今日は朝から国防委員会に顔を出さなければならなかった。官舎から公用車に乗って、直接国防委員会庁舎に向かう。座席で副官のコレット大尉から渡された新聞に目を通すと、見出しには「帝国領出兵案、明日の評議員会議で決定か」との文字が躍っていた。四日前のことを思い出し、ため息をつく。
「先週、フォーク准将に会ったというのは本当かね?」
仕事をしていた俺のところにそのような通信を入れてきたのは、首都防衛司令官から統合作戦本部管理担当次長に転じたスタンリー・ロックウェル中将だった。元はロボス派だったが、今では国防委員会防衛部長クレメンス・ドーソン中将と並ぶトリューニヒト派の実力者である。
「本当です。どなたから伺ったんですか?」
プライベートで友人に会ったことを他人に知られているのは、あまりいい気分ではなかった。どこから漏れたのかが気になる。
「今、ホーランド少将が私のオフィスに来ている」
その名前を聞いて舌打ちしたい気持ちになった。統合作戦本部次席監察官ウィレム・ホーランド少将は、アンドリュー・フォーク准将のグループに加わって、帝国領出兵案の支持者を募っていた。仕事を放り出して政治工作に奔走するホーランド少将の姿を快く思わない者は多い。面会をすっぽかされた俺としても、あまりいいイメージのない名前だ。
「どんな文脈でその話が出たんですか?」
「妙な話を持ち込まれてるのだが、その説明の最中に何の脈絡もなく出てきた」
「小官が賛同しているとか、そういう話になっているんですか?」
「いや、単に会ったという話だけだ」
ホーランド少将がロックウェル中将に持ち込んだ妙な話というのは、帝国領出兵案のことだろう。その説明の中で俺とアンドリューが会ったという事実を唐突に持ちだし、俺が関わっているかのような印象付けを狙ったに違いない。ロックウェル中将ほどの人がそんな手に乗るはずもないのに、浅はかとしか言いようがない。
「本当に会っただけですよ。名前を出されるなんて、迷惑としか言いようがないです」
「わかっとる。確認しただけだ」
「慎重な対応、感謝いたします」
「将官ともなると、胡散臭い話に巻き込まれることも多くなる。気を付けなさい」
そう言うと、ロックウェル中将は敬礼して通信を切った。わざわざ確認を入れてくれたロックウェル中将に感謝するとともに、面識もない俺を勝手に巻き込もうとするホーランド少将にイラっとした。
国防委員会庁舎に到着した俺は、国防委員長ヨブ・トリューニヒトの執務室に入った。こんな時期に俺を呼び出すなんて、いったいどんな用事だろうか。秘書官が出してくれたコーヒーを飲みながら、向かいに座っているトリューニヒトが口を開くのを待った。
「ホテル・カプリコーンのジェラートはおいしかったかい?」
その言葉を聞いて、思わず身構えた。出兵案の話だ。
「ご存知でしたか」
「フォーク君がいろいろやっているという話は、私のところにも聞こえてくるからね」
あれほど派手に動きまわっていたら、トリューニヒトの耳に入るのは当然だろう。軍政のトップとして作戦案にも目を通しているはずだ。
「馬鹿なことをしてくれたものだ。軍人が正規の命令系統を通さずに、直接最高評議会を動かすという前例を作ってしまった。勝っても負けても、軍部の結束に大きな傷が付く」
トリューニヒトの苦々しげな言葉から、アンドリュー達が最高評議会を動かすのに成功したことを知った。
「申し訳ありません」
アンドリューにとって、ロボス元帥のチームは家族だった。自分の将来と引き替えにしても構わないぐらいに大事な存在だった。それを悟った俺には、彼を止めることができなかった。
「気にすることはない。君に止められなかったら、誰にも止められなかった。フォーク君一人を止めたところで、他の者が代わりに動いていた。ロボス君の下には、忠臣がいくらでもいるからね」
「それでも、アンドリューだけは止めたかったんです。他の人が同じことをするだけだったとしても、構いませんでした」
「彼のような若者に泥を被らせるとは、ロボス君とアルバネーゼは酷なことをする。いざとなったら、彼の暴走ということにして逃れるつもりなのだろう」
「まさか」
アルバネーゼ退役大将はともかく、アンドリューを手塩にかけて育ててきたロボス元帥がそんなことをするものだろうか。
「ロボス君は軍人にしておくにはもったいないぐらいの政治家だよ。あの大雑把さも一種の政治的な演出さ。自分は動かずに手駒を使うことで逃げ道を作っておく。ロボス君のカリスマをもってすれば、手駒を思い通りにコントロールするなんて造作も無い」
「そうなんですか?俺の知っているロボス元帥は、豪快で気さくで…」
「彼は好漢だが、それ以前に政治家なんだよ。ロボス派の士官に対して責任がある。責任の前には、いくらでも冷酷になれる」
トリューニヒトは責任といった。野心ではなくて、責任と。
「野心ではないのですか?」
「政治家は自分で全てを決めているように見えて、実は何も決められない。支持者の期待にこたえる責任がある。ロボス君は支持者に対する責任を果たすために、権力を握り続けなければならなかった。だから、失態を重ねても司令長官の地位に居座り続けた。忠臣の首と引き換えにね」
トリューニヒトが語るロボス元帥像は、俺が見た豪放な野心家とも、前の歴史が語る無責任な愚将とも異なるものだった。しかし、ロボス元帥の行動を合理的に説明しうる解釈でもある。
「ロボス元帥ほどの人が見苦しいまでに地位にしがみつく理由が自分にはわかりませんでした。衰えて理性的な判断ができなくなってるのではないかと思っていました」
「落ち目になれば、何をやっても悪く受け取られてしまう。戦いには相手というものがある。いかに優れていても、相手がより優れていれば勝てない。武運に恵まれなかっただけで、ロボス君は何も変わっていない。再び武運がめぐって来る時を待ち続けた。そして、今が切り札を切る時と判断したのだ」
「アンドリューがその切り札というわけですか」
「フォーク君は説得に長けている。リーダーシップがある。忠誠心は極めて高い。こういう場面では頼りになる人材だよ。私も彼のような秘書が欲しいものだね」
トリューニヒトのアンドリュー評を聞くのは実は初めてだ。意外なほど高く評価している。凡人の感情を大事にするトリューニヒトなら、仲間への義理を優先するアンドリューを評価するのは当然かもしれない。そして、そんな忠実な部下をあっさり使い捨てるロボス元帥に恐ろしさを感じた。
「ロボス元帥は恐ろしい人ですね。アンドリューほどの男もあの人にとっては、カードの一枚でしか無いなんて」
「彼は恐ろしい男だが、同時に信義のある男だ。ヴァンフリートのベロフ准将、第六次イゼルローン攻防戦のランドル大佐、エルゴン会戦のマントゥー大佐はいずれもロボス君の代わりに敗戦責任を負わされて軍を去ったが、軍需関係企業の重役に迎えられた。いずれもロボス君の息がかかった企業だ」
「泥を被っても、面倒は見てくれるってことですか」
「使い捨てた部下のフォローを怠ったせいで、秘密を暴露されるなんてことは珍しくない。汚れ役への報酬は奮発するというのは人使いの基本だ。報酬がもたらす生活の安定が口を固くしてくれる。覚えておくといい」
そういえば、前の歴史でヤン・ウェンリーを査問に掛けた責任を問われたネグロポンティが国防委員長の座を退いたことがあった。その時、査問を命じたトリューニヒトはネグロポンティに国営水素エネルギー公社総裁のポストを用意している。政治家が考えることが同じだとしたら、トリューニヒトは帝国領出兵についてどう思っているのだろうか。
「委員長はロボス元帥の今回の動きについて、いかがお考えですか?」
「政治的には最高の一手だね。イゼルローン要塞攻略でシトレ君が築いた優位を一気にひっくり返してしまった。勝っても負けてもシトレ君は勇退に追い込まれる。私の軍部における発言力も低下は免れない。国防委員長の地位を退くことになるかもね。勝てばロボス君の功績、負ければ彼と私とシトレ君の連帯責任ってことさ」
前の歴史では、軍令のトップであるシトレ元帥は帝国領侵攻失敗の責任をとって辞任したが、軍政のトップであるトリューニヒトは辞任どころか、声望を高めてサンフォード議長辞任後の暫定政権首班に上り詰めた。保身の達人と言われるトリューニヒトなら、当然のことと思っていた。しかし、良く考えれば、軍政のトップとして連帯責任を負わされる立場にある。トリューニヒトが最高の一手と評するのもうなずける。
「最悪でも、引き分けに持ち込もうということですね。全員が負ければ、ロボス元帥の一人負けにはならない」
「やられたよ。しかも、あのアルバネーゼを味方につけている。軍部の派閥争い程度は鼻にかけないような元老を良くも引っ張り出してきたものだ。ロボス君の手腕には感服する他ない」
アルバネーゼ退役大将は三年前にトリューニヒトに苦杯を飲ませたほどの実力者だ。政治闘争のパートナーとしては、この上なく心強いだろう。しかし、ロボス元帥に御せるとも思えない。アルバネーゼが黒幕で、ロボス元帥も踊らされているにすぎないという可能性だってある。
「アルバネーゼ退役大将は本当にロボス元帥の味方なのでしょうか?」
「彼は信義に厚い男だ」
「信義ですか?」
アルバネーゼ退役大将は三〇年以上にわたって、同盟軍を麻薬漬けにして荒稼ぎしてきた人物だ。最高評議会を動かして、サイオキシン麻薬組織に対する捜査を中止させる暴挙に出たこともある。情報畑の大物としては、数えきれないほどの謀略に関わってきた。信義とは最も縁遠い人種ではないか。
「逆説的な言い方になるが、謀略の世界は信義の世界だ。信用できない者と一緒に危ない橋は渡れない。利害で結びついた者は利害を理由に裏切る。だから、優れた謀略家は信義を大事にする。謀略飛び交う情報と犯罪の世界で頂点を極めたアルバネーゼほど、信義に厚い男はいない」
確かに信用できない者はどんなに有能でも謀略の協力者としては不向きである。秘密を漏らされたり、約束を破られたりしたら、命すら危うくなる。三年前にヴァンフリート四=二基地司令部メンバー全員の拘束命令を受けた俺が誰にも真意を明かさずに一人で計画を進めたのも、信用できる協力者がいなかったからだ。前の歴史で銀河最高の謀略家の名をほしいままにしたパウル・フォン・オーベルシュタイン帝国元帥は、誰からも私心なく清廉な人物と評されていた。アルバネーゼ退役大将が無数の謀略に関わったという事実は、彼を信じた無数の協力者の存在を暗示している。
「君も作戦案を見たはずだ。表向きの案では伏せられていても、事情を知る者には情報部とその裏にいるアルバネーゼがロボス君に匹敵する責任を負っていることがわかる。裏切るぐらいなら、最初から味方しないというのがアルバネーゼの流儀だ。切り札まで出している以上、ロボス君と心中する覚悟だろうね」
「情報部は二十年以上にわたって、帝国内に工作をしてきたと聞きました。それがアルバネーゼ退役大将の切り札でしょうか?」
「正確に言えば、今年の初めに死んだ前財務尚書オイゲン・フォン・カストロプ公爵が帝国のエリート層内部に張り巡らせた人脈。サイオキシン麻薬で結ばれた絆だ」
「待ってください。麻薬で結ばれた絆って、どういうことですか?」
「君達が三年前に戦ったサイオキシン麻薬組織の帝国側のボスはカストロプ公爵なんだよ。アルバネーゼとカストロプ公爵は盟友中の盟友だった」
フェザーンで会った帝国憲兵隊のループレヒト・レーヴェから、最有力の門閥貴族で現職閣僚でもある高官が組織の背後にいたと聞かされてはいた。現役の憲兵総監を死に追いやって、強引に捜査を打ち切らせるほどの実力者だったそうだ。それがカストロプ公爵というのは初めて聞いた。
帝国の内情がほとんど流れてこない同盟にあっても、オイゲン・フォン・カストロプ公爵の知名度は高い。十五年間も財務尚書の地位にあって、経済財政政策を指導してきた。彼の言葉には、フェザーン株式市場の株価を変動させるほどの重みがある。フェザーン株式市場がくしゃみをすれば、ハイネセン株式市場は風邪をひく。経済紙の紙面に彼の名前が登場しない日はないと言われていた。貴族資産に対する課税の可能性に言及した二週間後に宇宙船事故で死亡して、暗殺の噂もささやかれていた。想像を絶する大物の名前に腰が抜けてしまう。
「アルバネーゼ退役大将とカストロプ公爵が手を組んでいたなんて、雲の上の話ですね。俺なんかには想像もつきませんよ」
「カストロプ公爵は麻薬密売で手に入れた金を見境なくばらまいて、強力な人脈を築き上げた。汚れた金のやり取りという秘密を共有したカストロプ派は、麻薬密売、公金横領、収賄に精を出した。そうやって不正に稼いだ金でさらに支持者を集めて、帝国のアンタッチャブルになりおおせた」
同盟軍元老と帝国財務官僚トップが長年にわたって麻薬密売に手を染めて、その収益で権力を獲得したというトリューニヒトの話は衝撃的だった。
「しかし、今年の初めに公爵が事故死すると風向きが変わった。反カストロプ派が一斉に立ち上がって、疑惑を徹底追及する動きに出た。後継者は反乱に追い込まれて、カストロプ家は断絶。カストロプ派幹部に対する捜査も始まっている。もちろん、サイオキシン密売についてもね。帝国の権力者がヴァンフリート四=二で死んでいった者達の仇を討ってくれるというわけだ」
あまりにあっけない幕引きに驚くとともに、麻薬組織の裏でうごめく巨大な力の存在を語ったレーヴェのことを思い出した。怒りを抑えて真相を語っていた彼は、どんな気持ちで今の状況を眺めているのだろうか。
「アルバネーゼは協力者を決して見捨てない。自分の利益のために働いてくれたカストロプ派を救出する機を伺っていた。そこにロボス君が出兵の話を持ちかけた。いや、そもそもカストロプ派そのものがアルバネーゼが帝国に仕掛けた爆弾だったのかもしれないな」
「爆弾?」
「アルバネーゼは麻薬密売ルートを通して、帝国の内部情報を手に入れていた。カストロプ派はアルバネーゼの情報源でもあった。そこから得られる情報があの男を情報部の支配者に押し上げた」
話し続けて喉が渇いたのか、トリューニヒトは手元の湯のみに入った緑茶を一気に飲み干し、一息つくと、軽く目をつぶった。
「ああ、これは思いつきにすぎないが。麻薬組織結成自体が情報部による工作だったという線も考えられるね。工作資金を稼ぎつつ情報網を構築する。いざという時は内応者として使える。なにせ、麻薬密売という秘密を握っているから、生殺与奪は思いのままだ」
「まさか。味方の兵士を食い物にするようなことを、情報部が組織ぐるみでやるなんてありえないでしょう?」
「敵を欺くには味方から欺けというじゃないか。アメリカ合衆国の中央情報局、ソビエト連邦の国家保安委員会、シリウスのチャオ・ユイルン機関、銀河連邦の連邦保安庁。人類史上に名高いこれらの情報機関だって、味方を犠牲にするぐらい何とも思っていなかった。彼らは協力者には誠実だが、それ以外に対しては冷酷だ」
「そんなこと、あるわけが…」
口先では否定したものの、トリューニヒトの考察に一定の説得力があることを認めざるを得なかった。歴史上の事件に対する考察なら、面白がって受け入れることができたに違いない。しかし、現在自分が属している軍隊のことなら話は別である。
「ああ、済まない。少し言い過ぎたようだ」
俺の顔色に気づいたのか、トリューニヒトはすまなさそうに言った。
「ともかく、アルバネーゼが帝国の政界、官界、軍部のエリート層にあまねく信頼できる内応者を抱えているのは事実だ。アルバネーゼが麻薬密売によって築き上げたネットワーク。それが情報部の工作の正体だよ」
「辺境二六星系の独立もアルバネーゼ退役大将と関係があるんですか?」
「あの辺りは帝国の最貧地域だ。アルバネーゼとカストロプ公爵は大金をばらまいて、貧しい辺境の人々を密輸の協力者に仕立てあげた。もちろん、辺境の貴族領主、地方長官、警備部隊なんかも取り込まれている。彼らもアルバネーゼに協力しなければ未来がない」
アルバネーゼ退役大将が長年かけて築き上げてきた汚れた人脈。それが今回の出兵案の鍵を握っていたという事実に、頭がクラクラしてしまった。帝国では麻薬密売は死刑だ。組織的な密売に関与していたら、血縁者も連座させられる。内応者が裏切る心配はない。機密保持も内応者自身が命がけで取り組んでくれるだろう。恐れるべきは露見の可能性ぐらいだ。
「露見しなければ、成功するでしょうね。予想以上に捜査が進んでいたら、その限りではありませんが」
「情報部の分析では、二ヶ月から三ヶ月の猶予があるそうだ。捜査当局内部でカストロプ派と反カストロプ派の主導権争いが続いている。秋の人事異動までは決着しないだろうという見通しだ」
前の歴史において帝国の辺境星系に侵攻した同盟軍は、ラインハルト・フォン・ローエングラムの焦土作戦によって補給難に陥って自滅した。アンドリューの作戦案でも焦土作戦の可能性については触れられていたが、「現政権の指導力では困難。実施しようとした時点で辺境星系が離反する。強行してくれた場合は、内応していない星系の離反も見込めるため、勝機と言える」と分析されていた。内応者の信頼性が問題であったが、それも心配いらない。辺境星系を補給拠点に利用できる。アンドリューの作戦案には、穴が見当たらない。
「ヴァンフリート四=二で捕虜を装って帝国に逃げ込んだエイプリル・ラッカムの一派は、事故死を装ってカストロプ公爵に匿われていた。奴らも動き出すだろうね」
アルバネーゼ退役大将から麻薬組織を受け継いだ元同盟軍少将エイプリル・ラッカム。同盟軍と帝国軍を操って、ヴァンフリート四=二の混戦を演出したあの恐るべき策士の名前に戦慄を覚えた。アルバネーゼが帝国に対して勝負を仕掛けるなら、腹心中の腹心であるラッカムの知謀を使わないはずがない。
「あのラッカムが今度は味方になるんですか。なんか、釈然としない物を感じますね」
「もっと釈然としない話をしようか。軍を追放された麻薬組織の幹部達は、今どうしているか知ってるかい?」
「いえ、知らないです」
「みんなアルバネーゼの息がかかった企業に再就職した。そのほとんどが軍と取引のある企業だ。将官クラスは軍需企業の経営陣。佐官、尉官、下士官などは、軍から兵站業務や警備業務の一部を請け負う民間軍事会社、軍に技術者を斡旋する人材派遣会社などに高給の職を得た」
人口に比して常備兵力が極端に少ない同盟軍を補完する存在が民間軍事会社、民間警備会社などと呼ばれる傭兵部隊である。退役軍人を中心とする傭兵部隊は、地方の後方警備や兵站、民間船団の護送などで活躍している。財政難の同盟にあっては、必要な時だけ雇用できる彼らは重宝される存在だった。辺境星系を占領するにあたって、相当数の傭兵部隊が雇用されて後方業務に従事することは間違いない。派遣技術者の需要も多いだろう。
「アルバネーゼ退役大将という人は、本当に信義に厚いんですね。自分のために泥を被った手下達にこんなに大きなビジネスチャンスをプレゼントするなんて」
不快感を隠す気にもなれない。これではアルバネーゼとその一派の私戦じゃないか。それに軍部掌握の野望を諦めきれないロボス元帥の思惑が絡んでいる。
いくら勝算が高い作戦とはいえ、結果オーライで正当な手続きを踏み外すようでは、勝っても禍根を残してしまう。結果オーライの勝利が無責任体制を作り出して、後日の敗北を招いた例なんて枚挙に暇がない。あの真面目なアンドリューが権力者のエゴに利用されるのも許せない。
「委員長、この戦いを止めることはできないんですか?」
「私にもどうしようもない。最高評議会の評議員は合計一一名。そのうち、改革市民同盟の五人、進歩党の三人が賛成に回る」
「反戦派の進歩党からも賛成者が出るんですか?」
「権力を失えば、反戦のイデオロギーも実現できないと思っているのだろう。そして、それは正しい」
他人事のようなトリューニヒトの口調にイラっときてしまった。
「正しくないでしょう、そんなの!?」
「言ったはずだよ。政治家は自分では何も決められない。支持者に対する責任を果たすために、権力を握り続ける義務があると」
「彼らの都合はわかりました。では、あなたはどうなんですか?反対するんですよね」
「当然だ。軍政のトップとしてこんな戦争は認められない。それに出兵で国防予算を使いきってしまえば、地方部隊の増強もできなくなってしまう」
「評議員を説得してくださいよ!レベロ財務委員長やホアン人的資源委員長に話して、彼らも必死になって反対してくれますよ!」
トリューニヒトは首を横に振った。
「彼らがそんなことも知らないほど愚かだとでも思っているのかね。わかっているよ。政治家の情報網を甘く見てはいけない」
「じゃあ、他の評議員に話しましょう!真相がわかったら、きっと…」
「彼らもわかっている。彼らもわかっていて、ロボス君とアルバネーゼの思惑に乗っている」
「では、今の話をマスコミに公表して…」
俺がなおも話し続けようとすると、トリューニヒトは右手を開いて俺の口元に向け、腕をスッと伸ばした。これまで感じたこともない威圧感に、俺は言葉を失った。
「正しい答えがわかっていれば、正しい選択ができる。正しい答えを人に伝えれば、人は正しい選択をしてくれる。そう信じている人を見ると、羨ましくなるね。さぞ幸せな人生を生きてきたのだろう。そう思わないかい、エリヤ君?」
嘲笑とも諦めともつかないような複雑な思いが、トリューニヒトの言葉には含まれているように感じられた。どう答えていいかわからない。
「権力者のもとには、大勢の人間が望みを叶えてもらおうと集まってくる。そんな人間が目となり耳となって、複数の立場からの情報を持ってきてくれる。正しいだけの答えなら簡単に知ることができる。しかし、そんなことに何の意味があるのかね。我々はその正しい答えをわかっているが、同時にその答えを選べない理由もわかってしまうんだよ。答えがわかってしまうというのは、本当につまらない」
トリューニヒトは寂しげに微笑んだ。
「私が告発に乗り出したら、マスコミの幹部達は計算するだろう。私に味方するか、アルバネーゼに味方するか。私は答えを知っている。彼らは間違いなくアルバネーゼに付く。いかにマスコミとはいえ、最高評議会と連立与党と軍部と情報機関をすべて敵に回して生き延びられるほど強くはない。そして、アルバネーゼはあらゆる手を使って私を潰しに来る。人脈と金脈を断たれた私は破滅するだろう。君がそういう未来を望むなら、告発する価値もあるかもしれない」
「そんなつもりは…」
「私には支持者に対する責任があるんだ。私に理想を託した者、私に生活の安定を託した者、私とともに高みを目指そうと願った者。私が破滅したら、彼らも破滅してしまう。私にこの話を教えてくれた者にも迷惑がかかる。そんなことはできない」
トリューニヒトが動けない理由がようやく理解できた。ロボス元帥のために泥をかぶろうとしているアンドリュー、そしてアンドリューを犠牲にしても生き延びようとするロボス元帥と同じだ。政治の世界で生きる彼は支持者を裏切れない。支持者が人質となって、大胆な行動を妨げる。
「君だってそうだ。ダーシャ・ブレツェリ、アンドリュー・フォーク、エーベルト・クリスチアン、イレーシュ・マーリア、クレメンス・ドーソン、アーロン・ビューフォート、第三六戦隊の幕僚チーム。暴発したら、君に期待をかけている者達がどうなるかを考えるといい」
みんなの顔を思い浮かべた。正しさを通すために彼らに迷惑をかけることはできない。俺一人が破滅するならともかく、彼らまで巻き込むわけにはいかない。俺は将官として軍の最高幹部の末席に連なっているが、最高評議会まで動かせるような権力者に比べたら、アリにも及ばない存在だ。
「君はあの男とは違う。暴発するほど愚かではないと信じている」
「では、どうしてこんな話を俺にしたんですか?知っていて簡単に飲み込めるような話ではないですよ」
「第三六戦隊司令官を辞めてもらうためだ」
トリューニヒトの言葉に面食らってしまった。意味がわからない。
「どういうことですか?」
「これは私のわがままだが、君にはこんなつまらない戦いに参加してもらいたくない。国防委員会に君のポストを用意する。実戦部隊から離れたくないなら、第一艦隊か第一一艦隊への転籍でも構わない」
「少し考えさせていただけますか?」
「構わない」
「たびたびのご厚意、感謝します。それでは失礼します」
一礼して席を立ち、執務室のドアに向かって歩き始める。
「我々はいずれもっと強くなる。いずれアルバネーゼの力が落ちる時も来る。今は一つの局面にすぎない。戦いはこれからも続く。今は耐えてくれたまえ」
振り向いてトリューニヒトに敬礼し、頭を下げてから俺は部屋を出て歩きだした。廊下の大きなガラス窓からは、眩しいばかりの夏の陽光が降り注いでくる。目に映る世界はこんなに美しいのに、政治はなんと汚いことだろうか。歴史の本の中の提督達は英雄のように神々しかったのに、俺ときたら泥沼に浸かりっぱなしだ。
ゴールデンバウム朝の帝都オーディンを攻略するという未曾有の大作戦の前だというのに、俺の心は沈みきっていた。