銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第四話:言葉の魔術師 宇宙暦788年5月15日 エル・ファシル星系政庁

「良くも俺たちを騙してくれたな!」

「出発を引き伸ばしたのはこういうことか!」

「ヤン・ウェンリー出てこい!」

 

 エル・ファシル星系政庁前では軍の責任を追求する怒声が飛び交ったいた。警官が群衆と庁舎の間に肉体の壁を作っているが、一歩間違えば群衆が暴徒と化しかねない雰囲気がある。さっき俺に掴みかかった男が何百人もいるような状況だ。軍人が出てこないのは群衆を刺激したくないからだろうか。

 

「参ったね。予想以上だ」

 

 ロムスキー先生はため息をつく。

 

「なんでみんなヤン中尉に怒っているんですか?悪いのは逃げた人達だけでしょう?中尉はみんなが逃げられるよう頑張ったじゃないですか」

「脱出の準備はとっくにできていたんだ。けど、中尉がまだ早いと言って出発に反対した。その結果がこれだ。みんなを騙して司令官が逃亡するまで時間稼ぎしたと受け取られても無理は無い」

「先生もそう思ってるんですか?」

「い、いや。そんなことは…。正直言うと、ちょっとだけ考えた…」

「そんなわけないでしょう!」

 

 つい大声を出してしまう。騒いでいる人達の視線が俺たちに集まる。

 

「見ろよ。軍服着た奴がいるぞ」

「俺達を見捨てておいて良くもノコノコと」

「許せねえな」

 

 冷静に考えたらここにいる軍人はリンチ提督に見捨てられた者だけなのだが、群衆はパニックになってそこまで頭が回らないのだろう。軍人というだけで怒りをぶつける対象になってしまう。それがエル・ファシルの英雄に対する怒りや俺に対する非好意的な声に繋がっている。この混乱をエル・ファシルの英雄はどうやって切り抜けたんだろうか。

 

 急に大きなチャイム音が流れ、庁舎前のスクリーンから緊急放送が流れた。騒いでいた群衆は静まり返る。

 

「只今より緊急対策副本部長ヤン・ウェンリー中尉の緊急会見が始まります。手近なソリビジョン、端末をごらんください」

 

 政庁庁舎の壁に据え付けられた大きなスクリーンが明るくなった。エル・ファシルの英雄ヤン・ウェンリーが映し出される。記憶の中の彼と全く同じだ。すべてを見抜いているかのような瞳。何者にも動じない落ち着いた表情。夢だから変なふうに変わっている可能性も考えたけど、ちゃんと作りこまれているようで安心した。

 

「司令官の逃亡についてどうお考えですか?」

「軍は市民を見捨てたという声がありますが!?」

「脱出を延期なさったのは中尉の判断ですよね?司令官の逃亡との関係を疑われても仕方がないのではないですか?」

 

 記者の厳しい質問が飛び交うが、ヤン・ウェンリーは答えない。こほんと小さく咳払いをしてから、穏やかな口調で語り始める。

 

「明日の正午に脱出します。市民の皆さんは今から準備を始めてください」

「明日ということですが、護衛無しの脱出になるのですか?」

「そうです」

「司令官の逃亡の翌日に脱出を決定された理由は?」

「最初からそのつもりでした」

「中尉は司令官が逃亡するのをご存知だったのですか!?」

「知りませんでしたが、予想はしていました」

 

 リンチの逃亡を予想していたというヤンの答えに、報道陣は怒り狂った。

 

「予想していただと!」

「やっぱり奴らのために時間稼ぎをしていたのか!」

 

 怒声を浴びせられたヤン・ウェンリーであったが、まったく動じずに言葉を続ける。

 

「心配いりません。司令官が帝国軍の注意を引きつけてくれます。レーダー透過装置など付けずに悠々と脱出できますよ」

 

 司令官を囮にするという大胆すぎる発言にどよめく報道陣。

 

「そ、それは司令官を囮にされるということですか…?」

「そう受け取っていただいてかまいません。私の任務は市民の皆さんを無事に脱出させることです。必要な手は打ちました。以上です」

 

 そう言うとヤンはさっさと退席し、放送は終わった。騒いでいた市民はすっかり静まり返る。映像では何度も見た場面だった。その時は当たり前のことを言っているように聞こえた。実際、俺は司令官に従って帝国軍の捕虜になったんだから。

 

 しかし、実際にその場で見るとヤンの凄さがわかる。司令官の逃亡に激怒する市民に対し、あらかじめそれを予測していたこと、おかげで安全に逃げられるという見通しを述べ、事態が全て掌にあることを示し、不安を一瞬にして取り除いてのけたのだ。朝食のメニューについて話すかのようなのんびりとした口調も安心感を与える。

 

 俺の知るヤンは不可能を可能にする用兵の魔術師と言われていた。しかし、目の前のヤンは言葉の魔術師と言うべき存在だった。背筋に戦慄が走る。言葉ひとつで世界を変えてしまう。英雄とはこういう存在なのか。

 

「顔色が悪いけど、どうしたんだい?」

 

 ロムスキー先生の声で我に返った。

 

「だ、大丈夫です」

「そうか。騒ぎが落ち着いたことだし、対策本部行こうか」

「は、はい…」

 

 ロムスキー先生とその仲間の後について政庁庁舎の中に入る。正直気が重い。ヤンの前に立って平常心を保てる自信がなかったからだ。

 

 あの時代の同盟に生きた俺にとっては、ヤンは偉人の中の偉人だ。戦えば百戦百勝。策を立てたら百発百中。癖のある男達もヤンのカリスマに魅了されて忠誠を尽くした。リアルタイムでヤンを知らない世代は「八月党のゴリ押しによる過大評価」「ヤンの実力ではなくてユリアンの筆が凄い」などと言うが、そんなのは戯言だ。獅子帝自ら率いる十四万隻の大軍を一個艦隊で押し返したことも知らないのだろう。ヤンは生きている間から神話の中の存在だったのだ。そして今、ヤンの凄さをこの目で見た。あんな偉大な存在の前に俺ごときが立っていいのかと思う。

 

 ロムスキー先生が受付で名前を名乗って対策本部への取り次ぎを頼む。係員に「そちらの方は?」と聞かれると、先生は俺のことを紹介する。

 

「彼は警備艦隊の兵士だ。この星から逃げることを潔しとせずに市民とともに残ることを選んだ。力になりたいと言ってくれている」

 

 なんですか、その模範的若者は。晒し者にする気ですか。やめてください。恥ずかしい。

 

 係員は目を丸くして「待ってください」と上ずった声で言うと、端末で何やら話している。しばらくすると作業服を着た男二人が走ってきて、「ちょっとお話を伺いたいのですが」と言う。彼らは俺とロムスキー先生を別室に通し、先生の仲間は部屋の前で待つことになった。

 

 二人は政庁の課長やら参事官やら、とにかく偉い人らしい。俺とロムスキー先生にいろいろ聞いてくる。俺が何者か、なんでこの星に残ったか、など。街で俺が何を言ったのかをロムスキー先生が語ると、目を輝かせていちいちうなづく。話が終わると、男の一人が言った。

 

「フィリップス一等兵。これから記者会見を開こうと思うんだ。出席してくれないか?」

「僕が記者会見…?」

「そうだ。逃走を潔しとせず、この星に留まった勇敢な若者を皆に紹介しようと思ってね」

 

 この人目が悪いのか?メガネかけてるのに。度数が合ってないのかな?俺がそんな立派な奴じゃないぞ。ロムスキー先生が立派だから、俺まで立派に見えてるだけだぞ?

 

「勇敢な若者って僕のことですか…?」

「他に誰がいるんだね。君が語った覚悟は本当に素晴らしかったよ。ロムスキー議員から聞いてるだけでうれしくなった。実際に聞いた人達はもっとうれしかったろう。エル・ファシルのみんなに同じ気持ちを共有して欲しいんだ」

「そんな特別なことは言ってないですよ。当たり前のことを言っただけで…」

「勇敢な上に謙虚なんだね。ますます気に入った。でも、今の我々にはその当たり前が何より嬉しいんだ。市民はリンチ司令官の逃亡に大きなショックを受けている。見放されたのかと絶望している。ヤン中尉の会見で落ち着いたが、もうひと押し欲しい。逃げることを拒んで市民のために残った君がいる。それ自体が我々は見放されていないという力強いメッセージになる」

 

 逃亡者って言われるのが怖いだけだ。あの地獄を知ってたら、誰だって逃げないに決まってる。特別なことしたわけじゃない。

 

「みんな希望がほしいんだ。信じたい。大丈夫と誰かに言って欲しい。ただ1人、自分の意志で残った君にしか言えない言葉だ。君の言葉はみんなに力を与える」

「何を言えばいいんですか。そんな立派なこと言えませんよ」

「ありのままの気持ちを語って欲しい。街で覚悟を示した時のようにね」

 

 いやだから、あれは覚悟じゃなくて。もっと汚いもんだ。蔑まれたくないってだけだ。

 

「頼む、引き受けると言ってくれ!」

 

 そんな目で見ないでくれ。期待しないでくれ。断れないじゃないか。

 

「やります。やらせてください」

「ありがとう。今から軽く打ち合わせをしよう。二時間後に会見を開く」

 

 恐ろしいことになってしまった。ジュニアスクールの学芸会の芝居より大きな舞台に立ったことがない俺が記者会見でエル・ファシルの三〇〇万人に向けてメッセージを送るなんて。いくら夢だからって、無茶苦茶にも限度がある。


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