銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第八十三話:軍人が理想と理由を失う時 宇宙暦796年10月3日 惑星シュテンダール進駐軍司令部

 追加補給を受けた遠征軍はさらに前進して、九月末には一八〇の無人星系と、二四の有人星系を新たに占領して解放区とした。新たに遠征軍の保護下に入った人口は約六〇〇〇万。この進軍によって、イゼルローン側の辺境星系はすべて同盟軍の勢力圏となった。

 

 国土総面積の三割を占める辺境星系の失陥は、五月のイゼルローン要塞陥落にもまさる衝撃を帝国にもたらした。もはや、ゴールデンバウム朝の支配体制は盤石ではない。そう判断した体制内不満分子と反体制派は各地で武装蜂起した。

 

 一週間でヴィンケルシュテット星系、トライレーベン星系などの七星系が反乱勢力の制圧下に入り、ヴァルトザッセン星系では領主を追放した共和主義者が民主主義政権の樹立を宣言した。シャンタウ星系、ケーニヒスフェルト星系など一二星系では、反乱勢力と帝国軍の戦闘が続いている。各地の反乱勢力は、相次いで自由惑星同盟軍の介入に期待する声明を発表した。

 

 鉱山労働者、農場労働者の暴動も多数発生している。鎮圧に向かった軍隊の一部が武器を持ったまま、暴動に合流したケースもあった。

 

 反乱勢力の中で軍人の組織的関与が見られない勢力ですら、体制側の軍隊に対抗しうるだけの潤沢な武器弾薬を保有していた。暴徒の中に自由惑星同盟の国旗を掲げる集団、占拠した鉱山や農場を解放区と名付ける集団が見られた。これらの事実は、自由惑星同盟の情報機関が一連の動乱に関与していることを裏付けていた。アルバネーゼ退役大将が半生を賭けて帝国に仕掛けた爆弾が、ついに火を吹いたのである。

 

 止血帝エーリッヒが流血帝アウグストを打倒したトラーバッハ戦役以来、二世紀ぶりの大規模な動乱にも関わらず、鎮圧にあたるべき正規艦隊は帝都オーディンから動く気配がない。同盟軍の迎撃を命じられた宇宙艦隊副司令官ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥、帝都の押さえを命じられた宇宙艦隊司令長官グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー元帥は、いずれも沈黙を守っている。

 

 重臣筆頭たる枢密院議長オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵、首席閣僚たるクラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵といった政権要人の動静もまったく伝わってこない。皇帝フリードリヒ四世の健康状態悪化が噂される中、後継者を巡る暗闘がオーディンの宮廷で展開されている可能性が高いと、フェザーンの消息筋は語る。

 

 銀河帝国では皇帝が変われば、権力構造も一変する。枢密院議長ブラウンシュヴァイク公爵ら枢密院元老グループが擁する皇孫エリザベートと、皇帝官房長官リッテンハイム侯爵ら皇帝側近グループが擁する皇孫サビーネの二人が次期皇帝に最も近い人物と見られていた。帝国の高官にとっては、同盟軍や反乱勢力への対応より、皇帝の後継者争いの方がよほど重要であろうというのは、帝国政治を少しでも知る者にとっては常識である。

 

 かねてよりクーデターの噂があった旧カストロプ派の近衛兵総監ラムスドルフ上級大将の動きも不透明だった。「近衛兵をオーディン市内に展開させた」「ブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハウム侯爵と相次いで会見した」「既に解任された」など、相変わらず矛盾した情報が流れている。

 

 枢密顧問官のカール・フォン・ブラッケ侯爵とオイゲン・フォン・リヒター伯爵に関しても、「枢密顧問官を解任されて、謹慎を命じられた」「領地に戻って反乱を準備している」「病床の皇帝に呼ばれて、改革案の作成を命じられた」といった様々な情報が流れていた。

 

 彼らは貴族特権の廃止を唱える過激思想の持ち主であるにも関わらず、皇帝フリードリヒ四世の信任、現職の枢密顧問官という地位、帝室の分家筋にあたる血筋、下級貴族やブルジョワ出身のエリート官僚の支持によって、帝国政界で一目置かれる存在であった。しかし、皇帝が死んで政界の勢力図が変化すれば、政治犯や思想犯の罪を着せられて失脚しかねない立場にある。それだけに思い切った行動に出る可能性があった。

 

 帝国国内で起きた反乱、自然災害、経済変動などの事実関係に関しては、同盟の対外情報機関の持つ情報網を使えば、それなりに確度の高い情報が得られる。しかし、政治闘争に関しては、帝国の各派閥が自分に都合の良い情報を思い思いに流すため、なかなか実態が掴めない。ただ、オーディンの宮廷が混乱状態にあって、同盟軍や反乱勢力に対処できない状態にあることだけは間違いなかった。

 

 同盟軍が完全制圧した辺境星域の先には、帝国内地と呼ばれる銀河連邦時代からの経済先進地域が広がっている。辺境とは比べ物にならない人口と経済力を持ち、数千万や一億の人口を抱える有人惑星が連なっていた。反乱や暴動が発生している星系のほとんどは、帝国内地に属している。同盟軍が動乱に直接介入する日も近いように思われた。

 

 しかし、同盟軍は大方の予想を裏切って、辺境の外縁で進軍停止を余儀なくされた。いずれの星系でも、統治者と駐留部隊は行政データを消去した後に、物資を持って逃亡してしまっていた。遠征軍の到達に先行して配布されたビラによって無条件の配給を受けられることを知った住民は、駐留部隊に手持ちの物資を高値で売り飛ばしてしまったのだ。

 

 同盟軍は第一次進軍と同様に、際限なく配給とサービスを求める民衆を抱え込んでしまった。手持ちの物資をすべて放出し、イゼルローンの総司令部からから送られて来る物資もすぐに底をついてしまう。

 

「早く帝国内地に入って、反乱勢力を支援したい」

「あと一歩進軍すれば、帝国を倒せるのに」

 

 動乱状態の帝国内地を目前にして、辺境星系に足止めを食っていた同盟軍将兵は、歯噛みするような思いを抱えていた。

 

 

 

 アーデンシュテット星系第二惑星シュテンダールに到着してから一週間が経った一〇月三日。進駐軍司令部の司令官室で、第三六戦隊後方部長リリー・レトガー中佐が持ってきた報告書を読んでいた俺は、軽いめまいを感じた。

 

「ちょっと食料の配給量が多すぎない?この惑星の人口は一三〇万人ぐらいのはずなのに、合計したら一八〇万人分になってる」

「行政データが無いせいで、正確な人口が把握できないんですよねえ。だから、家族の人数を過大申告して二重取りする住民が後を絶たなくて」

「たしか、配給カードは顔写真付きだったと思ったけど」

「変装して余分にカードを取得する人がいるんですよ。あと、他人の写真を使う人とか。一〇世帯が同じ子供の写真を使って、架空名義で配給カードを取得していたなんてケースもありました」

「こちらのスタッフが本人確認した相手にだけ、配給カードを交付するわけにはいかないの?」

「病気で寝たきりだとか言われたら、どうしようもありません。まさか、家に踏み込んでベッドの中を確認するわけにもいきませんしねえ」

 

 帝国人が功利主義者なのは、前の人生の経験から知っているつもりだった。しかし、ここまでしたたかだとは思わなかった。帝国人と接した経験が無い者は、「圧制に苦しむ善良な人々」というイメージのギャップに困惑しているに違いない。

 

「あまりやりたくはないけど、指紋登録義務化も検討する必要があるね。数十万人分も架空名義を使われてしまったら、さすがに性善説に則った統治もできない」

「第九艦隊が解放区住民の指紋登録を義務付けようとしましたが、『我々は市民だ。市民を犯罪者扱いするのか』と抗議されて取りやめています。その後、民主化支援機構から、『占領地住民は市民である。市民に指紋登録を強制してはならない』という通達が出ています」

「市民への指紋登録強制は六六五年の最高裁判決で違憲とされてる。でも、解放区住民は市民じゃないよね?法的には在留外国人になるはずだ。もっとも、在留登録手続きも済んでないから、みなし在留外国人になるけど」

「最高評議会が特例として解放区住民すべてに市民権を無条件付与すると決定したんですよ。ご存知ないんですか?」

「いや、知らない。ちゃんと国内ニュースは見てたつもりなんだけど」

 

 六四〇年代から六九〇年代にかけての大量亡命時代を経た同盟では、市民権取得手続きはかなり厳格だった。占領地、いや解放区の住民に無条件で市民権を付与するとしたら、同盟法制史を塗り替える大ニュースである。それを見落としていたなんて、司令官にあるまじき失態だ。

 

「解放区関係の法的措置はなし崩し的なものばかりで、国内とは無関係だから、メディアはあまり報じないんですよ。民主化支援機構の通達でようやくわかることばっかりで、法務部も頭を痛めています」

「グダグダだね、本当に。この様子じゃ知られていない決定も多そうだ。これまでに決定された措置を整理して、第三六戦隊全体に周知する必要があるね。後で法務部のバルラガン少佐を呼んで話し合おう」

 

 法律というのは、社会を動かすルールだ。ルールを知らずにゲームはできない。現在のルールでは占領地住民の指紋登録ができないことを、俺はついさっきまで知らなかった。占領統治というゲームをする上では致命的である。

 

「こちらはシードラー村の宣撫担当者からの報告です」

「トラック三〇台欲しいって?確か、この村には前にトラックを供与したはずだよね?」

「前に供与した分は受け取りを拒否されました」

「どういうこと?不良品だったの?」

「いえ、『軍の払い下げは嫌だ、フェザーン製の最新型が欲しい』と住民がごねたとか」

 

 レトガー中佐の話を聞いて、頭が痛くなった。図々しいにもほどがある。しかし、俺はこの惑星の解放軍司令官という立場だ。そして、解放区の住民は軍人が守るべき市民ということになっている。司令官が市民の悪口を公に言うのはまずいと思い、口に出しかけた不満を辛うじて抑えた。

 

「宣撫担当者も少しはしっかりしてほしいね。やんわり断るとかできなかったのかなあ」

「例のビラを見せられて、『これは嘘なのか』と言われたら、どうしようもないです。多少大げさな書き方はしてますが、おおむねこちらのオフィシャルな主張通りですから」

「民主化支援機構は自分達じゃないってまだ言い張ってるの?ここまで迷惑かけといて、ごめんの一言もなしってさすがに無責任過ぎる」

「あちらさんは、『こっちだって迷惑してる。自由惑星同盟軍の名前で配られたビラなんだから、軍情報部が作ったビラじゃないのか。我々には敵地に潜入して、大々的にビラをばらまくような組織力はない』と言ってるそうですよ」

 

 確かに民主化支援機構は帝国領内に独自のルートを持っていない。別の情報機関のルートを利用したのだろうと漠然と思っていたが、情報機関が単独でビラを作ってばらまいても不思議ではない。軍情報部が画策した辺境二六星系の寝返り工作は、民主化支援機構のプランによって破綻した。失点を取り返すための独走という可能性もある。帝国内地であれだけの騒乱を起こせる彼らなら、遠征軍に先回りしてビラを配布することも可能だろう。

 

「それも有り得るね。軍情報部は何て言ってる?」

「否定してますよ。『我々は関知していない。中央情報局がやったんじゃないか』って」

「ああ、中央情報局もあるかもね。あそこの対外情報網も強力だから」

 

 最高評議会直属の情報機関である中央情報局も帝国内にルートを持っている。軍情報部が主導する今回の遠征で、存在意義を示そうと張り切った可能性も捨てがたい。しかし、実際にやってても軍情報部や中央情報局が認めることは絶対にないだろうから、真相は闇の中だ。

 

「誰がやらかしたかは知りませんが、味方に足を引っ張られるのはいい気分がしませんねえ。苦労するなら、せめて敵に苦労させられたいですよ。敵は殺せますから」

 

 茶飲み話をしている主婦のような口調で、レトガー中佐は物騒なことを言う。

 

「まあね、味方や解放区住民は殺せないもんね」

「他の解放区では、住民と結託して水増し請求の片棒を担いでる軍人もいるらしいですよ」

「うちの部隊にも多分いるだろうね。憲兵隊に取り締まらせなきゃ」

 

 住民の名前を使って請求すれば何でも手に入るのであれば、住民とグルになって物資を騙し取ろうと考える不届き者が出てくるのは、ごく自然な成り行きだろう。ここまで分かりやすい悪は、取り締まらない方が悪い。

 

「カプランくんが頑張ってくれてるのが明るい材料ですねえ」

「解放のための戦いのはずなのに、それぐらいしか明るい材料が無いって困ったものだね」

 

 人事参謀エリオット・カプラン大尉は、第三六戦隊に配属されて初めて役に立っている。

 

 ある村の宣撫担当者から、「ベースボールのできる人間を派遣して欲しい。村民がやりたがっている」と言われた俺は、ミドルスクール時代にベースボール部のキャプテンを務めていたカプラン大尉を送り出した。意欲も能力も完全に欠如している彼が司令部にいても、どうせ役に立たない。

 

 厄介払いのつもりだったが、そこそこルックスが良くてお調子者のカプラン大尉は、すぐに村民に受け入れられた。今では、朝から晩まで村民にベースボールを教えているそうだ。

 

「適材適所ですよ。司令官やメッサースミス大尉みたいな生真面目な人には、カプランくんみたいに後先考えずに調子のいいこと言ったり、テレビや芸能人の話で盛り上がったりするなんてできませんから」

「彼は他のことができないのが問題なんだよ」

「ベースボールもできるじゃないですか」

「ずっとベースボールやっててくれないかなあ」

 

 司令部にいても邪魔なだけだからとは、あえて言わない。それでも、司令部ではいつもぼーっとしているカプラン大尉が泥まみれになってグウランドを駆けまわっている姿を思い浮かべるとおかしくなって、ささくれていた気持ちが少しだけほぐれた。

 

 レトガー中佐が退出すると、代わりに参謀長のチュン・ウー・チェン大佐がパンの入った袋を抱えて部屋に入ってきた。椅子に座ると、ポケットから潰れたサンドイッチを取り出して、代わりに袋から取り出したサンドイッチをポケットに突っ込む。「なんで、わざわざポケットに入れるんだろう?袋からそのまま取って食べたらいいのに」と思ったが、これほどわかりやすい突っ込みどころに突っ込んだら負けてしまう気がして黙っていた。

 

「そろそろ腹も空く頃合でしょう。サンドイッチはいかがですか?」

 

 そう言うと、チュン大佐はたった今ポケットから取り出したばかりのサンドイッチを俺に差し出した。「袋に入ってるサンドイッチをそのままくれたらいいのに」などと思っても仕方がない。この人はこういう人なのだ。

 

「ありがとう」

 

 潰れたサンドイッチを受け取って、笑顔で口にする。俺はチュン大佐から潰れたパンをもらうことにすっかり慣れてしまっていた。

 

 チュン大佐はポケットから、たった今突っ込んだばかりのサンドイッチを取り出すと、無邪気そうに目を輝かせて頬張った。何で突っ込んだのかさっぱりわからない。わかろうとする方がおかしいのだと思い直して、冷静さを取り戻す。

 

「参謀長、報告を頼む」

「了解しました」

 

 口をモグモグさせながら、チュン大佐は携えてきたファイルを取り出す。口の中のパンを飲み込むと、報告を始めた。

 

「同盟軍の士気は低落の一途をたどっています。住民とのトラブルも絶えません。第一三艦隊では、住民を『乞食』と呼んだことが問題になって更迭された指揮官もいました」

「ああ、ヤン中将はそういう発言を許さないだろうね。でも、その更迭された人の気持ちもわかるよ。もともと期待してなかった俺だって、結構うんざりしてるんだ。期待してた人ほど、がっかりするだろう」

「第三六戦隊も著しく士気が低下しています。住民対応のストレス、物資不足などが主な原因ですね」

「補給物資が届いても、片っ端から住民に配給しちゃうからね。こちらは食事の量まで減らしてサービスしてるのに、供与品の質にまで文句言われたら、誰だって嫌になっちゃうよ」

 

 最近は将兵に支給する食事もカロリー換算で二割カットするようになった。軍隊生活の一番の楽しみは、何と言っても食事である。おいしくてボリュームのある食事が軍務のストレスを吹き飛ばし、新たな活力を生み出すのだ。食事を減らしただけで、格段に士気が落ちる。

 

「軍規違反も増えています。特に多いのは無断欠勤、遅刻、横領です」

「横領って、配給品や供与品の横領かな」

「そうです」

「うちの部隊には、横領できるような余剰物資はないから」

 

 第三六戦隊が保有する物資の残量を思うたびに、ため息が出てしまう。足りないのは食料だけではない。何もかもが足りない。燃料を節約するために、地上車の稼働数を七割にした。トイレットペーパーを節約するために、数年前にドーソン中将が作った『従来の半分のトイレットペーパーで尻を拭く方法』というマニュアルを取り寄せた。

 

「きわめて残念なことですが、住民に暴行をはたらく者が一昨日出ました」

「いつかは起きると思ってた。でも、実際に起きてみると、すごく残念な気持ちになる。そして、もう一つ残念なのは、すぐに報告がなかったこと。私的制裁と民間人への暴行は、末端の部署で発生しても、すぐに俺に報告するように取り決めてあったはずだよね?」

「上官が事件を隠していました。判明したのはついさっきです」

 

 民間人への暴行、事件隠蔽。軍隊が軍隊として機能するために、決して許してはならないことが二つも重なってしまったことに、目の前が真っ暗になった。第三六戦隊は崩壊しつつある。

 

「俺がこの部隊の司令官になってから五か月になる。人を集めて、予算を取ってきて、みんなで一緒に汗をかいて、部隊を作ってきたつもりだった。それがこんなにあっさり崩れるとは思わなかった」

「これまでの戦争は国土防衛戦争でした。負ければ帝国の奴隷になってしまう戦いです。わかりやすい理由がありました。しかし、今回はそうではありません。自分達が何のために戦っているのか、見えにくい戦いです。民主化支援機構が示したハイネセン主義の理想が挫折した時、将兵の士気は崩壊するでしょう。その時が敗北の時です」

「挫折すると思うかい?」

「残念ながら」

 

 チュン大佐は理想主義者だ。ハイネセン主義の理想が詰まっていた民主化支援機構のプランに共感を示していた。それでも挫折を予感せざるをえないのが、解放区の現状であった。

 

「挫折するとしても、あのプランは必要だったのかな?」

「閣下は何の情熱も無しに、ろくな星図も存在しない異郷の地へ入って、数千光年の距離を踏破することができますか?勝てそうだから、行けと命令されたからという理由だけで行く気になれますか?」

「無理だね。心が折れてしまうよ」

 

 俺は凡人だ。勝てそうという計算を示されただけで戦う気にはなれない。「自分が生き残るため」とか、「誰かを助けるため」とか、格好の付く理由が欲しい。しっかりした手続きを踏んだ上で、「お前の戦いは正しい」と認めて欲しい。

 

 アンドリューに見せられた作戦案の概要は、宇宙艦隊総司令部と軍情報部が協力して作成しただけあって、十分に勝算が見込める作戦だった。

 

 辺境星系の寝返りこそ起きなかったが、帝国内地では手筈通りに反乱勢力が蜂起している。帝国軍の正規艦隊も近衛兵のクーデター疑惑で釘付けになっている。どこかの無能が変なビラをまいたせいで進軍が遅れているけど、本国から追加物資が届いたら、帝国内地に到達できる距離まで来ている。一惑星で辺境全域に匹敵する人口を抱える惑星が集まってる帝国内地なら、さすがに物資が全部買い占められてしまうこともないだろう。フェザーンの経済力でも不可能だ。

 

 帝国内地に入って、大きな生産力を持つ惑星を占拠する反乱勢力と合流すれば、補給に困ることはない。予定が狂ってしまった段階でも、勝算は十分にある。しかし、俺がこの作戦のために命を賭けられるか、部下に命を賭けさせることができるかを問われたら、できないとしか言いようがない。合理的なだけの作戦に、自分と部下の命を賭けることはできない。正当な理由がほしい。

 

 権力を維持しようというロボス元帥の計算、仲間を助けようというアルバネーゼ退役大将の信義、ロボス元帥に尽くそうというアンドリューの忠誠。そのいずれも前線の将兵には関係のないことだ。

 

 宇宙作戦総司令部が作成した運用計画。軍情報部が仕掛けた工作。いずれも理に適っていたが、理に適っているという理由では戦えない。動機と手続きが不正だと感じたから、俺はこの作戦で戦えないと感じて反対した。

 

「頭のいい人や心の強い人は『勝てそうだから戦う』『勝てば国や自分の利益になる』という理由だけで戦うこともできるよ。でも、俺はそうじゃない。わかりやすい正しさがないと、命を賭けられない。打算と計算だけでは戦えない」

「この戦いが敗北に終わるとしたら、民主主義の理想ゆえでしょう。しかし、民主化支援機構がわかりやすい理想を示さなければ、士気が高まらないままに帝国領に深入りして、取り返しの付かないことになっていました」

 

 この作戦が発表された当初、第一二艦隊の将官達はこぞって不満をぶちまけていた。自分の行動に確信を持てない指揮官ほど、部隊に悪影響を与えるものはない。あの状態で帝国内地まで入ってしまっていたら、チュン大佐の言うようにとんでもないことになっていたかもしれない。

 

「最初のうちは口を揃えて反対していた第一二艦隊の将官も、民主化支援機構のプランが発表されると、途端にやる気を見せだした。バレーロ准将は『ようやく戦う気になれた。帝国の解放と民主化は、命を賭けて戦うに値する目的ではないか』と言ってた。俺は帝国の住民には必要ないと思って反対したけど、同盟の軍人には必要だったんだね。あのプランによって、初めて士気を高めることができた」

「そうです。あのプランによって、イオン・ファゼカスの帰還作戦に勝機が見えました。破綻した時点で敗北します」

 

 解放区民主化機構のプランは、当初の作戦案の軍事的合理性を損なうものだった。しかし、それと引き換えにしないと、勝機が見えなかった。そんなチュン大佐の指摘は、俺には無かった視点だった。やはり、前の人生の記憶は俺にとってマイナスでしかない。民主主義を絶対視する将兵の気持ちに対する理解を妨げる。

 

「早く追加物資が届いてくれないかな。そうしたら、帝国内地に入れる。反乱勢力と合流できたら、みんなの気持ちも盛り上がる」

「ハイネセンでは前回の補給要請以上に揉めているみたいですね」

「総額二〇〇〇億ディナールでしょ?たった一ヶ月で遠征軍の予算計上額が二.五倍に跳ね上がったんだよ。納得しろって言われても難しい」

 

 前回の補給要請は一〇〇〇億ディナールだった。新しい占領地を獲得して人口が倍増したおかげで、必要な物資の総額も二〇〇〇億ディナールに倍増したのである。

 

「いっそ、補給要請が却下されて、遠征が中止になってくれたらと思いますよ」

「ああ、確かに中止しちゃってもいいよね。傷が浅いうちにやめられるなら、それに越したことはない。兵を引いたところで、同盟領に敵が入ってくるわけじゃない。占領地の住民もフェザーン・マルクをたっぷりばらまいてくれた人に面倒見てもらった方が幸せになれるよ、きっと」

 

 プランはいずれ破綻する。破綻前に決着を付けなければ敗北するのであれば、破綻前に遠征を中止するという選択もあり得る。深入りするリスクを負ってまで、戦わなければいけない戦いでもない。イゼルローンさえ保持していれば、同盟国内は平和でいられる。

 

「この件で閣下と意見が合うとは思いませんでした」

「やっぱり、民主化支援機構のプランは必要だったのかも知れないね。おかげで深入りする前に、中止するかどうかを話し合えるステージになった」

 

 久しぶりに顔が綻んだ。思えばハイネセンを出発してからずっと、難しい顔ばかりしてたような気がする。

 

「トリューニヒト国防委員長に相談してみるよ。これは政治の次元の話だからね。参謀長は気が進まないと思うけど、俺が知ってる人の中で一番政治に強いのはあの人だ。それに今回の遠征には最初から反対してる。将官の末席にすぎない俺ができることは少ないけど、ちょっとは国防委員長の力になれるかもしれない」

 

 トリューニヒトは遠征が始まってから、沈黙を守っている。前回の補給要請の時も反対票を入れたものの、議論には加わらなかった。内心では遠征中止に賛成しているに違いない。遠征実施が決まった時と比べると、遠征に疑問を抱く人はずっと多い。彼が動いてくれたら、どうにかなるかもしれない。

 

「まあ、私はレベロ財務委員長のファンですが、それは単なる個人の趣味です。閣下が最善の選択とお考えになるのであれば、止める理由はありません」

 

 前の歴史で読んだチュン・ウー・チェンの伝記では、政権運営に悩んで疑心暗鬼に陥った晩年のジョアン・レベロに失望していたと書かれていた。今のチュン大佐はまだレベロに失望していない。そうだ、まだ未来は確定していない。

 

「最善はアンドリューが出したプランと民主化支援機構のプランがうまく噛み合って、辺境星域で解放軍として振る舞いながら、帝国内地を目指すことだったんだろうね。あのビラが先行してまかれてなかったら、今頃は高揚した気分で全軍が帝国内地に入れたかもしれない。今さら言っても仕方ないけど、無能な味方ほど始末に困るものはないね」

 

 人と話すたびにあのビラの悪口を言ってるような気がする。しかし、実際に迷惑してるんだから仕方がない。それでも、部隊が崩壊する前に、遠征継続の是非を問う話し合いがハイネセンで進んでいるのは、不幸中の幸いだった。そう自分を慰めるしかない。

 

「敵が自分でビラを作ってばらまいた可能性は無いでしょうか?」

 

 チュン大佐のその一言に、俺は頭がぐらつくような感覚を覚えた。あれが敵の策略だったら、あまりにできすぎている。そこまでこちらの動きを見切った策略を立てられるものだろうか。

 

 いや、立てられる。迎撃司令官はあのラインハルトだ。人類史上、唯一武力による人類世界統一を果たした大天才なら、何を仕掛けてきてもおかしくない。狭い常識と前の人生で読んだ歴史の本の知識だけで理解できるような相手じゃない。

 

「このビラによって一番得をしてるのは敵です。ビラの印刷代と物資を買い占める代金だけで、三〇〇〇万の大軍を一ヶ月で足止めできれば、安い買い物でしょう」

 

 焦土作戦。その言葉が脳裏に浮かんだ時、世界が暗転したような思いがした。前の歴史において、ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥率いる帝国軍は焦土作戦を行って、同盟軍を自滅に追い込んだとされている。しかし、どのように実施したのかは良く知られていない。

 

 リップシュタット戦役以前のラインハルトには怪しい部分が多い。財産らしい財産を持っていないはずなのに、なぜ元帥府を開いた直後から巨額の資金を持っていたのか。人脈らしい人脈を持っていないはずなのに、なぜ短期間で非門閥貴族のエリート官僚を取り込んで、一大派閥の主にのし上がれたのか。

 

 そして、国土総面積の三割にあたる辺境星域から軍隊と物資をことごとく引き上げるという体制を根本から動揺させかねない作戦を、帝国軍三長官ですら無い一介の元帥がいかにして成し遂げたのか。伝記や戦記は結果のみを簡潔に語る

 

 ラインハルト・フォン・ローエングラムの臣下の伝記も、主君に倣ったのかリップシュタット戦役以前の記述が総じて乏しい傾向にあり、立案者とされるパウル・フォン・オーベルシュタイン、指揮にあたったウルリッヒ・ケスラー、ゴッドハルト・フォン・グリューネマン、ウェルナー・アルトリンゲンらの伝記を読んでも焦土作戦の詳細はわからない。

 

 前の人生の俺が知りうる範囲内の情報では、帝国軍が物資をすべて引き上げてしまったという結果しかわからなかった。強引に物資を引き揚げた帝国軍の罠に、焦土作戦を全く警戒していなかった愚かな同盟軍が引っかかったものとばかり思っていた。

 

 だから、アンドリューが作成した作戦案の概要にあった「焦土作戦を行えば、反乱が起きる」という記述を見て、「今の歴史のアンドリュー・フォークはちゃんと焦土作戦の可能性を考慮しているんだな」と安心した。帝国領に進入してからも連絡員からの報告で、帝国軍が強制的な物資引き揚げをしていないと知って安心した。帝国軍が物資を持って逃亡しても、民主化支援機構の勇み足のせいで引き起こされた物資不足だと考えていた。

 

 しかし、徹底抗戦をするという口実で物資を買い集め、自分の手でビラをばらまいて、住民が進んで物資を放出するように促したとしたらどうだろうか。フェザーン・マルクをばらまいて功利主義者の帝国人の心を掴みつつ、同盟軍に対する要求水準を引き上げる。ラインハルトはフェザーン・マルクをばらまいて逃げるだけで支持を高められるが、同盟軍は住民の生活を全面的に支えて、電化製品や嗜好品まで与えても「まだ足りない」と言われる。さらに言えば、辺境の食料価格低下も物資放出を促すための策略だったのかもしれない。

 

 体中の血が凍りついたような思いがした。あと少しで帝国内地に到達するという距離で足止めを食らわせたのは、疲弊させつつ先に進めば勝てるという希望を煽るための罠ではないか。反乱勢力もあえて放置したのではないか。同盟軍の作戦に乗ったふりをして、勝利の可能性をちらつかせつつ、死地に誘い込むための餌として。状況を一から一〇までコントロールする必要はない。金をばら撒いて物資を集めるだけなら、限られた指揮権の範囲内で実行できる。

 

「まずいよ、参謀長。貴官の予想が当たっていたら、この戦いは負ける」

 

 何としても遠征を中止にさせなければいけない。迎撃司令官はあの天才ラインハルトなのだ。仮にビラをまいたのが同盟の誰かの暴走だとしても、ラインハルトが同盟軍の疲弊に付け込まないはずがない。自分が作った状況でなくとも、彼は絶対にこの状況を利用しようとする。

 

 慌てた俺はすぐに通信端末を操作して、トリューニヒトとの直通ホットラインを開いた。すぐに出てくれと頭の中で何度も念じる。

 

「エリヤ君、いきなりどうしたんだい」

 

 スクリーンの向こうに、いつもの穏やかな笑みをたたえるトリューニヒトの顔が現れた。


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