銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第六十三話:策士VSプロフェッショナル 宇宙暦795年9月2日 エル・ファシル星系、惑星ゲベル・バルカル周辺宙域~惑星ワジハルファ周辺宙域

 澄ました顔で部下に落ち着くよう指示をしたものの、この場を切り抜ける方策は何一つ持ち合わせていなかった。そんな時にするべきことは決まっている。上官に指示を請うのだ。

 

「戦術管制システムの計画管理三九を開いて」

「了解しました」

 

 第二九九駆逐群司令ビューフォート大佐に指示されたとおりに、戦術管制システムの計画管理三九を開く。戦術スクリーンに現座標からゲベル・バルカル宙域の外に脱出するための経路が浮かび上がってくる。

 

「これは?」

「逃げるってことだよ」

「逃げるんですか?」

「それがどうかしたのかい?」

「いえ、味方の援護とか、そういうのは…」

 

 あまりにあっさりと逃げると言い切られてしまい、面食らってしまった。

 

「奇襲を受けたら、その場に踏みとどまらない。可能な限り速やかに離脱した後に態勢を立て直す。用兵の鉄則だよ」

「そうでした」

「第二九九駆逐群はフォーメーションDをとる。戦力を集中して紡錘陣を組み、敵の手薄な部分から一点突破。攻撃を集中するポイント、突破のタイミングはこちらで指示する。君はいつもどおりにやってくれたらいい」

 

 指示を与えられてやるべきことがはっきりすると、不安は幾分収まった。第二九九駆逐群の一翼を担ってフォーメーションを整え、戦況の推移を把握しつつ、必要に応じて部下に指示を飛ばす。

 それぞれ一二隻を率いる筆頭副司令オルソン少佐と次席副司令アントネスク少佐が前面に立って戦い、俺が直接率いる九隻が臨機応変に両副司令の部隊を援護する。他の駆逐隊との連携も意識しなければならない。

 

 投降を装った無人艦の爆発によって生じた混乱をさらに拡大すべく、宇宙海賊は上下左右から警備艦隊に突入していた。こうなると、小型艇による奇襲と一撃離脱を得意とする宇宙海賊の独壇場である。警備艦隊の艦列はズタズタに切り裂かれ、艦艇は立ち直る時間も与えられずに撃沈されていった。航行困難な宙域で包囲下に陥った警備艦隊は驚くべき速度でその数を減らしていった。

 

 俺が率いている第一三六七駆逐隊も既に三三隻中七隻が撃沈されている。八隻目が俺の乗っているパタゴニア八三号になってもおかしくはない。気絶しそうになるほどの恐怖を感じたが、ビューフォート大佐から飛んでくる指示を頼りに、目の前の状況への対処を続けることで自分を何とか保った。

 

「第一八七巡航群旗艦セイントイライアス、撃沈された模様。群司令アラビ大佐の生死は不明」

「第五五五駆逐群より通信が入りました。過半数の艦艇を失い、戦線崩壊しつつあり。至急来援を請うとのこと」

 

 オペレーターは絶え間なく凶報を伝える。何度、通信を遮断しようと思ったかわからない。

 

 警備艦隊司令官フラック准将に従ってこの宙域にやって来た二個巡航群、二個駆逐群、二個支援隊のうち、現時点で組織的な戦闘を継続できているのは第二九九駆逐群のみであった。即座に後退することを決めて、味方を援護せずに戦力集中に専念したビューフォート大佐の判断が功を奏したのだろう。爆発の影響が少ない位置にいたのも幸いだった。それでも四方からの間断ない攻撃を凌ぎつつ、戦力を集中して陣形を整えるのは至難の業である。包囲を突破できる態勢が整った時、第二九九駆逐群は戦力の三割を失っていた。

 

「全砲門開け!一時方向に砲撃を集中!」

 

 ビューフォート大佐の指示で第二九九駆逐群の全艦は敵戦力が手薄な一時方向に砲撃を集中した。二〇隻程度の敵は散開して砲撃を避け、敵部隊と衛星によって形成された包囲網に穴が空いた。

 

「今だ!全艦、全速前進!」

 

 紡錘陣を組んだ第二九九駆逐群は一斉に突入して、敵の包囲網を突き破った。そして、衛星群の隙間を縫うように全速航行を続けて、ゲベル・バルカル宙域からの脱出を図る。

 

 密集した衛星の作り出す重力場、放射線帯がもたらす計器異常が操艦を困難なものとしていた。俺は艦長や航宙士の経験が無く、操艦のことはまったくわからない。メインスクリーンに衛星が映るたびに、重力場に絡め取られてしまうんじゃないかと不安になる。実際、操艦を誤って脱落する艦もいた。

 

「速度を落としませんか?」

「不要だ。今は離脱を優先する」

 

 不安に駆られた俺はビューフォート大佐に速度を落として安全航行をするよう提案したが、一瞬にして却下された。航宙科出身のビューフォート大佐は俺なんかよりずっと操艦をわかっている。その彼が大丈夫というのなら、大丈夫なのだろう。俺の部下の航宙能力も低くはない。ここは航宙のプロ達を信じるべきだった。

 

 

 

 ゲベル・バルカル宙域を脱出した第二九九駆逐群は惑星ワジハルファに近い宙域まで到達すると、逃れてきた味方艦を収容するために停止した。現在残っている戦力は九八隻。俺の指揮下にあった駆逐艦も二四隻まで減少している。障害物が少ないこの宙域では、駆逐艦と比較して火力・装甲に優る小型艇は不利となる。倍以上の敵が追撃してきても十分に対抗できると、ビューフォート大佐は言っていた。

 

「こちら、第一八七巡航群所属、巡航艦ノヴァ・ゴリツァです。当艦は貴隊への合流を希望します」

 

 聞き慣れた声と艦名に安堵する。ノヴァ・ゴリツァは俺の友達のダーシャ・ブレツェリ中佐が艦長を務めている艦だった。第一八七巡航群は壊滅していたが、彼女はどうにか逃げ延びたようだ。ゲベル・バルカル宙域で戦っていた最中は目の前の敵と戦うのに必死でダーシャのことを気にする余裕もなかった。安全な場所に来てから心配するだなんて、我ながら本当に虫がいい思考をしている。

 

「第二九九駆逐群だ。貴艦の合流を歓迎する」

 

 ビューフォート大佐はダーシャの要望を受け入れ、ノヴァ・ゴリツァを指揮下に収めた。ゲベル・バルカル宙域から逃れてきた他の艦もビューフォート大佐の指揮下に入り、ワジハルファ宙域の警備艦隊は二一一隻に達している。

 

 警備艦隊司令官フラック准将、第百八十七巡航群司令アハビ大佐の戦死が確認された。第三〇一巡航群司令ビセット大佐、第五五五駆逐群司令ペラエス大佐は重傷を負って指揮を取れない状態だ。数時間前は四四五隻を数えた部隊が半数以下まで減少しているという事実に、愕然とさせられる。

 

「これより、惑星エル・ファシルに帰還する。リャン大佐と合流すれば、エルゴン星系から援軍が来るまで十分に持ちこたえられる」 

 

 留守を守る警備艦隊副司令官リャン・ダーイー大佐は、二〇〇隻を越える戦力を有している。ビューフォート大佐が率いる戦力と合わせれば、四〇〇隻の小型艇に負けることはない。星系警備艦隊とは別の指揮系統に属するものの、軌道警備隊だって健在だ。惑星エル・ファシル以外の有人惑星の安全確保を諦めざるを得ないが、この状況ではどうしようもない。

 

「それにしても、リャン大佐からの返事が来ないですね」

「通信が遅れるなんて基地局が少ない辺境では珍しくもないけど、こんな時ぐらいはちゃんと通じてほしいもんだね」

 

 超光速通信の通じやすさは基地局の数と密度に比例する。人口密集地域のバーラト星系とその周辺では基地局も密集していて、通信の途絶や遅れが生じることは少ない。軍用通信の基地局の数は民間のそれと比べると、人口に左右される度合いは小さい。しかし、近年の国防予算削減の煽りで主要航路から外れた地域の通信基地は縮小されていた。エル・ファシルもその例外ではない。広大な宙域に小部隊をバラバラに展開させる航路警備においては、強力な通信機能は不可欠だ。通信基地の縮小も海賊活動の活発化の要因となっていた。

 

 第二九九駆逐群以下の残存戦力はエル・ファシルへと向かう。ようやく惑星エル・ファシルの警備艦隊司令部と通信が通じたのは、日をまたいだ九月三日の午前二時の事だった。交信を終えたビューフォート大佐は、即座に残存部隊の幹部全員を第二九九駆逐群の旗艦に召集した。

 

 司令を失った第一八七巡航群、第三〇一巡航群、第五五五駆逐群の副司令、第二二三〇支援隊と第二二二八支援隊の司令、そして第二九九駆逐群副司令の俺の顔を見回したビューフォート大佐は、彼らしくもない重々しい口調で口を開く。

 

「エル・ファシル星系警備艦隊司令部から悪い知らせだ。副司令官リャン・ダーイー大佐が第一小惑星帯で海賊の襲撃を受けて戦死した」

 

 警備艦隊司令官に続いて、副司令官まで戦死するという事態に会議室は騒然となった。一体、何が起きているのだろうか。

 

「副司令官がなぜ第一小惑星帯まで出ていたのでしょう?」

 

 第五五五駆逐群副司令メイスフィールド中佐の疑問はもっともだ。エル・ファシルの警備艦隊司令部で留守を守っていたリャン大佐が第一小惑星帯まで出張ってくる理由がわからない。

 

「ゲベル・バルカル宙域からの救援要請に応じて、援軍に向かう途中で待ち伏せされたそうだ」

「あの通信状態で良く届きましたな」

「海賊の中には、軍の通信を偽装して民間船の油断を誘う者がいる。プロの軍人を騙せるレベルの名人がいたということだろうね」

「まさか…」

「まさか、という言葉がどれだけ無意味か。私達はゲベル・バルカル宙域で経験したばかりじゃないか。降伏してきたはずの相手が爆薬を大量に積んだ無人船だった。念入りに索敵をしたはずだったのに、敵は衛星の海中に潜んでいた。二〇〇隻しかいないはずのヴィリー・ヒルパート・グループが四〇〇隻もの戦力を動かしていた。今回の相手に限っては、何でもありと思ったほうがいいよ」

「失礼しました」

 

 ビューフォート大佐とメイスフィールド中佐の問答を聞いて、改めて今回の敵がとんでもない策士であることを思い知らされた。二〇〇隻の戦力を持っていたリャン大佐を戦死に追い込んだということは、ゲベル・バルカル宙域以外にも相当数の敵がいるということだろう。

 

「警備艦隊司令部からの通信というのも敵の罠である可能性は考えられませんか」

 

 今度は第一八七巡航群副司令パトリチェフ中佐が疑念を呈する。確かに今回の敵は何でもありだ。リャン大佐が戦死したというのも偽情報でもおかしくない。

 

「その懸念はもっともだ。あれだけの詭計を弄してくる敵なら、偽の通信ぐらいは使うだろう。しかし、この通信に関してはその心配はない」

「確認なさったということですか?」

「相手の通信士に頼んで、警備艦隊司令部にいる私の友人を三人呼び出してもらい、彼らにごくプライベートな質問をぶつけた。全部正解だったよ」

「なるほど」

「彼らが全員敵に内通している可能性もあるけど、そこまでは考えたくないな」

「まったくですな」

 

 ビューフォート大佐が肩をすくめてみせると、パトリチェフ中佐は巨体を揺らして陽気に笑った。張り詰めていた司令室の空気がやや柔らかくなる。

 

「予定どおりエル・ファシルに向かう。いや、向かわざるをえない。この宙域から無補給で移動できる有人惑星の中で、艦艇の補給及び整備機能を有する基地があるのはエル・ファシルだけだからね」

「我々はエル・ファシルに誘導されているということはありませんか?第一小惑星帯が機雷で封鎖されている可能性もあります」

「その可能性は低いね」

 

 俺の懸念をビューフォート大佐はあっさり否定した。

 

「敵はおそらく機雷敷設能力を持っていない。持っていたら、私達はゲベル・バルカルから生きて出られなかっただろうね」

 

 言われてみるとその通りだ。ゲベル・バルカル宙域に入った警備艦隊は、念入りに周囲を警戒しながら奥に進んでいった。機雷原を発見していたら、さっさとエル・ファシルに引き返していただろう。襲撃作戦に機雷原を盛り込むとしたら、無人船が爆発してから、俺達が脱出するまでの短時間で敷設を完了する必要がある。それができなかったということは、敵は機雷敷設能力を持っていないのだ。宇宙における機雷戦は物量が物を言うため、正規軍の戦術とされている。数隻から数十隻単位で民間船を襲撃する海賊とはそぐわない。機雷戦のプロを味方に付けていたら、ゲベル・バルカル宙域に投入していたはずだ。

 

「敵にはとんでもない策士がいるのは間違いない。しかし、機雷の件でわかるように、全知全能ではないようだ。ゲベル・バルカル宙域でも各部隊がバラバラに動いていて、統制はとれていなかった。偽装投降、無人船の自爆攻撃、衛星海中からの奇襲、偽通信による誘き出し。いずれも宇宙海賊が使う戦術だ。切れ者だが、発想は海賊の域を出ていない。そこに私達の勝機がある」

 

 小柄なビューフォート大佐の姿が大きくなったように見えた。俺以外の出席者も同じように感じたらしく、目を見張っている。

 

「ゲベル・バルカル宙域では海賊のフィールドに引きずり込まれて、一杯食わされてしまった。私達は軍人だ。軍人の戦いをすれば、海賊に負けたりはしない」

 

 全員が一斉にうなずく。敗軍の中にあって、確信をもって語る指揮官の何と心強いことだろうか。奇襲を受けてから、ビューフォート大佐は一度も読みを外していない。彼が勝利を確信しているのは、必勝の策を持っているからに違いない。

 

 七年前のエル・ファシル脱出作戦ではヤン・ウェンリー、今回の作戦ではビューフォート大佐。エル・ファシルでの俺は、指揮官に恵まれる星回りらしい。今回も指揮官を信じて戦おうと思った。


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