窓から差し込む陽光で目が覚めた。
――最悪だ。
徐々に覚醒していく意識の中で、ふとそんなことを思う。外は快晴。少し肌寒くはあるけど、間違いなく桜の季節には向かっているようだ。
ベッドの上で軽く伸びをする。今日も一日がはじまる。けれど、身体は起きたくない、もう少し寝ていたいと拒否反応を示す。もう一度目を瞑ったり寝返りを打ったり…最後には大きな溜息をついた。
どうしてだろう? 昔はだれよりも早く起きれたはずなのに。
朝、目を覚ますと、とても憂鬱な気分になる。そんな日が、ときどきある。
「お、俺と付き合ってください!」
またこのパターンか。私は内心うんざりしていた。高校三年の3月、もう卒業式も終わっているのだから本来なら学校に来なくていいはずだけど、今日は同級生からの呼出しで登校した。なにやら手伝ってほしいことがあるとかないとか…そんな話だった。
それでいざ来てみればこの状況。二人きりの教室で同級生の男の子から告白を受けている。今月はこれで二度目だ。先月も同じようなことがあったから、合計すれば三度目。つまりは目の前の彼で三人目だ。
こうも立て続けに告白されるのには驚いた。高校卒業というある種の通過儀礼がそうさせるのだろうか、とそんな達観した感想が思い浮ぶ。
「ごめんなさい。気持ちは嬉しいけど、そういう気持ちにはなれないから・・・」
この言葉を口にするのもこれで三度目。もうお決まりのセリフと言っていいのではないだろうか? 頭の中でそんなどうでもいいことを考える。彼はその後も何か言っていたけれど、言葉は全く頭の中には入ってこなかった。
正直に言うと、私はイライラしていた。想いを打ち明けてくれた彼のせいじゃない。このイライラがどこから来るものなのか。それは未だにわからないでいる。
大学進学への不安からか? それとも、高校生というこの時期特有の何かがそういった感情を抱かせるのだろうか?
わからない。だけど、朝起きるのが嫌だと感じる日は前よりも多くなったような気がする。
そんなもやっとしたことばかり、最近は考えている……
しばらくして、彼は教室を出て行った。私は教室の中で本日二度目の溜息をつく。それと同時くらいか、今度は二人組の女の子が教室の中へと入ってきた。
「ちょっと四葉! 東野くんまで振っちゃったの?」
「もったいなーい!」
二人は私の同級生だ。一人は椎原明里。3年間ずっと同じクラスだった子で、面倒見がよくお姉さん的な存在だ。もう一人は隅田花苗。二年生から同じクラスになった子で、とにかく明るく、誰とでもすぐに仲良くなれちゃうようなそんな雰囲気を持っている。この二人とは高校で一緒に行動することが多かった。
「もったいないじゃないよ。今日学校に呼び出したのはこのためでしょ?」
私は二人の顔を交互に見た。
「うっ…だって、ねえ?」
「向こうから相談してきたから、どうしようもなく……」
二人はなにかばつが悪そうな顔をしていた。その顔が少し可笑しくて、私は「さあ、帰ろう」と言葉を続けた。
「でも四葉さあ、これで三人目でしょ? 本当にだれとも付き合う気はないの?」
帰り道。明里が話を切り出した。三人並んで歩いていると、自然とそんな話になってしまう。
「ないよ」
「なんで?」
なんで? と言われても……そりゃ、私だって、彼氏がほしいと思ったことはある。体を持て余すことだってある。だけど、その度に比較してしまうのだ。自分の中にある名前も知らない誰かと。そんなことを昔、二人に思わず話してしまったことがある。すると二人からは、四葉は相手に求める理想が高いんだよ、と呆れられた。
自分でもそうなのかな、とは思う。だけど、こればかりはどうにもならない。
つまるところ、私にはどうやら男女それぞれに理想像というものがあるようだ。
一つ目は女性の理想像。これは簡単で…ここだけの話、私は実の姉――宮水三葉に憧れている。本人の前では絶対にそんなことは言えないけど、姉のようになりたいとここ最近は強く意識するようになった…ように思う。本当に、ここだけの話だけど……
ただ、当の本人は最近――というよりは、あの彗星災害以降、どことなく元気がないみたいだ。心ここにあらずといった感じで、いつも何かを誰かを探しているような、どこか遠くを見つめるような、そんな表情を浮かべることが多くなった。
一応社会人だから、働いてはいるものの、休日に職場の人と遊ぶといった話はまるで聞かない。地元の親友である名取紗耶香と勅使河原克彦とはときどき会ってはいるようだけど、それでも姉が心から笑う姿をここ数年は見たことがないような気がする。
そんなふうに、ずっと姉を見てきたからだろうか。姉が時折見せる微笑みや淡く切ない表情にドキリとする。心をギュッと掴まれたような感覚になって、そうなるともう姉からは目が離せなくなる。どうしようもなく淡く切ない気持ちになるのだ。
もう一つは男性の理想像。これが少し厄介だ。漠然とし過ぎていて自分でもよくわからない。よくわからないのだけど、考え出すと誰か特定の人がいるような、もやもやした感情が込み上がってくる。これが本当に気持ち悪い。この感情は、小さいころ、まだ彗星が落ちる前の糸守町にいたころに抱いた……そんな気がするのだけど、今となってははっきりしたことは覚えていない。
あれからもう8年、長いような短いような……すごく複雑な気分だ。
「ちょっと四葉! 聞いてる?」
隣を歩く明里の声で現実に引き戻された。
「あーごめんごめん。で、なんだっけ?」
「もうっ、四葉の話でしょ!」
明里は少しあきれ顔だ。
「どうしたの? 最近ボーっとすること多くない?」
「ちょっと寝不足…かな」
「夜更かしでもしたの?」
「いつも通り寝たはずなんだけど」
それは本当だ。たけど、
「何か、夢を見ていたような気がして」
「夢?」
「そう。夢の中でもう一人の自分が出てくる…そんな夢」
夢を見ていたときの記憶はほとんどない。それでも感情は覚えている。夢を見た日の朝は、決まって不思議な気持ちに襲われるからだ。その気持ちがいったい何を意味するのか、私は未だにわからない。
なんか考えるのも嫌になってきた。億劫な気持ちから脱出しようと私は別な話題を振ろうとする。するとタイミング良く私よりも先に今まで静かだった花苗が話題を変えてくれた。
「でもいいなー、四葉は。いろんな人に告白されて。失恋の味を知らずに人生過ごせそうじゃん!」
「あんたは味わい過ぎなのよ」
すかさず明里が突っ込む。ひどーい!と抵抗の声を上げる花苗だけど、その顔はどこか笑っていた。
その後、二人とは適当な話をして別れた。お昼を一緒に食べようと誘われたけど、今日は気分が乗らないので断った。
このまま家に帰っても良かったけど、少しあたりをふらついてみることにする。気分を道草モードに切り替えて、東京散策開始といった感じだ。といっても、目的なんてないけれど……
適当に電車に乗って適当な駅で下りて適当なお店に入る。悠々気ままな東京散歩。たまにはこういうのも悪くない。
どれくらいの時間が経っただろう? 気づいたらもう夕方だった。
よくもまぁ、一人でこんなに時間を潰せたものだと感心しながら、駅近くの公園に立ち寄った。園内の一角、階段上に腰を下ろして、赤色に染まりつつある空を見上げてみる。
「もうすぐカタワレ時やなー」
少しだけ空を眺めていよう。ゆっくりと流れる雲を眺めながら、私は少しだけ赤い太陽に身を預けていた。
夕方になると公園を横切る通行人が増えた。このままここにいたら邪魔かもしれない。少し風もでてきたため、日中よりも寒くなったようにも感じる。お腹も空いてきたし、もう帰ろうと決心して腰を上げた。
そうしてそのまま階段を下りようとしたときだった。
ものすごい風が公園の中を吹き抜ける。春一番。風は瞬間的に私の背中にぶつかった。階段を下りる最中だっただけに、突発的な風に煽られて身体のバランスが大きく崩れる。予想と違う場所に片足が着地し、グキっと嫌な感覚が身体中を駆け巡った。階段上で尻餅をつくように転び、そのまま横になって数段転げ落ちた。最悪だ。朝起きた時に思った言葉が頭の中で何度も繰り返される。
「いたた・・・」
弱々しい言葉しか出てこない。
なにやってるんだろう。惨めだな・・・
マイナスの感情しか出てこない。
「あーやばいなー、これ完全に足ひねってるよ」
足の痛みを我慢しながら、それでも、これくらいのケガで済んだことにホッとした。もっと長く高低差のある階段で転んでいたらと思うとゾッとする。もしかしたら死んでいたかもしれない。そんなことを一瞬でも考えたら、なぜか泣きたくなった。
だめだ。考えるな。そう自分に言い聞かせるけど、なぜか歯止めが利かない。転んだ際の全身の痛みとひねった足の痛みも重なって涙が零れてきて仕方がなかった。
「もうっ、泣くなよ私……ッ」
強がっては見るものの、自分の声は完全に涙声だ。いっそ、このまま本気で泣いてみようか、そんな馬鹿げたことを考えた。
だけど、そのときだった。
「大丈夫?」と一人の男性が声をかけてきたのだ。声の持ち主めがけて顔を上げるけど、夕日が逆光になって顔があまりよく見えない。
スーツ姿のその男性は片膝をついてこちらに手を差し伸べている。その姿に思わずドキッと心臓が跳ね上がった。
どうしてだろう? 顔も判然としない男性に何か懐かしいものを感じる。この人を見たことがあるような、この人と会ったことがあるような……
私がそのまま何も答えないでいると、男性は「大丈夫? 痛いところはある?」と、優しげな声でもう一度尋ねてきてくれた。
「あ、はい! だ、大丈夫です!」
素っ気ない答え。でも内心、私はその返事ひとつで手一杯だった。
高校三年の3月。春の気配を感じる公園での出来事。
寒いと感じたさっきまでの風は、今はなんだか心地いい。空は真っ赤に染まっていて、あたりには既に世界の輪郭を大きくぼやかす時間帯―――カタワレ時が訪れていた。