び回り、動きが取れずにいる警備艦隊の艦艇を血祭りにあげていく。

 ヴィリー・ヒルパート・グループは多く見積もっても二〇〇隻程度の戦力しか持っていなかったはずだ。それなのに四〇〇隻もの戦力を展開している。唖然とした俺は、現実とは思えない光景が映っているスクリーンをまじまじと見詰めていた。

 

「司令、一体どうすれば…」

 

 スラット少佐の縋るような声によって、現実に引き戻された。周囲の視線はすべて俺に集中している。指揮卓の端末からは、指示を請う各艦の艦長からの通信が入っていた。次に発する言葉でこの部隊の命運は決まることを理解した俺は、必死で平静な表情を作り、何を言うべきなのか思案する。

 

 ふと、七年前のことを思い出した。帝国軍来襲の不安に怯えた人達に囲まれて、全員の視線が自分に向いた時はどうしようか焦ったものだ。あの時の自分が言った言葉が頭のなかに浮かんでくる。

 

『ぐ、軍人の仕事って市民を。市民を守ることでしょう?当たり前の。当たり前の仕事をするだけなのに。どうして不安になるんですか?』

 

『逃げた人達の方がずっと不安じゃないですか?だって、市民を守らずに逃げたって一生言われるんですよ?それに比べたら、ここに残るなんて全然不安じゃないですよ』

 

『はい。逃亡者になりたくないから残りました。胸を張って帰るために残りました』

 

 あの時は答えを知っていたから、不安じゃないと断言できた。その態度が周囲に安心を与えた。今は人前で喋るのは苦にならないし、メディアに出た経験もある。あの時よりずっとうまくやれるはずだ。背筋を伸ばし、胸を張って全員を見る。

 

「大丈夫だよ。いつも訓練している通りにやろう。凄いことをしよう、かっこいいことをしようなんて思う必要はない。それで大丈夫」

 

 声が上ずるのを必死で抑え、低く穏やかな声色を作って、全員に語りかけた。本音を言えば、まったく大丈夫とは思っていない。不安で心臓が高鳴り、腹がきゅっと痛み出す。背中は汗でびっしょり濡れていて、体中が震えている。とんでもないことになってしまった。しかし、今さら後に引くことはできない。

 

 落ち着きを取り戻した司令室の指揮卓に陣取った俺は、幕僚達に指示を出し始めた。


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