銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第八十二話:過剰宣伝問題 宇宙暦796年9月10日~24日 惑星マリーエンフェルト及び第三六戦隊旗艦アシャンティ

 九月一〇日、第三六戦隊はまったく抵抗を受けずに惑星マリーエンフェルトを制圧した。徹底抗戦するかに見えた帝国軍駐留部隊は、俺達が到着する前日に一兵残らず逃亡。惑星知事以下の主だった行政官も姿を消してしまっていた。

 

「戦わずに済んだのは、喜ばしいことです」

 

 攻略作戦の立案にあたった戦隊作戦部長代理クリス・ニールセン少佐の立場であれば、胸を撫で下ろすのは当然だと思う。

 

「全滅覚悟のゲリラ戦を展開されたら、面倒なことになっていました。敵が理性的な判断をしてくれたことに感謝したいですな」

 

 地形図を広げながらそう語る第五〇〇陸戦旅団長アネレ・マシレラ大佐の言う通り、マリーエンフェルトは険しい山が多く、ゲリラ戦に向いた地形だった。駐留部隊が山岳地帯に立てこもってしまったら、同盟軍も相当な損害を被ったはずだ。マシレラ大佐の言葉は正しい。

 

「うん、君達が言うことはもっともだ」

 

 苦々しい気持ちを必死で抑えながら、同意の言葉を述べる。彼らの立場なら喜んで当然なのだ。

 

「これが撤退の決め手になったのでしょう」

 

 参謀長チュン・ウー・チェン大佐が手にしているのは、俺達が到着する二日前にすべての家に配布されたというビラだった。

 

『我々は自由惑星同盟軍である。自由惑星同盟軍は解放軍である。

 

 解放軍は諸君に自由を与える。

 

 解放軍は諸君に権利を与える。

 

 解放軍は諸君に土地を与える。

 

 解放軍は諸君に食料を与える。

 

 解放軍は諸君に代償を求めない。

 

 解放軍は諸君から税金を取らない。

 

 解放軍は諸君を戦争に動員しない。

 

 解放軍は諸君を労役に動員しない。

 

 諸君は本日より民主主義の民である。

 

 民主主義は民にすべてを与える。民主主義は民から何一つ奪わない。

 

 欲しいものがあれば、解放軍に申し出よ。民主主義国家では、請願はすべての民に認められた正当なる権利である。解放軍は民の請願を拒否しない。

 

 自由惑星同盟軍』

 

 内容は単純明快、韻を踏んでいてなかなか調子良く出来ている。難しい言葉を一切使わず、文字も大きめで、無教養な庶民にも読みやすく配慮されている。これを読んだ者は、同盟軍が来れば良いことづくめと思うに違いない。

 

「良くできたビラだね。できすぎてるよ」

 

 俺はビラにプリントされている二枚の写真を指差した。一枚は同盟軍の軍人が山のように積まれた食料を帝国の人々に分け与えている写真。もう一枚は同盟軍の兵士が帝国の農民と一緒に畑を耕している写真。どちらもフルカラーだった。

 

「ハイネセンのスタジオかどこかで撮ったんでしょうね。先発隊の第一〇艦隊と第一三艦隊が有人星系に到達したのは二日前ですが、やはり到着前に全く同じビラが配られていたそうです」

「仕事熱心なのは結構だよ。でもね、この状況ではまずいよね」

 

 ファルストロング伯爵の話を聞いた俺は、帝国内務省から派遣された惑星政庁の上級行政官をそのまま起用して統治を委ねるつもりだった。一方、解放区民主化支援機構から派遣された宣撫担当チームは、惑星政庁解体と住民代表による文民政府樹立を主張していた。議論が平行線のまま、マリーエンフェルトに到着した俺達を待ち受けていたのは、予想の斜め上を行く現実だった。

 

 駐留部隊と行政府幹部が逃亡してしまったため、マリーエンフェルト全体を代表する交渉相手がいない。これは想定の範囲内だった。現地人の下級行政官に上級行政官の代行をさせれば、問題はない。惑星政庁の実務を担っているのは、数年で異動する上級行政官ではなく、定年まで現地で勤務する下級行政官だからだ。

 

 しかし、マリーエンフェルトでは下級行政官まで逃亡していた。しかも、惑星政庁と全市町村の役所のコンピュータに蓄積された行政データがすべて消去されてしまっている。惑星政庁の機構を利用して占領統治を行おうとする俺の構想は頓挫した。

 

 宣撫担当チームは「惑星政庁を解体する手間が省けた」と喜んで、文民政府樹立に取り組もうとした。地上部隊とともにマリーエンフェルトの都市や村落に入った宣撫担当チームは、住民を集めて説明会を開いた。

 

「我々は解放軍だ。我々は君達に自由と平等を約束する。もう専制主義の圧政に苦しむことはないのだ。あらゆる政治上の権利が君達には与えられ、自由な市民としての新たな生活が始まるだろう」

 

 宣撫担当者の熱弁にも関わらず、説明会場に集まった住民は白けきっていた。

 

「政治的な権利とやらよりも先に、生きる権利を与えてほしいもんだね。食料がないんだ。赤ん坊のミルクもない。軍隊がみんな持って行ってしまった。自由や平等より先に、パンやミルクを約束してくれんかね」

「もちろんだとも。ただ、配給体制が整うまで少し待って欲しい」

 

 宣撫担当者がそう答えるのは当然だった。マリーエンフェルト到着二日前の報告では、食料がだぶついていたはずだった。第三六戦隊も現地購入を前提に補給計画を立てていた。いきなり食料が不足していると言われても、急に対応できるはずがない。行政データが消去されていて、正確な住民構成すら把握できていない現状では、配給すべき食料の量も計算できない。

 

「じゃあ、こいつは嘘なのかい?」

 

 住民達が懐から取り出して、宣撫担当者に示したのが例のビラだった。一週間分の食料引換券、燃料引換券、トイレットペーパー引換券、洗剤引換券なども添付されている。軍が災害派遣された際に被災者向けに発行する引換券とまったく同じ作りだった。

 

「すぐにでも配給が始まると思ってたんだがね。解放軍ってのは、嘘つきの別名かね」

「そ、そんなことはない。すぐに始めよう」

 

 ビラと引換券を手に詰め寄ってくる住民に迫力負けした宣撫担当者は、配給を約束してしまった。その結果、第三六戦隊は保有する物資をほぼ放出させられる羽目に陥ったのである。足りないのは食料だけではなかった。衣料品、衛生用品、燃料などの生活物資も底をついていた。

 

 到着三日前の情報では、農場主が余剰在庫に頭を抱えるほどに有り余っていた食料が、たった二日間で底をついてしまった理由は、すぐに判明した。長期戦の準備をしていたマリーエンフェルト駐留部隊は、物資を市価の倍額で買い集めていた。ビラによって同盟軍の配給が受けられることを知った住民は、先を争うように手持ちの食料を駐留部隊に売り飛ばしてしまった。衣料品、衛生用品、燃料なども同様に売り飛ばした。

 

 かなりギリギリまで、駐留部隊は抗戦するか撤退するかを決めかねていたのだろう。撤退直前まで物資を買い集めていたらしい。しかも、同盟軍の到着一日前から急に買値を三倍に引き上げた。駐留部隊が支払いをすべてフェザーン・マルクで行ったのも住民の売却意欲を刺激した。

 

 マリーエンフェルトが同盟領になれば、住民が持っている帝国マルクの価値は暴落してしまう。一方、中立国フェザーンの公式通貨であるフェザーン・マルクは、同盟でも通用する。いつ紙くずになるかわからない同盟の公式通貨ディナールより、信用されていると言ってもいい。

 

 駐留部隊の敗北が必至とみた住民は、支配者が変わる前に少しでも懐を温めておこうとしたのであろう。最終的に抗戦を断念した駐留部隊は惑星政庁が保有する船や徴発した民間船まで使って、三〇〇万人分の物資を積んで、マリーエンフェルトを離れていった。せっかく集めた物資だけは渡すまいと考えたのだろう。いじましい限りである。

 

「敵は俺達の到着が迫るにつれて、買値をどんどん引き上げたらしいよ。他人が持ってる物を奪って売り飛ばした人もいたんだって」

「物資を売り尽くしたある村では、帝国軍の買い付け担当者が手持ちのフェザーン・マルクを全部住民に押し付けたそうです」

「びっくりするぐらい気前がいいね。まるでお金を遣うことが目的になってるみたいだ」

「敵が大金をばらまいて逃げたおかげで、宣撫工作が難しくなっています。よほど手厚い待遇をしなければ、相対的に帝国軍より悪いイメージを住民に与えてしまいます」

 

 チュン大佐が指摘したとおり、大金を懐ろにしたマリーエンフェルトの住民は、帝国軍に好印象を抱いていた。こちらがサービスを出し渋ると、「帝国軍は気前が良かったのになあ」と嫌味っぽく言われてしまう。

 

 第三六戦隊はマリーエンフェルトの統治を安定させるために、気前良く住民にサービスせざるを得なかった。求められるがままに公共施設を建て、道路を整備し、用水路を引き、医療を提供した。生活物資だけでなく、嗜好品や電化製品や地上車なども供与した。宣撫担当チームが有するリソースだけでは間に合わず、戦闘部隊のリソースまで割かれてしまう有様だった。

 

 第三六戦隊以外の同盟軍部隊も占領地で同じような状況に陥っている。ただで物資を貰えるなら、手持ちの物資をフェザーン・マルクに換えて新生活に備えようという住民の気持ちは理解できる。大金をくれた帝国軍に好印象を抱くのも当たり前だ。ビラをばらまいて、気前の良い約束をしてしまった連中が悪い。

 

「このビラがなかったら、住民に変な期待をさせずに済んだんだ。民主化支援機構も困ったことをしてくれるよね」

「第一〇艦隊が抗議したところ、民主化支援機構からは『自分達が作成したビラではない』という返答があったそうです」

「予想外の結果に慌てて、知らんふりを決め込んだんじゃないの?」

 

 官僚組織においては、同じプロジェクトに従事する部署同士が全く連携せずに、勝手な動きをするのは日常茶飯事である。その結果、他の部署に迷惑をかけてしまった部署が相手に内情を知られてないのをいいことに、「無関係だ」と責任逃れをするのも珍しくなかった。

 

「それはともかく、占領計画と補給計画の根本的な見直しが迫られるのは事実です。当初の予定より、進軍が一週間は遅れるでしょう」

「困るよね、本当に。第四三歩兵師団に引き継いで先に進みたいのに」

 

 第三六戦隊と宣撫担当チームはマリーエンフェルトが安定した後に、第四三歩兵師団と民主化支援チームに占領統治を引き継ぎ、アーデンシュテット星系に進軍する予定だった。俺がアンドリューから見せられた原案では、四か月以内にオーディンに進軍する予定だった。長引けば作戦全体が破綻してしまう。

 

「イゼルローンから早く追加の補給が来るのを待つしかありません」

「総司令部の後方部は青くなってるだろうね。当初の何倍もの要求だから」

 

 前の歴史において帝国軍が意図的に引き起こした食料不足は、今回は民主化支援機構の勇み足によって引き起こされた。この先も同じような状況に陥るとは考えにくいが、あまり気分が良い物ではない。

 

 結局、一週間の予定だったマリーエンフェルト滞在は二週間に及んだ。この間に遠征軍が制圧した星系は二〇〇、そのうち有人星系は三〇、占領地人口は五〇〇〇万に及ぶ。結局、侵攻に呼応して寝返る予定だった二六星系は一つも寝返らず、遠征軍によって制圧された。

 

 どの星系もマリーエンフェルトと同様の状況にあった。駐留部隊、皇帝領の行政官、貴族領や自治領の領主達はことごとく逃亡してしまい、行政データは完全に消去されていた。先行して配られたビラのせいで物資が底をついており、住民は際限のないサービスを求めてきた。行政データの欠如は、ただでさえ困難な占領統治をさらに混乱させた。補給拠点として期待していた占領地は、かえって補給に過重な負担を強いる有様だった。

 

 遠征軍総司令部は各艦隊の後方部、各星系の民主化支援チームからの要求を集約して、首都ハイネセンの政府に送付した。

 

 五〇〇〇万人分の食料、衣料品、衛生用品、医薬品、燃料。三〇星系のインフラ整備、農業支援などに要する資材。住民の歓心を買うために供与される酒、タバコ、立体テレビ、冷蔵庫、パソコン、乗用地上車、携帯端末。三〇万人に及ぶ医師、看護師、介護士、土木技術者、農業指導員、帝国語通訳、行政サービス要員といった追加の支援要員。

 

 総額で一〇〇〇億ディナールに相当する要求リストの末尾には、「解放地区の拡大に伴い、さらなる追加を要する」と記されていた。

 

 今回の遠征のために計上された特別予算は、同盟の本年度一般予算の五パーセントに相当する二〇〇〇億ディナール。対テロ総力戦体制、海賊討伐作戦、アスターテの敗戦処理、イゼルローン要塞攻略の成功といった想定外の事態によって巨額の臨時支出が続き、「危機的水準」から「真の危機」に突入しつつあると言われる同盟財政にとっては、許容しうるぎりぎりの額だった。一〇〇〇億ディナールもの追加支出を行えば、同盟財政が破滅に向かって突き進むことは間違いない。

 

「もはや、我が国はこれ以上の財政負担に耐えられない。帝国を打倒する前に、財政破綻で自滅しては元も子もない。即座に遠征を中止し、占領地を放棄して、イゼルローンに引き上げるべきではないか」

 

 改革市民同盟とともに今回の遠征を推進した進歩党は、そのように主張して作戦中止を求めた。財政の番人を自認する彼らは、金のかからない政治を望む知識層や都市中流層を支持基盤としている。支持率低迷を打開するために遠征支持に回ったものの、これ以上の財政支出を認めてしまえば、支持者の離反を招きかねない。そんな危機感が彼らを出兵中止に転じさせた。

 

「今回の戦争は圧政から帝国の民衆を解放するための戦いである。我らが解放区の住民を手厚く待遇すれば、未だ帝国の支配下にある地域の住民の決起を促すこともできる。フリードリヒ四世は六月から公式の場に姿を見せておらず、健康状態が著しく悪化している可能性が高い。迎撃司令官ローエングラム元帥や近衛兵総監ラムスドルフ上級大将の動きからも、帝国中枢は混乱状態にあると推測できる。帝国の自壊は目前に迫っている。遠征を継続すべきである」

 

 そう主張する改革市民同盟は最高評議会議長ロイヤル・サンフォードの出身母体であり、今回の遠征を最も熱心に推進した勢力だった。強い国家の実現を掲げて、対外強硬派の自営業者や農家や宗教保守層を支持基盤としている。支持者がより強硬な統一正義党に流れ、党内非主流派のヨブ・トリューニヒトが遠征反対に回り、内外に危機を抱えている現状で少しでも戦争に消極的な態度を見せることはできない。党の分裂を回避するためにも、ここで引くわけにはなかった。

 

「財政赤字の原因は、国家予算の五割にのぼる国防予算である。帝国を打倒すれば、国防予算の大幅圧縮と、財政赤字の根本的解決が実現する。一時の出費は取るに足りない。将来のための投資と考えるべきである」

 

 国是と財政の両方に配慮したこの意見は、主戦派高級軍人やイデオロギー担当の国務官僚が従来より主張してきた意見の延長上にあるものであった。

 

「現在の帝国の国内事情は、同盟と同等かそれ以上に逼迫している。前財務尚書のカストロプ公爵が貴族の免税特権廃止に言及するほどに、財政危機は深刻だ。門閥貴族の牙城たる枢密院でも、ブラッケ侯爵やリヒター伯爵を始めとする自由主義者が勢力を伸ばしつつある。八九年前に当時のマンフレート二世帝との間に和平が実現寸前までこぎつけた先例もある。戦争終結による財政赤字解決を目指すなら、和平の方が現実的であろう。なぜ、破産覚悟で遠征を継続する必要があるのか」

 

 こちらは反戦派高級軍人や金のかかる戦争を嫌う財務官僚が従来より主張している意見の文脈に沿ったものである。

 

 政界、官界、軍部を二分する出兵中止派と出兵継続派の論争に終止符を打ったのは、「今すぐ結論を出す必要はない。ひとまず物資を送って、遠征軍が自滅を免れてから、出兵の是非を問うべきではないか」という公共政策諮問会議委員エンリケ・マルチノ・ボルジェス・デ・アランテス・エ・オリベイラ博士の一言だった。

 

 追加補給を受けた遠征軍は、後方から移動してきた地上部隊に占領地の統治を委ねると。さらなる前進を開始した。第一二艦隊は五つの有人星系を制圧に向かった。俺が率いる第三六戦隊は、アーデンシュタット星系の第二惑星シュテンダールを目指している。

 

「人口一三〇万。低開発の農業惑星。水が豊富。土壌は肥沃。気候は温暖。将来性のある惑星だね」

「駐留部隊はマリーエンフェルトよりさらに少ないです。地上部隊はクロシュヴィッツ男爵領が六〇〇人、ブライテンバッハ男爵領が五〇〇人、皇帝私領が一四〇〇人。艦艇部隊を保有しているのは皇帝直轄領のみで七〇隻。三つの領地の部隊は合流して、クロシュヴィッツ男爵の城館の要塞化を進めているとの報告が入っています」

「地形もマリーエンフェルトと違って、なだらかな丘陵だ。徹底抗戦されてもそんなに怖い相手じゃない。できれば降伏してほしい。逃げられたら、統治が面倒だからね」

 

 俺は戦隊旗艦アシャンティの司令室で、副官のシェリル・コレット大尉から渡されたシュテンダールの資料を読んでいた。二つの男爵領と皇帝私領が入り乱れていることを除けば、マリーエンフェルトより統治が容易であるように思われた。緑が豊かそうなのもいい。マリーエンフェルトでは民主化支援機構の勇み足で酷い目にあったが、今度はのんびりできそうだった。

 

「念のために確認しておくけど、シュテンダールの流通状況はどう?」

「食料価格が暴落しています。燃料などは概ね安めです」

「多めに物資を持ってきたけど、不安は無さそうだね」

 

 二日後に到着するシュテンダール。今度こそまともな占領統治をしてみせる。そう誓いながら、マフィンを口に運んだ。


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