銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第八十四話:戦いを止めるための戦い 宇宙暦796年10月3日~10日 惑星シュテンダール進駐軍司令部

 国防委員長ヨブ・トリューニヒトには、以前からいろいろと世話になってきた。頼りになる人だと思っていた。しかし、顔を見ただけでこれほど頼もしい思いになるのは初めてだった。

 

「随分、切羽詰まっているようだね。何があったのかな?」

 

 トリューニヒトの暖かい声が心に染み入っていく。

 

「はい、実は」

 

 抑えていた思いが堰を切ったように噴き出す。際限なく拡大する占領地住民の要求、占領地で横行する不正、戦わずして崩壊しつつある第三六戦隊の現状などについて、トリューニヒトに訴えた。話しているうちに涙があふれてくる。参謀長のチュン・ウー・チェン大佐が部屋を出ていてくれて助かった。部下にはこんなところは見せられない。

 

 俺の言っていることぐらい、国防委員長のトリューニヒトならとっくに把握済みだろう。それでも、なにか言うたびに微笑みながら頷いてくれる。それだけで話して良かったと思えた。

 

 最後に物資不足を引き起こしたビラが帝国軍の策略である可能性、敵が同盟軍の作戦に乗せられたふりをして死地に誘き寄せようとしている可能性について話した。前の歴史で帝国領遠征軍が壊滅したことについては話さない。俺が占領軍司令官の立場上持ちうる情報と、軍事の専門家として持ちうる見識だけで、遠征軍が置かれた危機的状況を説明するには十分だった。

 

「なるほど、遠征軍に先行してあのビラをまいたのは、敵ではないかと君は疑っているんだね。我が軍の兵站に負担をかける策略だと」

「はい。この物資不足が敵によって意図的に引き起こされたものであれば、当然我が軍が疲弊していることも計算済みでしょう。正規艦隊の質で我が軍が優っているとはいえ、士気や規律が失われている状態では、十分な戦闘力を発揮できません。今、帝国軍の反攻を受けたら、我が軍は確実に大打撃、いや壊滅的な打撃を蒙ります」

「しかし、二世紀ぶりの大動乱にもかかわらず、敵の正規艦隊はオーディンを離れようとしない。権力闘争が絡んでいることは明らかだ。仮にビラが敵の策略だとしても、権力闘争が決着するまで動けないローエングラム元帥が講じた足止め策に過ぎないという可能性は考えられないだろうか?彼らがオーディンに縛り付けられている間に帝国内地まで進軍できれば、我が軍の勝利は見えてくる。多少予定は遅れたものの、概ねフォーク君のチームが作った原案通りの展開になる」

「オーディンの権力闘争の実態は俺達には掴めません。あのビラのおかげで、敵は時間的猶予を与えられました。我が軍が足止めされている間に宮廷の混乱が収拾されて、釘付けになっていた正規艦隊が今日明日中に動き出す可能性だってあります。追加物資が前線に届いて、帝国内地への進軍が再開するまで、正規艦隊が動かないという保証はありません」

「君の言う通りだ」

 

 トリューニヒトは俺の答えに満足そうに頷いた。オーディンの宮廷闘争がこちらの期待通りに続く保証がないことなんて、帝国事情に強いトリューニヒトにわからないはずがない。俺の現状認識の程度を試すために問うたのであろう。

 

「賢者の考えるところは期せずして一致するらしい。レベロも昨日の閣議で君と同じような指摘をしていた。『我が軍の大義名分と民衆の欲望に付け込んだ足止め策だ。撤退しなければ、民衆を抱え込んだまま総反攻を受けて壊滅する』と」

「レベロ財務委員長が?」

 

 ジョアン・レベロはここ数年間にわたって、財政政策をリードしてきた。財政再建を実現するために、ハイネセン主義の理想に沿った緊縮財政に邁進して、地方社会の崩壊を招いた。地方の現実と怒りを目の当たりにした俺には、理想を押し付けて我慢を強いているだけにしか見えなかった。

 

 前の歴史におけるジョアン・レベロは高潔な理想主義者と評価されていた。最後は慣れない陰謀に手を染めて自滅したが、それとて強い使命感ゆえに起きた悲劇と半ば同情的に捉えられた。

 

 今の歴史でも前の歴史でも理想にとらわれすぎて現実が見えなかったレベロが、同盟軍の置かれた危機的な現実を正しく把握していたことに驚いた。

 

「前にも言ったが、政治家の情報網を甘く見てはいけない。政治家のもとには、大勢の人間がそれぞれの視点からの情報を持ち寄ってくる。レベロほどの実力者なら、軍部や民主化支援機構にいる支持者から集まってくる情報で、前線の状況も手に取るようにわかるはずだ。ブレーンには優秀な軍人もいる。レベロが君と同じ結論にたどり着いてもおかしくは無い」

「レベロ財務委員長以外の人も同じように考える可能性はあるでしょうか?」

「評議員の中にも勘づいている者はいる。軍部に太いパイプのあるカッティマニやゲドヴィアスあたりも、遠からずレベロや君と同じ答えを出すと思う」

 

 その言葉を聞いて、目の前が明るくなったような思いがした。カッティマニ法秩序委員長やゲドヴィアス天然資源委員長はもともと遠征に賛成していた。この二人が真相に気づいて反対に回ったら、評議員一一人中、トリューニヒト、レベロ、ホアン人的資源委員長と合わせて五人が遠征反対派となる。世論が遠征中止に傾けば、他の評議員の中にも態度を変える者が出てくるだろう。

 

「軍はどうですか?」

 

 政治家の情報源となるのは、ブレーンと呼ばれる存在である。彼らは専門家としての知見や立場上知り得る情報を政治家に提供して判断を助ける。ブレーンの数と質は、政治家の能力と等しいといっても過言ではない。

 

 政治家の軍事面でのブレーンとなるのは、現役もしくは退役した高級軍人である。高級軍人は自分の構想を実現するため、もしくは知遇に応えるために自分の考えを親しい政治家の耳に入れる。帝国軍の陰謀を疑う高級軍人が多ければ多いほど、影響される政治家も多くなる。

 

「少将級以上では、第一三艦隊司令官のヤン中将、遠征軍後方主任参謀キャゼルヌ少将、第八艦隊参謀長デミレル少将、第四独立機動集団司令官ルイス少将などが言及しているそうだ。准将級や大佐級はもっと多い」

 

 前の歴史における最高の後方参謀キャゼルヌ、前の歴史における最大の軍事的天才ヤンが気づくのは予想の範囲内だった。ルイスは前の歴史では聞かなかった名前だが、今の歴史ではアスターテの戦いでヤンとともに全軍の崩壊を食い止めた英雄である。デミレルに関しては、統合作戦本部や正規艦隊の要職を歴任した作戦畑のエリートという経歴以外は良く知らない。

 

 思ったよりずっと多くの高級軍人が帝国軍の陰謀を疑っている。前の歴史で活躍した天才だけではないというのが心強い。常識的な思考から行き着いた人間が多かったということだ。これなら政治家にも聞き入れやすいだろう。天才のひらめきから導き出された言葉は、難しすぎて凡人には届かない。凡人は常識的な思考から導き出された言葉にのみ耳を傾ける。

 

 希望が見えてきた。あとはトリューニヒトが動いてくれるかどうかにかかっている。出兵案が最高評議会に提出された時、トリューニヒトはアルバネーゼ退役大将との正面対決を回避して、反対姿勢をアピールするに留まった。前回の追加補給を巡る議論の際にも沈黙を守っていた。今回も動いてくれるかどうかはわからない。それでも、俺が期待できる政治家はトリューニヒトしかいない。

 

「委員長閣下はいかが思われますか?」

 

 意を決して、質問を投げかける。

 

「薄々怪しいとは思っていた。だが、確証がなかったから、口にはできなかった」

 

 俺の推論の最大の欠点は、状況証拠ばかりで直接的な証拠がないことだった。トリューニヒトは元警察官僚だけあって、確実性に欠ける話には乗らない。彼の「確証がない」という言葉は「動けない」と同義だった。

 

「動いてみよう」

 

 トリューニヒトらしくないその言葉を聞いた俺は目を丸くした。

 

「確証がないとおっしゃいましたよね?」

「帝国の謀略だと断言することはできない。しかし、疑わしいと主張することが禁じられているわけでもない。私の主張を聞いた者がどう勘違いしようと、それは勘違いした者の責任だ」

 

 トリューニヒトはいつになく人の悪い笑みを浮かべた。どんなに良い人に見えても、やはり根っこの部分は政治家だった。

 

「人間は信じたいものを信じる。遠征実施が決まった時は、ロボス君とアルバネーゼを信じたがる者が多かった。しかし、一〇〇〇億ディナール相当の追加予算執行、そして二〇〇〇億ディナール相当の第二次追加予算請求は、期待を失わせるには十分だった。これ以上遠征を続ければ、勝利したとしても、オーディン攻略と引き換えに財政は破綻する。そして、遠征継続を支持した者達は、宿敵打倒に執着するあまり、財政破綻を引き起こした愚者として糾弾されることだろう」

 

 勝利したとしても財政破綻する。トリューニヒトのその言葉は、不吉な響きをもって響いた。

 

 今年の四月上旬の時点で、フェザーン中央銀行総裁が「重大な懸念」という前例のない言葉で同盟経済に警告を発している。最初に計上された二〇〇〇億ディナールの遠征予算ですら、破綻寸前の国家財政には重すぎる額だった。遠征を継続したら、どれだけの追加予算が必要になるのか想像もつかない。

 

「政治家は泥舟から降りる理由を欲しがっている。金がかかり過ぎるという理由だけでは不十分だ。遠征軍総司令部と解放区民主化支援機構には、『敵の謀略にはめられた愚か者』になってもらおう。それが最後のひと押しになる」

 

 遠征軍総司令部という単語から、親友アンドリュー・フォークのことが頭の中をよぎった。現在の彼は総司令部のスポークスマンみたいな立ち位置にいる。いつもロボス元帥の側に控えていることもあって、遠征軍総司令部とアンドリューをイコールで捉える者も多かった。

 

 遠征軍総司令部が「愚か者」になるということは、アンドリューが愚か者扱いされることである。遠征が中止になれば、アンドリューの名誉は大きな傷を負ってしまう。

 

 ロボス提督の司令部に入って間もない頃のアンドリュー、民間人の女の子と付き合っては遠征のたびに振られてた頃のアンドリューの顔が脳裏に浮かんだが、慌てて振り払う。俺は第三六戦隊の司令官だ。一〇万人近い部下の生死に責任を負わなければならない。友達一人のために、彼らを死地に追いやることはできない。

 

 アンドリューならいつかきっと俺の気持ちをわかってくれる。その時は失われた彼の名誉を取り戻すために何でもする。だから、今は迷いを振り払う。

 

「ありがとうございます」

「礼には及ばないよ。これは私の利益になることだからね。遠征を支持した連中が失脚すれば、私は二大政党の一角のトップになれる。ようやく、最高評議会議長の座に手が届く」

 

 四一歳のトリューニヒトは代議員当選回数四回。二年前から急速に力を伸ばしている彼も、長老支配が続いてきた改革市民同盟にあっては、非主流の若手代議員のリーダーでしかない。彼が最高評議会議長になるには、主流派が立てた候補者と争って党代表に就任するか、離党して新党を設立する必要があった。いずれも険しい道である。遠征が中止されて主流派の威信が失墜すれば、トリューニヒトは改革市民同盟の主導権を一気に掌握できる。

 

「老人と雌雄を決する時が来たようだ。力を貸してくれるね?」

「はい」

 

 前の歴史では最悪の衆愚政治家と蔑まれ、今の歴史でも毀誉褒貶半ばする政界の風雲児ヨブ・トリューニヒトは、俺にルールの範囲内でなおかつ効果的な戦い方を細かくアドバイスしてくれた。

 

 

 

 トリューニヒトとの通信を終えると、参謀を召集して会議を開き、第三六戦隊の士気低下、物資不足、軍規の乱れなどについての報告をまとめるように指示を出した。

 

「前線部隊には現在の窮状を上層部に強く訴えて欲しい。嘘や誇張は必要ない。現状を正しく伝えることが大事だ」

 

 前線の立場から窮状を訴えていくこと。それがトリューニヒトから与えられた役割だった。

 

「国防委員長としては、前線部隊が直面している問題を見過ごすわけにはいかないからね。深刻な場合は、何らかの指導をする必要がある」

 

 同盟軍の部隊は作戦や行動計画などの運用面で統合作戦本部、人事や予算などの管理面で国防委員会の監督を受ける。監督官庁たる国防委員会に提出する報告書の中で、管理面の問題を訴えることには何の問題もない。

 

「統合作戦本部も運用上の問題に目をつぶることはできないはずだ」

 

 統合作戦本部に提出する報告書の中では、士気や物資の問題で部隊運用に重大な支障をきたしていることを訴えた。統合作戦本部長のシドニー・シトレ元帥は、もともと遠征に反対している。遠征中止を主張するジョアン・レベロの盟友でもある。そんな彼が前線から報告された運用上の問題を政治的にどう活かそうとするかは言うまでもなかった。

 

「もちろん、上級司令部の遠征軍総司令部、第一二艦隊司令部、第二分艦隊司令部にもちゃんと報告するんだよ」

 

 第一二艦隊の司令官ウラディミール・ボロディン中将と参謀長ナサニエル・コナリー少将は、理想主義者だけに将兵の置かれている窮状に深い憂慮を抱いていると言われる。抜本的な解決に乗り出すきっかけを欲しているはずだ。

 

 俺の直属の上司たる第二分艦隊司令官エドガー・クレッソン少将は、第一二艦隊の幹部にしては珍しく官僚的な人であったが、それだけに大きな不安を抱いている可能性が高い。

 

 遠征を推進した総司令官ラザール・ロボス元帥とその忠臣たるアンドリュー・フォークのいる総司令部は窮状を訴えても聞いてくれるとは思えないが、手を抜く訳にはいかない。ちゃんと報告をしたという事実が後々になって意味を持ってくるはずだった。

 

「友人と認識を共有することは、職務を執行する上で大きな助けとなる。君の友人も今頃は苦労していることだろう。認識を共有することで少しは救われるかもしれない」

 

 公然と遠征中止論を唱えて、友人達に同調を求めるのは問題行動である。遠征中止を主張するならば、上官や上級司令部に対する意見具申という形式を守らなければならない。しかし、帝国軍の謀略の疑いについて私見を述べること、部隊が置かれた窮状を何の誇張もせずに上官や監督者に訴えるように勧めることには、何の問題もない。

 

 

 

「いやあ、もうほんと、大変」

 

 第一〇艦隊所属の第四分艦隊副参謀長ダーシャ・ブレツェリ大佐は、俺の婚約者だ。遠征が始まった当初は毎日のように通信を交わしていたが、占領地統治で苦労するようになってからは、二、三日に一回に減っていた。

 

「うちの部隊は将兵の夜間外出を禁止したよ。みんな住民対応と物不足でピリピリしてるからね。トラブルを未然に防ぐための苦肉の策だよ」

 

 組んだ腕の上に大きな胸を乗せて、やや背中を丸め気味のダーシャは遠征が始まった時と比べて、だいぶやつれたように見える。いつも強気な彼女もすっかり参ってしまっているようだ。

 

 ひと通り化粧と髪型と軍服の着こなしを褒めて、彼女の気持ちがやや上向きになったところで、帝国軍の謀略の疑いについて話した。意外にもダーシャは驚きを見せなかった。

 

「やっぱ、そうだよね。レベロ代議員もそう言ってたし。今日のヒューマン・ライツ・ジャーナル電子版の記事にも出てた」

「ヒューマン・ライツ・ジャーナルで?」

 

 ヒューマン・ライツ・ジャーナルといえば、老舗の反戦派雑誌だった。発行部数こそ少ないものの知識層の読者が多く、世論形成に少なからぬ影響力を持っている。民主化支援機構に対しては、一貫して批判的な論調を貫いていた。リベラリストのダーシャは、この雑誌の愛読者だった。

 

「うん。ヨアキム・ベーンが書いてた」

 

 ヨアキム・ベーンは『憂国騎士団の真実―共和国の黒い霧』の著者として知られる反戦派ジャーナリストで、進歩党構造派のホアン・ルイと近い関係にある。進歩党構造派はジョアン・レベロの所属派閥でもあった。誰が記事を仕掛けたのかは言うまでもない。トリューニヒトに先んじて、レベロは動き出していた。

 

「ダーシャはどう思う?」

「うーん、確かに帝国軍が自分でまいたビラだと思えば、いろいろ辻褄が合うよね」

 

 俺が詳しく話すまでもなく、ダーシャは謀略説を受け入れている。心の中でレベロに感謝しつつ、ガッツポーズをした。

 

 もともと、ダーシャはこの遠征に乗り気ではない。民主化支援機構のプランに関しても良い印象を持っていなかった。副参謀長として、第四分艦隊の現状を憂いてもいる。俺が水を向ける前に、自分から遠征中止を口にした。

 

 どうすれば、遠征中止につながる動きができるか相談された俺は、トリューニヒトから教えられたことをそのままアドバイスした。正当な手続きで現場の窮状を訴えていくこと、そして認識を友人と共有して謀略への注意を促すこと。

 

「ありがとう、エリヤ」

 

 話が終わった時には、ダーシャは晴れ晴れとした顔になっていた。ダーシャはどんな顔でも可愛いいけど、明るい顔が一番可愛い。

 

 遠征が中止になってほしい。そしてダーシャと直接会って抱きしめたい。そんなことを思った。

 

 

 

「久しぶり。随分疲れた顔してるねえ」

 

 第三艦隊第二分艦隊参謀長イレーシュ・マーリア大佐は思いのほか元気そうだった。あのウィレム・ホーランド少将の参謀長として、グローナウ星系の占領統治を取り仕切るという想像するだけで胃に穴が開きそうな仕事なのに、いったいどうしたのだろうか。

 

「大佐はお元気そうですね」

「ホーランドに我慢してれば、それで済むからねえ」

「占領統治とか、大変じゃないんですか?」

「ぜんぜん」

 

 占領統治で苦労していないというのは信じられなかったが、実際に肌つやも血色もハイネセンにいる時とほとんど変わりがない。彼女は俺と比べても大食いだから、食料不足にも耐えられないはずなのに。

 

「どういうことです?」

「うちの解放区は物資が余ってるんだよ」

「嘘でしょ」

「いや、ほんと」

「どういうことです?」

 

 ホーランド少将が無から物資を生み出せる魔法を使えるなんて聞いたことがない。配給量を抑えることもできないはずだ。

 

「インフラ整備や農業開発は、住民に賃金を提示して募集するという形でやってるの。物資の無償供与は早い段階で停止して、購入制にしてる。牛肉一キロあたり一ディナールみたいなタダ同然の値段だけどね。一ディナールでも住民から取って、コスト意識を持たせようってのがホーランドの方針なの。住民もタダ同然の値段で物が手に入るから、いい買い物をしたと満足しちゃうのよ。うまい手を考えたもんだよねえ」

 

 その手があったかと、感心してしまった。募集制だから労役に動員しているわけではない。一ディナールで牛肉一キロだなんて、配給しているも同然の捨て値である。ビラの文面には反していないと言い張れる。その上、住民を得した気分にさせられる。配給品や供与品もかなり少なく済むはずだ。

 

「ホーランド少将という人は、用兵だけじゃなくて統治もできるんですね。本当に生まれながらのリーダーというか。俺とはものが違います」

「あいつはリーダーにしかなれないんだよ」

 

 前の歴史のウィレム・ホーランドは、おごり高ぶって天才ラインハルト・フォン・ローエングラムに敗れた愚将だった。今の歴史でも自己顕示欲の強さをトリューニヒトに嫌われ、武勲欲しさに帝国領遠征を推進した。困った人ではあるが、能力は文句なしに高い。これで協調性があれば、トリューニヒトに第一一艦隊司令官就任を妨害されることもなく、順風満帆に出世していたに違いない。無能だが協調性だけはある自分とはすべてが対照的で、いろいろと考えさせられてしまう存在である。

 

 気を取り直して、帝国軍の謀略について話した。イレーシュ大佐は難しい顔で考えこむ。ただでさえきつい美貌なのに、さらに怖く感じる。

 

「なるほどねえ。まあ、敵地に潜入して数日間で惑星全土にビラをばらまけるほど有能な組織がうちの国にあると考えるよりは、納得できる推理だね」

「ええ。味方が暴走したと思い込まされつつ、敵の仕掛けた罠に誘き寄せられてたんじゃないでしょうか」

 

 わかってもらえた。イレーシュ大佐のような常識人でも、遠征軍の行く先々に先行してビラがまかれていたことに違和感を感じていたのだ。この話を知り合いにして、注意をうながすことに関しては了承してくれた。

 

 しかし、彼女のいる第二分艦隊は物資が豊富で士気も高く、訴えるべき窮状が存在していなかった。将兵がホーランド少将の強烈なリーダーシップに感化されて、遠征継続論一色に染まっており、第二分艦隊単独で帝国内地に突入しようなどと息巻く者もいるそうだ。彼女の部隊から遠征中止につながる情報を上層部に上げてもらうことは、諦めるしかなかった。

 

「力になれなくてごめんね」

「帰ってから、第二分艦隊司令部食堂のヨーグルトパフェおごってください。それで手を打ちましょう」

「わかった。サービスとして、私の手で君の口にパフェをあーんしてあげよう」

「やめてください」

 

 この人は普段は怖そうな顔なのに、俺をからかう時だけは優しい表情になる。ハイネセンに帰った時には、ヨーグルトパフェの他にパンケーキもおごってもらおうと思った。ただし、あーんはお断りだ。

 

 

 

「帝国軍はそんなことを企んでいたのかね、なるほどなるほど。ところでハイネセンに帰ったら、三次元チェスをやろうじゃないか」

 

 第二輸送業務集団司令官グレドウィン・スコット准将は、明らかに俺の話に興味が無さそうだった。遠征中なのに三次元チェスのことばかり考えてるのかと呆れてしまう。准将まで昇進した優秀な輸送司令官のはずなのに、軍事の話題を一度も聞いたことがない。軍人としてのこだわりもまったく伺えない。一体、この人は何なんだろうか。

 

 スコット准将が指揮する部隊は、総司令部直属の輸送部隊だった。住民対応とも物資不足とも無縁で、訴えるべき窮状がない。しかも、スコット准将は遠征の先行きにまったく興味がなかった。何の手応えも得られないまま、ハイネセン帰還後の対局を約束して通信を終えた。

 

 

 

 

「物を配っても感謝されない現場なんて初めてだ」

 

 第七艦隊所属の後方支援群を指揮するジェリコ・ブレツェリ大佐は苦笑気味に語った。豊富な災害派遣経験を持つ彼は、配給業務にも慣れている。被災者と占領地住民の勝手の違いに困っているようだ。

 

「こちらは食事を切り詰めているのに、住民は農場主の屋敷に集まって宴会を開いている。感謝しろとは言わないが、少しは遠慮してほしいというのが正直な気持ちだ」

 

 それはちょっと酷すぎる。ブレツェリ大佐が愚痴りたくなるのも当然だと思う。

 

「軍隊に四〇年もいれば、理不尽には慣れっこさ。しかし、愚痴を言わずにはいられない。一杯のメディツァがあれば憂さを晴らすには十分だが、この惑星にはそれすらない」

「メディツァ?」

「ああ、はちみつの入ったフェザーンの酒だよ。甘いから君も飲めるんじゃないか?」

「あ、いや、アルコールそのものがダメなんですよ。アレルギーがあるみたいで」

「残念だな。君が息子になったら、是非一緒に飲みたかったのだが」

 

 残念そうに笑うブレツェリ大佐を見て、申し訳ない気持ちになった。俺は前の人生でアル中になったおかげで酒が飲めない。記憶が残っていなければ、ブレツェリ大佐の晩酌に付き合えたのに。

 

「私に話したいことがあるんだろう?理由もないのに通信を入れてくる君とは思えん」

 

 そう言うと、ブレツェリ大佐の表情が急に引き締まった。冴えない風貌なのに、スクリーンを通しても威圧感が伝わってくる。伊達に四〇年も軍人をやっていない。

 

「ええ、お話したいことが」

 

 ビラが帝国軍の謀略であるという疑惑について話すと、ブレツェリ大佐の眼光が鋭くなった。俺が話を進めるたびに、容赦の無い質問を投げかけてくる。俺相手でも全く甘さを見せないところは、さすがベテランという他なかった。

 

「良くわかった。にわかには信じがたいが、あのビラのせいで我が軍が窮地に陥ったのは確かだ。味方があんな物をまいたとは思いたくない。味方を憎むようになったら、まともに戦えなくなる。だから、敵の謀略であってくれて欲しい。そう願っていた」

 

 ブレツェリ大佐はやり切れなさそうにため息をついた。

 

「同じように感じている者は多い。君の名前を伏せた上でこの話を広めておこう。怒りが敵に向ければ、味方や住民を憎まずにすむから」

「ありがとうございます」

「こんな状態ではまともに戦えない。遠征は中止するべきだ。君はどう思う?」

「同感です」

「私にできることは少ない。せいぜい、前線の状況を上の連中に伝えるぐらいだ。私と同じ思いを持っている者が多ければ、上も無視は出来まい」

 

 ブレツェリ大佐は俺が話を持ちかけるまでもなく、自分から引き受けてくれた。古強者だけあって察しが早い。ハイネセンに戻ったら、頼もしい義理の父親になってくれそうだと思った。

 

 

 

「どうしたの、お兄ちゃん?」

 

 スクリーンに出てきた可愛らしい顔とはきはきした声に思わずのけぞってしまった。見るからに優等生っぽい彼女が妹のアルマであるという事実になかなか慣れることができない。

 

「いや、元気かなって」

 

 理不尽に拒絶していたことに対する罪悪感ゆえなのか、気後れしてしまっている。どうも、言葉が出てこない。

 

「知ってる?解放区にまかれていたあのビラ、敵が自分でまいたんだって」

 

 先手を打たれてしまった。アルマが知っていたというのは喜ぶべきことなのに、どうもやりにくく感じる。

 

「誰から聞いたの?」

「うちの連隊長」

 

 アルマが所属している第八強襲空挺連隊の連隊長ペリサコス大佐は、ロボス派に近かったはずだ。そんな人物が遠征継続を望むロボス派に不利な噂を流しているというのは、どういうことだろうか。

 

「ペリサコス大佐は誰から聞いたのかな」

「ルイス少将。アスターテの英雄の」

 

 その名前を聞いて納得がいった。ルイス少将はトリューニヒト派ともシトレ派とも疎遠だった。ペリサコス大佐にとっては、話しやすい人物だろう。前の歴史の有名人やその友人ではなく、政治と関係していない人まで、遠征を止めるために動いてくれている。前の歴史より良い状況なのではないか。そう思えてくる。

 

 第八強襲空挺連隊は第九艦隊が占領しているアルヴィース星系第六惑星ノルトホルンに駐留している。この艦隊は前の歴史の帝国領侵攻作戦で壊滅した艦隊だった。遠征を止めることができたら、第九艦隊も無事に帰れる。そして、アルマも。

 

 俺は小心者だ。酷い目にあわせた俺に対して、とても楽しそうに話しかけるアルマを見てると、後ろめたさばかり感じてしまう。ハイネセンに帰って会ったとしても、何を話せばいいかわからない。それでも元気でいて欲しいと思う。

 

 

 

 改革市民同盟トリューニヒト派に近いメディアは、例のビラが帝国軍の謀略であるという疑惑、戦わずして疲弊した遠征軍の惨状、占領地住民の強欲について報じ、「今すぐ遠征を中止すべきである」と主張した。進歩党構造派に近いメディアも独自に同じようなキャンペーンを開始した。

 

 遠征を支持した政治家と解放区民主化支援機構は、「帝国に騙された愚か者」「莫大な国費を浪費した罪は万死に値する」とさんざんにこきおろされた。物資不足に苦しむ遠征軍と、際限無く物とサービスを要求する占領地住民の対比は、世論の憤激を買うには十分であった。

 

 一方、遠征を支持する改革市民同盟主流派や進歩党連合派に近いメディアは、「ビラは帝国軍の謀略ではない。でっちあげにもほどがある」と打ち消しにかかり、遠征継続を強く訴えた。しかし、巨額の財政赤字、前線部隊と占領地住民の現状の前では、明らかに説得力を欠いた。

 

 アンドリューはイゼルローンで連日記者会見を開いて、あくまで遠征を推進していく総司令部の立場を代弁し続けた。ロボス元帥の責任を追及しようとする記者を詭弁でやり込めようとしたり、意地の悪い質問をする記者に逆上して怒鳴り散らしたりするなど、信じられない行動をとった。

 

 軍内部でも帝国軍による謀略説を信じる者が日増しに増えていき、前線の窮状を伝えることで上層部を動かそうとする者、上官に意見具申をして遠征の不利を説く者が相次いだ。

 

 遠征軍に所属する部隊から提出された報告書の内容を「極めて深刻」と判断した国防委員会は、軍政の立場から遠征軍総司令部に対して是正勧告を出した。それからやや遅れて統合作戦本部も軍令の立場からの是正勧告を出している。軍政と軍令の双方が遠征軍の置かれた惨状を事実上公認したことは、遠征の失敗を世論に強く印象づけた。

 

 遠征を支持していた政治家の中にも、不支持に転じる者が現れている。改革市民同盟のデュプレー代議員、進歩党のボレゲーロ代議員といった重鎮も遠征中止を主張した。評議員のカッティマニ法秩序委員長、ゲドヴィアス天然資源委員長は謀略説への支持と遠征継続に対する疑念を表明した。

 

 もはや、帝国内地に進軍すれば勝利が獲得できると信じている者はいなかった。遠征支持派ですら、失敗を認めざるをえないところまで追い込まれていた。遠征を継続するか中止するかではなく、いつどのように中止するかが現在の論点となっていた。

 

 一〇月一〇日、遠征軍総司令部と解放区民主化支援機構は翌一一日に合同記者会見を開いて、「重大な発表」を行うことを明らかにした。どのような発表がなされるか、様々な憶測が飛び交ったが、敗北宣言ではないかという見解が有力である。

 

 前の歴史では、一〇月一〇日は帝国軍の総反攻が始まった日だった。しかし、現時点では迎撃司令官ローエングラム元帥がオーディンを離れる気配はなかった。今の時点で兵を引いたら、みんな無事に帰れる。歴史は変わる。そんな期待が胸いっぱいに広がっていた。


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