鬱蒼と生い茂る土手の上。
敷き詰められた砂利道の中央に取り付けられた線路道。
私とネオさんを追いかけてきた影がとうとう姿を現していた。
大きな木の枝のように広がった角。束ねた蔦を丸めたような頭。はち切れそうな筋肉で覆われた巨体。
分かり易いB級ホラー映画に出てくる怪物そのものが、そこに立っていた。
さっき見た四つ脚の機械や吠える顔とは違って、想像し易い暴力性が漂っている。
丸太ように太く分厚い腕や脚での殴打。もしくはヘラジカのような枝分かれした大きな角での刺突。
そういった物理的な攻撃をする存在だと思った。
『……………』
けれど、それは誤りだった。
私はまだこの世界に居る存在を理解し切れていなかったのだ。
角が、
「……え?」
硬質でその重量感さえも伝わってくるような枝状の角が。
海の底に生える海藻のように。風になびく湯気のように。
ゆらゆらと揺らめいた。
不定形に変容し、膨れ上がった枝状の角が夜の闇すら覆い尽くすかのように中空で広がっていく。
尋常ではない大きさの触手の群れが空間を占領している。それはイソギンチャクの画像を拡大して切り抜いたような、粗雑な合成映像のようだった。
グジョグジョと湿り気を帯びた耳障りな音が辺りに注がれる。
私の中で恐怖と生理的嫌悪と混乱が一気に膨張して────破裂した。
「嫌あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
絹を裂くような甲高い叫び。
自分の喉から流れ出ている悲鳴を、私の意識は他人事のように聞いている。
壊れた絶叫を上げている私と、それを冷静に認識している私。
異様な感覚。尋常ではない意識。
何これ……怖い。
怖い怖い怖いこわいこわいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワいコワい。
空間を侵食する大量の触手が雪崩れ込むように、視界で広がって……。
「面白れぇ」
いつの間にか、広がる
蝋燭を足元に立てると、ネオさんは左手の手袋を剥ぎ取り、迫り来る触手の枝角へ向けて掲げる。
「面白れぇよ。お前」
掲げたネオさんの手のひらから、真っ白く光るミミズを何百匹も絡めた塊のようなものが現れた。
発光してうねるその塊に、伸びて来ていた触手の枝角は吸い込まれていくように収束する。
「……ぅぅぅぅぅええええぇぇぇぇぇぇぇえええええええぇぇぇぇぇぇ……」
抑揚のある唸り声。
リズムはあるが、お経や聖歌のような意味のあるものはまるで含まれていない音の羅列。
だけど、その声が響けば響くほど、触手の枝角は発光する塊に呑み込まれ、ついには本体の巨体さえもひしゃげ始める。
「ぅぅぅぅぅぅぅえああああああああぁぁぁああぁぁ!」
叫びと共に光るミミズの塊が一際激しく輝きを放つ。
その瞬間、触手の枝角ごとひしゃげていた怪物は、排水溝へ流れ落ちる汚水のように呑み込まれた。
質量も何も関係なく、光の中へと吸い込まれていくと発光する塊もまた、役目を終えたためなのか、フッと消え失せる。
最初から怪物も発光する塊もなかったかのように薄暗がりが戻っていた。地面に立てられた一本の蝋燭の光だけがその場にただ残っている。
左手を降ろしたネオさんは珍しく疲労した様子で足元にしゃがみ込んだ。
ずっと口を閉ざして見ていた私はそこでようやく言葉を発せた。
「や、やっつけたの?」
「……見りゃ分かんだろ。いちいち、聞くな……」
気怠げな声は苛立ちよりも疲れの色が濃く聞こえる。やっぱり、今の怪物はさっきまでの奴よりもヤバい奴だったんだ……。
私はネオさんの傍へ寄って、顔を覗き込んだ。
蝋燭の灯りで照らされたネオさんは軽く息を切らしていた。
常人離れした体力を見せ付けていたあのネオさんが、ここまでへとへとな姿を見せるなんて想像もしていなかった。
「大丈夫? 顔色悪いけど」
「…………」
「ああ、見れば分かること。いちいち聞くなって? 分かったよ。じゃあ、もう聞かないから」
視線だけで大体言いたいことが分かってきた。
この人は基本的にぶっきらぼうで面倒くさがりなんだ。
仕方ない。こんな場所で立ち止まって休憩するのは少し不安だったけど、それでもネオさんが回復しないことには動けない。
私も蝋燭を挟んでネオさんの隣に座り込もうとしたその瞬間。
背後で砂利を踏む足音が聞こえた。
「……!」
それも一つや二つじゃない。
五人……いや、その奥も合わせると十人以上は居る……!
振り返った闇の中から、ぬっと姿を現したのはアサルトライフルを携えた兵士だった。
迷彩柄の軍服に緑のヘルメット。顔には暗視ゴーグルを装備している。
人間……? それとも姿だけ真似た怪物……?
「
英語で静止の警告を促したことで、私はその兵士たちを人間として対応することに決める。
「
返事を返したことで向こうもやや警戒レベルを下げたのか、銃口を向けたままだったけれど、さっきよりも近付いて来た。
「人間、なのか……? だが、人間にあのホーンドマンを撃破できるとは……」
兵士の内、一人がゴーグルを上げて私たちを疑うように見つめてきた。
金髪碧眼。明らかに欧米風の顔立ちだったが、口から出てきたのは何故か日本語だった。多分、私ではなく、ネオさんを見ての反応だと思う。ネオさん、金髪に染めてはいるけど、普通に日本人顔だし。
「中尉! あなたも見ていたでしょう。少なくとも男の方は手の先から得体の知れないものを放ってホーンドマンを倒しました! 明らかに人間じゃない! 撃ちましょう!」
「銃を降ろせ、グレッグ曹長! 化け物であれば、ホーンドマンと戦う必要はない!」
近付いて来た最初の一人……話を聞く限り“中尉”らしき兵士と、グレッグと呼ばれた曹長が口論している。
今度は早口の英語だったが、ネオさんにもある程度通じているのか、疲弊した顔で事の成り行きを黙って見ていた。
アサルトライフルの銃口がこちらを向いているのに、面倒そうな眼差しは相変わらずだった。状況説明や釈明をする素振りを一切見せない辺りが、かえって清々しい。
ここは私が何とかしないと……。
「私たちは人間です。東京の、新宿からここへ来ました」
日本語は通じるようだったが、念のために英語で伝えると周りの兵士たちまで一斉にざわついた。
──東京? 東京だって?
──何百マイルも先じゃないか? 適当なことを言ってるんじゃ……。
当惑。混乱。疑問。
兵士たちはこちらが会話をしても未だ銃口を降ろせずにいる。
中尉が兵士たちに向けて叫ぶ。
「落ち着け! 全員、銃を降ろせ! これは命令だ!」
疑惑の目でこちらを向け、ざわめいていた兵士たちがその命令を受けて、一斉に銃口を下げた。
グレッグ曹長だけは釈然としない様子だったが、渋々といったように銃口を降ろす。
それを確認してから、中尉は再び、私たちへ顔を向ける。
「すみません。我々もこの状況に混乱していて、殺気立っていて……。僕はウィル・ドレイク中尉。ペイルホース大隊第三中隊の副官です」
日本語でそう伝えてくれたドレイク中尉は柔らかな物腰で私たちに接してくれた。
一応の信用を得られたようで、兵士たちに囲まれながらも銃を突き付けられることなく、同行することになった。
ドレイク中尉から話を聞けば、彼らは沖縄に駐屯する在日米軍だそうだった。
山の中で演習をしていた最中にいつの間にか部隊ごと裏世界へと入り込んでしまったと語ってくれた。
「〈アザーサイド〉に来てから、一ヵ月以上経ちますが、未だ脱出方法が見つからず、駅舎を拠点にして野営しています」
一ヵ月……。その期間は半日で死にかけた私からすれば途方もない時間に思えた。
そして、〈
こちらへ既に足を踏み入れてから付けるには少し皮肉が効き過ぎているネーミングだ。
それにしても、ドレイク中尉を除いた兵士たちからの警戒心は一向に解ける気配はない。特にグレッグ曹長は隙あらば、撃って来そうな殺気さえ漂わせている。
しかし、一番その殺気を向けられているネオさんは怠そうに脚を動かしているだけで、まったく意に介した様子はない。
図太いというか、ここまで来るとグレッグ曹長の方が可愛そうに思えてくるくらいの無関心さだ。
ドレイク中尉は私ではなく、その斜め後ろを歩くネオさんの方へ視線を向けながら尋ねて来る。
「それで……あなた方は一体何者なんですか? 我々でさえ有効打を与えられなかったあの〈
「さっきからチラホラ会話に出てたホーンドマンっていうがあの枝角の怪物だよね? やっぱりヤバい奴だったんだ?」
他の化け物とは違って、あいつはもっと私の深いところまでへ
恐怖や嫌悪で感情を支配するだけじゃなく、あの触手で直接的に接触しようとしていたと今なら分かる。
ドレイク中尉は表情を強張らせて、頷いた。
「アザーサイドに迷い込んでから執拗なまでに我々を狩り立ててきたこの世界の狩人です。ライフルはもちろん、迫撃砲すらも効果はありませんでした」
なるほど。大体分かってきた。
要するに銃火器のまったく効かない化け物を倒したネオさんを中尉たちは恐れていると同時に期待をしている訳だ。
だけど、状況が状況だけに完全な信用をすることはできず、こうやって手探りで私たちが信頼できる相手か確かめようとしている。
それが分かって、少しだけホッとする。
「ネオさん……あ、あっちのスーツ方がネオさんで、私が
「…………それでいい」
私が聞くと、口を開くのも
「そんな感じだよ」
「霊能力……ですか。確かに母国ではサイコメトラーなどが事件解決の糸口になっているという話も聞きますが、そういった存在を目にするのは初めてです」
くたびれたイメージが強かったドレイク中尉だったけれど、ネオさんが霊能者だと伝えるとほのかに視線に羨望のようなものが混じる。
コミックのヒーローが実在すると言われ、舞い上がる少年のようにも見えた。
けれど、そこでネオさんの真後ろを歩いていたグレッグ曹長が割り込む。
「……中尉、そんな口車に騙されないでください。こいつらはあのホーンドマンとグルなんだ。まともじゃない。自分たちを油断させて寝首を掻こうとしてる。そうに違いありません……」
「曹長、やめろ。今のお前の方がまともには見えない」
「中尉!」
二人が口論に発展しそうになったので、私は仕方なく話を変えるために質問する。
「ねぇ。そういえば、さっき駅舎がどうとか言ってたけど」
「……はい。『ステーション・フェブラリー』。古くて小さな駅がこの先にあります」
一拍空けて表情を柔らかくしてから、ドレイク中尉が私にそう答えてくれた。
「どうして、“
「そう書いてありましたから。実際に見て頂いた方が早いでしょう」
右手にカーブした線路を更に少し進むと、
ホームの端にある段差を上っていくと木造の今にも崩れてきそうな駅舎があった。
黄ばんだ電灯のすぐ近くに駅名が書かれてある看板を見つける。
きさらぎ
KISARAGI
そう駅名が記されていた。
きさらぎ……ああ!
だから何って感じではあるけれど、わざわざ如月を二月と言い換えるところがおかしくて少し苦笑してしまう。
その時、上着のポケットに入っていたスマートフォンが震えた。
何かと思って取り出すと、画面には『小桜』の名前が表示されていた。
「えっ、ここ。電波あるの?」
ただし、表示がおかしい。ずっと見ているとちかちかと文字が瞬間的に変化している。
とりあえず『通話』の方に親指でタッチしようとして──。
「やめろ!
グレッグ曹長が叫ぶと同時に私へ銃を構えた。
突然の剣幕に驚き、思わず手のひらからスマートフォンが滑り落ちる。
カツンと小さな音を立てて転がった画面には『通話中』と表示されていた。
しかし、スマートフォンから流れ出した声は小桜のものではなかった。
『あ、ああああああ……ぎは らぎ えき さら でご ます まも くれ っが ござ す』
意味不明な言語の羅列。
それを耳にしたグレッグ曹長は躊躇なく、引き金を引いた。
「うわああああああ!」
弾丸は私が落としたスマートフォン。
画面を貫き、衝撃で跳ね上がったそれからはカーンカーンと鐘の音に似た音が流れ出す。
この音を私は知っている。聞いたことがある。
「……踏切?」
その耳障りな金属音にも似たものは、踏切の警告音だった。
ドレイク中尉が苦虫を嚙み潰したような表情で警告音を鳴らし続けるスマートフォンの残骸を見た。
「何てことだ──
「電車……?」
聞き返すよりも早く、激しい振動が私たちを襲う。
ホームから見て右側から光る何かが接近してくる。プオーーンとラッパのような軽快な音が光と共に大きくなって……。
──きさらぎ駅に、電車が停まった。