一定のリズムで刻まれる警報音が耳の奥を突き抜ける。寝起きには厳しい音だった。今は夢の中だから寝起きとは呼べない気もするけれど。
さて、ここはいったいどこだろう? 私はもう一度あたりを注意深く見渡した。踏切には違いない。周りを見るにどこかの住宅街のようだ。とても閑散とした場所だった。
私はなぜここに立っているの?
疑問が次から次へと湧き上がるも、答えてくれる人は誰もいない。
そうこうしているうちに、遠くの方に電車が見えた。今は日中。走っていても何ら不思議ではないだろう。そう思って、視線を正面の踏切に戻した。すると、
(あっ!)
線路を挟んだ向こう側に人が立っていた。女の子のようだ。中学生、いや、高校生くらいだろうか?
俯いているため、表情まではわからない。けれど、その口元は笑っていた。その瞬間、私の背中に悪寒が走った。
(あの子は……誰?……)
目の前の女の子から視線が離せない。こんなところで何をしているの? そう声をかけたくても口から声は出てこない。
しばらく私はその子を見つめていた。だけど、その子は急に身体を動かした。何の前触れもなく突然に。
次の瞬間、私は目を疑う。
その子は遮断機をくぐって、踏切の中に飛び出したのだ。踏切の警告音が大きくなる。耳をつんざく。危ない! このままだとあの子は…ッ!
「ちょっと…ッ!!」
焦燥感に駆られて私は叫んだ。けれど、いつもの自分の声じゃない。低い声音は女のものには思えない。状況は未だに理解できていない。
だけど、今は先にやらないといけないことがある。
とっさに身体が動いていた。
目の前の遮断機をくぐり、線路を渡って女の子に駆け寄った。その手を引いて彼女が跳び出した方向へと連れ戻す。遮断機をもう一度くぐって、舗装された道路にへたり込んだ。
瞬間、電車はスピードを緩めることなく駆け抜けていく。
(危なかったぁ……)
動悸はなかなかおさまらなかった。身体中から汗が噴き出す。心臓の鼓動が大きく聞こえる。
息も絶え絶えに女の子を確認する。相変わらず顔は俯いていた。私はイラついた。文句を言いたかった。なんで、あんな危険なことをかと。一歩間違えれば取り返しのつかないことになっていたのだと。
けれど、彼女の顔を見てその感情は消え去った。
彼女の顔には生気がなかったのだ。目は虚ろで唇は真っ青。生きているのも疑わしいほどの存在感。少し触れただけで崩れてしまいそうな、そんな雰囲気を孕んでいる。
どうしたらこんな表情になれるのだろう。彼女の身にいったい何があったというのだろう。
「……あなたはいったい」
そこまで声に出して違和感の正体に気がつく。私は踏切近くのカーブミラーまで走った。その一心で鏡を覗き込んだ。
そして、私は自分の状況を理解する。
「わたし、男の子になってる……ッ!」
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朝、目を覚ますと、とてつもなく憂鬱な気分に襲われた。こういう日はときどきあったけど、今日のそれはとびきり大きい。
(…今のは、夢?)
頭はひどく混乱している。私が見ていたのは何だったのだろうか。
(別の人の、人生の夢?)
その結論を即座に頭が否定する。まさか、そんなことない…よね?
大学の講義が終わり、すぐさま帰り支度を整えた。講義棟から外に出た頃には時刻は夕方と呼べる時間帯になっていた。
満開の桜が咲き誇る構内を駆け足気味に走り抜ける。
(本当にきれいやなぁ)
桜の花を横目で眺めながら、はやる気持ちをグッと抑える。朝に感じた憂鬱感はもうない。気持ちはすでに今日のイベントに切り替えていた。
これから私は彼に会う。立花瀧との約束がある。また彼に会えるという高揚感がマイナスの感情を別な場所へと追いやっている。
待ち合わせ時間は19時だ。時間的にはまだまだ余裕。なのだが、それでも私はできるだけ早く待ち合わせの場所に行きたかった。
歩くスピードは次第に速くなり、姿勢は自然と前のめりになる。交差点の信号待ちがもどかしくて仕方がない。
身体は止まっていても、気持ちが前に前にと進んでしまう。待ち合わせの場所に近づけば近づくほど、顔に熱を帯びていくのがわかった。
しばらく歩くとまた交差点の信号に捕まった。今日はやけに信号待ちが多い。焦る気持ちを抑えつつ、手慣れた動きでバッグから携帯を取り出す。
時間を確認したかった。まあ、時間的にはまったく問題ないけれど、なんとなくそうしたかった。
すると、着信が3件入っていることに気が付いた。
(やばっ!確認するの忘れてた!)
急いでタッチパネルを操作して履歴を確認。案の定、発信元は瀧さんからだった。かれこれ3回も電話をかけてきている。
何事だろうと思った。少しだけ不安な気持ちになりながらも、彼の電話番号を呼び出す。もしかしたら、まだ仕事中かな?
信号が赤から青へと替わり、隣の人が横断歩道を渡り始める。私はその場所に立ち止まって、彼の声をひたすら待った。
1コール目、2コール目……そして5コール目が終わると同時に彼は出た。
「四葉ちゃん!?」
その話し方から何か急いでいるように感じ取れる。だけどその声質からはどこか嬉しそうな、弾んだ様子が窺い知れた。
「瀧さん、どうしたんですか?」
「ごめん。今日の食事のことだけど」
周りの人が横断歩道を渡る中、私は彼の話にそっと耳を傾ける。内容を要約すると、これから会うことはできない、という内容だった。
大事な人に会うことになったと彼は言っていた。どうしても外せない大事な約束があるんだと。
「大丈夫ですよ。食事ができないのはちょっと残念ですけどまた今度にしましょう」
謝る瀧さんに私は努めて冷静に返事をした。もともと私の強引な提案でまた会うことになったのだ。彼が謝るようなことじゃない。彼に迷惑はかけられない。
「また今度」その言葉を最後に電話を切った。瞬間、携帯を持った手がだらんと下がる。上がっていた体温は通常の位置へと戻り、弾んだ気持ちは一気にしぼんだ。ずっと楽しみにしていたせいか、反動はあまりにも大きかった。
率直に言おう。私はものすごく落ち込んでいた。また会える。この約束が今日までの私の心を支えていたのだから当然だ。
(しょうがない。しょうがないよ。しょうがないって……)
また今度がある。また会う約束をすればいい。楽しみが少しだけ後ろにずれたと思えばいい。落ち込んでいてもしょうがない。
呪文のように次の約束に目を向ける。「よし」と声に出して気持ちを切り替える。
それと同時に横断歩道を渡り始めた。急に暇になってしまった。これからどうしよう。そんなことを考えながら、いつもの癖で空を見上げた。
横断歩道を渡り終え、平ビルの角を曲がると、そこには神社の鳥居があった。小さい鳥居だけど、造りは年季が入っていた。私は知っている。この先に大きな桜の木が植えてあるということを。
この場所は大学に通うようになって発見したお気に入りの場所だ。私はここの桜の木を見るのが好きだった。もともと糸守では家が神社だったし、こういった神聖な場所にいると自然と心が落ち着いた。
鳥居をくぐり、桜木の前で足を止めた。根元から徐々に目線を上げていく。
とても立派な御神木だった。そして桜の花は満開だった。淡紅色の花が所狭しと咲き誇る大木は見る者に力を与えてくれる。そんな気がする。ただただ綺麗で、とても幻想的で、思わず魅入ってしまう。
「きれいやぁ……」
一輪一輪が競い合うように咲く様は命の強さを感じさせてくれる。この瞬間のために一年間を耐え抜いてきたのだと、そんな叫びが大木からは聞こえてきそうなほどに。
だけど、桜を見つめる私の心はなぜかざわついた。
今、目の前にある花は確かに綺麗で見るものを飽きさせない。けれど、満開の桜は…そうだ……満開の桜は、あとは散っていくしかない。
そう思うと、途端に寂しさが込み上げた。