四月下旬のとある休日。私はコンビニに立ち寄っていた。
なんてことはない。お婆ちゃんにおつかいを頼まれたからだ。適当に商品棚を物色しては、気に入ったものをかごの中へと入れていく。途中、ファッション雑誌に目が止まったけれど、読みたい衝動をグッと抑えてレジに向かった。
「ありがとうございましたー」
お会計が終わって、店員の挨拶をバックに自動ドアの扉をくぐる。すると、
「あっつ~」
外に出た途端、強い日差しに襲われた。ついお決まりの言葉が漏れてしまう。今日は夏日になると天気予報で言っていた。四月でこんなに暑いのだ。今年の夏が不安になる。いやだなぁ、汗をかきながら通学するのは……
そんなことを考えながら、右手をかざして太陽の光を遮った。容赦のない陽光に春の終わりを感じる。季節は少しずつ、でも確実に夏へと向かっているようだ。
「わるい。待たせちゃって。電話がなかなか終わらなくて」
季節の移り変わりを感じながら、コンビニの前で待っていると、隣から声がかけられた。おれが荷物を持つからと言って彼は私に近づく。その行動に心臓がドキリと跳ねる。目線をそっと上げて、声の主を確認した。
立花瀧が、そこにいる。
私の目の前、手を伸ばせば簡単に届く距離に、今、彼は立っていた。
「それじゃ、帰ろっか。瀧くん!」
お婆ちゃんの待つマンションまで二人並んで歩いた。歩くと言っても距離的にはほとんどない。時間はだいたい5分程度。
彼が荷物を持ってくれるので自然と両手は空いてしまう。手持無沙汰を隠すため、手を前後に移動させる。
「仕事忙しいの?」
「仕事と言ってもまだ研修中だから。たいしたことはないよ」
振った話に彼はすぐに答えてくれる。
「さっきの電話は会社というよりは同期からかな。今度新人だけで飲みに行くからその話でちょっとね」
「そうなんだ。楽しそうだね、飲み会って。わたしも早くお酒飲みたいなー」
「あれ?サークルの新歓とか行かなかったの?」
「全部無視した!」
片道5分の短い時間だけど、会話はまったく途切れない。隣を歩く彼の横顔をそっと覗き込んでは、視線を前に戻す行為を私は繰り返していた。
「ただいまー」
「おや、早かったな」
家に帰るとお婆ちゃんが出迎える。
「飲み物とか、お菓子とか、適当に買ってきたから」
「おつりは四葉が持っておき」
そう言ってお婆ちゃんはもう一方の人物に顔を向ける。
「一緒に行ってもらって、ありがたいことや」
「おれは何も。四葉がすべて選んでくれたので」
彼はそう言うと私の方に視線を送った。モノを選んだのは確かに私だ。けれど、ここまで荷物を運んだのは彼なのだ。そういう意味では完全にお相子だ。
そんな押し問答を見ていたからか「そうかそうか」とお婆ちゃんは笑っていた。
そうしてくるりと背中を向けると、リビングへと戻っていった。玄関の扉を閉めて、私たちも家の中へと入る。靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて、廊下を移動。でもその途中で……
どこからともなくガサゴソとした音が聞こえてきた。どうやらキッチンで何かをやっているようだ。何事かなと思っていると音の正体を確認することもなく、彼は、立花瀧は、私の元を離れていった。
「みつは」
「あっ瀧くん。おかえりなさい!」
「ただいま。なにやってるの?」
「ちょっとハサミを探してて。使ってなかった料理用のハサミがあったはずなんやけど」
「料理用のハサミ?普通のじゃなくて?」
「探しても見つからんのよ。まぁ、この際、切れれば何でもいいかなーって」
「おれも探すの手伝うよ」
ちょっとしたやりとり。なのに既に二人の空気感が出来上がっている。二人並んでキッチンに立つ姿は、恋人と言うより、もはや夫婦のそれに近い。そんな二人を眺めていて実感するのは、宮水三葉と立花瀧、この二人の出会いはきっと偶然ではないということだ。奇跡と呼べる二人の出会い。それはきっと、必然なのだ。
だって、二人にとってのそれぞれは“もう一人の自分”だと思うから。
四月上旬のある朝に二人は出会った。でも、もしあの日に出会っていなくても、きっといつの日か、また出会っていたに違いない。お互いが“もう一人の自分”である以上、何度となく惹かれあっていたに違いない。
どんなに距離が離れていようと、住む世界が違ったとしても、きっと、二人はムスビによって繋がった。確信にも似た何かが私にそんな考えを抱かせる。
(まったく敵わんなぁ)
そう思った矢先に、リビングから声がかけられる。
「切りのいいところで休まんかぁ?」
お婆ちゃんが呼んでいる。私たちは3人一緒に口を開く。「はーい」というその声はものの見事に揃っていた。
状況を説明すると、現在は部屋の模様替えの真っ最中だった。模様替えと言ってもリビングマットを交換する簡単なものだ。前のものはだいぶ痛んでいたから、満を持して交換することにした。それにお婆ちゃんが足を取られて転びそうになっていたしね。
ただ、交換のためにはソファー等の家具類を移動させる必要があるので、姉と、そして瀧くんにも手伝ってもらうことになった。
今はリビングマットの交換も終わって家具も元の位置に戻してある。あとは、小物類を片付ければ終わりという状況だ。
時間は午後2時半を回ったところ。早めに終わってよかったと心の中でホッとした。
「四葉、もうここはええよ。用事がある言うてたな。あとはお婆ちゃんがやっておくで」
休憩が終わった後、お婆ちゃんはそんなことを言ってくれた。
「四葉、何か用事があったの?」
「あー、ちょっとこれから、高校のときの友達と会うことになってて」
用事の内容を簡単に説明してから勢いよく腰を上げる。このあと明里と花苗に会う予定になっている。なので、自分の部屋に戻ってから早速服を着替えた。途中洗面所でひと通りの身支度を整える。
「よしっ、と。こんなものやね」
洗面所を出て玄関に移動する。靴を履き替え、目の前の扉に手をかけた。
でも、そのタイミングでふとあることが気になった。何の前触れもなく頭の中に浮かんだそれは、扉にかけた手を引っ込めさせる。今更私はなぜこんなことを気にしているのだろう? そんな感想を抱きながら、私は一旦身体をUターン。リビングにいたお婆ちゃんに再び声をかけた。
「ねえ、お婆ちゃん?」
「なんや?」
お婆ちゃんは手元の作業を止めて顔をこちらに向けてくれた。
「お婆ちゃんに相談に来た男の子の話、覚えとる?」
「はて、そうやなぁ」
「ほら、前にいろいろと教えてくれたやないの」
お婆ちゃんは右手で顎を触りはじめた。あれ? 忘れちゃった?
「何か気になることでもあるんか?」
「うん。一つだけ教えてほしいんやけど、男の子がうちに来たときに口噛み酒を渡したって言うてたよね。そのときにな、お婆ちゃんはその子に何て言うたのかなって思って」
「はて、そうやなぁ……」
お婆ちゃんは記憶を探る態勢に入った。こんなことを聞いたところでどうなるわけでもないのだが、気になってしまったので仕方がない。
お婆ちゃんは少しだけ考えていたけれど、すぐにあのとき男の子に伝えた言葉を教えてくれた。
「いっとう大切なものを守りたい。そう思うたときに飲むように、なんてことを言うたかもしれんなぁ」
それを知ってどうなるの?という話だが、このときの私はその答えに、なぜか妙に納得したのだった。
しばらくして、私は高校時代の友人――椎原明里と隅田花苗と住宅街の一角を歩いていた。二人に会うのは久しぶりだ。まあ、ちょくちょく連絡は取っていたから、懐かしい感じはしないのだが。
「なんか何もないところだね」
花苗は周囲をキョロキョロしている。なぜこんな場所に来たのか不思議に思っているようだった。
「四葉が行きたいところって、もうすぐなの?」
「うん。もうちょっと先かな」
明里も同じ気持ちだろうか。ここに来た理由を不信に思っているように見える。
でも、正直に言うと、私も明確な理由を持ってはいないのだ。待ち合わせ場所に指定された駅が、たまたま“あの場所”の最寄り駅だったので、彼女たちに無理を言ってここまで付き合ってもらうことにした。
「花苗のお勧めのお店ってこの辺?」
「逆!逆!ここからは駅を挟んだ反対側!」
今日の待ち合わせ場所を指定したのは花苗だ。なんでも気になるお店を見つけたらしい。なので、これからそのお店に行く流れになっている。そのお店が駅の反対側にあることは知っていた。なので、何の理由もないまま二人を付き合わせていることに多少なりとも罪悪感がある。
それでも、“あの場所”に行きたい、というこの気持ちが私の中で変わることはなかった。
私が目指す場所。それは何の変哲もない“ただの踏切”だった。
閑静な住宅街の中にある普通の踏切。そこは一度だけ訪れたことのある場所だ。あれは大学からの帰り道、満開の桜が咲き誇る春らしい日だったことを覚えている。
ほどなくして、例の踏切が視界に入った。瞬間、私の心臓が速度を上げる。もしかして緊張しているのだろうか? 心の動きに自分自身が困惑する。
空はよく晴れていて太陽の光がとにかく眩しい。今の時間はカタワレ時には程遠い。
ふと、人の気配を感じて私はその方向を振り返った。線路を挟んだ反対側から誰かが近づいてきていた。高校生くらいの男の子と女の子のようだ。彼らも踏切を渡るためか、徐々にこちら目がけて歩いてくる。そうして、踏切内の敷板の上で私たちはすれ違った格好になった。
時間にすれば、僅か一瞬の出来事。なのに、瞬間、私の心は大きくかき乱される。
踏切を渡ったところで立ち止まるとそっと後ろを振り返った。二人の後ろ姿を何となく見つめてしまう。
「どうしたの? 四葉?」
「あの二人、知り合いだったりする?」
急に歩くのをやめたものだから、明里と花苗は不思議そうな表情だ。
「知り合いでは…ないかな」
その返事に明里と花苗はお互いの顔を見つめた。
あの日、私は姉の部屋を飛び出した。目的もなく一晩中街の中を歩き回り、公園のベンチに辿り着いた。そして、何か大切な夢を見た。
目が覚めたとき、目の前には涙を流す姉がいて「ずっと探していた」と泣きながら怒られたのを覚えている。
あのときの夢の内容は今ではもう覚えていない。
踏切の先を見つめながら、私はお婆ちゃんから聞いた男の子の話を思い出していた。あのあと少し気になってお婆ちゃんから教えてもらったのだ。男の子から受けた相談の内容。その子の苦悩と葛藤を。
話の内容はこうだった。その子には大切な人がいたらしい。その大切な人とは同い年の女の子で、男の子とは昔からよく一緒に遊んでいたと言う。
でも、ある日を境に男の子は悩むようになった。それはなぜか? 女の子の行動の真意がわからなくなったからだった。
なぜ、彼女は自分を避けるようになったのか。なぜ、彼女は変わってしまったのか。なぜ、冷たく笑うのか。
その理由を男の子は知りたかったというのだ。
きっと男の子なりの苦悩があるのだろう。だけど、私はその話をきいたとき、あっけない話だと思った。
答えは決して難しいものではない。そう思った。まぁ、これは単なる私の想像で、根拠なんてないけれど……
女の子が男の子を避けるようになった理由。それはきっと、男の子の身を守りたかっただけなのだ。
彼女は自分の性格を決して表には出さなかった。いろいろなものに縛られながら生きてきて、彼女はずっと孤独だった。本当の自分はこんなものじゃないと思いながらも、本当の自分を表に出すことを恐れていた。
周りが褒めてくれるのはいつだって偽物の自分で、本物の自分は誰にも見せられないでいる。それは家族も同じ。
でも、たった一人…男の子だけは違った。
彼はどんなときでも自分の側にいてくれて、唯一本当の自分を認めてくれて、彼女にとっては自分以上に大切な人だったと私は思う。彼女にとって彼の存在は救いのようなものだった。
けれど、女の子の元に不運が訪れる。まわりからイジメられるようになったのだ。最初こそ嫌味を言われる程度だったそれも日を追うごとにエスカレートしていく。そして、彼女は当然恐れた。“イジメ”の対象が彼にまで広がることを。
そしていつの日か、その心配は現実のものになってしまう。男の子にまで危害が出るようになったのだ。
その事実を知ったとき、彼女は相当ショックを受けたに違いない。自分の救いだったその人が―――大好きな彼が、自分のせいで大きな危害を受けている。その事実が彼女はどうしても許せなかったと思うのだ。自分のせいで…好きな人が……
だから彼女は距離を取った。男の子を守るために男の子から離れることを決断した。それが彼女の選択。
だけどきっと彼女は想い悩んだはずだ。
できることなら男の子の側にいたい。その気持ちは本当で、それが嘘偽りのない本当の自分。けれど、私が近づけば男の子はまたイジメの標的にされてしまう。“一緒にいたい”という気持ちが男の子を苦しめる。そのジレンマに彼女はずっと苦しみ想い悩んだ。きっと心も体もひどく疲弊してしまうほどに、苦悩していたことだろう。
ある日、男の子が強引にも彼女の部屋に押しかけてしまったことがあったと言う。彼女の笑う姿を見て、彼は背筋が凍ったと話していたと言う。
きっとその笑顔の裏には、罪悪感があったのだ。彼と会えた嬉しさよりも、彼と会ってしまった、その罪悪感が先行してしまうほどに彼女は追い込まれていたのかもしれない。女の子の決断と男の子の苦悩。お互いがお互いを想う気持ちが二人をさらに苦しめた。その現実に私は胸が苦しくなった。
その後、二人がどうなったのかまではわからない。お婆ちゃんも知らないらしい。
私なりに考える。
男の子を傷つけないための彼女の決断が正しかったとは思わない。でも、そこに至る彼女の苦しみと葛藤。その末に決断したことだと言うのなら、私はその選択を尊重したいとそう思う。
彼女の選択は彼女だけのもの。誰かが踏み込んでいいものでは決してない。誰かがその選択を捻じ曲げるようなら、それは彼女の気持ちを踏みつける行為だ。そんなことは絶対にやるべきではない、と。
きっと、以前の私だったら、そう強く思っていたに違いない。
だけど、最近少しだけ思うのだ。
男の子と女の子の進む道が少しでも明るいものであったらいいなと。お互いがお互いのためを想って取った行動が幸せに結びつくとは限らない。それは理解しているつもりだけれど、それでも、少しでも幸いに近づいていることを願わずにはいられない。
この1か月で私は学んだ。人の幸福を願うことが、どれほど難しいことであるかを。これは一つの教訓だ。きっとこの教訓だけはこの先何があっても忘れることはないだろう。
あれから、私はずっとすれ違った二人の後ろ姿を眺めている。
線路の向こう側に歩いていった男の子と女の子。お互いが手を繋ぎ、女の子は彼の腕に身体を寄せている。あれほど仲の良さそうなカップルもそうはいないだろう。幸せを絵に描いたような光景に私は口元を緩ませる。
踏切の上ですれ違ったとき、女の子は笑っていた。嬉しそうに、幸せそうに、その笑顔はまるで満開の桜のようで……
私は願う。
あの笑顔が今後散ることがありませんように、と。言葉になんて出さないけれど、心の底でそう願う。
「ちょっと四葉…大丈夫?」
「どしたの?ぼんやりしちゃって」
明里と花苗の声が聞こえる。私は足に力を入れると、勢いよく身体を反転させた。
「ううん、何でもない!」
不思議そうに首を傾げる二人。
「私さ、今日はどうしてもこの場所に来たかったんだよね」
「この場所って…この踏切のこと?」
「うん。この場所で何か大切なことがあって、何か大切なこと決めた気がするの。だけどときどき思うんだ。本当にその選択は正しかったのかなって」
いや、違う。正しいかというよりは、後悔していないか、その表現の方がしっくりくるだろうか。
明里と花苗からしてみれば、私が何を言っているかなんてわからないだろう。でも、二人はお互いの顔を見つめた後、こんなことを言ってくれた。
「どうかなー でも間違ってないんじゃない?その選択」
「どうして?」
「だって四葉、今すごくスッキリした顔してるし」
言われて初めて気が付く。その事実に正直驚く。
(はぁ、この二人には敵いそうにないなぁ。もしかして、今日遊びに誘ってくれたのも私を心配してのことだったりして?)
心のギアを入れ直す。
「よしっ! それじゃ早くそのお勧めのお店とやらに行きますか!」
「その言葉を待ってました!」
「今日は四葉をとことん励ましてあげるからね!」
「励ますって…え?どういうこと?」
「例の人とうまくいかなかったんでしょ!?」
「はぁあ!?」
思わぬ言葉に唖然としながらも、なんだか気分は高揚気味だ。
「だったら今日は二人の驕りねー」
「えーそれとこれとは別でしょー」
これから行くお店に心をわくわくさせながら、私たちは3人一緒に歩き始めたのだった。