配信画面に、等間隔で並べられた机と椅子が映っている。そのさらに奥には、うっすらとチョークの粉が残っている黒板がある。向かって右側にある窓は換気のためか開け放たれており、そよ風が薄緑色のカーテンを静かに揺らす。
どこか学校の教室を思わせるそこは、とあるG-TUBERの配信部屋である。三脚を追加されたハロカメラの横に展開されているサブウインドウには、いくものコメントが流れていた。
『待機』
『そわそわ』
『待機中』
『配信タイトル草』
『忙しいあなたにディストピア飯!』
『どんなに忙しくてもディストピア飯はいやだな』
『それな』
『今日はどんな変なもの見つけてくるのやら』
「お待たせしました、皆さん。これから配信を始めていきますね。今日も最後までお付き合い頂けると嬉しいです」
『おっ』
『イオリん!』
『お 待 た せ』
『委員長、その手に持ってるカゴの中身全部ディストピア飯?』
『いやいやまさかそんな』
ハロカメラの前に現れたのは、買い物かごを手にした青い髪の少女。紺のブレザーに赤いチェック柄のスカートという、どこかの学校に通う生徒を思わせるダイバールック。彼女の名前はイオリ。G-TUBEでガンプラバトル配信などをしているG-TUBERの一人であり、リスナーたちからは『イオリん』または『委員長』と呼ばれている。
イオリはコメント欄をざっと確認してから買い物かごを床に置くと、「よいしょ」と近くの机を持ってきてハロカメラの置かれている机と向かい合わせになるようにした。
「さて、と……今日の配信内容ですが、ツブヤキやガンスタでも告知していた通り、ディストピア飯風味ゼリーシリーズの新味が出たのでいくつか食べてみたいと思います」
『草』
『ディストピア飯シリーズの新味、出たのか・・・』
『今回はどんなトンチキなのがあるのか、オラ、ワクワクすっぞ!』
『新味が出るたびにカゴ一杯に買う委員長』
『好きなんすねえ』
「いえ、それほど好きでもないですよ? 大半のフレーバーは正直まず……あまり美味しくはないですし」
『即☆答』
『即答かよ!』
『好きじゃないのに買うのか・・・(困惑)』
『怖いものみたさ的な』
「まあ、そうですね……。たまに美味しいものもあるので、あとは眠気を覚ますのにちょうどいいんですよ? このディストピア飯って」
『えぇ・・・』
『どういう・・・ことだ・・・?』
『まるでわけがわからんぞ!』
『えぇ・・・?』
机の上に買ってきた商品を並べながらコメントを拾うイオリ。それについてのリスナーたちの反応は様々だが、ディストピア飯を眠気覚まし代わりに使うのはイオリくらいだろうという点では概ね一致していた。
ちなみにディストピア飯とは、GBNでもお馴染みのGHCの傘下にある
といっても大半はトムヤムクン風味、だし巻き卵風味、チョコミント風味、納豆かけご飯風味、南蛮チキン風味といった何とも言いようのないものばかりで、一応中にはコーラコーヒー風味やラズベリーハーブ風味といった普通に楽しめるフレーバーもあるのだが、開発担当者の謎の拘りによって普通に楽しめるものは販売個数が限定されるためプレミアがつくこともしばしばあるのだった。
『それで、今回は何味買ってきたん?』
『気になりますねえ!』
『いいのあったら買いたいなあ』
『配信見てからだと売り切れてそう』
『まともなフレーバーはすぐに売り切れるからな』
「というわけで買ってきました。ディストピア飯、風味ゼリーシリーズの新フレーバーギガマックスペヤング風味、麻婆茄子風味、麻婆春雨風味、いかの塩辛風味、エスカルゴ風味、シュールストレミング風味*1です」
『わー』
『まずそう。まずい』
『シュールストレミングはまずいですよ!』
『草』
『なんやそのラインナップ・・・(ドン引き)』
『とんでもねぇのがきやがった』
『うーん、茄子と春雨で麻婆が被ってしまったな』
『比較的マシそうなのが麻婆二つしかないという狂気』
『ペヤング風味ってなんだよ』
『シュールストレミングとイカの塩辛の、名前だけでわかるヤバい感じ』
『ナマモノは・・・まずい』
案の定……というか、予想していたよりもひどい新フレーバーの顔ぶれに、リスナーたちもドン引きしている。
イオリの前に照明の光を反射して不気味に光っている六つの銀色のパックが並んでいる光景は、何も知らないものがみれば何かの企画の罰ゲームだと思うだろう。それほどまでに、CF社が自信を持って世に送り出しているディストピア飯シリーズのインパクトは強烈なのである。
「まずは何から行きましょうか。私としてはエスカルゴやシュールストレミングが気になりますが」
『シュールストレミングは最後にしようぜ』
『お楽しみは最後に取っておこう』
『初手シュールストレミングいこうとする委員長、チャレンジャーすぎる』
『まずは無難に麻婆からで』
『僕はギガマックスペヤングちゃん!』
『どれもこれもヤバい』
「ん……それでは、まずはペヤング風味から頂きますね」
『おっ』
『おっおっ』
『見せてもらおうか、ギガマックスペヤング風味ゼリーの実力とやらを・・・』
『食べるのはイオリんなんだよなあ・・・』
『そうわよ』
【ギガマックスペヤング風味!】とラベルが張られているパックを手に取り、蓋になっているキャップを回す。パキッと心地のいい音がして封が開くと、ストローの形をした飲み口に口を付けて中身を口の中へと流し込む。
ぷるぷるとしたゼリーが舌の上に乗り、ギガマックスペヤングっぽい風味が一瞬だけ感じられ、直後に大量のハチミツと砂糖をぶちまけて凝縮したかのような甘さが味覚を蹂躙してきた。これがディストピア飯・風味ゼリー最大の特徴。口に入れた瞬間は風味付けされたフレーバーの
「………………ギガマックスペヤング、ですね。はい。ギガマックスペヤングっぽい何かです」
『草』
『イオリんそっと戻してて草』
『やっぱりな』
『感想がペヤングっぽいしかなくて草』
『まあ、そうなるな』
一口飲んでから蓋をしてそっと机の上に戻すイオリ。それからミネラルウォーターをストレージから取り出すと、口の中に残っている微かなペヤングの風味とゼリーの甘味を押し流すかのように一気に半分ほどを飲みほした。
「……ふぅ。次にいきましょうか」
『何事もなかったかのように次とか言い出したぞ』
『サ、サスガダァ・・・』
『G-TUBERの鑑ですね』
『イオリ、大丈夫か?』
「心配してくてれありがとうございます。けれど、ディストピア飯の新フレーバー配信は自分で始めたことですから……。最後までやり通します」
『好き!』
『そういうところ好きやで』
『この働きものがあ!』
『そうか・・・。けど、辛かったらやめてもいいんだからな?』
『めっちゃ心配するやん』
『気持ちはわからんでもないがな』
「ふふっ、私は大丈夫ですよ。なので、残りのディストピア飯も食べていきますね!」
『ぞいの構え』
『ンかわいい』
『あ゛ぁ゛~』
『ここ清楚』
その後、イカの塩辛風味の独特な味付けとゼリーの甘さの暴力にしわくちゃイオリになったり、麻婆豆腐風味と麻婆春雨風味の絶妙な辛さと甘味のハーモニーに癒しを得たり、エスカルゴ風味で宇宙猫になりつつも、ついに最後の一つに至るのだった……。
………
……
…
『来たわね』
『たぶんこれが一番ヤバいと思います』
『しわくちゃイオリんと宇宙猫イオリん以上にヤバいのか』
『ヤバいわよ!』
『まあ、シュールストレミングだからなあ・・・』
「……シュールストレミング、噂では臭いがとてつもなくすごいと聞いたことがありますね……。GBNでどこまで再現されているかは、開けてみないとわからないですが」
『世界一臭い食べ物だからね』
『HENTAI揃いと言われるGBNの開発スタッフでも、シュールストレミングの再現はさすがにせんやろー。・・・せんよな?』
『えっ、うん!』
意を決したような表情で、シュールストレミング風味の封を切るイオリ。瞬間、鼻孔を突き刺すような刺激臭が広がる……ということはなく、発酵食品特有の臭いはするもののそこまで強烈には感じられなかった。
さすがにこのあたりは常識的らしい。とはいえ、飲み口からは発酵した魚のすえた臭いがしており、警鐘を鳴らす理性が口にするのを躊躇わせる。
『イオリんが止まってる・・・』
『ゼリーに加工されたニシンの発酵したものを口にするようなものだしな・・・』
『イオリ、ヤバそうなら食べなくてもいいんだぞ?』
『さすがにこれはやめといたほうがいいのでは』
気遣うようなコメントが流れていく中、イオリは覚悟を決めてディストピア飯シュールストレミング風味を口にした。
「………………っっっ!?!?!?」
イオリの全身に電撃が走る。吸い上げたゼリーが舌に接触した瞬間、口の中に広がる発酵したニシンの生臭さと発酵臭。次いで襲い来る塩辛さと甘さと酸っぱさが形成する魔のトライアングル。
絶妙な風味付けのなされたおぞましいゼリーは飲み込むことを拒絶し、さりとて吐き出そうと口を開けばコノシュンカンヲマッテイタンダ! とばかりに空気と反応して増幅された臭気が目と鼻を突き。進むも退くも、にっちもさっちも、吐き出すも飲み込むもできず、感覚フィードバックも良し悪しだなと思いながら……イオリは限界を迎えるのだった。
『・・・イオリん?』
『え、大丈夫か?』
『イオリ・・・?お、おい、イオリ?』
『徐々に薄くなってる・・・』
『あ、これ強制ログアウトされるやつだ』
『光の粒子になってるー!?』
『イオリ!?返事しろイオリ!?』
『ヤベーぞ、放送事故だ!!』
『おい誰かカメラ止めろ』
【この放送は終了しました】
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