四葉のクローバー   作:HirakeGoma

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14 生と死の選択

ある場所を目指して歩いた。目的もなく彷徨ったさっきまでとは違い、私はその場所に行きたくて仕方がなかった。

高度を上げる太陽が疲れた身体を容赦なく照らす。目に入る光が鬱陶しくて、瞼を閉じて歩けたらどんなにいいか、と益体もないことを考えた。

 

「…また来ちゃった、か……」

 

私が目的とした場所、それは例の公園だった。

 

着いた途端、記憶の波が押し寄せる。あの人と初めて出会った場所。足をケガして助けてもらった場所。彼を想うきっかけとなった場所。ここはそんな場所だった。

 

公園に入ると迷うことなく、特等席だったあのベンチへと向かった。当然のようにそこにある。そんな当たり前のことに安堵する。心なしか古びたように見えるのは、きっと疲れのせいもあるだろうか。

 

ベンチに座り、あたりの様子をうかがった。休日の朝だからか、公園の中はとても静かで、人の姿は見当たらない。昼間の公園とはえらい違いだ。

 

(ほんと、何をやっているんだろうね。わたしは……)

 

自分の行動がわからなかった。自分の気持ちを整理できなかった。今のことも、先のことも、今はまったく考えられない。彼と過ごした思い出だけが、途切れることなく頭の中をループする。

 

ベンチに座ってしばらくすると、これまでの疲れが身体に押し寄せた。一晩中歩いていたのだから無理もない。姉の部屋を飛び出して以降、立ち止まることが怖かった。立ち止まることで、泣いてしまうことが怖かった。不条理な現状を受け入れてしまうことがもっと怖かった。

 

(もう、だめかもしれない)

 

疲れがピークに達している。このままでは眠ってしまいそうだ。今、この公園は静か過ぎる。風もなく、木々が揺れる音も、電車の音も聞こえない。

 

右手に持った四つ葉の花を眺めつつ、ゆっくりと瞼を瞑っていく。“幸運”なんて起こらなかった、そう心の中でつぶやきながら、私の意識は薄れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また、この場所に立っている。

 

最初に抱いた感情は、とても素っ気ないものだった。

ぼんやりとする意識の中に、見覚えのある景色が広がっていることを理解する。

 

(ここは確か……)

 

突然、一人の男の子の姿が頭の中に浮かび上がった。太陽が昇る前――明け方ごろに出会った少年。ガードレールに寄り掛かりながら、二人で話をしていた記憶がよみがえる。忘れていた。僅か数時間前の出来事だというのに。

 

周囲の様子を改めてうかがう。そうして間違いないと確信する。今の状況を理解する。

 

私は再び―――あの踏切の前に立っていた。

 

 

 

 

 

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驚きはしない。だってこれで二回目なのだから。

 

いつかの夢の中で見た踏切が今こうして目の前にはある。そして、ほんの少し前、私はあの男の子と実際にここで話をしていた。

話の内容も男の子の姿も、今ならはっきりと思い出せる。どうして今まで忘れていたのかと思えるほどに、記憶の中の映像はとても鮮明だった。

 

でもちょっと待って。もう一度ここにいるということは、もしかしたら……

 

「……やっぱり、また入れ替わってる」

 

今度のものも女のそれではなかった。脚も、腕も、声だって、身体はすべて男の子のものだ。

どうやら私はまたあの男の子と入れ替わったようだった。身体から噴き出す大量の汗も、肩が大きく揺れるほどの息切れも、それらは以前とまったく同じだ。

 

そこまで確認してから、踏切を挟んだ反対側に視線を泳がせた。

 

(やっぱり……)

 

そこには女の子が立っていた。以前とまったく同じ場所に、同じように立っている。同じ時間を繰り返しているのかと思ったけれど、どうやら前回とは違うらしい。まず、着ている服が以前とは違っている。それともう一つ。

もう一度、反対側の女の子に視線を向けた。以前見た無表情からは一転して、今の彼女は泣いていた。彼女に何があったのかはわからない。けれど、痛々しいほどの泣き顔に、私の胸は苦しくなった。

 

「…ッ……いったい何がしたいのよ…ッ!」

 

気が付けば、大きな声で叫んでいた。女の子に対してではない。この現状をつくった何者かに叫んだつもりだった。神様のイタズラにしては度が過ぎていると心底思う。泣きたいのはこちらの方だ。

 

こんな余裕のないときに、こんな悪夢を見せられて、こんなわけのわからない状況に置かれている。いったい私にどうしろと言っているのか。またあの子を助けろとでも言うのだろうか。

 

だけど、今は以前と状況が違うのだ。まず電車なんて来ていない。あのときの経験からすると入れ替わりはすぐに終わってしまうはず。だから今回は私の出番なんてない、そう思った。

 

だから、その場でじっと待つことにする。もう、こんな現象に見舞われるのは嫌だった。

 

彼女はなおも泣いていた。そんな彼女を視界の隅に捉えながら、私はただひたすらに待っていた。

頭の中で「カチカチ」と時計の針が動いている。時間の流れが遅く感じる。心は妙に落ち着かない。入れ替わりはまだ終わらないのか、と気持ちだけが焦った。

 

でもその中でふと小さな疑問が湧いた。

 

(……そう言えば、今は、いつなの?)

 

私は確か、朝の公園にいたはずだった。だけど、今は確かに朝っぽいけど少しだけ太陽の位置が違う気がする。

それに思えば前回の入れ替わりの際もそうだった。私は寝ていたはずなのに、男の子と入れ替わったとき、この場所は太陽のある真昼間で、とても暖かかったのを覚えている。

 

前回は余裕がなかったこともあって、そんなところまで頭が回らなかった。なので、今がいつなのか、不意に浮かんだ疑問に答えを出そうと私は行動を開始する。

 

即座に服のポケットに両手を突っ込む。男の子だったら、ズボンのポケットにあれを入れていると思ったからだ。右手と左手で同時にポケットを探ってみる。すると、薄くて四角い物体が左のポケットに入っていた。すかさずその物体―――携帯を取り出して、今日の日付と時間を確認する。さて、今はいったいいつなのだろう。

 

「…これは?」

 

―――2022年、4月某日。朝、7時23分。

 

それが、現在の日時だった。

 

「…どういう、ことなの?」

 

頭の中が混乱する。

 

“日付が違う”

 

この事実を理解するまで、少しだけ時間を要してしまった。

 

何度見ても変わらない。携帯の日付は四月上旬の“ある日”を示している。私がベンチで瞼を閉じたのは、これよりも数日先の、そうだ、四月も中旬になろうかという日だったはず。

 

「……時間が……戻ったってこと?」

 

一つの仮説。携帯が壊れたのではないか、と疑心暗鬼に陥るも、そんなことはない、これは事実なのだと、直感にも似た何かが目の前の出来事を肯定する。

 

“入れ替わり”という謎の現象が発生する以上、こんなこともあるのだと、誰かが私の心に語りかける。

落ち着け、と自分自身に言い聞かす。慌てるんじゃない、と強い口調で言葉が飛び交う。状況を整理しろ、と自分自身が叫び出す。

 

考えないといけないのは、まずは一回目の入れ替わりだ。

 

  『3月の最終日に……忘れもしません。その日もよく晴れた日でした』

 

ついさっき、男の子と交わした話の内容を思い出す。あのとき、彼は確かにそう言った。

想いを寄せる女の子が踏切の中に飛び出した日。男の子に入れ替わった私がその女の子を助けた日。入れ替わりの現象が発生した日。それが「3月の最終日」だと、彼ははっきりと言った。

 

だけど、考えてみればそれはおかしいのだ。私が夢を見た日。あれは四月に入ってのことだった。

その日のことはよく覚えている。だって、その日は朝から寝坊して大変だった。それにその日は“彼”との大事な約束があった。結局、約束は流れてしまったけれど、その帰り道に満開の桜を見て一抹の寂しさを抱いたのを覚えている。

 

身体から汗が噴き出す。たぶん、これは普通のそれではないのだろう。携帯を持った手が震えてしまう。頭がズキンと痛くなる。

 

次に考えないといけないのは今回の入れ替わりについてだ。

 

携帯の日時は確かに四月の“ある日”を示している。だけど、私は数日経った例の公園にいたはずなのだ。

 

「……時間が、ずれていたんだ」

 

そこまで考えて、ようやく一つの答えに辿り着く。私と少年、少年と私の入れ替わり。それぞれの時間はまったく異なる別のもの。

だから、時間が戻ったというよりは、入れ替わりによって別の時間に移動したと言った方が表現としては適切だろう。未だに信じられるものではないけれど……

 

現実を大きく超えた現実に唖然とする。息を呑む。そしてそれはやってきた。

 

「カンカンカン」と大きな甲高い音が鳴り響いた。聞き慣れたもののはずなのに、身体はビクリと過剰に反応する。この心は何かを恐れている。

 

もう一度、今の状況を整理する。ここまでは理解した。ここまでは理解したさ。でも、なぜ心はこんなにも取り乱しているのだろう。

 

時間がずれていることはわかった。今日がいつかもわかった。だけど、本題はここからだ。

 

私はもう一度手元の携帯に視線を落とす。無機質な物体が映し出す4月の文字。この日、この時間、何があったのか。それこそが問題の核心だ。

 

そう、そうさ、今日は、今日という日は、彼―――立花瀧と夜に食事の約束をした日だ。果たされなかった彼との約束があった日。それが今日という日のはずだ。

 

そして私は理解する。入れ替わりの時間がズレているのだとしたら、この世界には本物の宮水四葉が存在するはずだと。

 

彼女は今の時間帯、きっと家で焦っているはずだ。

あの踏切の夢を見て、憂鬱な気分で目が覚めて、そして遅刻しそうなことに気が付いて、急いで身支度を整えているに違いない。

そして大学へ行き、講義を受け、その帰り道、彼からの電話に落ち込んだ。そんな一日が今日という日だった。

 

心の中に懐かしい気持ちがよみがえる。あの幸せだった時間を、この世界の宮水四葉は満喫している。数日後に、あんなことになるとも知らずに。

 

そして続けて私は考える。本物の宮水四葉が何をしているか、それは大して重要な情報じゃない。そう、この場に置いて最も重要な事実。それは私以外の別の人物たちの行動に他ならない。

この日、この時間、何があったのか。その答えは明確なのだ。忘れようとしても忘れられない。姉の家を飛び出してから一晩中ずっと考えていたのだから、忘れようにも忘れられるはずがない。

 

宮水三葉は確かに言った。

 

  『朝の通勤中にな、並走する電車の中で目が合ってやね。何やお互いに惹かれるところがあったんやろね。向こうも次の駅で降りてくれたみたいで、ずっと私を探してくれたみたいなんよ』

 

そうだ。間違いない。

 

  『会ったその日の夜にお付き合いすることになって』

 

そうだ。その通りだ。今日という日は他でもない。―――宮水三葉と、立花瀧、彼ら二人が出逢った日。それが今日という日に他ならない。

 

朝の通勤中に彼らは出会った。このレールの先で彼らはお互いを知った。今から30分後なのか1時間後なのかはわからない。けれど、この後すぐに彼らは出会う。出会ってしまう。

 

携帯を持つ手が震えた。身体から大量の汗が噴き出して、心臓の鼓動は瞬く間に速くなる。目線は大きく泳ぐが、意識は正面の女の子に釘づけだ。

 

「カンカンカン」と警告音が鳴り響く中で、当たり前のようにその女の子は踏切の中へと入っていった。前回と同じ光景がまた目の前に広がっている。

 

声が出ない。その子に何かを伝えようとしても、何かがそれの邪魔をする。

 

こんなこと考えたくない。考えたくないんだ。それでも、たった一つのある考えが頭の中から離れてくれない。何度も何度もその考えを捨てたとしても、誰かがその考えを拾ってまた私の中に置いて行ってしまう。さっきから続く葛藤が心をさらに苦しめる。

 

その考えは、一つの可能性に過ぎなかった。

 

入れ替わりによって時間がずれていると知ったとき、今日が災厄の日だと気付いたとき、どこからともなくやってきた小さな可能性だった。

本気になんてしていなかった。ばかばかしいとさえ思った。

 

でも

 

こうして女の子が動き出すのを見ていると、その可能性は強くリアルなものに変わっていった。心の中で悲鳴と歓声が湧き起こる。異様な興奮が私を包む。

 

私は一心不乱に仮定する。もしも、もしもだ。私がこのまま何もしないで、じっとしてさえいれば、間違いなく、間違いなく

 

―――彼女は死ぬ。電車は止まる。ダイヤが乱れる。

 

電車の運行は必ず異常をきたす。そうすることで

 

―――立花瀧と宮水三葉の出逢いを変えられる。なかったことにできる。

 

魔法のように、夢のように、彼らの運命を変えられる。

 

悪魔の囁きだと一蹴しても、頭の中にはその悪魔が居座って、私にずっと囁きかける。じっとしていろ、そこにいろと……

 

やめてくれ!

 

そう叫んでも、未だに身体は動かない。足は前へと動いてくれない。

 

うるさいっ! やめろ!

 

右左の耳を両手で塞ぐ。踏切の警告音は和らぐも、囁き声はやんではくれない。

 

悪魔は私にこう言うのだ。これはおまえにとっての“幸運”なんだ、と。

おまえは今まで悩みながらここまで来た。あんなにも傷ついて、あんなにも苦しんで。救いなんて欠片もなかった。だからようやくつかんだチャンスを手放すなと。

これはおまえの人生にとっての分かれ道。生か死かの選択なんだと。

 

頭を振っても、声を上げても、そいつは私から離れてくれない。最後のチャンスと言わんばかりに、畳みかけるようにそいつは捲し立ててくる。

彼女を助けようと行動を起こすのはおまえの自由だ。でも、それをやったらおまえの幸せは訪れない。立花瀧と宮水三葉が出会ってしまったら、おまえの“こころ”は死んでしまうのだと。

 

どうしろと言うの!? 私にいったい何をしろというの!? 私は……どうなりたいの…ッ!?

 

頭の中はぐちゃぐちゃで、呼吸はひどく苦しくて、左右の足は震えていて、大粒の涙だけが目から零れ落ちていく。

 

揺れる視界の中で女の子を注視する。彼女は今も泣いている。私と一緒に泣いている。彼女はゆっくりと歩んでいく。静かに一歩ずつ着実に。そんな彼女を見て私はふと理解する。

 

(ああ、そうか……)

 

少年の話を聞いたとき、その子の言う女の子はずっと姉に、宮水三葉に似ていると思っていた。我慢強いところとか、相手を思いやれるところとか、姉と同じだとずっと思っていた。

 

でも、違った。

 

あの子に似ているのは姉じゃない。わたしの方だ。

脆くて危ういところがそっくりで、いつも何かに迷い悩んでいる。

今だってそうだ。どちらかに決めなければいけないのに、どちらかを選ばなければいけないのに、未だに私は二つの選択肢に答えを出せないでいる。

 

対して彼女はどうだろう。ゆっくりと踏切内を歩く彼女。この子の選択が正しいものだとは思わない。だけど彼女は決断した。彼女は選んだ。

 

きっと彼女なりに必死に考えた結果なのだろう。それが今の行動に繋がっている。

 

だったら、私も決めなければいけない。一晩中歩き続けてずっと悩み続けた。涙は枯れて声はもう出そうにない。

彼女が私に、私が彼女に似ていると言うのなら、私も彼女のようにどちらかを選ばなければいけない。

 

頭の中で警告音が鳴り響く。身体の震えは依然として収まらない。もう、私には耐えられない。耐えられないよ。

 

そう思ったとき、ぷつりと私の中で何かが弾けた。

 

 

 

 

 

 

三月の下旬。明里と花苗による取り調べ。ファミレスでの会話。

この日、彼女たちから四つ葉のクローバーを贈られた。深い緑色をした四つ葉の花はとても綺麗で、ずっと見惚れてしまうほどに輝いていた。

 

今日まで忘れていたけれど、ずっと気になっていた会話があった。なぜ忘れていたのだろう。あれほど気になっていた言葉なのに。

 

今ようやく思い出す。確か、会話の続きはこうだったはずだ。

 

  『四つ葉のクローバーは幸運っていう意味があるんだって。今の四葉にはぴったりだね!』

  『四葉にも幸運があらんことを』

  『ありがとう。二人とも。この押し花大事にするね』

  『でもね、四葉』

  『ん?』

  『四つ葉のクローバーにはね、もうひとつの意味があるんだよ』

  『もうひとつの意味?』

  『そう。その花のもうひとつの意味。それはね―――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  『復讐なんだよ♪』

 

 

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