ガールズ&パンツァー×オメガバース百合。

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はじめに

・拙作『乱れ髪シリーズ』ではない、単発作品です。
・作者はオメガバースはじめてです。
・第二性差別的発言・表現が多く含まれます。
・不理解や独自設定があるかもしれません
・視点が交互に入れ替わります。
・タイトル通り番いません。
・作者は長串望です。
・作者は長串望ですが生えてません。
・作者は長串望ですが吐きません。
・あとなんかあったらお伝えください。







君と番わない

 

 

 

 

 

 なにをどう間違えたのかはわからない。なにが間違いだったのかもわからない。

 ただ確かなこととして、私が生まれてきたことは間違いだったのだと、その思いが離れなかった。

 

 そうだ。

 間違いだ。

 ひどい間違いだ。

 

 でも。

 それでも。

 

 たとえ何もかもが間違っていたとしても、生まれてしまったものをどうして諦められるだろうか。

 

 他の誰が認めずとも、私だけは決して折れない。

 折れてたまるものか。

 折れてやってたまるものか。

 折れるとするならば、その時はきっと、私が死ぬ時だ。

 

 親譲りの無鉄砲で子供の頃から損をしている、というわけでは全然なかったが、まあ得をする生き方ではないのは確かだった。

 角谷の家に生を受けて以来、私は私なりに生きやすいようにと思って生きてきたはずだった。誰だって楽をしたいもので、私もその御多分に漏れず、いい加減に生きていけたらそれが一番だと思って生きてきた。

 

 だがどうにも角谷杏という生き物は不器用に過ぎた。

 子供の時分から、生きるのが下手だった。

 

 物を頼まれると断れなかった。

 人に頼られると振り払えなかった。

 試されると応えずにはいられなかった。

 困難を前にして逃げることができなかった。

 

 なにができるという以前に、なにができないというくくりが、私の足元に絡みついていたように思う。

 より正確に言えば、やらねばというベクトルだろうか。

 能力的には、大概のことを私はこなして見せたけど、しかししがらみめいた妙な制約が私の行動を縛っていた。よりシンプルな言い方をするならば、それは意地だった。小さな体に不釣り合いなほどに大きな意地だった。

 

 できないと思われるのが甚だ腹立たしかった。実際にできないとなると心底腹が立った。

 なんでも卒なくこなしてやるという意地があった。無理難題でもどうにかしてやるという無鉄砲があった。どうせと言われるのが無性に許せなかった。

 そしてそんな荒々しい気性をさらすのも恥だった。

 涼しい顔で飄々とこなして見せたかった。余裕がないとは、思われたくなかった。

 

 でも実際、私には余裕がなかった。

 荒波に独りマストを支えるような心地でもあった。

 折れてしまえばと時折泣きたくなる時もあった。

 座り込んで、立ち上がれなくなるのではと思うこともあった。

 

 一つ荷を下ろすだけで、生きるのが楽になると知っていた。

 でもその一つを下ろしてしまったら、積み上げてきた全てを崩してしまう。

 私が私でいられなくなってしまう。

 それだけは、どうしてもごめんだった。

 折れたくなかった。曲げたくなかった。

 折られたくなかった。曲げられたくなかった。

 

 どれだけ、生きるのが辛くても。

 

 いやでもさすがに廃校ダブルチャンスキャンペーンには心折れるかと思ったよね。

 自分でもなんで折れてないのかって思うくらいには。

 

 最初に廃校を伝えられた時はまあ、正直なところ、廃校した後のことを仕度する方が賢い選択だった。いかにダメージを減らすかっていうのが正しい方策だった。

 でもその時頭に浮かんだのは河嶋桃だった。鼻水垂らして泣きわめく姿が思い浮かんでしまった。そして実際そうなった。無能で足を引っ張ること数知れないこの女は、しかし残念なことに心許せる私の友だった。

 せめて一緒に卒業式を迎えたかったなどという泣き言を言われて、諦めようなどと言えはしなかった。

 

 しかしそれもまあ、やるだけやって話題性が出てくれば大洗に同情する流れができて廃校を阻止できるのではないかという小賢しい考えもあったわけで、まさかそこに山札に一枚しかない鬼札を引き当ててくるとは思わなかった。

 

 鬼札の名は、西住みほといった。

 

 私は戦車道に詳しいわけじゃなかったけど、調べればわかることくらいすぐに頭に入れられる。

 戦車道の名家西住流の娘で、全国大会での独断行動から優勝を逃すきっかけとなり、方々から非難され、逃げ出すように転校。その転校先というのが、戦車道をやっていない我が校だというのだから、よほど戦車から離れたかったのだろう。

 

 同情はする。大いに同情する。

 だから許しは乞わない。最後まで悪役でいよう。

 ゼロから戦車道を立ち上げて優勝するという無理を、経験者一人にど素人を導かせて優勝させるという程度の無理にまで引き上げなければ、話にもならないのだ。

 

 それに、非常に悔しいことに、戦車道というのは才能がものを言うスポーツらしかった。

 極めて腹立たしい現実だけど、しかしスポーツは往々にしてそうだ。向いている者が向いている、そういうものだ。

 いくら練習したところで、チビの私が身長190センチ台の連中にバスケで勝つのがまず不可能なように。

 

 戦車は必ず複数人で操縦し、さらにその複数人で操縦する戦車が何台も連携して一つの隊になる。自分の車両のことをどうにかするだけでなく、他の車両のことも考えなければならない。そしてもちろん、相手の車両を見つけ出し、攻撃し、打倒さなければならない。

 戦車を操縦するだけならば、努力次第でどうとでもなるかもしれない。

 だが全体を指揮する隊長としての視点は、これはセンスだ。一朝一夕で身につくものじゃあない。

 まして一人ひとり個性が違う隊員を従わせ、動かすのは、カリスマとも言うべき存在感が必要になる。

 副隊長を経験した西住ちゃんのノウハウは何としても得たかった。

 

 戦車道の俗語で、隊長格をアルファと呼ぶことがある。

 第二性のアルファから来たものだ。さらに源流をたどれば、狼の群れの序列からだろう。

 誰よりも優秀で、他者を従わせる才能。実際、現役で活動している隊長格の多くはアルファで、たまにベータ。

 

 ではオメガはというと、そもそも戦車隊への入隊を拒まれるそうだ。

 狭く閉ざされた車両内で行動を共にし、全体としてのチームワークが重要なスポーツだ。その輪を乱すオメガは邪魔者というわけだ。

 オメガ差別撤廃を訴える団体も昨今は増えてきたが、実態としては、少なくとも戦車道界隈ではオメガは公然と侮蔑の対象だった。

 

 同じ戦車道の俗語で言えば、オメガというのは最大級の侮辱であるらしかった。輪を乱し、足を引っ張り、敵に尻を振る、邪魔者で厄介者。

 西住ちゃんもまた、事件の時には散々叩かれたようだった。ネット上には今も、彼女をオメガと呼んではばからない風潮があった。

 

 実際に顔を合わせた西住ちゃんは、期待よりも弱々しかった。

 友達に手を引いてもらって、ようやく抗議に来れるような、そんな情けない子だった。

 それでも自分の意志で戦車道をやると宣言した時にはほっとしたし、少し見直しもした。

 でも、正直なところ私は彼女があまり好きではなかった。

 どちらかというと、嫌いだったと言ってもいい。

 

 強い意志を持つ目を見た時にわかった。

 彼女は紛れもなくアルファだったから。

 

 戦車道履修者として集まった面子に、幸いなことにオメガはいなかった。

 もとよりアルファよりも希少なオメガは、当校にはほとんどいない。そのわずかな例外が履修を希望してしまった場合、昨今の反差別路線から目を背けて自主的に辞退してもらうよう頼みこむか、フェロモンをしっかりと抑制するきつめの処置が必要だった。

 

 そして一方で、アルファもまた最初はいなかった。

 多分だけど、全員が全員ベータ。アルファなのは西住ちゃんだけだと思う。

 あとから飛び入り参加した冷泉麻子もアルファだったらしいけど、どうもこの子はやる気が能力と釣り合わないようだった。河嶋と逆の意味で。

 まあ、第二次性徴までは第二性も特徴がはっきり出てこず、この年代からでも実はアルファだったオメガだったと判明する例はなくもないけど、ほとんど例外だと言っていい。

 

 リーダー格が実質一人しかいないというのは戦車隊という大所帯を運営して行く上で懸念材料でもあるが、ここは前向きに考えよう。むしろ協調性にやや難のあるアルファ同士が競い合い喧嘩するようなことがないのだ、と。

 私はわずかな安堵と共にこのメンバーを承認した。

 

 足りない面子と、余った戦車のために、我々生徒会メンバー、つまり私角谷杏と、小山柚子、河嶋桃の三名がこれに加わり、戦車隊はひとまず揃った。もとより座して見守るつもりもなかったので、ちょうどいい。

 

 戦車隊の実質的な指導者として西住ちゃんが隊長になるよう誘導し、副隊長には河嶋を配置した。無能だ無能だとは言っているけど、なんだかんだ私の意をくんでくれるし、私の意志を隊長の西住ちゃんに伝えるいい仲介役だ。私が副隊長をやるわけにもいかないし、私が動けないときには任せられる。

 小山は卒がないから実務は信頼できるけど、補佐であって副隊長という柄じゃあない。

 

 戦車隊は始動するや、すぐにとんとん拍子で、とはもちろんいかなかった。ど素人たちばかりだから技量なんてもちろんなかったし、面子の意識の低さもあってまあひどいものだった。

 けれど、ゼロがマイナスにはならなかった。

 積み重ねたものは少しずつ、でも確かに形になっていった。

 わからないことを知ろうとし、できないことをこなせるように努力し、日々彼女たちは成長していた。そしてただ成長するだけではなく、そこには確かに喜びと楽しみがあった。笑顔があった。

 

 西住ちゃんもまたそうだった。

 戦車に対する嫌悪は最初からなかったように思う。でも怯えがあった。

 いいんだろうか、大丈夫だろうかと恐る恐る指先で触れるようだった。

 けれど、落ちることを恐れる小鳥はもういない。

 飛ぶことの楽しさを、彼女は全身で表しているようでさえあった。

 迷いながら、惑いながら、でも伸びやかに羽を伸ばして、彼女は戦車道を始めつつあった。

 控えめながらも自信がその瞳に光を灯し、笑顔を分かち合う嬉しみがあった。

 

 彼女は紛れもなくアルファだった。

 人を引き付け、人を導くカリスマがあった。

 でも彼女が選ぶのは、先に立って前進することではなく、ともに歩いて同じ地平を目指すことだった。

 誰よりも率先して彼女は奉仕者だった。

 媚びるのでもなく、諂うのでもなく、ただそれが大きな喜びと幸福につながると信じるように、知っているように、彼女は笑い合って手を伸ばす。

 

 彼女は紛れもなくアルファなのに。

 

 私はいまもまだ、西住ちゃんのことがあまり好きではなかった。

 

 

 

 

             ‡             ‡

 

 

 

 

 戦車が嫌いになったか、ってお姉ちゃんは私に言った。

 その時なんと答えたのか、実はよく覚えていない。

 でもなんだかお姉ちゃんのほうが泣きそうな顔をしていて、なのに泣けなくって、辛そうだったことはよく覚えている。

 その顔を見て、私は、なんて答えたんだろう。私は、どう思ってたんだろう。

 

 戦車道を止めなさい、とお母さんは私に言った。

 私がしたことは間違っていたって。

 西住流のやり方じゃないって。

 私は、違うって思ってた。思ってたのに、何も言えなかった。

 怖くなってすっかり俯いちゃって、お母さんがどんな顔をしていたのかわからなかった。

 あの時、お母さんはどんな目で私を見てたんだろう。

 

 それから、あの日。

 黒森峰を離れて、戦車道をやめることを決めたあの日。

 私は、どんな顔をしてたんだろう。

 

 きっと。

 きっと、とても格好悪い顔だったと思う。

 

 大洗に転校して、もう戦車に乗らなくていいんだって気づいたとき、私は心底ほっとしてた。

 狭苦しい鉄の箱に閉じ込められるような、あの冷たい圧迫感から、私は解放されたんだって。

 これからは普通の学校で、普通の友達を作って、普通に暮らせるんだって。

 いい加減に生きて、善い加減に過ごして、好い加減に暮らせるんだって。

 

 だから、戦車道をやってくれって言われた時は、頭の中が真っ白になっちゃった。

 どうして。

 どうしてって。

 あんなにみんなで私を攻め立てて、もうやるな、止めろって言って、それで、それなのに、なんでいまさらそんなこと言うの?

 私はもう、戦車になんて乗りたくないのに!

 

 会長さんのヘラヘラとした笑い方が何度も頭の中で繰り返された。

 いやだ。

 いやだ。

 いやだ!

 

 沙織さんと華さんが手を引いてくれて、抗議に行った時だって、あの人はうすら笑いを浮かべたままだった。私の話なんて聞いてないって顔だった。

 黒森峰でさんざん見た、アルファたちの冷たい目が思い出された。

 河嶋さんも高圧的で、脅して言うことを聞かせようって、そういう態度だった。

 典型的なアルファの目だった。

 脅されて言う通りにするなんて、嫌だった。

 でもせっかく友達になれた二人にまで迷惑をかけたくはなかった。

 そしてなにより。

 

 負けるもんかって、私の中で声がしたのだった。

 

 負けるもんか。絶対に負けるもんか。

 殴られたって、蹴られたって、ボコボコにされたって。

 だって、それがボコだから。

 だって、それが私だから。

 どれだけだめでも。

 どれだけ下手でも。

 諦めたくなんて、ないから。

 

 でもまさか、戦車を探すところからなんて、思わなかったけど。

 

 こんなので大丈夫なんだろうかって早速心配になったけど、でもみんな楽しそうだった。

 それは黒森峰では見たことのなかった笑顔だった。

 私も今、その笑顔を浮かべているのかな。

 

 見つけた戦車に触れてみて、状態を確かめて、これならいけそうだって思ったとき、私は気づいた。

 ああ、うん、そう。

 いけそう。大丈夫。戦車だけじゃなくて、私が。

 どうしてだか、私は戦車が怖くなかった。

 もう見たくないって思ってたはずなのに、どこか暖かい懐かしささえある。

 冷たくて、硬くて、恐ろしいはずの戦車が、私には怖くない。

 力強くて、頼もしくて、大きな戦車が、私を見下ろしている。

 

 お姉ちゃん。

 やっぱり私、戦車が好きだよ。

 もう戦車なんか乗りたくないって、思ってた。本当にそう思ってた。

 あの時、お姉ちゃんも、私が戦車を嫌いになったって、そう思ったんでしょ?

 戦車が嫌いで、戦車に乗るお姉ちゃんのことも、嫌になったって。

 でも私、嫌いになれないみたい。

 戦車も、お姉ちゃんも。

 まだ少し、どうしたらいいのかわからなくなる時もあるけど。

 まだ少し、怖くてまっすぐ見つめられないかもしれないけど。

 また向き合えたらいいなって、そう思う。

 

 私に隊長なんてできるかなって不安だったけど、それ以前にこの学校には戦車に乗ったことがある人が一人もいないって言うのが問題だった。

 まずは簡単に動かし方を説明して、って言いたいけど、なにしろ戦車って数人がかりで動かすものだから簡単とは言えないし、車種もばらばらだからチームごとに違う説明をしないといけない。みんなが同じ戦車だったら、みんなで教え合うこともできたのに。

 でも贅沢は言えない。

 

 マニュアルはネットで落としましたって優花里さんがプリントアウトしてくれたり、戦車道ショップで古本が見つかった。それに、私が覚えていることも書き足して、みんなに配る。

 できればしっかり読み込んで、自分の車両や、他の戦車の特徴や性能を覚えてほしいけど、いきなりは難しい。それに飽きちゃう。

 動かしながら皆に覚えてもらうしかない。

 

 幸い、みんな失敗しながらも、だれちゃったり飽きちゃったり、もう嫌だってなったりはせず、茶化し合いながら、笑い合いながら、そして悩みながら、少しずつ覚えて行ってくれた。

 

 黒森峰だったら、こうはいかなかったと思う。

 戦車隊に入るのは、ほとんどがもともと戦車道を習ってた子だった。はじめて戦車に乗るっていう子も、みんな憧れをもって、戦車のことをよくよく調べてくる子ばかりだった。

 なんとなくとか、面白そうだからとか、特典に惹かれてとか、そういうことは全然なかった。戦車隊のみんなは真面目だったから、いい加減な子が入ってくるのは許さないっていう空気だったし、何かの間違いで浮ついた気持ちや軽い気持ちで入ってきた子は、すぐに辛くなって自分から辞めていってしまった。

 

 私はいつも、黒森峰の戦車隊を思い浮かべるとき、たくさんの歯車が整然と噛み合って回るさまを思い浮かべる。それは美しく、力強く、そして息苦しい光景だった。

 アルファという車軸を中心に、無数のベータたち歯車が回っていく。

 その中でオメガが生きていくことが、どれほど耐えがたい苦痛を伴うか、他の誰にも分りはしない。アルファにも、ベータにも、そしてきっと、同じオメガにも。

 

 世の中では性差別の撤廃を、なんて平和と平等を謳っているけど、戦車道ではいまも恐竜の頃の価値観がのさばっていた。優秀で強いアルファが、平凡なベータを率いることが当然だった。

 例え学年が上でも、ベータがアルファに意見することは許されなかった。アルファのやることがあからさまに誤りだったとしても、それを批判することは許されない。でも失敗が露見すれば、それはアルファのミスじゃなくて止めなかったベータの責任になる。

 例えどれだけ成績がよくて、戦歴があっても、ベータの車長はアルファの車長より格下に見られる。アルファが余っていたら、そのベータは車長から外されて、新人のアルファが当然のような顔をして車長の席に着いただろう。

 

 オメガの隊員も、いた。数は少ないけど、いた。

 そのほとんどは、うちは第二性差別をしませんよ、平等ですよっていう建前を護るために受け入れられた子たちで、戦車に触れることもない幽霊隊員もいるし、整備ばかりで実際に動かすことは許されなかったり。

 もしくは、コネや権力があって、席に座ることを許された隠されたオメガたち。

 彼女たちにあったのは誇らしさ? それとも優越感?

 違う、違うんだ……。

 その苦しさを、なにに例えたらいいんだろう?

 

 あの息苦しさは、大洗にはなかった。

 母数が少ないから、オメガ自体が少ないというのもあるんだろうけど、でもみんなには戦車道自体が当たり前じゃないから、「戦車道の当たり前」っていうのがなかった。第二性がどうかなんて、誰も考えてない。

 「あたしわかんないから車長はパス!」なんて、思わず笑っちゃうような言葉さえ出てくるくらい。

 適性試験も、面接だって、先達が私一人だからとてもできなくって、最初はそれこそ「なんとなく」で役目を決めて、段々と自分に合ったものを探してもらうようなずさんさだった。割り当てた戦車だって、大まかに分けたメンバーの人数で決めたようなものだった。

 

 もし私が黒森峰の副隊長で、これからこいつらを精鋭に仕立ててくれってお姉ちゃんに頼まれたとしたら、きっと夜も眠れないくらい困ったことだろうし、みんなだって、ついていけないって次々に辞めてっちゃったと思う。

 でもいまの私は黒森峰の副隊長じゃない。西住まほの妹じゃない。西住流の後継者候補でもない。

 みんなは歯車じゃないし、私は車軸じゃない。

 

 途方にくれちゃうような出鱈目さの中で、でも、私はなぜだかとても気が楽だった。

 いいんだ、って。ああ、いいんだって、そう思っちゃうと、あとはもうとても楽だった。

 戦車を派手な色で塗装したり、のぼりを掲げたり、それに、座席にクッションを敷いたり。

 私は私の中でガラガラといろんなものが崩れて行っては、ああ、あんなに息苦しいと思っていたのに私はすっかり黒森峰だったんだなって、なんだかおかしくなっちゃうのだった。

 

 私の、私たちの戦いは一筋縄ではいかなかった。

 聖グロリアーナ女学院との練習試合でみんなの意識が変わったことを皮切りに、大洗の戦車道は本当に始まったように思う。

 お遊びのようになんとなくやっていたことを、お遊び()()()みんなが真面目に取り組み始めた。

 ちゃんとやらなきゃ、楽しむこともできないんだって、悔しさと恥ずかしさの中で、みんなが思ってくれたら嬉しい。

 

 思い出したくもなかった全国大会へ出場することになっても、私はもうちっとも怖くなかった。

 なんていうと、さすがに嘘。

 まだ戦車に乗ってるんだなって言われて、窘められて、へこんじゃいそうにもなったりした。

 思い出しては、嫌な気分になって、何にも言えなくなったりもした。

 

 それでも。

 そう、それでも、だ。

 私はもう一人じゃなかったから、みんなが私を支えてくれたから、私は、私たちは、あの日、勝利を掴んだ。

 あの日、優勝旗を掴んだ。

 

 そして、色々はしょっちゃうけど、私はフラれた。

 

 

 

 

             ‡             ‡

 

 

 

 

 信じられない、というのが最初の感想だった。

 

 本当に優勝するとは思わなかった、なんて私が言ったら顰蹙モノだろうけど、誰と言って一番信じられなかったのは間違いなく私だろう。

 河嶋は泣くし、小山も涙ぐむし、私もウルッときちゃったね。

 

 それで、その熱気と勢いの中で、もう一つの信じられないが私を襲った。

 

 事後処理で忙しい中、少し時間を貰えませんかって言ってきたのは西住ちゃんだった。

 そりゃ、私も話すことはある。お礼は言いたいし、謝りたくもあるし、今後のこともある。

 でもさすがに警戒はしたよね、このタイミングだし。

 私が話をしたいって言いだすにはいいタイミングだったけど、でも西住ちゃんが私と話したいって言うのは、なんだか不穏だ。

 

 いまや西住ちゃんは大洗の救世主で、全国大会で優勝したヒーローで、その発言力と影響力たるやちょっとしたものだ。権力としては頂点にある私だけど、人心を掌握しているのは誰かと言えば、ちょっと分が悪い。

 少なくとも戦車隊の中で西住ちゃんと私のどちらにつくかってことになったら、みんなして向こうにつくだろうさ。

 

 そんな確固たる立場を獲得した西住ちゃんが、いま、このタイミングで私に何を話そうというのか。

 まさか今更脅迫の件を蒸し返そうって言うんじゃないだろうな。もしそうだったとしたら、私はいくら払えばいいんだろう。払えるもので済めばいいんだけど。

 

 もしや、これで仕事は終わったから辞めたいとか言い出すんじゃなかろうかと悪い想像をしてしまって、私は独り青くなった。そりゃ危機は一応去ったけど、西住ちゃんが辞めてしまったらいよいよもってこの大洗に救いはない。

 

 指定された海の見える雰囲気のいい公園で待ち構えていたのは、いっそ血の気が引いているんじゃないかというくらい静かな顔をしたマジ顔西住ちゃんだった。

 殺して埋める気かな、と冗談めかして思っちゃうくらいには、雰囲気がガチガチのガチだった。

 凛々しい顔を見てると、ほんとアルファってやつは神に愛された性だなとぼんやり思う。顔がよくて、心が強くて、才能に富んで。嫌味なくらいに。

 

 まっすぐ突き刺してくる視線から逃れるように海を見る。きらきらとガラス片を散らしたような白波が、目にも眩しい。潮騒とウミネコの声が、どこか遠く聞こえた。

 

「会長さん」

 

 硬い声に、少しためらって、それでも肚に力を入れて振り返る。

 真昼のしらけた日差しの下で、西住ちゃんのことがよく見えた。

 固く握りしめた拳が、指先が、すっかり白くなってしまっているのも見えた。

 その唇が小さく震えて、伏せ気味のまつげが揺れていることも。

 

「お話が、あります」

「うん。……なにかな?」

 

 西住ちゃんは大きく一つ息を吸って、大きく一つ息を吐いた。

 それからもうひとつ大きく吸って、また大きく一つ吐いた。

 何度か言葉を選ぶように唇が震えて、眼差しが彷徨った。

 その度に私の腰のあたりにぞわりと震えが走って、逃げ出したい気持ちがつのる。

 よし、次だ、次息を吸ったら逃げようと、何度も思いながらそれを成せず、なんだか私の方まですっかり緊張して、息が詰まる思いだった。

 

「私は、」

 

 西住ちゃんは長い長い深呼吸の果てに、ようやく思い立ったように私をまっすぐ見据え、そしてなんだかつきものが落ちたような、すとんと何かが落ちたような、まっさらな顔で少しの間、そうして佇んでいた。

 それから、おもむろにこう言ったのだった。

 はっきりと、こう言ったのだった。

 

「好きです。私とお付き合いしてください」

 

 答えは、イエスでもノーでもなく、「はあ?」だった。

 

「いえ、あの、す、好きっていうのはその、」

「いい。いいから。わかってるから」

 

 言い募ろうとする西住ちゃんを遮って、私は後ずさった。

 言葉の意味は分かる。でも、なんでとどうしてが頭の中を駆け巡った。

 恨まれるならわかる。疎まれるならわかる。多少印象が良くなったとしても、悪い人じゃないんだけどという程度だろう。それが私の認識だった。

 それがどうして私を好きだなんて言うとっ散らかった結果に至るんだ。

 

 困惑と、混乱。

 勝手にやかましく走り出した鼓動のビートがやかましい。

 

「ごめん、やっぱちょっとわかんない。なんでそうなるの?」

 

 私を好きになる要素なんて、西住ちゃんにはありやしないだろうに。

 西住ちゃんはちょっとの間困ったように小首をかしげて、それからぽつりぽつりとつぶやくように言った。

 はじめはやはり、私のことは嫌いだったそうだ。嫌いと言うか、怖かったそうだ。

 そりゃそうだ。戦車道を強要して、脅迫して、それでマイナスにならないわけがない。

 いつもへらへらとうすら笑いを浮かべ、権力者の気まぐれで指示を出すような高みからの目線。一方的な指示という名の命令。どれも気に食わなくて、恐ろしかったって。

 そう見えるようにしてるんだから、そう見たまんまでいいのに。

 

 でも、と西住ちゃんは続けた。

 廃校危機の事実を知って、見方を変えてみると、見えてくるものがあったという。

 遅くまで灯りの消えない生徒会室。潤沢じゃないはずの予算を調整してくれること。記者や西住流の干渉を、気づかれないうちに押さえ込んでくれたこと。失敗した経歴のある自分を、それでも信じて賭けてくれたこと。

 

 そして私自身の人となりも見えてきたと西住ちゃんは言う。

 頑張り屋で、みんなのことを気遣って、無理なんてしてないようにふるまって、絶対に負けないぞって最後まで諦めない。そんな会長さんを見て、私も負けられないって、そう思うようになったんです、なんて言われて背中がかゆくなる。

 

「会長さんは、私のボコなんです!」

「え、それはやだ」

 

 あ、そういうことじゃなくってですね、と慌てる西住ちゃんは、確かに、可愛い女の子なんだろう。

 ボコって言うのは別に会長さんに怪我して欲しいわけじゃなくて、その、気持ち的な、とまくしたてる姿は愛らしいものなんだろう。

 その女の子に、好きですって熱量をぶつけられて、まっすぐに見つめられて、平静な気持ちを保てるほど私も悟り切ってはいない。

 いないけど、でも。

 

「答えはノー」

「えっ」

「私は、君とは付き合えない」

 

 悲しませたいわけじゃない。

 泣かせたいわけじゃない。

 でも、西住みほだけは、無理だった。

 だって彼女は、だって君は。

 

「付き合えないし、近づいてほしくもないし、二人で会うこともしたくない」

「えっ、あ、え……?」

 

 傷つけたい、わけじゃない。

 傷つけたい、わけがない。

 それでも私は、君を傷つけるべく言葉の刃を振るわなければならない。

 

 どうして、って詰め寄ってくる西住ちゃんに、私は袖に仕込んだスタンガンを向けた。

 ばちりと音を立てるそれに、西住ちゃんもたたらを踏んだ。訳が分からないって顔で、私を、私の手のスタンガンを見て、ああ、やめて、やめてくれ、そんな目で見ないで。悲しい顔をしないで。

 苦しめているのに、苦しくなる。

 

「近づか、ないでね。出力が高い奴なんだ。襲われた時用に、いつも持ってる」

「な、襲ったりなんか、」

「寄るな!」

 

 高ぶるな、高ぶるな、高ぶるな。

 祈るように心の中で唱えても、激しい感情の動揺は、私の脳を揺らし、ホルモンを乱す。最悪のタイミング。

 薬で周期の乱れ切った体は、動揺にたやすく反応する。それを押さえ込もうと薬を頼れば、乱れは酷くなる。それでもやめられない。やめるわけにはいかない。

 酷い倦怠感に、足は力が抜けそうになる。立っているのもやっとだ。それでも私は後ずさり、西住ちゃんから距離を取る。少しでも距離を開けないと、西住ちゃんまで辛い思いをすることになる。

 

 震える手でポケットをあさり、ピルケースを開いては、中身をこぼしながら錠剤を口に放り込み、噛み砕き飲み下す。用法容量をまるきり無視してるけど、水を汲んでくる余裕なんてない。

 医師の処方箋が必要な強い薬だが、経口摂取は聞くまで時間がかかる。とっととインスリン注射器みたいのを出してくれればいいのに。

 

 ああ、くそ。

 間違ってる。

 すべてが間違ってる。

 こんなの、ひどい間違いだ。

 

 ヒートの熱にうかされながら、私はそれでも自分の足で立ち、西住ちゃんを睨みつけた。

 

「アルファなんて、だいきらいだ」

 

 アルファだから。オメガだから。

 そんなことを言う奴はみんな死ねばいい。くたばってしまえ。

 私の身体が小さいのはオメガだからじゃない。ごめんねなんてお母さんにだって言わせない。オメガに産んでごめんねなんてそんなこと言わせない。言わないで。

 オメガが劣ってるなんてのは迷信だ。いくらでも証明してやる。

 

 オメガだからできないと思われるのが甚だ腹立たしかった。実際にできないとなると心底腹が立った。

 なんでもアルファより卒なくこなしてやるという意地があった。無理難題でもどうにかしてやるという無鉄砲があった。どうせオメガなんだからと言われるのが無性に許せなかった。

 そしてそんな荒々しい気性をさらすのも恥だった。

 涼しい顔で飄々とこなして見せたかった。余裕がないとは、思われたくなかった。

 

 でも実際、私には余裕がなかった。

 荒波に独りマストを支えるような心地でもあった。

 折れてしまえばと時折泣きたくなる時もあった。

 座り込んで、立ち上がれなくなるのではと思うこともあった。

 

 一つ荷を下ろすだけで、生きるのが楽になると知っていた。

 オメガだからと一言言うだけで楽になると知っていた。

 でもその一つを下ろしてしまったら、積み上げてきた全てを崩してしまう。

 私が私でいられなくなってしまう。

 それだけは、どうしてもごめんだった。

 折れたくなかった。曲げたくなかった。

 折られたくなかった。曲げられたくなかった。

 

 どれだけ、生きるのが辛くても。

 

 私が生まれてきたことが、私がオメガとして生まれてきたことが、間違いだというならば、この世界こそが間違いだ。この世界の全部が間違いだ。

 

 アルファに発情なんてしたくなかった。

 アルファに見下されたくなかった。

 アルファと番いたくなかった。

 運命に屈したくなかった。

 隷属したくなかった。

 

 私は、ただ私でいたかった。

 誰が否定しても、諦めろと言っても、認めたくなかった。

 当たり前のことを、当たり前のように欲した。それだけだった。

 それだけのことが許されないというのなら、私は戦わなければならなかった。

 

 どれだけ愛しく思っても、私はアルファを受け入れられない。

 

 ああ。

 

 ああ!

 

 ああ! そうだ! そうだとも!

 私は彼女を、君を、好ましく思っていた。愛しく思い始めていた。絆されていた。

 逆境にめげず、仲間と支え合い、努力を怠らず、才能に驕らず、過去にくじけず、未来に希望を抱き、苦しみを知り、楽しみを笑う、そんな彼女を眩しく思っていた。

 

 そして羨ましかった。妬ましかった。

 ずるいと思った。なんでと。どうしてと。

 私が得られないものを、アルファなら簡単に得られるのかと。

 

 眩む視界の中、呆然とする君を見て、泣きたくなった。

 私はただ、隣に立ちたかった。

 高くも低くもない、同じ高さに立って、微笑みを分かち合いたかった。

 ただそれだけが、許されなかった。

 

 私がオメガだったから。

 

 

 

 

             ‡             ‡

 

 

 

 

 目を覚ました会長さんは、少しの間ぼんやりと天井を眺めて、それからそばに座る私を見つけてベッドから転げ落ちそうになった。

 慌てて捕まえた体は、小さくて、柔らかくて、でもドキドキしようにも盛大に暴れるのでそれどころじゃなかった。野良猫を無理に捕まえようとしたら、こんな感じかもしれない。

 

 私が距離を取って椅子に座ったところで、ようやく会長さんはベッドの反対側に縮こまった。制服も乱れてしまって、なんだか私がひどいことをしたみたいでとても困る。

 会長さんがきょろきょろとあたりを見回すので、立ち上が――ろうとしたらすごい目で見られたので、ベッド横のサイドテーブルを指し示した。そこに置いておいたスタンガンを抱きしめて、ようやく会長さんは少し落ち着いたようだった。

 

「……どれくらい気を失ってた?」

「一時間はまだ経ってないですよ」

 

 会長さんはそれを聞いて、少し安心した様だった。時間が短いことにと言うより、さっき飲んだ抑制剤が回るには十分な時間だからかな。錠剤は大体十五分から三十分くらいで効くので、ヒートの前兆を感じたらすぐ飲まないといけないし、それでもちょっと間に合わない。

 

 私は落ち着かない様子の会長さんに手鏡を渡した。それから、ゆっくりと時間をかけて、鏡を手に後ろに立ってあげた。会長さんはちょっとのあいだ戸惑って、手鏡の中で乱れた服装の自分に気が付いて、慌てて首筋やうなじを確かめた。危機感があるんだかないんだか。

 

「……噛まなかったんだね」

「噛みませんよ」

 

 オメガのヒートは、そのフェロモンは、アルファにとってはてきめんだ。ベータにとっても抗いがたい。発情し、欲情し、そして首筋を噛むことでアルファとオメガは番になる。番になればフェロモンが変質し、他者に影響を及ぼさなくなる。

 それを運命の関係などという人もいるけれど、それはようは呪いだった。

 

 発情したアルファはほとんどの場合自分を制御できない。自分を制御できないアルファを、腕力で劣るオメガが阻止するのはほとんど不可能に近い。会長さんのように、自衛用の武器を持つことはとても効果がある。それでも安全ではないけど。

 オメガにとってはレイプされるようなもので、その上その関係は覆しようもなく、生涯続く。抗えない相手に、組み敷かれる人生が。

 

 でもこの()()は、オメガばかりの悲劇じゃない。アルファにとっても、それは人生を左右する大問題。意図せぬ相手と番ってしまったアルファからすれば、それはオメガに誘惑されて強制されたようなものだ。

 

 アルファが悪いとか、オメガが悪いって話じゃない。

 これはどちらにとっても悲劇なんだ。

 どちらもが加害者で、どちらもが被害者。

 だからこそ自制と自衛が必要だし、きちんとした意識を持つことが大事。でも教育はそこまで踏み込んでいないというのが実情で、現代は原始時代なんだよと嘆く活動家の言葉が思い出された。

 

 私から警戒の目を離さない会長さんだけど、周囲を確かめたり、会話する余裕はできたみたい。

 なので不安が少しでも減ればと思いながら、状況を説明しよう。

 

「ここは学校の保険室です。先生はオメガに理解のあるベータで、この部屋はオメガ用のカギのかかる個室です。あと……あ、ピルケース拾っておいたんですけど、中身は副作用の強いお薬でしたね。胃壁荒れてると思いますので、スクラルファートを処方してもらいました。サイドテーブルにぬるま湯もあるので、飲んでおいてくださいね。えっと、汗かいてましたけど、拭いてません。あとでシャワー室を借りてください。これもオメガ用です」

 

 何か質問はありますか、と聞いてみると、会長さんはなにがなんだかっていう顔で少しのあいだ考えて、まずこう言った。

 

「西住ちゃんが運んでくれたの?」

「はい。河嶋さんたちを呼んだ方がいいかもと思ったんですけど、会長さんは心配かけたくないだろうなって思って」

「……西住ちゃん、ずいぶんオメガに詳しいんだね」

 

 疑うみたいな目付きに、なんだかおかしくなって苦笑いしちゃう。

 

「黒森峰はアルファ社会で、オメガは差別対象、ですか?」

「……別に、黒森峰だけを批判するわけじゃないけどね」

「いいんです、間違ってませんから。でも、黒森峰にも、オメガはいたんです」

「えっ」

「文科省の指示で、入隊させないといけない枠があるんですよ。それに、親のコネとか。大抵は、整備とか、特別班とかいう建前で、一つに固められてましたけど」

「ブラックに磨きがかかった話じゃん……」

 

 げんなりしたような呟きに、確かにと頷いちゃう。

 露骨なまでに露骨な差別だって、私も思う。

 でも同時に、区別だっていう気持ちもある。

 

「実際、その方がオメガにとっても楽なんですよ」

「……へえ?」

「戦車が好き、戦車道が好きだけど、でもアルファと一緒の戦車に乗るのって、怖いですから。それに、アルファもオメガが怖いんです」

「怖い? アルファが?」

 

 アルファのくせに、とでも言いたげな言い方。

 確かにオメガから見れば、アルファは一方的な災厄だ。

 でもアルファにしても、オメガは面倒な災害なんだ。

 

「狭い車内でヒートが起きちゃったら、アルファもオメガも自衛なんてできないんです。耐えられない。オメガが首にプロテクターをつけたり、アルファが口枷をつけたりしたこともあったんですけど、そうしたらPTAや戦車道連盟に差別だって言われたらしいんですよね。お互いを護るためにやったのに」

 

 それに、そうした事故防止策をとっても、ヒート状態に陥ったらまともな思考なんてできないから、文字通りの事故も起きる。戦車の事故だ。転倒すればそれまでだけど、アクセル踏み込んで暴走したり、あらぬ方向に砲撃したりなんてことも起こりうる。

 ただでさえ危険な戦車道に、そういった不安定な要素を受け入れる余裕はなかった。

 

「世間は抑制剤を飲めば、なんて言いますけど、抑制剤は絶対じゃない。抑えきれない時もあるし、飲むのが間に合わない時もある。体質で効きの良し悪しもあるし、保険が利くとは言っても安いものじゃない。効果の強いものは副作用も強い。常用することで、身体に影響も出ます」

 

 平等は素晴らしいことだ。

 第二性の差別がなくなれば、自由を感じる人もいるだろう。

 でも、無責任にただ平等を謳うのは、単なる悪平等を敷くだけのこと。

 差別撤廃を叫ぶ人たちが、一番差別意識をもってしまっていることだってある。

 

「私がいたときにも、番になっちゃった子たちがいたんです。仲のいい友達で、内緒で一緒の戦車に乗ってみたりして、それで。それで」

「……それで?」

「噛んでしまったんです。ヒートになって。こらえきれなくなって。泣いてました。ずっとずっと泣いてました。ふたりとも、ごめんねって。戦車隊にはいられなくなりました。私たちは続けてほしかったんです。番になったらヒートも他に及ばないし、二人とも本当に戦車が好きでしたから。でも全然関係のない人たちが言うんです。未成年の無責任な交遊だとか、若者の性の乱れだとか、第二性対策が杜撰だったんだとか。はは。私、覚えてるんですよ。その人たちがプロテクターや口枷を差別だって止めさせたの。同じ口でそんなことを言うんです。二人とも戦車道をやめて、学校もやめさせられてしまいました。離れ離れにさせられそうになって、そこで何度も説明してようやく番がどういうことなのかはじめて知ったような人たちさえいて、信じられませんよね、いまはどうしてるんでしょう。アドレスさえ、私知らなかったんです。副隊長だったのに」

 

 戦車が好きなんです、ずっと二人で戦車に乗ろうねって言ってたんです、憧れの黒森峰に入れて本当によかったって、そう言っていた二人の顔をよく覚えている。私は二人を護れなかった。

 

 少しの間、嫌な沈黙が流れてしまって、私は努めて明るい声で笑ってみた。裏返って変な声が出たりして、なんだかかえって白けた。

 

「会長さんは、アルファが嫌いなんですね」

「……うん、まあね。まあ、いまの話聞いて、アルファばっかりが悪いんじゃないって、ちょっとは思ったけどさ。でもまあ、それでも、アルファは恵まれてるじゃん。努力すれば、見返してやれるって頑張ってきたけどさ、西住ちゃん見てると、苦しくなるよ。嫌な奴ならよかったのに、傲慢なら救われたのに、普通にいい子だし、可愛いし、才能があって、みんなに信頼されてて……」

「えへへ。可愛いとは思ってくれてるんですね!」

「いやそこ反応されてもなあ」

 

 いいえ、そこは反応するところ。

 私はなんだかうれしくなってしまって、でもそれから少し困ってしまって、なんだか半端な顔になってしまった。

 

「会長さんは、オメガだからって言われるのが、嫌だったんですね」

「……うん、そりゃ、ね」

「でもそういう会長さんが、一番オメガを差別してるんじゃないですか?」

 

 ぎゅっと眉が持ち上がって、ものすごい目で睨まれてしまったけど、怖くはない。

 だってそれは図星をさされて後ろめたい顔だから。

 

「オメガだからって、本当は、会長さんが自分で一番思ってたことでしょう。オメガだから頑張らなきゃいけない。オメガだから見下される。オメガだから、」

「――オメガだから、お母さんは悲しい顔をするんだ」

 

 会長さんはそっと目を伏せて呟きました。

 

「私は、可愛そうな子なんだってさ。オメガなんかに産んでごめんねってさ、そう言うんだ。私は、私はさ、産んでくれてありがとうって、そう思うんだ。でも誕生日にね、おめでとうより先に、ごめんねって言われるんだ。ごめんね、お母さんが悪かったねって。

 お母さんが正しいなら、私が間違ってる。私が正しいなら、お母さんが間違ってる。

 お母さんを否定したくない。でも、私は私も否定したくない。

 ただ私でいたい。それだけ。それだけなんだ。

 ひどい間違いだよね。本当にひどい間違いだ。

 私は、生まれてきたこと自体が、」

「間違いなんかじゃない」

 

 間違いだよ、間違いなんだ、そう続ける会長さんの手をそっと握る。

 小さい手だった。でもそれは頑張る手だった。頑張ってきた手だった。

 それが間違いだったなんて、誰にも言わせやしない。会長さん自身にだって。

 

「アルファがいて、オメガがいて、それは、変えようのないことです。でも間違っているとしたら、それは誤解なんです。よくわかっていないだけなんです。優れたアルファや、劣ったオメガなんて、迷信なんです」

「でもそうじゃないか。私たちは平等なんかじゃない」

「会長さんは、私のことを褒めてくれましたね。普通にいい子だし、可愛いし、才能があって、みんなに信頼されてるって。それって、アルファだからってことですか?」

「……そうだよ。神様はアルファにばかり二物も三物も与えるねって、」

「私、アルファだって言ったことありませんよ」

「………………はあ?」

 

 私はポケットからピルケースを取り出して、開いて中の錠剤を見せた。

 私のは会長さんのように強いのじゃあなくて、薬局で買えるやつ。半分はお腹に優しい成分で、副作用も少ない。

 

「黒森峰にも、オメガっていたんですよ。親のコネで入る子とか」

「えっ………………えっ!? いや、えっ!? 副隊長!?」

「元、ですね」

「いやだって、黒森峰の副隊長が!?」

 

 黒森峰の戦車隊に入ったのも、副隊長に任命されたのも、西住流の娘で、お姉ちゃんの妹っていうコネがあったのは確かだ。オメガだってことは車長クラスしか知らせてなくて、箝口令も敷かれてた。

 でも、副隊長として重ねた実績は、全部私が自分で築き上げたものだ。全部全部、私が自分の努力で勝ち取った、私自身の本物だ。

 私の成功も、私の失敗も、全部全部、私のものだ。私だけのものだ。

 

 お姉ちゃんはいつだって私を心配してくれたし、庇ってくれたけど、依怙贔屓で副隊長をやってたわけじゃない。お母さんは辛かったら西住流なんて、戦車道なんてやらなくていいって言ってくれたけど、それでも私は私が好きだから戦車に乗ってきた。

 そりゃ、へこむこともあるし、もうしんどい、って休むこともあったけど、でもそれは私がオメガだからじゃない。私が一人の私として、悩んで、迷って、歩いてきたからだ。

 

「アルファたちの中で、オメガの私が頑張ると、アルファの人たちが大変でした。なにくそって変に焦ったり、アルファなのに自分はダメなんだろうかって落ち込んだり、それにうっかりヒートに入っちゃうと大事故だし。面と向かって辞めろって言われたこともあります。でもその度に、あの言葉を思い出していたんです」

「……戦わない自分は自分じゃない、ってやつ?」

「いえ、『You move、そっちがどけ』って」

「キャップじゃん!」

 

 会長さんは、そこでようやく笑ってくれた。笑って、笑って、それから、ちょっと泣いた。

 

「はー……そうだよね。うん。西住ちゃんは、自分の力で、頑張ってきたんだもんね。自分で、自分の力で、自分らしく。それじゃあさ、結局、私は、私はさ、足りなかったんだよね。私はオメガだからじゃなくて、ただ、ただ私だから、だめだったんだね。私が、角谷杏だから、」

「あなたに足りないのは――自信です!」

「……ごめん、なんかのCMネタかなんか?」

「ちっがーう、違います。自信ですよ、自信」

 

 ネガティブまっしぐらに沈み込もうとする会長さんだけど、ちょっと理想が高すぎるんじゃないかな。

 

「あのですね、差別とかなんとか話をした後に言うのもなんですけど、私、会長さんのこと、アルファだと思ってたんです」

「ええ?」

「生徒会長で、黒幕っぽい感じで、部下を顎で使って、飄々とした態度でやる時はやるって、どう見てもテンプレートなアルファですし、よく知ったら普通にいい人ですし、可愛いですし、才能がありますし、可愛いですし、みんなから信頼されてますし、可愛いんですから!」

「可愛いが三倍になって返ってきた!?」

「会長さんが隠してるのもありますけど、みんなアルファだと思ってますよ」

「ええ……?」

 

 それは、完璧ではないかもしれない。

 至らないところもあるかもしれない。

 でもそれはアルファだってそうだし、ベータだってそうだ。オメガだって、そう。

 第二性がどうのっていうことじゃあ、ないんだと思う。

 会長さんが頑張ってきたのは、オメガだからって言われるのが嫌だったからって言うのもあるんだろうけれど、でもそれは会長さん自身が真面目で、繊細で、努力家だったからだ。

 誰も反発心だけではやっていけない。

 

 会長さん自身が、努力家で、諦めずに、頑張ってきたから、いまの大洗がある。

 会長さんがどうにかしようと思ったから、私がいて、みんなが集まって、本当にどうにかなってしまった。

 それは確かにみんなの力があってのことだけど、同時に、会長さんが頑張ったからでもあるんだ。

 

「だから、私は会長さんが好きなんです。好きになったんです」

「うぇあ……まだ言うの?」

「何度でも言います! 私が好きになったのは、アルファでも、オメガでも、ベータでもなくって、会長さんなんです。私の好きな会長さんを、会長さんにも好きになってほしいです」

「うう……なんか変なこと言ってる」

 

 会長さんは手の中に握ったままだったスタンガンのスイッチを入れたり切ったりと物騒な方法でもじもじしたけれど、それがなんだかとてもいじらしくて、可愛らしくて、目が眩んじゃってるなって、思ったりもする。

 

「でもさ、オメガ同士だよ」

「アルファだからとか、オメガだからとかで好きになったわけじゃないです」

「でもほら……オメガの、しかも女同士だし、子供出来ないよ?」

「こど、っもは、まだ早いですし、子供がすべてじゃないです」

「えっと……それに、ほら、西住ちゃん優良物件なんだから、他にいい人がいるかもだし、」

「いま、私が好きなんです!」

「あと……あの……」

「……会長さんは、私がイヤですか?」

 

 会長さんは恨めしそうな目で、私を睨んだ。

 

「アルファ相手でもないのに、近くで告白されて、ホルモンバランス崩してヒート起こしちゃうんだよ」

「えっ」

「……ばか」

「会長さ――う゛っ」

 

 頬を染めて俯く姿に感極まって抱き着いたところ、鳩尾にジャストミートしたスタンガンで私の意識は飛んだのだった。

 

 

 

 

             ‡             ‡

 

 

 

 

 なにをどう取り繕おうとも、結局のところいまの社会でオメガって言うのは弱者だし、弱者を装った利権たかりだし、被害者だし加害者だ。噛まれれば終わりの身体的弱者でもあるし、噛ませれば相手が終わりの迷惑体質でもある。

 アルファにしろオメガにしろ、適当に番ってくれた方が世間の人々からすれば平穏この上ない、邪魔者でさえある。

 

 オメガ同士じゃあ番うこともできないし、オメガ女性同士じゃ子供を作ることもできやしない。

 結婚だって、アルファ-オメガ間と違って、この国の法律じゃ定められてないから、よくても一部の自治体のパートナーシップに頼るしかない。

 

 私たちの関係性は、肉体的にも、社会的にも、何ら保証されることがない。

 戯れを装って、気持ちばかりは悲しくなるほど本気で、互いの首筋を噛んだけれど、子供の遊び程度のものでしかないって、わかってはいる。

 誰かに奪われたらすべてが終わってしまう、儚いものなんだって。

 

 今日も私は彼女の首を噛み、彼女は私のうなじを噛む。

 君と番わない。

 君と番えない。

 

 それでも。

 それでも私は、私たちは恋をした。

 

 恋してる。

 

 恋していく。

 

 

 

 

 君と番わない、この日々に。

 

 

 

 

 



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