「……って、ことがあったんだ」
小桜の家に顔を出しに行った後、軽く事のあらましを伝えたところ、バカヤローと罵声を浴びせられ、ビンタが飛んできた。
ビンタの方はひょいと首を逸らして避けると、「避けるな!」と更に怒られた。
大激怒を止め、多少落ち着いた小桜は大きく息を吐いた後、低い声で私に言う。
「……心配かけんなよ」
「うん。ごめん」
「……あたしはお前まで冴月と同じようになったら、って思って」
「ホントにごめんね。あと……ありがと。私のこと、本気で心配してくれて」
そう言うと小桜――私と冴月の共通の知り合いで、裏世界と認知科学を研究している学者の女性は、恥ずかしくなったのか不服そうに鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
背が低く童顔のため、そうやって子供じみた仕草をすると私よりも年下の少女に見える。
小桜は向いた先に私以外の客が居ることを思い出し、咳払いをしてそちらをまっすぐに向いた。
「あー……えっと何さんって言ったっけ? この馬鹿がお世話になったそうで本当にありがとうございました」
誰に対しても基本的に不遜な態度を崩さない彼女は珍しく敬語を使い、あまつさえ頭を下げた。
私が目を丸くして隣で見ていると、視線に気付いたのか小桜は椅子から腰を浮かせて、私の頭を掴んでお辞儀をさせようとしてくる。
「何見てんだ、あんたも頭下げろ」
だけど、身長が足りてないせいで伸びて来た腕は私の肩くらいの位置で右往左往していた。
「くっ、中身はガキの癖に身長ばっか大人びやがって!」
「ごめんごめん。この人はネオさんだよ」
「根尾さん?」
「違う、ネオさん。仮名らしいけど、そう名乗ってた」
来客用のソファに背中を丸めて、やや顔を俯けて座っているのはプリン頭の男、ネオさんを紹介した。
彼の表情は垂れた前髪で隠され、どんな顔をしているのか分からない。
取りあえず、付いて来てほしいと頼んで小桜の家まで引っ張って来たが、怒っているのか呆れているのかさえ判断が付かなかった。
「ネオさん……?」
声を掛けると俯いていたネオさんが僅かに姿勢を正した。
前分けヘアーの中央から鋭い眼光が小桜を捉える。
「…………」
小桜は威圧感に気圧され、表情を硬くした。
私よりは幾分マシだが、小桜も小桜であまり社交的な方ではない。
まして男性の知り合いなど数えるほどしかいないと思う。
私が助けてもらった相手だと紹介しなければ、家にすら上げていなかったはずだ。
ネオさんはじっと小桜の顔を眺めながら、ぽつりと言う。
「その声。ひょっとして――〈夜桜お姉さん〉?」
その言葉を聞いた小桜はさっきとは少し違う様子でびくっとと身体を揺らした。
「〈夜桜お姉さん〉……?」
ネオさんの口から出た聞き覚えのない発言に首を傾げると、ちらりと視線を私の方に寄こす。
「人気バーチャルユーチューバーだ。主に突発で深夜に雑談配信してる黒髪で眼鏡を掛けた3Dモデルの」
「え? いや、バーチャルなんちゃらっていうのがまず知らないけどネットのアイドルみたいなもの……?。小桜は知ってる?」
硬直している小桜に尋ねると、抑揚のないぎこちない声で答えが返って来る。
「シラナイ……全然シラナイ……」
「小桜?」
目を合わせようとせず、そう呟く。
心理学に決して詳しくない私でも必死に誤魔化そうとしていると分かる動揺振りだった。
そんな小桜の態度に頓着せずに、ネオさんはスーツの懐から黒いスマートフォンを取り出して画面を見せる。
私でも知っている有名な緑色の枠の無料通話メールアプリが表示され、3Dイラストのスタンプ画像が並んでいる。
「メンバーシップ入ってる」
「げっ、初期に戯れで作ったスタンプ……てことは超古参の“ハナ民”かよ!」
「転生前から追ってた。あの最初の幼い感じのモデルの時から」
「……前世から追いかけてるとか……古参どころかガチ信者じゃねーか!」
急にテンション高めで突っ込みを入れ始めた小桜の豹変について行けず、私はぽかんとしながら尋ねた。
「あのさ、二人が何を言ってるのか、私何一つ分かんないだけど……取りあえず、その〈夜桜お姉さん〉って小桜のことでいいの?」
「うっ……」
小桜は心底嫌そうな表情をした後、諦めたように頷いた。
意外だった。
彼女がそんな活動をしているというのも初めて聞いたし、何より誰かにちやほやされたがるような人間だとは思っていなかった。
同時に私とそれなりに親しい人間が、私の知らない側面を持っていたことに僅かながら、ショックを感じていた。
……何だろう。別に好き好んで吹聴することじゃないけど、隠し事をされてたみたいで何かヤダな……。
私が少し複雑な顔をしていると、何を勘違いしたのか小桜は慌てた素振りで言う。
「あんた、後で絶対検索すんなよ! いいな!」
「あ、うん……」
「よし! ……おっほん。えっと、それでネオさん」
「何だ? 〈夜桜お姉さん〉」
「その呼び方止めてください。あたしのことは小桜でお願いします」
「分かった。あとでサインもらえる?」
引きつった笑みを浮かべ、コクコクと頷いた小桜は要求を呑み、再びわざとらしい咳払いをした。
表情をいつものダウナー気味のものに直すと、ネオさんに問いかける。
「それでネオさんは……裏世界で鳥子を助けたそうですけど、向こう側を研究しているんですか?」
その問いかけにネオさんは首を横に振った。
「いや、全然。あそこに居たのは……たまたまって奴? ま、面白れぇ場所だとは思うけど」
「偶然裏世界に入った人間がこっちの世界に戻る方法なんか知らないと思いますが……」
小桜の視線が私の方に向く。
私もその小桜の意見に同調して発言する。
「そうだよ。向こうに居た化け物もよく分からない方法で倒しちゃうし、私をこっちの世界に戻してくれたのもネオさんでしょ?」
「あれはお前にやらせただろ」
「いや、その方法を教えてくれたのネオさんだから。あのゆらゆらした半透明の奴も銀色の多面体に変えちゃうし」
「銀色の多面体?」
小桜が話に割って入る。
ソファに座るネオさんはまたスーツの懐を探ると、話題に上がった銀色の凧型二十四面体を小桜の前に差し出した。
「どうも……」と軽く頭を下げた小桜がそれを受け取る。
「……こいつは〈鏡石〉か。こんな大きくて、複雑な形のものもあるのか?」
驚いた様にしがしげとその銀色の多面体を眺める小桜だったが、私は彼女の発言が気になった。
「小桜。〈鏡石〉って何でもう名前が付いてるの? それにまるで似たものを見たことがあるような口ぶりだけど」
「ああ、そういえばあんたは知らなかったな。あんた以外にも裏世界に進んで入る奇特なこと考えてる連中が居てな。ほら、例のあの冴月が映ってたビデオ映像取ったって奴ら。そいつらがあたしの知り合いのとこにこれと同じ材質のものを売りつけたらしくてな。これよりも二回りくらい小さくて、六面体だったけど」
「ええ……何それ、聞いてないよ」
不満げに口を尖らせると、呆れたように小桜が返す。
「あの映像を見せた時、『やっぱり冴月は生きてるんだ!』とか目を輝かせて、そのまま飛び出して行っただろーが」
「いや、だって。あんなビデオテープ見せられたら、普通はそう思うでしょ?」
「あんたは直情的過ぎるんだよ。餌を与えられた犬か」
「ひどーい」
まあ、実際あの時は私も普通じゃなかった。
小桜がこの家に呼び出したかと思うと、「向こうで撮影したビデオカメラに冴月が映っていた」なんて聞かされたのだ。
最も映っていた風景はどこか安っぽく、冴月が喋っていた内容はあまり意味が解らなかった。
『……
聖の丘……それが裏世界の地名なのかさえ私には分からなかった。
ただ、冴月が生きてる。それだけ解れば探しに行くには充分過ぎた。
最も浮足立った結果が溺死一歩手前だったけれど。
「ん!? 何だ、これ。あたしの知ってる〈鏡石〉と全然違うぞ……」
渡された凧型二四面体の〈鏡石〉を弄り回していた小桜は急に声を潜めて、眉根を寄せる。
「違うって、形が?」
「いや、そんなレベルじゃない。あたしが見せてもらった〈鏡石〉は六面がすべて鏡面になっていた。でも、そこに
私が覗き込むと銀色の凧型二十四面体には――光がシルエット状に映っていた。
鏡のように部屋の風景を映しながらも、赤いぼんやりとした光が、まるで人影のように……。
そこまで考えて、気付いた。
「この赤い光って、ひょっとして私たち……?」
私が誰に尋ねるでもなく漏れた呟きに小桜が頷いた。
「あんたが襲われたって言うのは例の映像撮った奴らが出会ったっていう『くねくね』って奴だと思う。話を人づてに又聞きした内容での考察だから確証はないけど、聞いた限りは“人間の視覚を経由して人間の内側に入り込もうとする”存在みたいだ。つまり、認識して理解すると動けなくなるか、正気を失う」
小桜の仮説に思い当たる節があり、声に出さないまでも同調した。
私が動けなくなったのもあのくねくねした化け物を目にして、理解しようとしてしまったせいだ。
「くねくねが認識の中へ入り込むと、くねくねとその人間が接触する界面が生まれる。件の撮影した連中は一人が認識して、もう一人が……何か良く分からん〈呪いの髪飾り〉とかいうので殴ったそうなんだが、そこで認識した奴の界面が破壊され、結晶化して〈鏡石〉になった」
「えーと、つまりその壊されて固まった“認識の界面”、っていうのが〈鏡石〉なの?」
「なのかもしれないって話だ。あくまで一考察だ。だとすると、私たちが光のシルエットとして映り込むのは……」
小桜が視線をネオさんに向ける。
私も小桜が言おうとしていることが分かった。
この〈鏡石〉はネオさんの認識の界面なのだ。
その人の映らない六面体を作った人は、もしかしたら人が嫌いだったのかもしれない。
ならば、人が光として映り込むネオさんの認識は……一体何を表しているのか。
自分のことを霊能者だと名乗ったこの人は、本当に私と同じ人間なのだろうか。
分からない。
あのくねくね以上に、彼のことは何も知らない。
もしかしたら、裏世界の存在なのかもしれない。
小桜もそれを案じているのだろう。
彼を見る目付きに恐れの色が見て取れた。
でも。
「大丈夫だよ、ネオさんは」
「鳥子……」
心配そうな顔の小桜に私は微笑みを返す。
少なくともネオさんは私を助けてくれた。
それなら、私は信じる。
信じられる。
そう思って改めて、ネオさんを見つめた。
彼は自分の膝の上に肘を突き、組んだ手の上に顎を乗せていた。
閉じていた口を開き、小桜へと視線を伸ばす。
「それで、〈夜桜お姉さん〉のサインはいつもらえるんだ?」
ミステリアスで
小桜は『本当にこんな奴信じていいのか』という眼差しを私に向ける。
……大丈夫、だと思う、多分……。
段々自信がなくなってきたが、それでもこの人の力は本物なのだから。
しばらく間が空きましたが、何とか投稿できました。
ちなみに小桜がバーチャルユーチューバーをやっているというのは漫画版の巻末に載っている短編の設定なので、一応公式設定です。
ネオさんはアイドル好きの設定なので、小桜と絡ませるならこういう形にしようと前々から決めていました。