ーーー少女には、母親が居なかった。物心ついた時から、少女を育てていたのは乳母であり、少女にとっての"親"はその乳母1人だけだったのだ。
肥えた父親、見分けのつかない3人の兄達は彼女を疎み、唯一仲良くしてくれる肉親は姉のみであった。
そして、その姉や乳母に自分の実の母親を聞いてみても、必ずいつもはぐらかされてしまうのだった。
そんなある日、少女は『王妃が空中宮殿の離れにいる』という話を聞く。
少女は喜んだ。実の母親の手がかりをようやく見つける事が出来たのだ。
少女は聞いたその日の内に部屋を抜け出し、その部屋へと向かったのだった。
ガチャリ、ギィィ、と扉が開かれる。それをした少女は胸を昂らせながら、嬉々とした表情でノブを引いていた。
「〜♪」
この小さな部屋に、赤ん坊をあやす為の子守唄が流れている。それを歌っているのは、窓際に置かれた安楽椅子に座りながら赤ん坊の
彼女は金色の髪に藍色の瞳を持っている。それは先代の王と同じ特徴であり、王家の血筋を引く者だという事が分かる。
しかし、その高貴な顔はやつれ、目下には深いくまが出来ている。そして、その瞳には光が点っておらず、目の前の物を認識しているかすら定かではない。
「母さま……?」
「!! 誰じゃ!!」
そんな、少女が予想していなかった様相の女に声をかける。すると女は立ち上がり、人形を守るように抱き寄せる。
「一体誰じゃ!! 私のクシャナを盗りに来たのかっ!!」
「わ、わたしはナサニアです。母さまの娘の」
「黙れ!!……ああ、クシャナ、起こしてしまってごめんなさい。よしよし……」
少女が何を言おうが、女には届かなかった。その代わりに抱き抱える人形を、まるで本物の赤ん坊の様にあやし、そして本物の子供に向ける様な穏やかな表情を向けていた。
そして、この場にいる"本物の子供"に対しては憎悪に満ちた表情を向け、怒りを孕んだ言葉を投げつけるのだ。
「か、母さま、クシャナ姉さまは」
「出て行け!! 出て行かぬというのならば……」
少女の声などは気にも留めず、女は容赦なく彼女へと怒声を浴びせる。
やがて、女はゆらりと少女の方へと向く。その手には果物ナイフが握られていた。
「ひっ……」
「クシャナ……私の娘……、それを狙う者は……」
「か、母さま……なにを……」
「クシャナは私が守る……守らなくては……っ!」
ナイフを振り上げ、少女へと駆け出す。それに少女は怯え、腰を抜かしたまま扉へと向かった。
しかし、当然逃げ切れる筈もなく。
「いっ…ぎゃっ……」
少女の脇腹をセラミックの刃が貫き、白い服が赤く染まっていく。
「で、殿下!?」
と、そこでようやく給仕がその惨状に気付き、慌ててもう一度ナイフを振り上げる女を止める。
「離せェ!! 貴様もクシャナを狙うのか!!」
「王妃殿下、落ち着いて下さい!」
「黙れェ!! 此奴は、私のクシャナを!! クシャナを!!」
暴れる女、それを必死に止める給仕。その様子を、脇腹を押さえて倒れる少女は虚ろな目で見ていた。
その目には困惑と絶望が浮かび、入って来た時に瞳に浮かんでいた喜びの感情は既に消え去っていた。
そして、徐々に少女の意識は深い闇の中へと落ちていきーーー
「……夢、か……」
そこで目が覚める。その顔には涙の跡が出来ていた。
「ナサニア、昨日は何処に行っていた? 姿が見えなかったが」
「ちょっと街の中を探検に」
朝。空中宮殿の一角にあるとある部屋にて、ナサニアとその姉ーーークシャナは朝食を食べていた。
本来ならば他の3人の皇子、そしてヴ王と共に食べる筈なのだが、2人は拒否し、それを4人の方も快く許可したのだ。
この家族間の仲は、端的に言って最悪であった。
最も、自分の母親を毒で狂わせた者達と仲良くしろという方が不可能なのだ。その毒が本来ならばクシャナが飲む筈だった物だというのだから、尚更である。
だが、そんな家族ではあったが姉妹の関係は至って良好であった。
「はァ……行くのは良いが、せめて護衛は付けて行ってくれ。1人では何があるか分からん」
「え、何で知って……あ」
「セルカが心配そうにしていたぞ」
「……はーい」
渋々、といった感じでナサニアが返事をする。彼女が護衛も付けずに1人で外出した事を、クシャナは知っている様だった。
まあ、彼女がした事といえばナサニアの付き人であるセルカに確認しただけなのだが、彼女は勝手に自爆した。
「あと、宝物庫に侵入しただろう」
「えっ、あっ」
「……タリア川の石」
「……てへ?」
「あまり目立つ事はするなよ?」
「はーい……」
姉には、隠し事は出来ないようだ。それを彼女は思い知ったのだった。
「あ、ししょー!」
そんな訳で、訓練場へと来た彼女。しかし、昨日とは違いその背後には腰に剣を提げた青年が立っている。
そんな彼女が手を振った先には、青い顔をしたクロトワが呆然と立っていた。
「ほ、本日もご機嫌麗しゅう……」
「? ししょー、どうしたの?」
「きょ、今日は畏れ多くも私めが貴女様にく、訓練を」
「緊張してるの?」
慣れていないのか、ぎこちない敬語を放っていく。そんな彼と目を合わそうと彼女が移動するも、彼は必死に目を逸らし続けていた。
「殿下、やはりお考え直されては。この様な平民上がりの薄汚い男など、信用するに足りません」
「(何だこの男……うぜェ……)」
「もー! セルカ、クロトワさんは私のししょーなんだから、馬鹿にしちゃダメっ!!」
「御意。クロトワ殿、殿下を頼んだぞ」
「(何だコイツ……)」
目の前で繰り広げられる手の平ドリル漫才に困惑しつつ、彼は頭を下げ続けていた。
「そ、それでは、まずは手本をみ、見せたいと思います」
「ししょーの生操縦!」
早速訓練用のボロボロケッチ……ではなく、新品同然の装甲コルベットに乗り込み、彼が操縦桿を握る。
今回、王族に訓練するという事で、彼の上官が慌てて格納庫より引っ張り出してきた物だ。因みに、それを昨日彼に話した時は、
「は? お前何やってんの?」
と、キレ気味に返され、同僚には、
「お前何した。何やらかした」
と焦られ、後輩には、
「クロトワさん、幼女を脅したんですか?」
などという謂れのない疑惑をかけられ、更にその『幼女を脅した』という噂だけが独り歩きし、挙句の果てには、
「幼女と寝たって本当ですか? 幻滅しました」
と紅一点の女性兵士に言われる始末。僅か半日の出来事である。一体彼が何をしたというのか。
昨日という1日は、彼にとって最悪の日であったと言わざるを得ないだろう。
「(誰か……誰か俺を助けてくれ……!!!)」
彼は操縦しながら、心の中でそう叫んだのであった。
この時のクロトワさんは17歳です。原作では16歳からコルベット乗りをしてたと言ってたので、1年目ですね。