夕焼け色に染まる古びた木造の教室。
殺せんせーはそう言って、普段の鬱陶しさが嘘のように静かに微笑んだ。
秀知院生の皆さん、こんにちは!
私たちは学園の生徒が日々抱えている悩みを聞き、心もヌルヌルスッキリを目指すボランティア活動に励んでいます。
部活から勉強、恋愛相談なんでもござれ。
守秘義務はもちろん、安心して相談を受けられるよう部員全員でヌルヌル配慮していきます。
打ち明けたくても相談する相手がいないそこのあなた!
ぜひ『ヌルヌル相談教室部』に来てみてください。
あなたの心に良きヌルヌルを!
ヌルヌル相談教室部 部長大空月見
★
「なんですか、これは!」
「うぉっ!」
その顔はどう考えても怒っている。お怒り状態。
「どうしたんだよ白銀妹。そんな怖い顔して」
「なんですかこのチラシは?」
なんで怒っているのか聞いてみれば、圭は冷えた鋭い目付きで机の上に置かれたチラシをトントン指で叩く。
それは学校の掲示板用に月見が制作した部活動紹介のチラシ。
月見はしばらくチラシを見てから、圭に顔を向けると笑った。
「よく出来てるでしょ、このチラシ」
「そうですね。ヌルヌルって言葉を多用していることと、勝手に作ったこと以外はよく出来てますね」
「あら、気に入ってない?」
「はい、全く」
笑顔で語りかける月見と笑顔なのに笑っていない圭。2人の笑顔にはかなり温度差があった。
よく見れば圭の頬が引きつっているのがわかる。兄である白銀御行が見れば顔を真っ青にして逃げてしまうレベル。
ガチで妹を怒らせてはいけないと身に染みているのだ。
そんな地雷をタップダンスで踏みしめていくのが自由人である大空月見という男なのだが。
「これ、学園中に掲示しようと思ってるんだけどどうかな?」
「ダメに決まってるじゃないですか⁉︎」
月見のその案に思わず声を荒らげてしまう圭。
普段、学園では見せないだろう
そのせいで月のように優しく輝く銀髪がボサボサになってしまう。が、彼女にそんなことを気にする余裕もなかった。
白銀圭。
私立秀知院学園中等部に通う生徒で、生徒会会計の役職にもついている中学2年生。
整った顔立ちと年不相応な落ち着いた雰囲気はクールさを産み、他の生徒からもモテていた。
現在、そのクールさも剥がれ落ち半狂乱状態に入っているのだが。
その原因は目の前でニヤニヤ笑っている2つ年上の部長のせい。
圭は改めてチラシを持ち上げて、月見の眼前に突き出した。
「なに勝手にこんなものを作ってるんですか!」
「やっぱり相談しやすいようにチラシとか作るのがいいかなーって」
「先に部員に相談してくださいよ、報連相はどこ行ったんですかこの自由人!」
怒る美少女は普通の人が怒るよりも怖い。主に眼力的に。
けれど、月見はそんな圭の怒りを真っ向から受けながら、余裕の笑みを浮かべていた。
「まぁ、落ち着きなよ白銀妹」
「怒ってるのは部長のせいなんですけどね。あとその呼び方やめてください」
「じゃあ圭ちゃん」
「もっとやめてください」
兄と同じ呼び方に即却下される。
「なら、白銀妹で諦めて。というかうちの部活は自主参加な上に決定権は委ねられてるんだから、相談もいらないと思うんだけど」
「そうですけど……」
ヌルヌル相談教室部は部員4名で構成された部活である。部長の月見、
部活あるあると言えば、人数の不足で同好会になることもあるが、少なくとも秀知院ではそういうことはない。4人でも部活動はできる。
やっていることは秀知院生の相談を受けるボランティア活動。
成果さえ出しておけば部活として認めてもらえる。
ただこの部活が他の部活と違うと言えば、それは必ずしも毎日参加する必要はないということ。基本的にメンバーは忙しい。必ずしも毎日これるわけではない。
大体毎日来ているのは部長の月見は当然として、真面目な圭だけだ。
それゆえ大抵の決め事はだいたい部長が決める。 圭以外の部員はそれで大丈夫だと信頼しているという理由もある。
圭も基本は否定しないのだが、今回のことは納得できなかった。
「そもそもこの紹介文。妙にヌ、ヌルヌルって言葉が多すぎます。部活動紹介なら別にいらないですよね、これ」
ヌルヌルという単語に言葉を詰まらせながらも、意見をぶつける圭。
彼女がこのチラシを掲示するのに反対した理由の一つは妙にヌルヌルを強調しているからだ。
なぜヌルヌル?
それに秀知院はほかの学校と違う。富豪名家が9割を占める秀知院学園なのだ。学校に相応しくない単語を使うのは生徒会メンバーとしてはノーである。というか、他の学校でも普通アウトだろう。
「そうか?
「どんな学校ですか、それ」
「タコが先生をしている学校」
「タコ?」
「それに高等部の生徒会には許可貰ってるんだけど」
「……お兄はなんでこれに許可を出したの」
衝撃の事実に思わず頭を抱えてしまう。
家ではムカつく兄ではあるが学校では生徒会長としてしっかり働いていることを知っている。しかも自分が慕っている千花やかぐやもいるのだ。
それなのになぜ、こんな紹介文に許可を与えたのか。
実際のところ、月見がゴリ押しをしただけなのだが、圭は知らない。
「というわけで学校的にも問題ないわけだけど。白銀妹、何か反論はあるかな?」
「うっ」
理路整然していないのになぜか説得力のある月見の言葉に、
でも、このままそれが許可されるのは圭としてはやっぱり許せない。
言おうかどうかしばらく悩んだが、結局しぶしぶと言葉を紡いだ。
「……そんな大々的なことをして、部長は大丈夫なんですか?」
「ん、俺?」
「あんまりこういうのは好きじゃないんですけど。部長はうちの兄と同じで……外部入学生なので」
「あー、例の純院混院のやつな」
圭の不安そうな言葉に月見は納得する。
秀知院学園は200年の歴史を持つ名門校。幼稚園から大学までエレベーター式に上がれる学校だ。それだけに外部から入ってくる生徒には敏感だ。
小さな頃から内部にいる純院と、途中から入ってきた混院。そんな差別的な言葉が秀知院には浸透していた。
ちなみに月見は高等部から入った混院である。
圭は元々、こういった横合いが好きじゃなかった。このチラシを掲示に反対したのも月見のことを心配した理由がある。
現在、生徒会長として学校のトップに立つ兄でさえ批判的な目で見られているのだ。
それなら、ただの生徒の月見は?
それを考えてしまうとこのチラシを掲示することには忌避感を抱いてしまうのも無理はないのだ。
「大丈夫だよ、白銀妹」
「部長」
そんな彼女の心配を察したのか月見は声をかける。
先ほどのニヤニヤをやめて、優しい声音とともに圭のことを真っ直ぐ見据える。
「俺は去年、それ以上の修羅場を乗り越えてきたんだ。クラスのみんなや先生たちとな。今さら一人だからって、気にすることでもないよ」
圭は月見から目を離せない。口を開けることもできないかった。
「俺は、俺たちはそんな逆光の中でも生きていく術を教えてもらったんだからな」
あの時と同じ瞳。
「もしうちの部活のメンバーに手を出すようなやつがいたら、手入れしてあげないとな」
その純粋な殺意を宿した瞳から。
目を離すことができなかった。
そのまましばらく月見と圭は見つめ合った。
片方は嬉しそうに。もう片方は放心するように。
「まぁ、チラシについては掲示しないんだけどな」
「へ?」
またにへらと笑う月見の言葉に、間の抜けた言葉をこぼす圭。
月見はイタズラ成功と言わんばかりに笑みを浮かべた。
「え、掲示するために作ったんじゃ?」
「試しに作った仮チラシだよ。そもそも相談部なのに大々的に公表したら、本当に相談したい子がこれないしな」
「じゃあ、今のは」
「ただの茶番」
「…………」
「おい待て。無言で足を蹴るのやめよう。っていうかスネばかり狙わないで、痛いから」
からかわれたのだとわかった圭は色々と恥ずかしくなり無言で月見の足を蹴り続ける。
せっかく人が心配していたのに。その怒りと恥ずかしさを込めて蹴りの威力を上げていく。狙いはただ一箇所のみ。
「ごめんな、白銀妹」
「知りません。別に怒ってませんし」
「怒ってるじゃん」
「怒ってません」
プリプリと静かに怒る圭を見て、月見は苦笑する。
「ごめんごめん。お詫びにそのボサボサの髪直してあげるから」
「あ」
圭の手を掴むと自分が座っていた席に優しく座らせる。
その間一切抵抗することもできず座らせられた彼女からわずかに声が漏れてしまう。
それを為した月見は圭を座らせると近くに置かれていた女性用のブラシを手に持ち、彼女の後ろに立った。
「新品だから安心していいぞ」
「い、いいですよ。自分でできますから」
「まぁまぁ、お詫びですから。グイッといっちゃいましょ」
「そんなお酒のノリみたいな」
月見はそのまま優しくボサボサになった圭の髪をとかしていく。
最初は遠慮していた圭も、月見が譲らないことを知るとなすがままになる。
(あ、気持ちいい。人に髪をとかされるの、いつぶりだろ?)
いなくなった母さんにしてもらったときか。兄には触られたくなかったからしてもらったことはない。父は論外である。
そう考えると本当に久しぶりだ。
「部長、髪とかすの上手ですね」
「まぁな。こういうの得意なやつが中学の時にいたから。教えてもらって練習したんだよ」
なんでそんなこと教えてもらったんだろう。そんな疑問が過ぎったが、髪をとかす感覚が気持ちよくて目をつぶってしまう。
この部活に入って月見に振り回されてばかりの日々だが、存外嫌ではない。
それよりもあまり意識しないことに気を使わないと、もたない。
「よし、できたぞ」
「あ、ありがとうございます」
気づいたら終わっていた。手で触れてみたら月見のなすがままになっていたことに顔が熱くなる。
「すいません、部長。ちょっと生徒会室に忘れ物したので取ってきてもいいですか?」
「いいよいいよ、行っといで。相談者が来たら俺が対応するから」
「ありがとう、ございます」
月見の言葉を背に受け、そのまま部室を出る。
そのまま音を立てないようにドアにもたれかかると両手で胸を抑えた。
(き、緊張した)
ドクドクと激しく音を鳴らす心臓。その音が耳にまで届いているようでうるさかった。
それは彼女の緊張を示す嘘偽りない証拠。
そのままズルズルと床に座り込み、体育座りになる。組んだ腕の中に顔を埋めて今の顔が人に見られないように隠してしまう。
「ああいうのサラッとやるの、ズルいよ。バカ部長……」
中にいる月見に聞こえないように小声で呟く。
本当に自由だ。いつもいつも振り回されてばかり。
白銀圭。
彼女は絶対に認めようとしないが、大空月見のことを異性として見ている。
有り体に言えば好きである。
それがいつからだったのか圭自身もわかっていない。
それでも心の底に湧く想いに嘘はない。
好きだから月見が学校中の掲示板にチラシを貼ると言った時に怒ったのだ。
彼に何かあったときのことを想うと胸がざわついてしまう。例え大丈夫なのだとしても、好きな人が傷つくところは見たくない。
「……部長から告白してくれないかな」
掠れた声で本音が漏れてしまう。
思春期と圭自身のプライド。それが彼女から月見に好きと言わせてくれない。
できることなら月見から告白してくれればいいのにと何度も願ってしまう。
それは奇しくもめんどくさいと思っている兄と同じ心情を辿っていたことを圭はまだ知らない。
★
「今は白銀妹も律もいないから、久しぶりの一人だな」
ふうっと重い息を吐き出す。
久しぶりに一人ゆっくりできる時間だ。
スマホによく現れるチートAIも今日は用事でいない。
圭が部室を出た後のこと。
月見は椅子に座りながら窓の外を眺めていた。
具体的に空の上に浮かぶ満月。
この季節、まだ夕焼けになるにはまだ時間がかかる。それゆえに空に浮かぶ満月も薄くてパッとしない。
「もう満月になっちゃったんだな」
去年は、一生満月が見れないとまで言われていたのだが、結局の所、引力の力で元の形を取り戻したらしい。
月を見上げるといつも思い出してしまう。
去年あった思い出の数々。
生徒と教師の関係。
あの日々は本当に楽しかった。
(殺せんせー。俺、あの時の約束を叶えてみせるよ)
あの日、殺せんせーとした約束。それは今でも胸の内にある。
もう殺せんせーはいない。
約束を果たしたところで先生には伝えることはできない。
それでもあの時の約束を果たす。
そのために秀知院学園に入学したのだから。
そのためにヌルヌル相談教室という部活を作ったのだから。
それゆえに今の月見に恋という一文字はなかった。