銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第六十五話:一つ終わって一つ始まる 宇宙暦795年9月11~12日 惑星エル・ファシル、星系警備艦隊司令部

 テロリストは恐怖を植え付けて、譲歩を強いることを目的としている。姿が見えなければ見えないほど、戦果が派手であれば派手なほどに、敵に与える恐怖は大きくなる。そのため、テロリストは隠密行動が取りやすい少人数による奇襲を基本としている。暗殺や爆発物を好んで用いるのは、少人数でも大きな戦果を見込める手段だからだ。交通機関やライフラインや政府施設や繁華街を好んで目標にするのは、少人数でも大きな戦果を見込める目標だからだ。何も考えずにひたすら破壊のための破壊を行う存在と思っていては、彼らの思う壺である。動機は不可解な信念に基づいていても、実行にあたってはきわめて合理的なのがテロリストなのだ。

 

 どんな場所においても、攻撃すれば大きな戦果が見込めるポイントは限られている。エル・ファシル市内でテロの対象となる可能性が高いポイントでは、数日前から軍や警察が厳戒態勢を敷いていた。どんな戦闘組織であっても、構成員の経験や武装の問題で使用できる戦術は限られている。エル・ファシル解放運動が得意とする戦術に関しては、軍や警察が豊富なデータを蓄積している。テロリストとの戦闘においては、陽動に引っかかって注意をよそに向けないこと、奇襲を受けても落ち着いて対処すること、敵の姿を正確に把握することなどを徹底すれば、数的に優位な軍や警察が有利となる。

 

 九月一一日一〇時八分。俺は臨時保安司令官として星系警備司令部の司令室に陣取り、右隣に臨時副官シェリル・コレット中尉、左隣に臨時参謀長カジミェシュ・イェレン中佐を従えて、エル・ファシル解放運動のテロ部隊を迎え撃とうとしていた。戦術スクリーンには、抽象化されたエル・ファシル市街が地図が映しだされている。

 

 アラート音が鳴り、最重要警戒ポイントの一つエル・ファシル発電所が赤く点滅した。メインスクリーンには猛スピードで発電所の正面ゲートを突き破る巨大なトレーラー六台が映っている。まるで映画のワンシーンのような派手な攻撃に息を呑んだ。

 

「こちら、エル・ファシル発電所です!トレーラー六台が正面ゲートに向けて突進してきます!」

「こちら、司令部。無人トレーラーを使った陽動は敵の常套手段である。他のゲートから侵入してくる敵に備えるように」

 

 指示を出し終えると、今度は第一宇宙港が赤く点滅する。メインスクリーンは宇宙港の監視カメラの映像に切り替わり、ビームライフルを持った五、六人の人影を映し出す。数日前から閉鎖されているターミナルビルに侵入してくる者がまっとうな目的を持っているはずもない。

 

「こちら、第一宇宙港!ターミナルビルのセンサーが侵入者を確認!」

「こちら、司令部。侵入者を急ぎ排除せよ。宇宙港警備本部は侵入経路の確認を急げ」

 

 俺の出した指示は極めて常識的で何の独創性もない。しかし、陽動や奇襲によって絶えず揺さぶりをかけてくるテロリストに対しては、基本の徹底こそが有効である。手堅く戦うことが治安戦の秘訣なのだ。

 

「こちら、星系政庁!正面広場に二発の砲撃!迫撃砲によるものと思われます!」

「こちら、恒星間通信センター!通用口付近で侵入者と交戦中!」

 

 今度は二箇所が同時に赤く点滅する。指示を出そうとマイクに向かうと、またアラート音が鳴った。これで五ヶ所が同時にテロ攻撃を受けたことになる。エル・ファシル解放運動が攻撃を仕掛けてくるのは予想していたが、こんな大規模になるとは思わなかった。上空ではビューフォート大佐が二倍以上の海賊を相手に戦っている。未曾有の非常事態に直面していることを、あらためて理解した。

 

 緊張のあまり、腹が痛くなってくる。熟考するには少なすぎる時間、判断材料とするには不確実すぎる情報、恐ろしく動きが早い敵。すべての要因が敗北に至る道を示しているように見えて、心の中を不安で満たしていく。状況の進展に付いて行けずに傍観している臨時参謀長イェレン中佐の真っ青な顔、事態を理解しているのかいないのか良くわからないコレット中尉のぼんやりした顔も不安をさらにかきたてた。

 

「慌てる必要はない。できないことをやろうと思う必要もない。できることを一つ一つやっていこう」

 

 頭を横に振ると、マイクを通してエル・ファシル市内の全軍に語りかけた。一語一語噛みしめるような力強い口調で、自分に言い聞かせるように言葉を紡ぎだす。

 

「今後数時間の戦闘に、この惑星、ひいては同盟全体の未来がかかっている。だからこそ、平常心を保たなければならない。頭に蓄えた知識、手に染み付いた技能、心に刻んだ経験を信じよう」

 

 平常心を保て。自分の知識と技能と経験を信じろ。そう口に出すたびに心が落ち着いていく。手元のデスクの上にあるマフィンを手にとって一口かじり、脳に糖分を補給した。七年前のエル・ファシルの光景を思い出した。あの時の俺は右も左もわからなかった。

 

「昨日までの積み重ねが今日を作る。今日の頑張りが明日を切り開く。君達が人間として、軍人として重ねてきた日々の営み。その延長にこそ勝利の道があると、私は信じている」

 

 型にはまった思考しかできない人間が危機に直面して、いきなり状況を打開できる奇策を思いついたり、未来を正しく予測して切り抜けたりなんてできるはずもない。そんな俺が頼れるのは、エル・ファシルを脱出してからの七年間に積み重ねた努力だけだった。俺は俺を信じたかった。部下も自分自身を信じられない指揮官を信じて戦うことはできない。部下まで俺の不安に巻き込むわけにはいかない。

 

『次に指揮官を務められる際は、いたずらに勇を好まれませぬよう』

 

 ヴァンフリート四=二基地で戦死したファヒーム少佐の最期の言葉が脳裏に浮かぶ。あの時の俺は不安から逃れるために突撃して、ファヒーム少佐らの犠牲で辛うじて生き延びた。指揮官の不安は部下の命を奪う。あの時の過ちを繰り返すわけにはいかない。

 

 不安を振り払うと、コレット中尉から受け取ったメモに目を通しながら、立て続けに指示を出していった

 

 九月一二日一三時。エル・ファシル解放運動との交戦が始まってから二三時間、五度目の攻撃が終了してから、七時間が経過していた。長期戦になると、圧倒的な戦力を持つ軍と警察が有利になる。

 

 市内に展開したテロ部隊は次々と制圧されていき、残った者も包囲網を突破して市外に脱出しようとしている。ビューフォート大佐率いる警備艦隊は倍以上の海賊相手に大勝を収めた。味方の勝利が揺るぎないものとなりつつあったものの、まだまだ油断はできない。敵の策がこれで尽きたとも思えない。

 

「巡視艦隊司令官より、エル・ファシル保安司令官代理宛てに通信が入っております」

 

 オペレーターの言葉に司令室が緊張に包まれる。普通に考えれば到着の知らせだろうが、延期、いや中止ということも有り得る。九月に入ってから入ってくる通信は悪い知らせばかりだった。その事実が俺も含めた警備管区司令部の軍人を悲観論者にしている。

 

「繋いでくれ」

 

 自分でもびっくりするぐらい疲れきった声で、オペレーターに取り次ぎを指示する。スクリーンに第七管区巡視艦隊司令官ホールマン少将が現れた。地下の司令室にこもって徹夜で指揮を取り続けた俺の目には、少将の禿げ頭も光り輝いて見える。

 

「こちら、第七管区巡視艦隊。間もなく、惑星エル・ファシル衛星軌道上への展開を開始する。受け入れ体制の準備を願いたい」

 

 その瞬間、司令室は弾けるような歓声に包まれた。左右を見回すと、コレット中尉はつまらなさそうに視線を逸らし、イェレン中佐は顔に喜色を浮かべて視線を合わせる。両手を上げてハイタッチの姿勢を取ると、イェレン中佐もそれに応じ、手の平を力強く叩き合わせた。それを見たスタッフは次々と俺に駆け寄ってきて、ハイタッチを求める。自らの総指揮で勝ち取った初めての勝利は、たまらない味だった。

 

 ホールマン少将率いる第七管区巡視艦隊二九八十隻は惑星エル・ファシルの衛星軌道上に展開すると、海賊の残存部隊の掃討に取り掛かった。上陸部隊のシャトルが上空を埋め尽くす光景は、各地で猛威を振るっていた暴徒の闘志を打ち砕くには十分であった。こうして、九月二日から一〇日にわたって続いた惑星エル・ファシルの動乱は終結した。

 

 

 

 第七管区司令部によってエル・ファシル保安司令官に任命された第三四師団長ガンドルフィ准将に業務を引き継いだ俺は、その足で士官食堂に向かった。長時間の指揮で疲れきっていたが、神経が高ぶっていて眠気は感じない。何かを腹に入れてから、眠るなり他のことをするなりしようと思ったのだ。他の士官も俺と同じことように思っていたらしく、激戦の直後であるにも関わらず、士官食堂は大勢の客で賑わっていた。

 

 最初にダーシャ・ブレツェリを探したが、食堂の中には見当たらない。不安になって携帯端末でメールを送ると、「これから寝る」という返事が返ってきた。彼女は瞬発力がある反面、スタミナに欠けている。眠気が勝利の興奮をあっさり吹き飛ばしてしまったのだろう。次にビューフォート大佐を探すと、端っこの席に数人で座っていた。

 

「やあ、エル・ファシルの英雄」

「司令官代行も今日からそう呼ばれますよ」

 

 警備艦隊司令官代行ビューフォート大佐と軽口で挨拶を交わし合った。思えば上官とこういう関係になるのは初めてである。ドーソン中将は冗談を言うような人でもないし、部下が冗談を言うのも良く思わないだろう。

 

「私のようなただのおっさんが英雄なんて呼ばれたら、視聴者が怒るんじゃないか?英雄というのは、君みたいに画面映えする容姿を持っていなければならないと昔から決まっている」

「統合作戦本部にはどんな人でも格好良く撮れるカメラマンと、どんな人でも格好良く見せるスタイリストがいるんですよ。おかげで俺も視聴者の怒りを買わずに済みました」

 

 七年前のエル・ファシル脱出作戦で英雄に祭り上げられた俺には、カメラマンのルシエンデス曹長とスタイリストのガウリ軍曹が付けられた。この二人には随分と世話になった。軍隊に入って初めて親しくなった相手でもあり、今でも付き合いが続いている。

 

「エル・ファシルの英雄とは懐かしい響きですな。ヤン・ウェンリー准将、いや当時は少佐でしたな。あの方と仕事でご一緒したことがありました」

「ほう、パトリチェフ中佐もヤン准将を知っているのか」

「エコニアの捕虜収容所で二週間だけ上司と部下の関係でした。職を解かれてハイネセンに帰還する道中の二ヶ月も同行させていただきました」

「所長が横領で逮捕された収容所だったか。捕虜の反乱がきっかけで露見したんだったね」

 

 警備艦隊副司令官代行のフョードル・パトリチェフ中佐とヤン・ウェンリーの仲を知っている者は、それほど多くない。ヤンは着実に昇進を重ねて二八歳にして准将の階級を得ていたが、エル・ファシルの英雄、シトレ元帥派のホープといった立場にばかり注目が集まっていて、彼自身についてはあまり知られていない。

 

 俺が二人の関係を知っているのは、前の歴史を知っているからだ。そこではエコニア収容所で起きた事件は、同盟末期最高の名将ヤンとその腹心パトリチェフが出会うきっかけとして後世に記憶されていた。

 

「あの時はいろいろと大変でしたが、思い出してみるとなかなか楽しかったですなあ。機会があれば、またあの方とご一緒したいものです」

「エル・ファシル脱出の際にヤン准将が旗艦にしたのは私の船でね。同じ人間とは思えなかった。軍歴二〇年の私が一艦の指揮でもいっぱいいっぱいだったのに、士官学校を出て一年ちょっとのヤン准将は千隻の大船団を一人で指揮していた。天才とはああいう人のことを言うんだろうね」

「いやあ、そんな凄い人には見えませんでしたよ」

 

 パトリチェフ中佐とビューフォート大佐のヤン評ははっきりと分かれている。世に出る前のヤンを天才と呼んだビューフォート大佐の評価、後にヤンの腹心中の腹心となるパトリチェフが語る「凄い人に見えない」という評価のいずれも興味深いものがある。

 

「一人でスタッフ十数人分の仕事をできる人なんて見たこと無いよ。統合作戦本部あたりには、ああいう人がゴロゴロいるのかもしれないけど」

「統合作戦本部は知りませんが、少なくとも宇宙艦隊総司令部には滅多にいませんよ」

「ああ、そういえば、君は去年のイゼルローン遠征で参謀やってたんだね」

 

 ビューフォート大佐とパトリチェフ中佐の会話に割り込む。一人で十数人分の仕事を処理できる軍人なんて、ドーソン中将ぐらいしか見たことがない。それも長年の経験と何でも自分で仕切りたがる性格の賜物であって、中尉になって間もない頃からそんな能力を持っていたヤンとはわけが違う。

 

「ええ。軍中央では一人で普通のスタッフ何人分もの仕事を処理するのではなく、一人分の仕事を最速の速度と最高の質で処理することが求められます」

「そうなんだねえ」

「なるほど」

 

 俺の言葉に二人は納得したようにうなずいた。ビューフォート大佐は航宙科学校を卒業してからずっと地方部隊で勤務してきた。パトリチェフ中佐は士官学校卒業者ではあるが、砲術士官や艦長としての勤務が長く、中央勤務とは縁が無い。三人の中で学歴が最も低い兵役出身者の俺が一番中央勤務に詳しいというのも妙な話であった。

 

「フィリップス中佐から見たヤン准将はどんな人だったんだね。エル・ファシル脱出作戦の時は一緒にいたはずだが」

 

 パトリチェフ中佐の質問に少し考えこむ。ヤンと直接接した期間はそれほど長くない上に、軍隊のことを良く知らなくて、前の人生で読んだ本の評価をそのまま引きずっていた頃だ。先入観を抜きに評価すると、「冴えない奴」ということになるだろう。しかし、そのまま言えば角が立つ。言葉を選ばなければならない。

 

「掴み所の無い人でした」

「なるほど」

「同じ人を見ても、受ける印象は人それぞれ。面白いね」

 

 曖昧にお茶を濁しただけなのに、妙に感心されてしまった。詳細な説明を求められたら困る。話の矛先を変えなければならない。

 

「凄い人には見えないとパトリチェフ中佐はおっしゃいましたよね。なぜそのようにお感じになったんですか?」

「切れ者にも勇者にも見えない。それどころか、軍人にも見えない。普通の人だった」

 

 前の歴史でヤンが成し遂げた偉業を知らない人から見れば、普通の人という評価は正しい。彼程度にだらしない人なんて、いくらでもいる。彼程度の読書家も珍しい存在ではない。ユリアン・ミンツが書いた伝記によると、エコニアでのヤンは持ち前の知略を発揮する機会がなかったそうだ。だとすれば、エル・ファシルの英雄という先入観に惑わされずに、ヤンを普通の人と評価したパトリチェフは公正と言っていい。

 

「整理整頓ができない。時間を守れない。正直すぎて見栄を張れない。老人に頭が上がらない。三次元チェスも弱い。頼りないところだらけだったよ」

 

 ヤンの駄目なところをあげていくパトリチェフは、どこか嬉しそうに見える。

 

「だから、助けたくなるんだろうなあ。あの老人もそう思っていたはずさ。私もヤン准将の人徳のおこぼれで助かったようなものさ。足を向けて寝られんね」

 

 あの老人というのは、収容所長の陰謀からヤンとパトリチェフを救った捕虜の顔役のことだろう。

 

 前の人生で俺が暮らしていた帝国の捕虜収容所ではコストを省くために、顔役を頂点とする自生的な秩序に管理を依存していた。自生的な秩序に依存した管理体制は、同盟の収容所も同じだ。捕虜の集団の中で頭角を現して、顔役になるような人物が只者であるはずもない。収容所に赴任して間もないヤンが顔役の好意を獲得したというのは、驚くべきことである。前の歴史でもヤンは並み居る曲者の心を掴んできたが、微妙に頼りないところが親切心をくすぐったのかもしれないと思った。

 

「ああ、頼りないというのは感じました。従卒みたいに身の回りの世話をしていたんですが、大雑把な方でした」

「そりゃ、フィリップス中佐と比べたら、誰だって頼りないんじゃないかね」

 

 パトリチェフ中佐の意外な言葉に驚く。俺ほど頼りにならない奴なんて、そうそういるもんじゃないぞ。ヤンと違って、人の親切心をくすぐれないけど。

 

「そんなに頼りになりそうに見えます?」

「いつも落ち着いていて、喋りがうまい。デスクワークから白兵戦までこなす。何をしても絵になる。同じエル・ファシルの英雄でも、ヤン准将とは大違いさ」

 

 誰のことを言ってるんだろうかと、パトリトェフ中佐の言葉に耳を疑ってしまった。物凄く頼りになりそうじゃないか。

 

「いつも不安だらけですよ。戦場に出たら敵は怖いし、味方の目も気になります。昨日からのテロ部隊との戦いだって、緊張しすぎて何がなんだかわかりませんでしたよ」

「そうなのかい?落ち着いて指揮していたように見えたけど」

 

 ビューフォート大佐も何か勘違いしているらしい。

 

「情報も時間もなかったし、対テロ作戦の指揮も初めてでしたが、迷っていられませんでしたからね。無我夢中で指揮をとっていたら、いつの間にか戦いが終わってました」

 

 謙遜でも何でもない。正直な気持ちだ。ビューフォート大佐のような歴戦の勇士と俺ではものが違う。

 

「なんだ、君も私と同じか」

 

 その言葉にパトリチェフ中佐らテーブルを囲んでいる全員が驚いて、ビューフォート大佐の方を一斉に向く。

 

「戦況の変化に付いていくのが精一杯でね。まったくわけのわからない戦いだったよ」

 

 二倍以上の敵を斜めに突破して分断した後に、時間差で各個撃破して壊滅に追いやった指揮官のセリフとはとても思えない。

 

「計算通りに戦いを進めたものとばかり思っていました」

「そんなことできるわけないだろう。主導権を握ったからと言って、時間も情報も足りないことには変わりない。先手を打ち続けて、勝機が巡ってくるのを待つしかなかった。まあ、運が良かったね。一〇〇パーセント予想した通りの戦果を得ることは決して無いのに、二〇〇パーセントの戦果を得ることはある。用兵って奥が深いよ」

 

 あまりにも正直過ぎるビューフォート大佐の回答に腰が抜けてしまう。しかし、戦場が絶え間ない偶然の連続にとって構成されるのであれば、計算通りにできるわけがないというのは、むしろ当然のことかもしれない。

 

「マスコミの前では言わない方がよろしいでしょうなあ。計算通りに勝ったことにしなければ困る人も多いでしょうから」

 

 パトリチェフ中佐が苦笑しながら言う。

 

「完全に終わったわけでもないのに、マスコミの心配なんて気が早過ぎないかい?」

「エル・ファシル星系は第七方面管区の直轄下に入りました。最高評議会も緊急対策本部を作って、正規艦隊派遣も視野に入れた対応を検討しているようですな。あとはハイネセンの偉い人達に任せて、傍観者に徹しても許されるんじゃありませんかね」

「たかだか一星系の動乱に正規艦隊を動かすって?フェザーン方面航路に治安出動する第一艦隊をこちらに差し向けるわけにもいかないだろう」

「国防委員長がもう一個艦隊動員するように閣議で提案したそうですよ。そんな予算、どこにもありゃしないのに」

 

 正規艦隊は一個あたり艦艇一万数千隻、兵員百数十万人という桁外れの戦力を持っている。それだけに動員するだけでも多額の予算を必要とする。一度の出兵で動員される艦隊が三個から四個艦隊の範囲に留まるのも予算の制約によるところが大きい。国防予算は対帝国戦に重点的に投入されているため、正規艦隊を治安出動させる予算を確保するのは不可能に近い。第一艦隊の動員だって、航路の安定を望むフェザーンが費用の半分を負担して、ようやく実現にこぎつけたのだ。トリューニヒトの提案は却下されて当然である。

 

「しかし、エルゴンからイゼルローンに至る航路はエル・ファシル方面航路と似たりよったりだ。正規艦隊でも投入して海賊を掃討しなければ、帝国軍が攻めてきても迎撃できないぞ」

 

 ビューフォート大佐と同じ理由でイゼルローン方面航路への正規艦隊投入を主張する者がいないわけでもなかったが、財政難を理由に却下されてきた。極右思想を持つネットユーザーの中には、「イゼルローン方面航路の宇宙海賊を放置しているのは、帝国に媚びる反戦派の陰謀」などと書き込んでいる者もいるが、さすがにそれはこじつけが過ぎるというものだろう。

 

「動員されるとしたら、第四艦隊か第六艦隊でしょうな。どちらの司令官も航路保安に強い人物です。どちらにせよ、我々には関係のない話ですがね」

 

 航路保安を担当する地方部隊は叩き上げが多いが、星系管区や方面管区の司令部には士官学校を卒業したエリートが多い。

 

 同盟軍の出世コースといえば、ほとんどの人は軍中央機関や正規艦隊のポストを渡り歩くコースをイメージするだろうが、星系管区や方面管区のポストを歴任しながら階級を上げて将官に至るコースも用意されている。第四艦隊司令官パストーレ中将と第六艦隊司令官ムーア中将は、航路保安で実績を重ねて、方面管区司令官を経験した後に正規艦隊司令官に就任した。幕僚にも航路保安に強い人材が多い。

 

「いっそ、どっちかが第七方面管区の司令官になってくれたらいいのにね。今の司令官は正規艦隊が長かったから、地方がわからないんだよ。宇宙の航路警備、地上の治安対策をセットにした包括的海賊対策は、地方に長くいた人じゃないとできないからね」

 

 同じ中将ポストではあるが、正規艦隊司令官の用兵と方面管区司令官の用兵は異なる。ビューフォート大佐が嘆くとおり、パストーレ中将かムーア中将が第七方面管区の司令官だったら、エル・ファシル方面の海賊対策もかなりマシになっていたかもしれない。

 

 理想の第七管区司令官人事について話し合っているビューフォート大佐とパトリチェフ中佐を横目にパフェを食べようとすると、食堂に据え付けられたスクリーンからニュース速報を知らせるチャイム音が流れた。どんなニュースかは知らないが、この十日間にエル・ファシルで起きた事件と比べると大したことはないだろう。そう思って何気なくスクリーンに視線を向ける。

 

「本日一五時頃、エルゴン星系の惑星シャンプールにある第七方面管区司令部が襲撃されました。被害状況及び犯人の詳細は不明」

 

 画面には第七方面管区司令部ビルが炎上しながら崩落する様子が映し出されている。六年前の俺は第七方面管区司令官ワドハニ中将の従卒を務めながら、幹部候補生養成所の受験勉強に励んでいた。努力する楽しみを教えてくれた懐かしいビルの惨状に気が遠くなっていく。

 

 シャンプール基地のど真ん中で多くの部隊に取り囲まれて鎮座している司令部ビルにテロリストが到達するなど、常識では考えられない。しかし、シャンプールに駐屯する地上部隊二〇個師団のうち、第七方面管区司令部の警備戦力と予備戦力を兼ねる三個師団は、すべてエル・ファシルに派遣されている。また、第七方面管区司令部はこの一〇日間、エル・ファシル動乱への対処に忙殺されていて、警戒が甘くなっていた。ハイネセンの情報機関もやはりエル・ファシルに目が向いていた。

 

 九月二日のゲベル・バルカル宙域の戦いに始まるエル・ファシル動乱は、すべて第七方面管区司令部襲撃のための壮大な陽動に過ぎなかったのだ。辺境星系に過ぎないエル・ファシルと複数星系の防衛を統括する方面管区司令部では、政治的な価値は比べ物にならない。同盟史上でも稀に見る大規模テロの前に、勝利の興奮は吹き飛んでしまっていた。


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