銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第五話:自分じゃない自分がいる 宇宙暦788年5月15日 エル・ファシル星系政庁

 記者会見場には報道陣が並んでいた。三〇〇万人しか住んでいないど田舎のエル・ファシルでも記者やらカメラマンやらは結構いるんだなあとどうでもいいことを考えてしまう。どうでもいいことを考えて気を逸らさないと、プレッシャーで死にそうになる。

 

「それでは、只今より会見を始めます。こちらはエリヤ・フィリップス一等兵。自分の意志でエル・ファシルに留まった勇敢な若者です」

 

 司会者が俺を紹介する。別人の紹介をされてるみたいだな。みんな失望しないかな。大丈夫かな。

 

「はじめまして。エリヤ・フィリップスといいます」

 

 ペコリと頭を下げる。記者達から質問が飛んでくる。変な受け答えにならないように気をつけなきゃ。

 

「フィリップス一等兵はなぜエル・ファシルに留まることを選んだのですか?」

「逃げたくなかったからです」

 

 よし、つっかえないで喋れた。いいスタートだ。

 

「逃げたくなかったというのはどういうことでしょうか?」

「僕たちは軍人ですよね。市民を守るのが仕事なのに自分だけ助かろうと思って逃げたら、卑怯者って言われるでしょう?それが嫌なんです」

 

 スラスラと言葉が出てくる。さんざん卑怯者と言われた。辛かった。だから、二度と言われたくない。その思いが舌を滑らかにする。

 

「軍人のプライド、ということでしょうか?」

「違います。怖いんです。逃げちゃいけないところで逃げたら、一生前を向いて歩けなくなる。人から責められ、自分で自分を責めて。自分はなんて酷い人間なんだと思いながら生きるなんて怖くてたまらないですよ」

 

 帝国の収容所での白眼視。捕虜交換で帰ってからネットに書き込まれた中傷の数々。家族や友達からの拒絶。逃亡者と知れるたびに受ける罵倒や暴力。どんな目にあってもひたすら頭を下げ続けるしかなかった。やれと言われたら土下座だってした。靴だってなめた。辛い思い出が頭をよぎり、しぜんと言葉に力がこもる。

 

「フィリップス一等兵は帝国軍は怖くないのですか?」

「あいつはエル・ファシルで市民を見捨てて逃げた卑怯者だって一生後ろ指さされることに比べたら、全然怖くありません」

 

 優しかった家族や友達が怖い顔で責めてくる。どこに行っても糾弾に脅えないといけない。救貧院に収容されるまで、安らかに眠れる日は一日たりともなかった。生物的には生きていても、社会的には死んでいた。それに比べたら、怖いものなんか何もない。

 

「リンチ司令官達についてはどう思いますか?」

「かわいそうだと思います。死ぬまで逃げたって言われるから」

 

 リンチ司令官達が逃げたせいで俺も逃亡者と呼ばれることになったけど、不思議と怒りは感じていない。逃げたらどうなるかわからなかったんだから。すべての人に卑怯者と罵られて、終わることのない後悔の中で生きたはずだ。同じ苦しみを味わったであろう仲間と感じる。

 

「フィリップス一等兵の受け答えは落ち着いてらっしゃいますね。不安は感じていないんですか?」

「市民を見捨てずに済んだ。胸を張って帰れる。そう思えば不安なんて全然ありません」

 

 やっと六〇年間の後悔を取り返したんだ。恥じることなど何一つない。人目を恐れる必要もない。不安なんてあるわけないじゃないか。

 

「脱出は明日の正午ですが成功すると思いますか?」

「はい。無事に帰れると信じています」

 

 はっきりと言い切ると、「おおっ」と大きな声があがった。割れるような拍手。たくさんフラッシュが焚かれる。音と光の洪水に気絶しそうだ。

 

「フィリップス一等兵の記者会見を終わります」

 

 司会者がそう告げてようやく終わった。頭がクラクラするが、何とか倒れずに退席することができた。

 

 控室に入り、ソファーで横になって休む。今日一日分の気力体力を使い果たした感じだ。しばらくすると、俺に記者会見に出るように言った参事官のおじさんが入ってきた。俺は慌てて立ち上がろうとしたが、参事官は首を横に振って「いいよ」のジェスチャーをしたので横になったままでいた。

 

「お疲れ様。良くやってくれた」

「あれで良かったんですか…?」

 

 恐る恐る聞いてみる。がっかりさせたんじゃないかと不安だ。

 

「期待以上だよ。対策本部にも勇気づけられたって市民の声が沢山届いてる。特に無事に帰れると信じているって言い切ったところが反響大きくてね。内容も良かったけど、落ち着きがあったのも良かったね。あれで安心したって人も多いんだ」

「いや、もうびびってびびって頭のなかが真っ白でしたよ」

「謙遜しなくてもいいさ。演劇部か弁論部でもやってたんだろ」

「いえ…」

「仕込みじゃないかって言う記者もいたよ。絵になりすぎてたんだとさ。あんないい役者を咄嗟に用意するような芸当が我々に出来ると思っていたのか、君が政府をそこまで評価していたとは思わなかったと言ってやったがね」

 

 参事官は上機嫌で笑った。どう反応していいかわからず戸惑う。自慢じゃないけど、ジュニアスクールの頃からいつも「何言ってるかわからない」って言われてたのが俺という人間だ。台本にして一行以上喋るとつっかえるから、学校の劇ではセリフの無い役しかもらったことがなかった。喋りでべた褒めされるなんて、自分じゃないみたいだ。

 

「ところでヤン中尉が君に助手になって欲しいって言ってるんだが、お願いできるかな。調子良くなってからでいいけどね」

「ヤ、ヤ、ヤン中尉が!!!!」

 

 今度はあの偉大なヤン・ウェンリーに名指しで求められてしまった。もう、本当に無茶苦茶だ。夢って自覚しながら夢を見てると、ついていくのが大変だよ。

 

「疲れてるなら私から断っておくが」

「元気になりました!元気です!」

 

 俺は跳ねるように立ち上がり、声を張り上げた。あんな偉大な存在の前に俺ごときが立つなんて畏れ多い。嫌でも自分の卑小さを思い知らされるだろう。できれば避けたいが、身近で見てみたいというミーハー根性もある。俺って本当に小者だ。ヤンみたいな超越した人ならこんな下らないこと考えないんだろう。

 

 俺が自分の小物ぶりを脳内で嘆いていると、参事官が開いたままのドアの方を向いて、「引き受けてくださるそうですよ、中尉」と言う。のっそりと人が入ってきた。

 

 中肉中背、収まりの悪い黒髪、しまりのない表情、猫背気味の姿勢、よれよれの軍服。初めて肉眼で見るヤン・ウェンリーは映像や本の中の颯爽とした姿とは似ても似つかなかった。昼に言葉ひとつで市民の不安を抑えてみせた時の不思議な説得力もない。どこからどう見ても「冴えない奴」としか言いようがなかった。

 

 しかし、容貌で人を判断するのは間違いだ。「大勇は怯なるが若く、大智は愚の如し」と何かの本で読んだ。本当の勇者は臆病に見え、本当の知恵者は愚か者のように見えるということだ。全宇宙を相手取って一歩も引かなかった勇気。獅子帝すら手玉に取った知謀。それを冴えない容貌のうちに秘めるヤンの底知れない器量に震えた。本を読んでなかったら、ヤンを見かけで判断して侮っていたかもしれない。教養って大事だな。刑務所で読書の習慣を身につけて良かった。

 

「よろしく」

 

 ヤンは息をするのもめんどくさいといった風情で声を出す。そっけないけど、雲の上の人に親しみを示されても困る。意識されてない方がこちらとしてもやりやすい。あり得ないことだけど、ちょっとでも褒められていたら卒倒しているところだった。

 

「よろしくお願いします!」

 

 びしっと敬礼して返事をする。ヤンは興味なさそうな顔で俺を見た。これなら何とかやっていけるかもしれないと思い、ホッとした。


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