一機のケッチがトラス郊外の空を舞う。その動きはまだぎこちないものの、戦場でも十分に戦果を上げられるであろう程度には洗練されていた。
しかし、その機体の先端にある、ガラスに囲まれた特徴的なコックピットの中に座るのは熟練のパイロットーーーではなく、ただ1人の少女である。
訓練を始めてから1ヶ月が経過した。元々才能はあったのか、ナサニアはクロトワが教える事を次々と吸収していき、既に正規の軍人にも勝るとも劣らない程の技量を獲得していた。
彼も当初は渋々という様子でやっていたものの、その内に自分の教える事を全て吸収していく彼女の姿を見て熱が入っていき、負けじとより難易度の高い事を教えていっていた。
しかし、彼女自身飛ぶ事が余程楽しいのか、何を言われようとも常に笑顔で嬉しそうに訓練を受けていた。
とまあそんな訳で、この1ヶ月間訓練は非常にスムーズに進んでいたのである。
「……よし、今日はこの位にしとくぞ」
「はい! ししょー!」
操縦席に座る彼女は、そう返事をすると機体の高度を落としていく。
着陸は操縦の中でも難しい部類に入るのだが、この1ヶ月で彼女はそれを難なく行えるまでになっていた。
「(もう教える事ねェな……)」
彼は心の中でそう呟く。
そもそも、彼自身そこまで経験がある訳でもない。ただ単に才能があったというだけで、パイロット歴としては1年と少ししかないのだ。
本職の教官に教わった方が良いと何度か言ったのだが、彼女は「ししょーが良い」の一点張りであり、結局ここまで自分が教える事になったのだった。
さて、これからどうしようか。彼が思考を巡らせようとしたその時だった。
「あ、あれ?」
「……ん、どうした?」
彼女の困惑する様な声に、彼は意識を戻してコックピットを見る。
ふと、窓から見える景色に違和感があった。
「おい、進入角(着陸する際の機体の角度)が深すぎる……」
と、そこまで言って思う。
彼女が、そんなミスをするだろうか? これまで何度も着陸を成功させている彼女が?
それに加えて、先程の困惑する様な声。
まさか。
「ーーーッ!! 代われッ!!」
彼は泣きそうな顔をする彼女を押し退け、操縦席へと座る。そして色々と動かして、気付く。
機首が、上がらない。舵も利かない。エンジンも止まらない。
コックピットからの操作が、全く出来なくなっていた。
「クソッタレ!!」
考えが甘かった。彼の脳内に1ヶ月前のソリアの言葉が浮かび上がってくる。
「(王族と関わって長生きした平民はいないッ……クソ、お前の言う通りだぜ、全く!)」
あの言葉を受けて、訓練の前には必ず機体の確認をする様にはしていた。
最初の頃は全て自分でやっていたのだが、その内に知り合いの整備士に任せる様になっていた。見るからに優しそうな顔をしており、いつも自分達訓練兵の機の整備をしていたので安心していたのだ。この1ヶ月間何も起きなかったのもあった。
だが、どうやらそれは良くなかったらしい。家族でも人質にとられているのか、それとも自分から進んでやったのか。
まあ、今となってはどちらでも変わらないが。
「クソッ、こんな所でッ……」
彼は何とか機首を上げようと試みるも、機体は一向に動く気配が無い。
そうこうしている内に、地面との距離は10メルテにまで近付き、彼は思わず目を閉じるーーー
「ダメ!!!」
ーーー一瞬、ふわりと機体が浮かび上がった。
そして、次の瞬間には轟音と共に着陸する。タイヤを出す事が出来ていない為に機底を地に擦り付けながら滑走路を滑っていく。
しかし、あのまま行っていればコックピットから突っ込んでいたであろうから遥かにマシだろう。
やがて、機体はボロボロになりながらも摩擦力によって静止した。エンジンは既に止まっていた。
「……ッ、助かった……のか……?」
彼は恐る恐る目を開ける。そこは、天国でも地獄でも、ましてやヴァルハラでもなく、1ヶ月間嫌という程見たコックピットであった。
所々ガラスは下部が完全に割れ、上部にもヒビが入っている。しかし、自分は五体満足だった。
「嘘だろ……」
何故あの状況で助かったのか。如何に強度が高くとも、あれ程の角度で墜ちればどう考えても自分はミンチになっている筈だ。
と、そこで彼は思い出す。
「ッ! そうだ、ガキは!!」
思わずナサニアの事をガキと呼んでしまうが、この1ヶ月間で何度か呼んでいるので今更どうという事はない。因みにその度にセルカは鬼の如き形相をしていた。
それはともかく、振り返るとそこには彼女を庇うセルカの姿があった。どうやら彼が衝撃から守ったらしい。いけ好かない奴だがこの時ばかりは彼に心から感謝した。
「良かった……無事か……」
ほっ、と胸を撫で下ろす。
確かに、彼女は無事であったーーー見た目だけは。
「姫様!? 姫様!!?」
「ん……おい、どうした……ッ!!?」
彼女の身体には、何処にも
ポタリ、ポタリ。床に赤い斑点が出来る。
「姫様!! しっかり!!」
「おい、ガキ!! ナサニア!!?」
その斑点からは、鉄の臭いがした。戦場でよくする臭いだった。
ーーー彼女の見開かれた右眼が、赤く染まっていた。そして、そこから流れているのは涙ではなく、真紅の液体ーーー血液であった。
そして、彼女は何を言っても反応する事は無かった。
ようやく特殊タグの使い方を知りました