戦慄怪奇ピクニック ウラすぎ!   作:唐揚ちきん

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久しぶりの投稿になります。


ファイル10 神隠しきさらぎ駅伝説Ⅰ

 ……ああ、これは流石に死ぬかなぁ。

 綿飴みたいな入道雲がゆっくりと移動している青空を眺めながら、私はそんなことを思った。

 生温い水に身体を浸し、徐々に体温が奪われつつあるのが分かった。

 決して深い水底に落ちた訳でも、激しい激流に呑まれた訳でもない。

 水深は多分、三十センチもない。足が届かないどころか、普通に立っていれば、濡れるのはせいぜい膝下辺りの深さだ。

 それでも私はあと数分以内に溺死するだろう。

 身体が横たわった姿勢から動かない。仰向けになった状態で顎まで水に浸かっている。

 きっと、今の私を誰かが見たら、こう思うだろう。

 溺死体(オフィーリア)みたいだって……。

 意外にも私はこの状況に対する恐怖感は低かった。

 実感が薄いというか、他人事のように俯瞰した視点で眺めている。

 心残りがあるとすれば、それは彼女を……冴月(サツキ)にまた会えなかったことぐらいだ。

 私が本当に死んだら、一体どれくらいの人が悲しんでくれるだろうか。

 お母さんでしょ、次にママでしょ。それから…………小桜は悲しんでくれるかな?

 そのくらいかなぁ。大学にも友達は居なかったし、他に知り合いは居ない。

 思ったよりも盛り上がらない死への絶望に、絶望しかけていると近くの草むらが揺れた。

 それから水を踏むパチャパチャとした音が続く。

 この大きくて規則正しい音は、二本足で歩く足音だ。

 人間か、さもなくば、さっき見た“気持ち悪いアレ”だ。

 でも裏世界(こっち)に人が居る可能性って大分、低いから多分アレだろうな。

 トドメでも刺しに来たのか、捕食でもする気なのか。

 溺死で死ぬのとどちらがマシだろうか、なんて私が考えていると水音がすぐ近くまでやって来る。

 

「何、やってんだ。お前」

 

 黒いスーツ姿の男が仰向けで水に浸かる私を見下ろしていた。

 私と同じく金髪ではあったが、頭頂部が黒く、俗に言うプリン頭になっている。

 金色に染めた黒髪の根元が伸びるせいで、上の方が黒くなっていってできるらしいが、生まれつき金髪の私には馴染みがない。

 髪の長さは男性にしては長めだが、目に掛からないようにちょうどセンターで綺麗に分かれていた。

 第一印象としては柄の悪いホストか、美形のチンピラといった感じだ。

 

「普通に死にかけてる」

 

「あ、そう」

 

 正直に答えたら、黒スーツの男はポケットに両手を突っ込んだまま水音を立てて、さっさと通り過ぎて行こうとする。

 

「あー、ちょっとちょっと」

 

「……何だよ?」

 

 鬱陶しそうにそう聞き返してくる。

 凄いな、この人。私の状況を見て、平然と見過ごそうとしている。

 ひょっとして、死に際の私が見ている幻覚なのかも……。

 

「早く要件言えよ。俺も暇じゃないんだから」

 

 あ、違う気がする。こんな傍若無人な物言いは私の中からは生まれて来ない。

 取りあえず、助けを求めてみる。

 

「身体が動かないから助けてほしいんだけど……ダメ?」

 

「あー。お前、こっちで何か触ったな? もしくは見たか、聞いただろ?」

 

 ポケットから両手を出しながら、ダルそうに尋ねて来る。

 左手だけに嵌めていた黒い手袋を外すと私の方に伸ばした。

 その手を掴んで立ち上がりたいのは山々なのだけど、やはり手足は麻痺したように動かない。

 

「あの、腕動かないから手を伸ばされても意味ないんだけど」

 

「黙ってろ」

 

 伸びた指が私の顔のすぐ前に伸び、視界一杯に広がる。

 何をする気なのかと叫ぼうとして、彼の指が私の視界の奥まで刺さる。

 

「え……えっ!?」

 

 指が私の眼球に刺さっている。

 痛みはない。ただ視界の奥に何か異物が差し込まれたような奇妙な違和感だけがあった。

 何も見えなくなった暗闇の中で、低い黒スーツの男の声が聞こえる。

 

「あった。こいつか」

 

 私の視界の奥から何か引き抜かれる感覚がして、視力が戻る。

 ――痺れが消えた!

 身体中にあった痺れが綺麗さっぱり消えてなくなり、手足が動くようになった。

 大きく水飛沫を飛ばして、水底に腰を付けて上体を起こす。

 男が湿った左手を開いて、私に見せた。

 

「これ、お前の中に入ってた奴」

 

 手のひらには半透明なガラス細工の枝のようなものが乗せられていた。

 よくよく見ると、その半透明な枝はピクピクと小刻みに(うごめ)いている。

 気持ちが悪い。これは生き物……?

 

「うぇっ、それ何?」

 

「さあな。お前の中に潜り込んでたのは確かだ」

 

 ゴミでも放るように近くの草むらにそれを投げ、左手を軽く振るって水気を払った後、黒い手袋を嵌め直した。

 私はしばし呆然としてしまったが、彼が自分を助けてくれたのだと思い直し、お礼を述べた。

 

「ありがとう。お陰で身体が動くよ」

 

「で、お前、何をやった?」

 

 私の感謝など意にも介さない様子で再度尋ねる。

 小桜には「お前は人の話を聞かない奴だ」と度々怒られたが、この人は私とは比べ物にならないほど話を聞いてくれない。

 仕方なく、私は先ほどあったことを簡潔に話した。

 

「こっちに来たら、何か白くて、くねくねした気持ち悪いのに()って……それを見た途端、目の前がぐにゃってなって、気付いたら身体が動ない状態で水の中に浸かってた」

 

 黒スーツの男はそれだけ聞くと、急にそっぽを向いて、その先を顎で差した。

 立ち上がった私はそちらの方を向いた。

 その瞬間、鼻腔に強烈な生魚のような臭いが飛び込んで来る。

 ……この臭い。さっきも嗅いだアレの臭いだ。

 嫌な予感通りに数メートル先の草むらに、縦に引き延ばされた蠢く人型が居た。

 煙草の煙のような濁りのある白一色で統一され、絶えず陽炎のように揺らめいていた。

 踊っているように、苦しんでいるように、身を捩り、変形し続ける不定形のソレ。

 視界に入れた時、かつて味わったような途方もない気持ち悪さが私の中に雪崩(なだ)れ込む。

 

「うっ……やば」

 

 見たくもないし、知りたくもないのに目が離せなくなる。

 意識がぼやけてくるのに、アレについてもっとよく考えなければいけないという意識が強まっていく。

 

「あんま、見るなよ」

 

 その声にハッと正気に戻った私は焦点をスーツの男へ向けた。

 彼は両手を緩く丸めて、おにぎりでも握るような形を作り、口元へと持っていく。

 フーっと形の良い唇から手の隙間に息を吹き込んだかと思うと、野球のピッチャーのようなフォームでその握った手の中のものを揺らめく白い人型に投げる。

 当然、形のあるものを投げた訳ではないので、何かが放物線を描くことはなかった。

 しかし、次の瞬間、ガラス窓が石で割られたような激しい音が響く。

 白い人型は砕け散って、跡形もなく消え失せていた。

 

「えぇ? な、何やったの?」

 

「あ? 見て分からねぇなら、口で言っても分からねぇよ」

 

 黒スーツの男は答えにならない答えを返して、人型が消えた場所まで歩いていく。

 草むらを掻き分けて、銀色の何かを拾い上げた。

 最初に見た時は球体かと思ったけれど。よく見れば多面体だった。

 凧形(たこがた)二十四面体。

 冴月にいくつかの多面体のサイコロを見せてもらった時に教わったから知っている。

 確か、冴月はこの多面体の別名をトラペゾヘドロンと呼ぶのだと言っていた。

 銀色の凧形二十四面体は鏡のように空に浮かぶ雲や色あせた草むらを反射していた。

 

「面白れぇな。認識の狭間に根を張るのか。こいつは」

 

 指先で挟んだ二十四面体を眺めながら、黒スーツの男はそんなことをポツリと漏らす。

 意味はさっぱり理解できなかったが、彼にはあの白い人型の正体が分かったのだろう。

 

「私、仁科(にしな)鳥子(とりこ)。あなたは何者なの? 名前は?」

 

 思い切って私は聞いてみた。多分、こういう風に聞かないとこの人確実に自分から名乗らない。

 少なくとも偶然、この裏世界に迷い込んだ人間というよりも何らかの特別な知識と力を備えた存在に思えた。

 

「俺か? まあ、霊能者って奴だ。名前は好きに呼べよ。シャアでも田中でも」

 

「いや、好きに呼べって言われても。大体シャアって……何?」

 

 霊能者らしいこの黒スーツの男は、どうにも本名を明かしたくはない様子だ。

 でも、私が困っていると彼は面倒そうに付け足した。

 

「じゃあ、“ネオ”でいいよ。前はそう名乗ったし」

 

 ようやく、名前を聞かせてもらえたが、これも間違いなく偽名だろう。

 ただ、シャアとか田中よりは妙に彼の風貌に似合っていると思った。

 

「それより、お前はどっからこの場所に出たんだ」

 

「私は神保町の雑貨ビルだよ。そのエレベーターで特定の手順でボタンを押すとこっち側に来られるの」

 

 これも冴月から教えてもらったことだった。

 裏世界について研究をしているらしい冴月が、その一環として私を連れてフィールドワークを行なっていた時に教えてもらったのだ。

 他にも行き方があるのかもしれないが、少なくとも私は知らない。

 

「ふーん。ここから遠いのか?」

 

「ここからだと、結構距離あるかな」

 

「じゃあ、いいや。こんな場所、歩き回りたくねぇ」

 

 水に浸かった足元を見て、ネオさん(仮名)は不機嫌そうに口の端を曲げた。

 あの気持ちの悪い人型と遭遇したくないからではなく、単純に靴やズボンをこれ以上汚したくないという意味合いだろう。

 多分、またアレと出遭ってもこの人ならさっきみたいに平然と対処できるだろうし。

 

「……俺は探知とか空間転移とかはそういうの苦手なんだが。あ、お前にやらせっか」

 

「え、何を?」

 

「いいから俺の言う通りに動け」

 

 傲岸不遜が服を着たような人ってこういうのを言うんだろうな。

 普段なら見ず知らずの赤の他人がこんな風に威圧してくれば、不快に感じるはずなのに、ネオさんに言われてもあまり腹は立たなかった。

 口調も見た目も性別さえも違うのに、そういう自分勝手で何物にも屈しない部分が冴月を思い起させるからかもしれない。

 

「で、どうすればいいの?」

 

 ネオさんに指示を仰ぐと、彼は次のように答えた。

 目を瞑り、元居た場所(この場合は神保町だと思う)を想像すること。

 想像は具体的なイメージを固めて、可能なら音や匂いまでも思い出すように言われた。

 

「後は?」

 

「息を吸い込んでから、指先で空間を掴んで思い切り、横に引け。そうだな……イメージ的にはカーテンでもを開く感じだ」

 

「はいはい。……本当にこんなので何か起きるのかな?」

 

「無駄口叩くな」

 

 目を瞑ったまま、小さくぼやくとネオさんの叱責が飛んで来る。

 ひょえー……地獄耳。

 右手で虚空を摘まもうとして、ネオさんの声が聞こえた。

 

「おい」

 

「どうかしたの?」

 

「利き手は右か?」

 

「そうですけど」

 

 私は右利きだ。昔、ママが便利だからと両利きに矯正しようとしてくれたが、結局は右利きのままだった。

 

「だったら、左手にしとけ」

 

「利き手じゃ駄目なんだ?」

 

 そう言えば、この人も片方だけに手袋を嵌めているが、それと何か関係しているのかな。

 

「そうじゃないが、普段使いしてる方だと日常生活で間違えて“使っちまう”かもしれない」

 

「よく分かんないけど、取りあえず、左手でやるよ」

 

 頭の中で神保町の景色を思い出す。

 まず思い出すのが交通道路だ。それなりの人通りがあって、喋り声や車の排気音が騒がしくて、実はあまり好きな街じゃない。

 左手の人差し指と親指で虚空を摘まむように曲げる。

 それから息をスーっと吸い込んで……。

 

「えいっ!」

 

 カーテンの布を開くように横に引いた。

 次の瞬間、想像していた都会の喧騒が実際に耳から流れ込んで来た。

 驚いて、目を開くと私は車道の真ん中に立っていた。

 背の高い草むらも、膝下まである水嵩(みずかさ)の水もない。

 踏んでいる地面も抜かるんだ泥ではなく、固く安定感のあるコンクリートだ。

 本当に神保町に移動したの……?

 あまりの驚きに声すら出ない。

 状況が掴めず、困惑していると、こちらに向かって走行していた白いハイエースが私のすぐ前で急停止した。

 運転席に座っていた髭面でソフトモヒカン頭のチンピラ風中年が怒号を上げる。

 

「お前ら、何やってんだよ! 危ねぇだろうがよぉ‼」

 

 今にも降りて来て掴み掛かってきそうな剣幕だ。その隣に眼鏡をかけた黒髪のショートカットの女の子が乗っている。年頃は多分私と同じ大学生くらいの子だ。

 結構可愛い顔立ちをしている。

 傍に居たネオさんはそれを煩そうに一瞥した後、私を置いてさっさと歩道の方へ歩いて行った。

 私はしばし周りを見回して、本当に私の知っている神保町だと確信する。

 とりあえず、無事に帰って来られたみたいだ。

 ホッと安心した私は去って行くネオさんの背中を追った。

 

「待ってよ、ネオさん」

 

 この人きっと、裏世界を探索するために必要な知識を持っている。

 そして、私は今回の件で一人で探索をするには危険過ぎる場所だと学んだ。

 冴月を裏世界で探すには絶対にネオさんの協力が必要だ。

 

 これが、私とネオさんの初めての出会いだった。

 




鳥子とネオさん編です。
取りあえず、ステーション・フェブラリーの話はこの二人が主役になります。
お金にがめつい二人は一旦お休みです。
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