戦慄怪奇ピクニック ウラすぎ!   作:唐揚ちきん

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ファイル5 振り返る八尺様Ⅰ

「うわ、また更に赤くなってる……」

 

 真っ赤に染まった鮮血のような左目の瞳孔を鏡で眺め、深い溜め息を吐いた。

 三日前までは顔を近付けてよく見ないと気付かない程度の濃さだったのだが、今は遠目で見てもはっきり分かるくらいに濃い赤になっている。

 綺麗というよりは毒々しいカラーリングだ。ルビーのように透き通る赤ならまだしも、どこか濁った感じがするから余計に性質が悪い。

 くねくね捕獲作戦の時にミミズの幽霊が左目から飛び出して以来、日に日に色が増していた。

 幸い、あれから左目からはあの白いミミズのようなものは飛び出して居ない。だけど、今も何かが左目の奥に詰まっているような異物感は消えていない。

 目の中に非存在が棲んでいるなんて、中学生がファンタジー漫画に憧れて懐く妄想みたいだが、棲んでいるのが邪竜だと魔王だのではなく、ミミズの幽霊だっていうんだからどうにも格好が付かない。

 取りあえず、工藤からバイト代をもらったら黒のカラーコンタクトでも買おう。そう思いながら市販の眼帯を着けて、自宅から出た。

 今日は大学で取っている講義はない。金を渡すから寝泊まりしているネットカフェに三日後に来いと言われたのでちょうど今から向かうところだ。

 私としてはあの横暴なオッサンに再び会うのは気が進まないが、もらう物はもらって置くに越したことはない。

 呼び出されたネカフェは最寄りの駅前から少し離れた場所に建っていた。

 中に入ると、側面に引き戸が付いているタイプの個室がずらりと並んでいる。まだ平日の午前中だというのに、半分以上のドアはぴっちりと閉じられていた。

 他人のことをとやかく言える立場じゃないが、他に行くところはないのだろうか。

 いや、工藤のようにネカフェ難民になって、ここを仮宿代わりに使っている人間も少なからず居ることを考えると、彼らも好き好んで来ている訳でもないのかもしれない。

 柄にもなく日本の将来を憂いてから、指定されていた番号の個室まで行った私はドアを二回ノックする。

 

「工藤さん。私です、紙越です」

 

 名乗ってから数秒後、引き戸式のドアが開き、工藤が顔を覗かせる。

 

「おう、紙越か。ちょうど、向こうさんも来てるから入って来いよ」

 

 え……。ネカフェの狭い個室に私含めて三人も入るの? というか、それ以前に一週間オッサンが寝泊まりしている空間に入りたくない。

 部屋に入らず、お金だけもらって、ちゃっちゃと帰りたいというのが偽らざる本音だが、正直に言えば工藤は間違いなくキレてへそを曲げる。ひょっとしたらバイト代を出してもらえない恐れすら出てくる。

 ここまで来て手ぶらで帰るハメになるのは避けたいところだ。

 不本意ながら、私はその言葉に従った。

 

「……じゃあ、お邪魔します」

 

 部屋の中は思ったよりも散らかってはいなかったが、畳三畳(たたみさんじょう)分くらしかない個室の人口密度は高く、気分が悪い。

 私が極度の人見知りだというのを差し引いても、暴力的な中年のオッサンと密室に居たいと思う女はまず居ないだろう。

 そして、もう一人。

 〈裏側〉で入手したものを購入しに来ているという人物が正座をして待っていた。

 

「初めまして。貴女が工藤様の助手の紙越様でいらっしゃいますね。わたくしはDS研の(みぎわ)と申します」

 

 座っていたのは三つ揃いスーツ姿の男性だった。正座をしていても手や足がすらりと長く、スタイルの良さが目立つ。

 頬がこけた細面だが、高級感のあるスーツと体格の良さから貧相というイメージは皆無だ。

 癖のある長い髪を丁寧にセットしてあり、工藤とは比べるまでもない清潔感が感じられた。

 年齢は三十代くらいに見えるが、落ち着いた物腰と理性的な口調は老成しているので見た目よりも高齢なのかもしれない。

 

「あ、ども……紙越、です……」

 

 何で名前まで知っているんだと思ったが、工藤のアホが喋ったのだろう。個人情報当たり前のようにバラしやがって……と思うが、文句を言った後の報復が怖すぎるから、拳は心の中だけで握っておく。

 汀は年下の私にも丁寧に名刺を差し出して、お辞儀をしてくれた。

 おずおずとこちらも無言で頭を下げるが、社会人マナーなど知らない私は余計に困惑する。

 目を合わせるのも気が引けたので、もらった名刺に視線を落とす。

 名刺にはこう印字してあった。

 〈一般財団法人 DS研究奨励協会 事務局長 (みぎわ)曜一郎(よういちろう)〉。

 DS……? 何の略称だ、これ。

 そう思っていると、こちらが悩んでいる雰囲気を察してか、汀が説明を始めた。

 

「DSというのは、ダーク・サイエンスの略です」

 

「ダッ、ダークサイエンス!?」

 

 日本語に直訳すると、『闇の科学』……。それの研究を奨励している協会。

 一気に胡散臭くなった肩書きに自然と表情が強張る。

 カルトだ。カルト宗教の臭いがする。関わりたくないという意志が警戒心と共に私の中で膨れ上がった。

 私の反応を見た汀は白い皮手袋をした指で頬を掻いて、苦笑いを浮かべた。

 

「わたくしもこのネーミングは些か不穏なので公式の書類でも省略しています。何しろ、今から三十年前以上に付けられた名前ですから……。科学における未知の分野という意味で呼称されたものですが、今ならもう少し柔らかいニュアンスの名前にしていたでしょうね」

 

「は、はあ……」

 

 弁解されても私の中でも評価は怪しげな暫定カルト団体のままだ。似非科学をお題目に掲げたカルト宗教なんて死ぬほど見てきたし、何ならその内の一つに父親が入信して経験すらある。

 

「まあ、俺らにはダークサイエンスだろうが、ドラックサイエンスだが何でもいいよ。こっちが持って来たモンを言い値で買ってくれるならな」

 

 工藤がずいっとビニール袋を提げて、備え付けの椅子の上で脚を組む。

 踏ん反り返った態度は、物を売るような立場を感じさせない不遜さを全身で示している。

 不本意だが、そんな工藤を見て私の緊張は少しだけほぐれた。

 目の前の相手がカルトだろうが、このオッサンなら不利益をもたらす存在だと思えば、金属バットを振り回して追い払ってくれるだろう。

 奴の言葉を聞いた、汀は頷いて、背の裏に置いていた紙袋を手前に持ち出す。

 ちらりと見えたその中身は見た事のないくらい分厚い札束が詰まっていた。

 

「そうですね。それでは商談と行きましょう。UBLで見つけたものだと確信できれば、それなりの値段で買い取ります」

 

「UBL?」

 

 新たな略称につい口を挟むと、汀が軽く微笑んで教えてくれた。

 

「〈ウルトラブルー・ランドスケープ〉。工藤さんのいう異界のことですね」

 

 つまり、私で言う〈裏側〉のことか。

 何でも横文字にする当たり、似非科学っぽくて好きになれそうにないネーミングだ。

 それにしてもブルー……青色か。廃墟で見た色やくねくねを理解した時に見えた色と同じだ。青は〈裏側〉を指し示す色なのかもしれない。

 私が一人考え込んでいると、工藤はあの虫食い状態の銀の六面体をビニール袋から取り出す。

 

「こいつはくねくね野郎をぶち殺した時に落とした奴だ」

 

「前回買い取ったものより劣化しているように見えますが……これは!」

 

 工藤から手渡されたそれをよく眺めていた汀は目を丸くした。

 彼を驚かせたのは銀色の塊の中で泳ぐようにうねる、小さな影だった。

 くねくねを襲ったミミズの幽霊たち。大多数は工藤の呪いの髪飾りパンチを受けて消滅したが、その一部は六面体の中で取り込まれて、今なお存在蠢いていた。

 

「劣化じゃねぇよ、馬鹿野郎。その中身によく分からねぇ、ミミズが泳いでるよな。そんなの現在の科学で説明付けられんのかよ、なあ。百万の価値あるだろ?」

 

 恐喝しているように見える工藤。やっぱり商品を売り込む人間の態度じゃない……。

 しかし、汀は気にした風もなく、それを買い取った。

 

「確かに。では、こちらは前回と同じく百万で」

 

 紙袋から一万円の札束を工藤へと差し出した。

 すごい。百万円! お金、百万円! こんなにあっさり手渡される金額じゃないぞ!

 興奮した私は工藤に小声で耳打ちする。

 

「工藤さん、工藤さん。アレも売っちゃえばいいんじゃないですか?」

 

 アレというのは捕獲作戦の後、くねくねを生け捕りにできなかった工藤が事もあろうに凶行に及んで入手したものだ。

 その凶行の内容というのが……くねくねの被害に合って顔から突起物を生やして死んでいた男の死体から、突起物を採取したこと。

 最初、工藤は死体ごと持って帰ろうとしていたのだが、梯子の前まで引きずって来たところで、成人男性一人を抱えて梯子を登ることが不可能であるという至極当然な答えを得て断念した。

 その後、ポケットからバタフライナイフを(おもむろ)に取り出したかと思うと、目の当たりから飛び出している透明な突起物を切り落として、ビニール袋に回収し始めた。

 流石にそのリアル羅生門行為には、人としてどうかと思ったが、刃物を所持した工藤に文句を言うことなどできず、私は若干引いた顔で眺めていた。

 「エノキみてぇだ」と呑気なこと言いながら、呪いの髪飾りが入ったビニール袋に切り落とした突起物を入れていく非人道的姿はまさに狂人だったと言えた。直接、触れるのは嫌だったようでうまくビニール袋の位置を調節して、切断した突起物がそのまま入るように作業していた。

 あの時は何やってんだと思ったものの、今ならばナイス判断だったと感じる。汀ならアレも高値で購入してくれるはずだ。

 ワクワクして工藤を見つめていると、金のためなら何でもやる奴にしては歯切れ悪く答える。

 

「アレかぁ……」

 

「どうしたんですか?」

 

 この後に及んで、良心の呵責など感じる人間でもないだろうに。

 工藤はビニール袋を逆さにする。しかし、出てきたのは呪いの髪飾りだけで、切断した突起物は落ちて来ない。

 

「あれ? あの透明な突起物はどうしたんです? ざっと数えても十本くらい集めてませんでしたか?」

 

「ありゃあ、何か消えてたんだよ。ひょっとしたら、髪飾りが食っちまったのかもしんねぇな……」

 

「ええ⁉︎」

 

 その発言を受けて、髪飾りに目を向ける。

 見れば、髪飾りの一部が半透明に変色していた。

 白っぽい半透明な色……くねくね被害者の突起物と同じ色だ。まさか本当にこの髪飾りがあの突起物を取り込んだのか?

 この呪具が単なる髪の毛の集合体じゃないことは充分承知していたものの、ここまででたらめなものとは思っていなかった。

 

「おや、こちらは?」

 

 汀は呪いの髪飾りに興味を持ったようで工藤や私に聞いてくる。

 説明するのは容易ではないし、〈裏側〉由来のものでもないので取り敢えず、誤魔化した。

 

「えーと……工藤さんのお守り、みたいな。ですよね?」

 

「触んな。こいつは俺の商売道具だ。売りモンじゃねぇ」

 

 乱雑に呪いの髪飾りを掴むと、またビニール袋に戻す。引き際を弁えているらしく、汀も「そうなんですか」と答えたきり、それ以上追求してくる様子はなかった。

 狭い個室に気まずい沈黙が訪れる。この雰囲気を作り出した張本人である工藤は呑気にコーヒーを紙コップから啜っていた。

 え……何この空間、堪えられないんですけど。

 私が気にする必要はないのだけれど、ここで抜け出すこともできないのなら、せめて話題を転換して少しでも空気を良くしたい。

 

「あ、あっ、そうだ。工藤さん、汀さんに〈裏側〉で撮影した映像見せてあげたらいいんじゃないですかねぇ!」

 

 声が裏返りそうになりつつも、重苦しい沈黙をぶち壊すためにそう提案する。

 〈裏側〉で一度ちゃんと撮れていたか撮影後、工藤と一緒に確認していたあの録画映像。

 やはり手振れが酷いところが何箇所かあったが、初めてビデオカメラを使ったにしてはよく撮れていたと自負していた。

 汀が〈裏側〉を研究しているのなら、向こう側に行く瞬間やくねくねが六面体に変わるところは興味を持つはずだ。

 しかし、工藤は映像を汀に公開することを渋った。

 

「おい、あれはどっかに売り込んで大々的に宣伝してから、地上波で流す予定なんだよ! こんな場所でほいほい見せられっか」

 

「いや、地上波では流せないシーンいくつもありましたけど……」

 

 いくらこの世の人間とは思えない相手とはいえ、金属バットで頭をかち割るシーンとか、死体から突起物をナイフで切り落とすシーンとか、絶対にお茶の間に届けてはいけない映像の類だ。

 

「うるせえ! 俺はそういう日本の腰抜けなところをバシッと変えてやんだよ! パラダイスシフトをよぉ!」

 

「……パラダイムシフトなんじゃ」

 

「うるせえな、どっちでもいいんだよ。名称なんか」

 

 工藤と益体もないやり取りを続けていると、汀も興味を惹かれたようで食い付いてきた。

 

「UBLで撮影した映像ですか……。それなら是非一度鑑賞させていただきたいですね」

 

「まあ、じゃあ、ちょっとだけなら」

 

 工藤も一応は取引相手である汀がそれを言い出せば断るのは難しいらしく、あまり乗り気ではないものの、データを吸い出した映像を部屋に備え付けているパソコンで再生し始めた。

 録画映像は神保町の雑貨ビルに入るところから始まる。そこから、エレベーターで起きたことが流れ、〈裏側〉への入口としてエレベーターが開く。

 その瞬間、突如映像は青一色で覆われた。

 

「えっ? あれ、向こうで確認した時はこんなこと、起きませんでしたよね?」

 

「ああ、どうなってんだ。おい、何か聞こえるぞ」

 

 青い空間の中、聞こえてきたのは私と工藤の話し声だった。

 

『……振り返る八尺様は鳥居の中に入ります』

 

『神隠しきさらぎ駅じゃあ、米軍がいつまで経っても迷子だ』

 

『時空のおっさんの真相は……』

 

『風車風車カザグルマカザグルマカザグルマかざぐるまかざぐるまかざぐるまかざぐるま……』

 

 ……会話ではなかった。

 間違いなく、声の質は私と工藤の声なのに言った覚えもなければ、文脈もめちゃくな言葉を羅列するかの如く語り続けている。

 しばらく呆然として眺めていると、画面中央にゴマ粒ほどの黒い点が現れた。

 青い背景の中で黒い点がズームするように拡大されていく。

 すると、それが人であることが分かった。

 まるでカメラが高速にその人物に近寄るように大きくなって……。

 顔が映る。

 眼鏡を掛けた女の顔だ。黒くて長い髪をした若い女性。切れ長の鋭い目からはどこか冷めた印象が伝わってくる。

 汀がポツリと呟いた。

 

閏間(うるま)冴月(さつき)さん……」

 

「知り合いなんですか?」

 

 私が尋ねると、目線を映像から離さぬまま、彼は静かに答えた。

 

「DS研の客室研究員です。UBLへ赴き、数々の異物を持ち帰りましたが……三か月前にUBLに行ったきり消息を絶ちました」

 

 〈裏側〉で失踪した人間なのか。

 当たり前だが、私はこんな女性に会った記憶はない。どうして自分が撮った映像にこの閏間冴月という女が映っているのか見当が付かなかった。

 

『……(ひじり)の丘で待つ』

 

 閏間冴月はそう言った後、ぶつりと映像は切れてブラックアウトする。

 パソコンを見ていた私たちは彼女の雰囲気に気圧されて、映像が途切れた後も誰一人口を開かなかった。

 少しして工藤が喋り始める。

 

「おい、これじゃ売り込めねぇよ。俺とくねくね野郎の熱い死闘はどこ行ったんだよ」

 

「この期に及んでそれですか……」

 

 呆れを通り越して尊敬しそうになる能天気さだ。憧れはしないが、素直にすごいと思う。

 余韻に浸るようにブラックアウトしたモニターを眺めていた汀は、工藤に言った。

 

「もし別の用途がないのでしたら、この映像お売りいただけませんか?」

 

「俺が自分の作品をそんな安値で売ると思ってんのか!? 俺にとってこの映像作品は自分の子供も同然なんだよ!」

 

 そこからの二人のやり取りは長いので割愛させてもらうが、結論から言うと工藤は三百万円でこの映像を売り渡した。

 あれだけ豪語した割には、我が子を売り飛ばす辺りが本当にこのオッサンらしい。

 やはり最終的に決め手となったのは、汀以外でこの映像の価値を理解してくれそうにないことだろう。映像そのものは謎の手抜き動画でしかない。

 ちょっとした動画編集技術があれば、これと同じようなものを作るのは可能だ。

 汀も価値を見出したのは〈裏側〉で行方不明になった同僚が映っていたからだろう。

 最初の百万円と合わせ、計四百万円を支払った彼は一礼した後、退出する。

 閏間冴月について何か聞こうかと思ったが、どうやら急いでいる様子だったので、呼び止めるタイミングが掴めなかった。

 これはあくまで私の想像だが、閏間冴月の家族か友人にあの映像を見せにいくのかもしれない。

 汀が消えて行ったドアを見ていると、札束が私の前に突き出された。

 

「ほら、お前の取り分。百二十万」

 

「お、おお……」

 

 工藤からお金を受け取り、私は感嘆の声を上げる。

 百二十万。すごい。短時間でこんな儲けが出るなんて……。

 思わず顔がにやけてしまう。苦労した甲斐があったというものだ。

 お札の枚数を数えるのがここまで楽しいとは思わなかった。

 

「そんじゃ、次はいつ行く?」

 

「はい? どこにですか」

 

 工藤の発言の意味が分からず、首を傾げると奴は平然と言い放つ。

 

「決まってんだろ。向こう側にだよ。碌な映像が持ってこれないってのは分かったが、金にはなる。——儲けるぞ、紙越!」

 

 髭面のオッサンはにやりと笑ってみせた。

 




八尺様編開始です。

小桜じゃなく、汀さんなのは工藤を家に呼ぶ彼女が想像できなかったからです。
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