当初、『兎ー葉ーイーツ』に取り組むのは鈴仙だけだった。
事の発端は人間の村々で急に呼吸が荒くなり床に臥せるものが増えだしてからだ。
何かしらの異変か、と心配した人々は霊夢経由で永遠亭の薬師に診てもらうことに。
『ただの風邪ね、ウィルス性の』
薬師の言葉では、「かんせんせいういるす・ころな」というものらしい。
もちろん薬はすぐに作られて命を落とすものはいなかった。
『ただし。この病は人から人へ感染するわ。収束させるには人同士の接触を半月は避ける必要がある』
病にならないためには、半月間すべての人が家族以外の他人との接触を禁止すること。
半月もの長さの蓄えがある家などないに等しい。人里の人々は大いに困った。
足りないものを店に買い物に行かなければならないが、どうしても他人と接触しなければいけない。
家族で野菜は作れる・魚は捕れる・味噌は作れる。が、売ったり交換する方法がない。
そこで、どうにかならないかと人里代表として慧音が薬師に相談したのだ。
『この病は『妖怪や半妖怪』ならば病にかからないとわかったわ』
「橙や八雲紫が寝込んでいるようなのだが……」
『あれは例外。どうせ境界でも弄って変なことしたんじゃない? ……まぁ気になったから調べてはみるけど』
「そのことを藍には……」
『伝えてないけど? いっつも紫には悪戯でうどんげが困っているの。少しは苦しんでもらうわ』
「うっわ……」
慧音は白い目で永琳を見る。
「では……人に危害を加えない妖怪の誰かが受け渡しを代行すれば良い……ということか?」
慧音も半妖怪なので病には大丈夫だが、ほかの妖怪から村を守り子供たちへの教育を個別になるがしなければいけないので時間がない。
妹紅も不老不死とはいえ人のカテゴリーになる。
「……? そういえば輝夜を見ないな。いつもなら面白がって顔を出すなり、寝込んでいる妹紅を弄りにいくはずだが……」
『……』
「そういえばなぜ半妖怪にはかからないと具体的に言えるんだ? まさか……!」
『て、てゐや、うどんげは大丈夫だったのよ……だから常人じゃない生命力をもつ蓬莱人も……と思ったのだけど』
輝夜が最近見かけないのも薬師の仕業だろう。
「困ったな。……知り合いで人間にいたずらや絶対に危害を加えない保証のある妖怪は少ないんだ。残りの候補の者も暇人なのに暇人ではないと断る可能性も高い」
博麗の巫女……信じられないがあれでもれっきとした人間。病にかかる。緑巫女も以下同文。
村の人々が顔見知りな妖怪は……。
『あら、うちには従順で、ある程度人里の人と親近感のある妖怪がいるけど』
「なに! 本当か!? ……けど、永遠亭の妖怪兎は遠慮するぞ。悪戯をしでかすリスクがデカいからな」
『いるじゃない。あなたのすぐ後ろに』
「ん?」
慧音と薬師の目が一人に重なる。
「えっ?」
その場には、人間達もよく知っている妖怪が一人。いや、一匹か。
「……え、私ですか? わ、私、暇人じゃないですよ、師匠……? ここで師匠のお手伝いをですね」
『なら今から暇にしてあげる。行ってきなさい、うどんげ……コーホー……』
もうお分かりいただけただろうか。
「……なぁ、永琳。思ったけど……その黒い防護服とマスクはなんだ……?」
『…………ウィルス対策よ』
「変だぞ……?」
『ウィルス対策よ』
『ころな』が流行り早半月。
「ぜーはー! ぜーはー!! あー、ぁぁっ、もういや! もーいやぁ、ぁぁっ!!」
その間、鈴仙は頑張った。自転車を漕ぎ、家へ家へと。宅配ボックスもない幻想郷は再配達でも一苦労だ。
プロジェクト「兎ー葉ーイーツ」、人々からは「うーさーいーつ」として幻想郷にある村のあちこちを『自転車』で走り回った。
「……し、師匠……きょ、今日の分は配り終えました……」
『コーホー……お疲れ様。じゃあ、あと二ヶ月。よろしくね。この勢いじゃ、まだまだ収束しなさそうだから。……まったく。一体どこの馬鹿がこんなウィルスを持ち込んだのかしら……』
そして、残り半年の任期を命じられた時。
『ちょ、ちょっと、うどん、げぶ……!? は、離しなさ、あががあ! く、首を、ゴボッ!?』
「I hate youuuuuuuu!!!!!!!!」
鈴仙は、キレた。
はじめにイナバの暗黒面へと目覚めたのは鈴仙だったのだ。
『あ、あなたは選ばれし者だったのよ!?』
「aaaaaaaaaaaaa!!!!!」
大勢のイナバに取り押さえられ、なんとかライトサイドに戻った鈴仙。
しかし次に目覚めたのは永琳。
鈴仙が怒り狂い、ついに任務を全てボイコットし、ストライキを始めた。
手伝いをしてくれない鈴仙に任せていた仕事が全て永琳に回った。
そして調子に乗ったほかの妖怪ウサギたちもストライキを始め、その分の仕事も永琳に回る。
『姫、ご飯ですよ……コーホー』
「やだぁー、まだゲーム終わってない、ゲボっゴボッ」
「おい、永琳飯はまだか」
「飯よこせ、めしー」
「私たち姫とゲームしてるんで忙しくて」
『……』
コロナにかかった輝夜のお世話、働かないくせに飯だけは喰い、ただただ浪費するイナバどもの食事洗濯。広い永遠亭の掃除。
「先生……治るんでしょうか、ゴボッゴボッ」
「そうね……じゃあとりあえずこの薬を(もうこれを言うの4930回目よ……)」
そんな大変な状況にもかかわらず訪れる来客の対応や、薬の研究。さらにはワクチン製造も含めて……。
「師匠……怒ってるかな」
『……うどんげ』
「し、師匠! この数週間大変迷惑を……! ……師匠……っ?」
マスクをかぶっているのでわからないが、笑っている。長年の勘から師匠は笑っていると鈴仙は理解していた。そのことがより不気味だった。
『……あなたには礼を言わなくてはいけないわね────うどんげ』
「……へっ……? ぐげっ!?」
鈴仙の身体が宙に持ち上がる。
『だって、憎しみと月の知識が────────こんなにも私にpowerを与えてくれるなんて知らなかったもの!!』
「い、いやぁぁぁぁ!!」
異変を嗅ぎつけ、てゐ率いるイナバたちが駆けつける。
「れ、鈴仙、どうしゅ、ぐげっ!? あ、あぁ! 永り、ごぁぁ、ぺぎゃっ!」
「ひっ、て、てゐ! ご容赦を永琳さ、gbすyっsじゃj」
『容赦? もうそんな言葉は私のデータベースにはないわ!! あははははははあはっ!』
その日、永遠亭は悲鳴と断末魔の巣窟と化した。暗黒卿ダース・ヤゴコロの誕生だ。
*****
「……ということで、師匠に頼んで人員を増やしてもらったの」
「……こっちはとんだ迷惑だがな」
「……zzz」
大人しく正邪たちはつけ耳をつけて鈴仙と共に『兎ー葉ーイーツ』のバイトをすることになった。針妙丸は疲れてお椀の中で寝てしまった。
「迷惑も何も自業自得でしょ。せっかくウィルス対策に、永遠亭のみんなで作った防護マスクを安値で香霖堂に売ってもらってたのに……あんたのせいで台無しよ」
「そりゃあ、迷惑だったなぁ……ふっふふ」
瞬間、音が後ろを通り過ぎる。
正邪の頬をかすめ、赤光弾が後ろにあった木々を爆散。
鈴仙の指からは残り火のように煙が上がっていた。鈴仙の目が煙の色と同じく真っ赤に燃える。
「次に変なことをしてみなさい。顔に風穴ぶち空けて見通し良くしてあげる」
「ごめんなさい真面目にやりますごめんなさい」
……さすがの天邪鬼もこれにはビビった。
「じゃあ、シフト制でいくからね。昼はあなたと小人。夜は私が自転車をこいで……」
鈴仙が我が相棒と自転車を小突くと、自転車はバラバラになり、地に崩れる。
荷物の乗った籠が悲しく自転車だったモノの上に立っている。
愛機は鈴仙の半年に渡るど根性パワーですでに耐久が限界を迎えていたようだ。
「Nooooooooo!!!」
頭を両腕で抱え、崩れ落ちる鈴仙に正邪が耳打ちする。
「そなたの怒りが自転車の命をうばっt」
音が再び耳の上を通り抜ける。光弾が何本か正邪の髪を燃やし、悲鳴を上げる。
鈴仙の目が再び真っ赤になっている。
泣き腫らしたか、怒り狂っているのか。
ゴゴゴゴゴゴ、と効果音が正邪に迫ってくる。
「次は耳よ……!」
「わかった! わかったから落ち着け、つけ耳兎」
「つけ耳じゃないってばぁぁぁ!!」
「とにかくすぐに自転車の代わりを持ってくればいいんだろう!?」
「そんなのすぐに見つかるわけないでしょ!? うわぁぁぁん! 師匠──っ!!」
なにか、自転車の代わりになるものはないかと当たりを見渡す。
「にゃんにゃん、にゃにゃーん、し、し、死体はどこかにゃーん♪」
今日も今日はと火車をこいで死体を探しに旧地獄から地上に出てきた火車の猫妖怪、火焔猫燐。通称、お燐。本人は長い名前が嫌いらしい。
*****
「あ、あたいの車返せーっ!!!」
「ははははははっ!! 悪いなぁ、こっちは慈善事業なんでなぁ!!」
「どっ、どろぼーっ!!」
恐れ知らずの天邪鬼。なんと彼女は火車を容赦なくお燐から奪いとった。
「ご、ごめんなさーい!! あとできっちり返しますのでーっ!」
「ごめんなさい、うちの正邪がー!」
「絶対に許さんにゃーっ!! さとりさまに言いつけてやるーっ!!」
鈴仙と針妙丸が謝るも返信はお燐の容赦ない怒声だった。
「ぜはーっ……ぜはっ、にゃ、にゃんと逃げ足の早いやつ……」
「あばよーっ!!」
「ニャーッ!!!! フーッ!! フーッッ!!!! 覚えてろこの小鬼め──っ!! ぜっっっったいに! 絶対に後悔させてやるーっ!!」
あまりの怒りに野生に還りかけているお燐であった。
*****
「あぁ……師匠。申し訳ありません……けど慧音に頭突きをされるのも嫌なのです……心までも暗黒面へと落ちた私にどうかご慈悲を……」
「……さて、最初は紅白だな。次は白黒……うわぁ、一番行きたくないリストかよ。やめたやめた! もうやーめ」
鈴仙が指を正邪の額に押し当てる。
「たっ、たすっ」
「もうここまでしたんです最後まで付き合ってもらいますよ」
「はいゴメンなさいすぐ向かわさせてもらいます」
正邪はすぐさま走って博麗神社へと向かった。
針妙丸入りのお椀も車に乗せた。
「天邪鬼ファイオーっ!!」
*****
「……で、なるほどね。それであんたが慧音と永琳のパシリをやらされてると」
霊夢は布団で上半身を起こす。
「なっ、パシリじゃない、配達事業だ」
「同じようなもんよ」
正邪は火車に乗せた荷物を境内へと運び込む。
「あ、針妙丸はゆっくりしてて。妖怪に風邪の概念がないのがほんと羨ましいわ」
針妙丸は一人でご飯を食べている。おのれ紅白。
「そういえばあのスキマBBAはどうした? ここらへんでお前にちょっかいを出してくる頃合いじゃないか」
「紫ね。あいつなら式の式と一緒に寝込んでるわよ?」
「は!? 妖怪は『ころな』にはかからないんじゃないのか!?」
「知らないわよ。紫がなんかしたんじゃないの? こほっ……そもそも始めにかかったのあいつの式……いや、式の式だっけ……あぁ紛らわし、こほっ」
うわぁ気味が悪いと正邪は最後の荷物を置く。
「これで全部か。しっかし重いな……しかし貧乏巫女がよくもまぁこんだけ買えたもんだな」
「ごほっげほっ……うるさい」
「どうせあの半妖からの差し入れだろ。じゃなきゃこんな空っからの賽銭箱で生活できないもんなぁ」
「うっさい! 来るんなら賽銭でもいれてったらどうなのよ、家無し天邪鬼! なんなら今すぐにでもひっとらえるわよ? ごほっ、ごほ」
「はぁ? アジトくらいはあるわ収入霊夢!」
「この……ぐ、げほっ、ごほっ!!」
霊夢の咳が酷くなったのを聞きつけたか、針妙丸はご飯から正邪の方へ振り返る。
「ちょっと正邪! 霊夢も具合が悪いんだからもっと安静にしてよ」
「てめーも手伝いやがれ! なんで私だけが荷物運んでお前は飯食ってんだよ!?」
「だって私、荷物を運べないもん。誰かさんのせいで」
「……ちっ、まだ根に持ってやがるのか」
忘れる方もどうだろう。
針妙丸はかつての付喪神異変の際に正邪に騙され、秘宝『打ち出の小槌』の乱用のせいで20cmほどの大きさまで縮んでしまっている。
素の大きさが少女の膝下までと考えると、かなりの差である。
「だから私は監視役。正邪が逃げ出さないように、しっかり見張らせていただきます!」
「くっ………………隙を見てトンズラしようと思ったのに……」
荷物を運び終え、へたり込む正邪。
「くそが……せい……せいぜい荷物は箱一つに稲一本だと思ったのに……悪くてお茶っ葉いっぱい……」
「残念だったわね。お茶の葉は3箱。他は米と野菜よ。肉は年に一回あればいい方だから」
正邪の前に飯の乗った御膳が置かれる。
「……?」
「はい、まかない。適当なもので簡単なので作っといたわよ。そろそろ日も上りきるし、昼食でしょ。さっさと食べてきなさいよ」
霊夢はすぐに布団へと戻る。
ちなみに彼女は相手が妖怪だろうと関わらずマスクをしている。
「けっ、うぃるす塗れの飯なんて食えるかーっての」
「あっそ。なら置いといてー。鳥かなんかが食ってくでしょ」
「じゃあ、私が食べていい?」
「針妙丸、あんたはもう食べたでしょ? 胃が爆発しても知らないわよ?」
「……くだらね」
正邪は一人その場を立ち上がり、鳥居をくぐって神社の階段を下りようとする。
「あ、待ってよ正邪! じゃ、霊夢ごちそうさまでした!」
「あっ……」
霊夢は針妙丸に呼びかけようと手を伸ばす。しかし手は空しく空を切り、下へ下がる。
「……はぁ。別にあんたまで行くことないのに……あら?」
正邪の残した配膳を片付けようと布団から出る。すると皿の中身はすでになくなっていた。
「……ほんと、素直じゃないわね。あの天邪鬼」
しばらくは見逃してあげるわ、と霊夢は布団の中へと戻り、静かな寝息を立てるのであった。
****
「ぷっ……正邪、ハムスターみたい……ぷくく」
「ばむぶたーばいぶのおばえにいばれだくべぇ! (ハムスターサイズのお前に言われたくねぇ!)」
*****
それから正邪たち、兎ー葉ーいーつ、派遣社員はさまざまな場所へ向かった。
魔法の森に在住の霧雨魔理沙宅。
「うわぁ、きったねーな。掃除しろよ」
「お、お前には関係ないだろ!?」
「す、すてきな汚部屋だね……」
「うわぁぁぁん! 見るなよぉ! 見ないでくれぇぇ!」
****
アリス宅
ドアを叩くと同時に人形たちに包囲される。降参と正邪たちが手をあげる。
家からアリスが血走った目で二人を睨む。
「……いい? 絶対に中を見るんじゃないわよ。中を見たら殺すわ。箱の包装が少しでも空いてたら容赦なくズタズタにするから」
アリスはうずうずと開けるのが待ちきれない様子で、今二人がいるにも関わらず箱を開けようとしている。
「手をあげて背中を見せなさい! 絶対にこっちを見てはダメよ!」
二人は人形たちに剣を突きつけられると、大人しく彼女の言う通りにする。
アリスはさぁお待ちかねと
「見てねーよ!! 中身に手紙があって、『アリスちゃん、元気? 今大変そうだけど、大丈夫? いつでも魔界に帰ってきてね。これ、美味しく食べてね。 あなたのママの神崎より』…………なんて手紙見てねーよ!!」
アリスは人形の一体から剣を取り上げて殺気を乗せる。
「die!!」
「だからいけないって私、あれだけ言ったのにぃぃぃ!!」
「娘思いのママじゃないか!!」
「あんたに言われると魔理沙の数百倍はムカつくわ!! ああああああああ、絶対に許さないわ天邪鬼ぅぅぅ!! 今すぐにその口を封じてやるぅぅぅ!!」
*****
殺されかけたアリス宅から脱出し、次は。
「さて、次は誰をからかうか……」
もう正邪にとって真面目に働くなどという選択肢は頭の中から消え失せていた。
針妙丸も次は正邪がどんな面倒を起こすかで胃が痛くなっていた。
「胃が痛い……」
「食べ過ぎだろ。ざまぁみろ、私を差し置いて一人紅白の家で食べやがって」
「正邪も食べてたじゃん!」
「食べてねーよ! ……さてお届け先はと」
鈴仙から渡されたリストにはこう書かれてあった。
────地獄、畜生界
****
「うん、ありがとうございます。いやー、これが食べたかったんですよね、これが」
吉弔八千慧。背中の緑の甲羅と揺らめく竜の尾が特徴的だ。
地獄の中の地獄、畜生界と幻想郷をめぐる大異変を起こした真犯人。畜生界を支配する動物霊の組織の一つ、鬼傑組のヤのつく組長だ。
ちなみに構成員はカワウソ霊。組のモットーは『絡め手こそ最短最良!』である。
「やっぱりいいですね、鹿肉のパスタは」
ついつい待ちきれず食べてしまいます、と八千慧は微笑む。
「幻想郷がああなってちゃ、行きたくありませんしね。あっ、配達人さん。せっかくここまで持ってきてくれたんです、疲れたでしょう。あなたも食べます? 美味しいですよ」
八千慧は麺をフォークに絡ませ前に突き出す。丁寧にフォークの上には鹿肉のソースもつけてある。
「け、けっこうでぇす……」
口を引きつらせて正邪は遠慮する。
危険極まる畜生界なので針妙丸はお椀の中で震えている。
悪戯なんてせずによかったと心の底から思った。だって、相手、ヤのつく奴らなんだもん。
ここは法なんてないに等しい畜生界。なにをされるかわかったもんじゃない。
「……やばいやばいやばいやばい…………来なきゃよかったぁ……」
針妙丸が蚊の鳴くような声で泣く。
「要らない? そうですか。あーむっ」
八千慧は微笑を浮かべ、突き出したフォークを自分の口へ運ぶ。
俗っぽいようで不思議と高貴さが漂う。彼女の纏う奇妙な空気が彼女を艶やかに魅せる。
この場にいたのが彼女だけなら。彼女の身の上を知らなければ、普通に妖怪が届いた品を早速と食べている微笑ましい風景だ。
「いやぁー美味しいですねぇ。そう思いませんか? ──────皆さん」
彼女の隣にいるカワウソ顔のマッチョガードマン。彼女が足蹴に敷いている人間霊がいなければ。
『おっしゃる通りです、八千慧様!』
「ですよねぇ。じゃ、今日の夕食は魚ではなくお肉にしましょっか」
にこやかに八千慧は告げる。
カワウソは現代ではコツメカワウソなど動画で可愛いというイメージが強い。
が、実際はかなり獰猛で狡猾な肉食動物だ。掴んで押さえつけられるものなら何でも食べる。
生き餌が好みで、魚だけでなく機転を利かすことでアリゲーターなどの大型動物も噛み殺すこともあるとか。
「あなたも欲しいですか?」
聞いてますか、と八千慧は足の下に敷いている人間霊にかかとを落とす。かかと落としを喰らった人間霊はうずくまり呻き声をあげる。痛覚はあるのか。
『ほ、欲しいです……うっ』
「よしよし。いい返事です、いい子ですね」
ニコリと天女のような笑みを浮かべる八千慧。
竜の尻尾が左右に揺らめく。それを見た人間霊は顔? を引きつらせる。
「あなたにも部下たちと同じ、良いお肉を頼みましょう。明日も諜報活動を頑張ってくださいね?」
『りょ、了解しました! 明日も頑張らせていただきます!』
「えぇ、えぇ。食事は必要なくても気力にはなりますからね。しっかりとってくださいね。大事なことです」
八千慧は椅子から立ち上がって正邪の元へ。
「幻想郷の時間だと……そろそろシフト終了のお時間ですか?」
「は、はい」
「そうですかそうですか。では少しゆっくりして行きませんか? 私、あなたには少し興味があるので」
くぃっと八千慧は正邪の顔を指で持ち上げる。
「今日は兎の配達員じゃないんですね」
「あ、あまの兎の配達員です、はい」
「天邪鬼の配達員って見ないものですから」
もしかして敵組織と疑われてる?
正邪は永遠亭から貰った配達員の証を見せる。
「すみませんね、ご丁寧に。ほらここ、組同士の協定とかはありますけど基本無法地帯ですし」
うわヤバい、と畜生界に入った時点で感じてはいた。そして今この瞬間にそれが正邪の中でも、うわぁもう帰りたい、に変わった。
「え、えと、わ、私は永遠亭に交代のために戻らなきゃならないんで。これで失礼しようかなと」
「あら、残念です。ちょうどあの邪神も身の程をわかって大人しくなりましたし、もう少し幻想郷の方と親交を……」
『八千慧様! 侵入者です! 我々のシマに踏み入った人間霊を捕らえました!』
突然のカワウソ霊の来訪に、八千慧は明らかに不満そうに口角を下げる。眉も先ほどと違い、別人かと思うくらいつり上がっている。
「……。今、お取り込み中なんですがね」
『す、すみません! 部下が口をなかなか破れなくて……』
「ちょっとごめんなさいね配達員さん。通りますよ。──────退きなさい。私が直々に口を破らせますから」
襖が閉じて数分が経ち、奥の部屋から悲鳴が聞こえてくる。
窓の外を見ると、そこには溶岩風呂。いや、広さからして溶岩の湖と言っても良い。
奥の部屋の窓が開かれたと思いきや、その瞬間外の溶岩の湖に何かが落ちる。
窓はいつのまにか閉じられていて、よく見ると、溶岩には数多くの人間霊が苦しげに呻いていた。
正邪の額から大量の汗が滝のように出る。
「すみません、待たせてしまって。もうおかえりですか? 送りますよ?」
「あ、あーっ……どー、どうしよう急にここにしばらくいたくなってきたなぁーっ!? なのでもう少しいます!」
機嫌を悪くして溶岩風呂なんかに放り込まれてたまるか。正邪は下手に出始めた。
「さいですか。じゃあ立ち話も何ですし座りましょっか。お茶とかいります?」
「喜んでいただきますぅ……」
差し出されるお茶だがなにが不安で仕方がない。
「ちなみに、私のことどこまでご存知です?」
「……吉弔八千慧。畜生界でヤクザの親玉をやっているカワウソ霊のボス」
「他には何と?」
「……闇討ち、奇襲。勝つためになら何だってやる根性ひん曲がった集団……あ、これは私が客観的に知っている情報だ! 文句なら紅白にでも言えよな!」
正邪は焦って最後に付け加える。
「勁牙組(けいがぐみ)のだれかさんがあの人間にでも喋ったのでしょうか……なるほど、なら話が早いですねぇ。幻想郷のお尋ね者さん」
「……ほう、じゃあこの私を知ってて声をかけてるわけか。この鬼人正邪と」
「ハイ。もちろん伺っておりますよぉ」
八千慧はくすくすと笑う。
「おっしゃる通り、我が鬼傑組は知恵者を欲しています。そこで……あなたをぜひとも我が斬り込み隊長として迎えたいんです」
給料も住処もそれなりのものを保証しますと彼女は付け足す。
「最近の失敗で得た教訓でしてね。いざという時、カワウソ霊だけではやはり組の今後に不安が残るなぁと思った次第で」
「じゃあ、お前が出張れば良いじゃないか。あそこまで徹底した組織を率いるくらいだ。かなりの実力者なんだろ」
「私は作戦立案が専門なのでぇ」
「嘘クセェ」
正邪は顔をしかめる。
「そう言わずに、もう一度聞きますね。正邪さん────私と共にこの畜生界を支配しませんか?」
八千慧がこの畜生界において、ゼロから鬼傑組を組織するボスにまで登り詰めたのには数多の噂がある。数多の策略。数多の人脈。
「どの道、あなたは幻想郷に合わないでしょう。帰ってどうするのです? そのまま一人で身の丈に合わない夢を追い続けます?」
そして彼女の力の最たるものが、この───『逆らう気力を失わせる程度の能力』。
「あなた一人で摂理をひっくり返すなんてできっこありませんよ。幻想郷にあなたの居場所はありません。あったとしても、あなた自身が与えられる場など望まないはず。だったら────新しい場所でやり直しましょうよ」
八千慧は熱弁する。
「ここなら! この畜生界なら叶います! 手数も駒もあなたはいくらでも持てる! いくらでも私を使って、互いに使い合いましょうよ。────きっと相性がいいと思うんですよ、私たちは!」
「……」
「この強者ばかりがのさばるこの畜生界を、共に知恵で嘲笑いましょう。共に────畜生界をひっくり返しましょう? あなたはきっとそのために今日ここに」
「────お断りだ」
八千慧は思わぬ返答に目を見開く。
「なるほどね。通りで畜生界へお届けなんておかしいと思ったんだ」
「……」
「じゃな。お前の提案は大方正論で魅力的さ。手駒が多いのも、お前の言う場所の方が居心地が良さそうなのも。だがな吉弔、私はな天邪鬼だ」
正邪は笑う。
「やれるわけがないと嘲ってる相手を逆に嘲笑うのも、好きなんだよ」
「────────」
彼女が去った後、八千慧は少し考え事をしていた。
「……私の能力が効かないとは。あの人間三人と同様、なんらかの資質が……」
『八千慧さま!』
「あぁどうぞ、入っていいですよ」
襖が開く。
「進捗の方は?」
『まだ完成までに時間がかかりそうです』
「なるべくすぐに終わらせなさい」
『しっ、しかし……』
カワウソ霊はパソコンを見せる。
『首を回すカワウソおもしろ動画とか作って何の意味があるんですか……?』
「なにを言ってるんですか! これも立派な宣伝ですよ! 一人でも多くの人材を得るためには面白さも大事なんですよ!」
『いえけどなんで首回すんです……? ふつうに考えたら捕食時にする行動っすよ? カワウソ』
「流行りです!」
『流行り』
「そう流行り! できれば鹿も作ってください!」
首を回す鹿の動画をどのような名目で作らせるかであった……。
『oppai!』
「なんてもん言わせてんですか!?」
******
兎ー葉ーイーツ。
特に巫女からは便利すぎて、病が収まってからも続けてほしいと頼まれた配達サービス。
鈴仙は「もうやりたくない!!!!」と叫んでいた。
それが後の白兎宅〇便になるかは、誰も知らない。
話は戻り本日の配達を終えた正邪。
「お手伝いご苦労さん」
鈴仙はそう言って火車をこいでいった。
翌日──────
「はは、ははははははっ! 最高だ! これこそまさに天邪、げふっ!!」
「こほっ……はい正邪、これ咳止め……」
紫が弄ったのはウィルスそのもので、妖怪にもうつる新型が生まれてしまったという。
そして……
「わたしのペットがお世話になったようね……?」
「ひ、ひぃっ!? ちがいます! わたしじゃないってばぁ!?」
「あなたもその場にいたって言ってたわよ! あんたをのした後は天邪鬼の番!!」
「ひ、ひぃーっ!? 助けてししょ──ーっ!? もうヤダァーっ!!」
正邪の分も配達が山積みになった挙句、再びダース・レイセンが生まれてしまったのは別の話である。